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2011年9月 8日 (木)

からだと環境

からだと環境
 

三島広志
 

 まだ地球に“いのち”が生まれてない頃のこと、今からずっとずっとの遥かな大昔。地球には「空」と「陸」と「海」とがありました。

 

 「空」は青々とあくまで透き通り、底の無い静けさをたたえていました。

 「陸」は黒々と横たわりその先にはうるうる高い山が連なっています。

 そして「海」は寄せては返す群青色の波に輝いていました。

 そこにうごめくのは風だけ。空に舞い上がり、陸をびょうびょうと吹き抜け、海鳴りを生んでいます。

 原初の地球は生き物の息吹の無いがらんとした静けさに覆われていたことでしょう。

 

 ある時、どうしたはずみか、海の中にいのちの仄めき(ほのめき)が漂い始めました。それは細胞膜という袋の中に「空」と「陸」と「海」の素晴らしいエッセンスを封じ込めた“いのち”ある“からだ”です。

 

 つまり、“からだ”とは「空」の爽やかさと「陸」の暖かさと「海」の優しさを細胞膜や皮膚と呼ばれる袋の中に詰め込んだものです。

 そしてその“からだ”を“いのち”として育むために、「空」からはすがすがしい早朝の林のような透明なエネルギー、「陸」からは取り立てのパセリのような生き生きしたエネルギー、「海」からはきらめく塩の結晶のようなエネ
ルギーを絶え間無く“からだ”に取り入れているのです。

 

 私たちの“からだ”はこのように外の環境である「空」と「陸」と「海」を内側に閉じ込めた内なる環境として存在し、外なる環境と常に交流しながら“いのち”を育んでいるのです。

 

 では、私たちの“からだ”の中の「空」とは一体何でしょう。

 それは鼻から胸一杯空気を吸い込むところ、肺を中心とした呼吸器官です。

 私たちは自分の胸の中に太古の「空」を持っているのです。青く高く澄み切った大空が胸の中に息づいているのです。時には夕日に哀しく染まり、時には真夏の太陽のように深紅の情熱がほとばしります。

 そこには今も一瞬たりとも休まず「空」のエネルギーが満ち溢れています。

 「空」は風となって私たちの“からだ”の中に入り、“いのち”の息吹と換わります。

 

 次に、私たちの“からだ”の中の「陸」は何処でしょう。

 それは口から食べたり飲んだりして生きる糧を取り入れる腹ですね。腸を中心とした消化器官です。

 

 土の中には根粒菌などというバクテリアが住んでいて空気の中から窒素を取り出して植物の肥料にしてくれていますが、私たちの“からだ”の中にも有名なビフィズス菌などのバクテリアがいて、消化を助けてくれたりその他さまざまな働きをしてくれています。

 植物は土の中から根っこを通じて栄養を吸収しますが、私たちの腸の表面にも根っことそっくりの形と役割の組織があって栄養をそこから吸収しているのです。まさに土の中と腸の中はそっくりなんです。

 

 最後に私たちの“からだ”の中の「海」とはなんでしょう。

 丘の上から遥かな水平原を眺め、潮騒を聞いていると何となく懐かしいような哀しいような気分になる人が多いと思います。

 私たちの祖先は海から陸(おか)に上がってきたのです。皮膚のようなしっかりした袋を持たなかった遠い祖先は最初海の中を住まいにしていたのです。

 それから長い年月を経て陸を生活の場としたとき、“からだ”の中に「海」を持つ必要があったのです。

 “からだ”の中の「海」は、今でも血潮と呼び称されるところ、血やリンパなどの循環器官です。

 海の成分と血液の成分は性質や比率がそっくりなんだそうです。そして植物の緑の部分、葉緑体も。

 素晴らしいことに、血液の赤と植物の緑と海の青は本来同じものなんです。

 

 おさらいしますと、私たちの“からだ”は「空」と「陸」と「海」という外の環境を取り込んでそれを皮膚という袋の中に詰め込んだ内なる環境のことで、その袋の中は常に外なる環境の「空」や「陸」や「海」のエネルギーを貰うこ
とで“いのち”としているのです。

 

 それだけでなく“からだ”の中で古くなったり、いらなくなったりしたもの、即ち「うんち」や「おしっこ」などは外の環境に放り出して、あとは知らないよ・・と、外の環境つまり地球にゆだねてしまっているのです。実に勝手がいいものですね。

 

 私たちを取り巻く外の環境つまり地球は黙ってそれを処理してくれます。私たちが取り込んで利用し、「うんち」や「おしっこ」として捨てたカスは地球によって分解されてまた「空」と「陸」と「海」に再生されるのです。しかもタダで。

 

