俳句とからだ 2
連載俳句と“からだ” ②
愛知 三島広志
五臓六腑に染渡る
白鳥のかなしさや海底に棲む魚の孤独を恋うた歌人若山牧水(1885~1928)は、酒に生き、酒に殉じた流離の人でもあった。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」という吟味すべき歌を醸し出している。
酒のうまさは味覚だけではない。無論、咽越しという一過性の刺激だけでもない。酒は「五臓六腑」で味わうものだ。「五臓六腑」は漢方用語で内臓のこと。五臓とは肝・心・脾・肺・腎の五つであり、腑は胆・小腸・胃・大腸・膀胱に三焦を加えたものである。三焦以外はそのまま蘭学者によって西洋伝来の解剖学に転用されたが、東西医療でそれぞれの意味は全く異なる。即ち漢方の肝と医学の肝臓は別物と理解しなければならない。
歴史が長いせいであろう、漢方用語は日常に浸透し今でも「肝胆合い照らす」とか「肝腎(肝心)要」などと使用される。最も多用されている用語は「元気」であり「精」だろう。「元気ですか」「ご精がでますね」「精一杯がんばります」などと用いられるあれである。
気とは
そもそも漢方は気の身体観だ。気とは見えないが某かの勢いがあるものを指す。気の現象が身体と考えてもよい。身体は鼻を通じて天の気を取り込む。呼吸だ。また、口で食物(大地の化身)を命の元とする。これは摂食・消化作用。つまり、身体は生命を維持するために環境である空や地の気を取り込むのだ。これらを後天の気と呼ぶ。それに先立って親からもらった先天の気がある。その気のことを「元気」と呼ぶ。そして身体は天地の気と元気を混ぜて「精」という生命の基本物質を作る。「ご精が出ますね」の「精」とはそういうことだ。
酒の精
「精」は物質の本質だ。酒の本質を酒精という。牧水は生きるために天地の気と元気に加えて酒の精も取り込んでいたのだろう。だが酒精は残念ながら猛毒である。だから傷口の消毒に用いる。
果たして酒精は牧水の根源から湧出してくる苦しみやさびしさ、辛さや痛さをその毒でもって退治してくれたのだろうか。苦酒とか自棄酒など呑んだことがない筆者に牧水のかなしさが本当に見えているのか心もとない。
秋の闇酒席は女らにさみし 金田咲子
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