賢者から見者へ ──栗谷川虹「宮沢賢治 見者(ヴォワイアン)の文学」(洋々社)を読んで──
賢者から見者へ
──栗谷川虹「宮沢賢治 見者(ヴォワイアン)の文学」(洋々社)を読んで──
三島広志
一つの時代を代表する賢治論がある。それらは賢治論という体裁をとりながら、実はその時代を反映している。
国家への忠誠が最善とされた戦前には、賢治を賢者とした谷川徹三説を歪めて戦争に利用した過去がある。
敗戦後、全ての価値観が根底から覆された時、賢治は現実認識の甘さ、国家に利用され易さを批判された。
国民全体が余裕を得た頃、天沢退二郎は作品に付着する一切の背景を排除し、純粋に作品を読む行為に没頭、賢治の彼方を求めた。
時代によって作品の評価、読み方が変わるなら、栗谷川虹の「宮沢賢治 見者の文学」は、賢治の思想が再評価さあれつつある今日を驚愕させ、かつ将来に問題を残す代表的な書となるだろう。
栗谷川は、今まで誰もが感じながら避けてきた賢治のオカルティックな面を白日にさらした。
天沢は聖なる賢治像に対し、デモーニッシュな面を強調し、賢治作品にいつも異空間を垣間見ただけで踏み込むことなく引き返して来る傾向があることを発見している。
ところが栗谷川はいとも簡単に賢治を異空間へ行かせている。否、同居させている。賢治の作品は霊的直感(霊視・霊聴)によって受容したものを単純にスケッチしたに過ぎないと言うのだ。
栗谷川は賢治の心象スケッチの難解性は、表現や用語にあるのではなく、作品に展開されている賢治の体験そのものの難解性にあると指摘する。難解なのは我々の全く感知できない世界を余りにあっさり見せつけられるからだ。
賢治は、自分には幾つかの意識が存在し、それら「透明な幽霊の複合体(『春と修羅』序)」としての自分を認識していた。現実に重なって種々の異なった次元の世界が同時に、明晰に感知出来たようだ。
賢治は見える苦労を乗り越え、作品を通してそれらの世界を皆に知らせようと決意した。栗谷川は書簡や作品を分析してそこまで至る過程を再現している。
それによって「春と修羅」の序詩の<記録されたこれらのけしきは/記録されたそのとほりのけしきで>という賢治の発言を、今日まで多くの評者は看過したか、敢て避けたか、信用していなかったことが暴露される。
賢治は自分だけに認識される非現実の世界(地獄、極楽なども)を強烈な理性で己を失うことなく見続け、ついに、それらを人々に伝えることによって皆と一緒に無上道へ行こうと決意した。自らを求道者と位置付けて、見え過ぎる苦悩を超克したのだ。だからこそ、狂気にも自殺にも至らずに済んだのだろう。
*
また、栗谷川は賢治とランボオを対比してみせる。冒頭に
「俺は架空のオペラとなった──ランボオ」
「わたしは気圏オペラの役者です──宮沢賢治」
を並列して読者を驚かす。そして、「人間の意識の深奥は、(中略)神秘的な、混沌たる暗雲の中に消え去るのではなく、その暗雲を突き抜けた虚空で、もう一つの明晰な世界を持っているのではなかろうか。ランボオと賢治は、そこまで昇りつめて、そこで架空の、気圏のオペラを演じた(後略)」と両者の共通性を認める。
さらに、賢治は文学史を素通りしただけだが(惜しくも中原中也と擦れ違う)、ランボオは奇跡的にマラルメと出会う幸運を得たとする。
ならば、宮沢賢治は没後五十年にしてようやく、栗谷川虹という気圏オペラの観客と出会うことができたと言っても過言ではあるまい。
(初出 俳句結社誌「槙」:主宰平井照敏)
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