 私たちの“からだ”は、地球の一部を貰って出来ていて、しかも、いつも絶えることなく地球を呼吸し飲食しエネルギーに変換して“いのち”を保ち、いらなくなったものは処理を地球におまかせ。何から何まで地球の世話になりっ
ぱなし。地球に巣くう寄生虫なんですね。

 

 人間以外の生き物は環境に適応して、つまり環境に合わせて自分の方を変えてきました。キリンは高い木の葉を食べるために首を長く伸ばし、体が大きくなり過ぎて動けなくなった鯨は海に帰って泳ぎやすい魚の形になり、花は甘い香りを放って蜂や蝶を呼び込む術を開発しました。

 

 ところが人間だけは自分をあまり変えず、環境の方を変えることで過ごしやすい状況を造ってきました。さらにそうして作り変えた快適環境に自分を順応することで今日まで人類の歴史を営んできたのです。

 地中に眠るガソリンを燃やして冬を暖かくすることで弱い皮膚を作り、機械を工夫することで筋肉をやせ細らせたのはそのためです。

 

 動物としてのヒトが、社会的・歴史的人間として文化を築いた時、火と言葉を手に入れた時から、人間の不自然な行き方は避けられないものとして今日まで営々と続いているのです。そしてその方面での恩恵は十分に認められるものです。

 

 なぜなら希望や生きがいを持って「棲息」でなく「生活」し、「餌」でなく「食事」をいただき、「行動」でなく「仕事」を楽しみ、ゆとりの中で芸術に親しみ、人間らしい思索と創造をして生きて行けるのは素晴らしいことです。

 それらは皆、社会的・歴史的人間として自然そのものから少しく距離を取ればこそ可能になったことです。

 寒さが厳しい時、身を震わせてひたすら耐え忍ぶしかなかったら、何かを考えたり作ったりは出来ないでしょう。暖かくすればこそ、創造的な時間が持てます。

 食べ物を作る術を手に入れることが出来たればこそ、年老いたり、病気をしたりして自分で食にありつけない人にも回すことが可能です。

 これらは全て自然からいささか離れたからこそ人間が手に入れた能力なんです。

 

 けれどもその方向で何処までも突っ走ることは正しいでしょうか。先程、人間は地球に巣くう寄生虫と言いました。でも今の人間の行き方を進めて行くと、これは寄生虫の域を越えて、むしろ地球を蝕むガン細胞になってしまいます。

いやもう既になっているかも知れません。

 寄生虫は自分の領分を知っています。増え過ぎると自分たちの宿り主が弱ってしまいますから、寄生虫の繁殖は押さえられ、適当にバランスがとられています。

 

 しかし、ガン細胞は勝手に増えるだけ増え、やりたい放題やってしまいますから、ついには宿り主は衰弱し、死んでしまいます。あげくの果てには結局、ガン細胞自身も一緒に死んでしまうという結末を迎えます。

 私たち人類の今の生き方はガン細胞の道をたどっているとしか言いようがありませんね。

 

 最近よく「地球を守ろう」とか「地球に優しい生き方」とか言いますが、これらのスローガンほど人間の我が儘さ、身勝手さを表した言葉はありません。

私は大嫌いです。

 

 「地球を守ろう」と言うときの地球とは人間にとって都合の良い地球であり続けて欲しい、そのためだったら何かしましょうという気持ちが奥に読み取れます。

 地球は私たちが守らなくても一向に平気です。平均気温を5度も上げれば、あるいは下げれば、また地震で大地をゆさゆさ揺るがせれば人類は木っ端微塵に滅んでしまいます。そう、人間がいなくなれば地球は救われるのです。

 「地球を守ろう」とか「地球に優しい生き方」という言葉の持つ人間優先主義的な考え方をこそ捨てなければいけません。

 

 地球から「空」と「陸」と「海」を貰った“からだ”とエネルギーを吸収して維持している“いのち”を本当にいつくしむなら、今一度、私たちは地球とどう付き合って行ったら良いか、どこまでが許されるのかを探していかねばならないでしょう。

 さもないと人類は本当に地球のガン細胞、悪性新生物になってしまいます。

それは自然のまま、生態系のまま食いつ食われつ調和して生きている他の生き物と違って、勝手気ままなことができる唯一の生物、「人間」の使命と言えます。

 

 あの青く高く美しい大空を胸に宿し、緑の草原と黒く屹立する山々からなる陸を腹に秘め、懐かしい潮騒の響きを熱い血潮として全身にみなぎらせている私たち人類。

 地球の一部、大自然の分かれとしての自分。

 自分という字は自然の分かれと書きます。

 その大いなる自然・地球と不即不離の存在としての生き方を、一人一人考えていくべきでしょう。

 

 “いのち”と“からだ”の源である地球。

 地球の一部分である自分。

 大切にいとおしく生きて行きたいものです。

 

 

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