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2011年9月

2011年9月29日 (木)

俳句とからだ 60

連載俳句と“からだ” 60


愛知 三島広志


機能と構造

万物は機能と構造を所有する。構造とは物質や物体のつくりや組み合わせ、メカニズムやシステムの様式や形式、組み合わせを言う。また機能とはある物事に備わっている働き。器官・機械などで相互に関連し合って全体を構成する個々の各部分が全体の中で担っている固有の役割である。構造はつくり、機能ははたらきと要約すれば理解し易いかも知れない。

会社は組織構造と会社員が目標に向かって役割機能を成就することで成立する。つまり機能と構造が互いに浸透し合うことで維持発展する。テレビは複雑な機械構造に電気が流れることで受像器という役割機能が出現する。自動車もボディや足回り、エンジンやハンドルといった構造にエネルギーという情報が伝わり、運転手が操作することで機能する。

身体もまた機能(つくり)と構造(はたらき)をもつ。雑に言えば機能は生理学、構造は解剖学だ。骨折は構造的な問題で、骨が上手に整復すれば以前のように動くことができる。しかし脳血管障害後遺症のように脳の構造が壊れると同時に機能がうまく働かなくなると、外見上つまり構造上問題が無いように見えても本人は身体を思うようにコントロール出来ない。

ヒトは加齢によって筋肉や骨格に疲弊や衰退が生じるが若い時と基本的な構造に変化はない。ところが若い時と同じようには身体が働かなくなる。つまり機能的に異変を生じているのだ。一気に異変が来れば病気だが、時間を経ながらゆっくり弱ってくるならそれは加齢現象と呼ばれる。つまり老化ということになる。

 山越える山のかたちの夏帽子 桂信子

俳句にも構造がある。大きくは言語構造、さらに日本語という構造、それらに包摂された俳句の独自構造。五七五が構造であるというのは余りに現象的な捉え方である。仮に五七五という定型をとりながらも実はその句の内容に相応しいリズム、韻を生かす形式がある。この形式を一句毎に作ることが本来の俳句の構造であろう。安易に定型に詰め込むだけなら構造もどきであって機能しているとは言えない。字余りや字足らず、句またがりは作者の強い意図の元に練りこまれた機能的構造への一歩と言える。

自由詩や自由律は作者の意思によって一句毎に形式を創り上げるという実に難儀な作業である。定型というスローガンの元、安易に五七五という器に言葉を放り込むだけならそれは俳句と呼べるかどうか。機能と構造という側面から俳句を考えてみることも必要だろう。

 扇風機働き羽根を見失う 片岡秀樹

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俳句とからだ 59

連載俳句と“からだ” 59


愛知 三島広志


解離する身体

宮澤賢治の詩集「春と修羅」に『岩手山』と題された佳作がある。

 そらの散乱反射のなかに
 古ぼけて黒くゑぐるもの
 ひかりの微塵系列の底に
 きたなくしろく澱むもの

南部冨士と称賛されるこの名峰を同郷の先輩は次のように詠んでいる。

 ふるさとの山に向ひて
 言ふことなし
 ふるさとの山はありがたきかな
                     石川啄木

 秋高しや空より青き南部冨士  山口青邨

三人とも盛岡中学の同窓生で啄木は賢治の十年先輩、青邨は五年先輩となる。啄木は山と自分を対峙させ自然信仰のようなおおらかさで謝意を述べている。また青邨の句も山へのオマージュを深い息遣いでシンプルに描ききっている。

ところが賢治の詩はどうだろう。専門用語が多用され読み難い。「散乱反射」は物理、「微塵」は仏教の用語である。散乱反射は波動や素粒子が散らばり反射し方向を変えること。この詩では空の形容だ。微塵は物質の最小単位、それが系統だったひかりを表現している。この用語は賢治の独自性を示すと同時に理解してもらおうという意思の希薄さを示す。賢治は普遍的伝達と個性的創造の狭間で困難な作業をしていたのだろう。出版した後、「ひしめく微塵の深みの底に」と修正している。こちらの方が伝わり易い。

この詩は構造上、前後二行ずつに分かれる。前二行は黒い夏の岩手山、後者は白い冬の岩手山。この並立にはさほどの独自性はない。しかし、その視線の方向を考えると実に不思議である。前二行は下から見上げた構図、後二行は空から俯瞰したものだからだ。

 啄木は山に対峙し、青邨は秋の空と一緒に山を見上げている。では賢治はどうだろう。前二行では山が輝く空を黒く抉ると見做している。これは見上げている視線だから普通である。後二行は空の底、つまり大地に白く澱んでいるという。これは賢治が空から山を俯瞰しているのだ。この辺りに秀峰岩手山より高い山はない。賢治は自らの心身を拡大させて(脱中心して)山を見下ろしているのだ。精神学者は賢治の作品に度々出てくるこうした傾向を「解離性人格」と分析する。彼の意識は容易に身体を大きく飛び出し、異次元のものを観たり聞いたりする性向にあるという。しかもこの時、賢治は自らの怜悧な理性を失っていない。そうでないと作品としてまとめ上げることは不可能なのだとか。

身体は身体を超えて自在に拡大、縮小、脱出する。これもまた身体の不可思議な現実だろう。

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俳句とからだ 58

連載俳句と“からだ” 58


愛知 三島広志


月天子

宮澤賢治は「雨ニモマケズ」を書きつけた手帳に「月天子」という詩も残している。「雨ニモマケズ」は昭和六年、賢治三十五歳の時、11月3日という日付で書かれており死後発見された。「月天子」は同じ手帳の少し後の方に書かれている。

この詩は科学が月の実体を解明したにも関わらず月天子として信仰の対象となりうるという矛盾を表現している。同時に賢治という科学と宗教と芸術の融合した特異な個性を理解する上での貴重な資料としても知られている。
賢治は月の写真から「その表面はでこぼこの火口で覆はれ/またそこに日が射していゐるのもはっきり見た/後そこがたいへんつめたいこと/空気がないことなども習った」と書いている。さらに「また私は三度かそれの蝕を見た/地球の影がそこに映って/滑り去るのをはっきり見た」と月蝕を科学的に説明している。「亦その軌道や運動が/簡単な公式に従ふことを教へてくれた」とも。

 しかし賢治はそこに留まらない。月の実体とそれにまつわる思いを、人のからだと心の問題に置き換えて不思議なことを考えるのだ。「もしそれ人とは人のからだのことであると/さういふならば誤りであるやうに/さりとて人は/からだと心であるといふならば/これも誤りであるやうに/さりとて人は心であるといふならば/また誤りであるやうに/しかればわたくしが月を月天子と称するとも/これは単なる擬人でない」と。

 賢治がこの詩を書いたのが1931年頃。今から80年前のことだ。科学の台頭が人智をして全て解決できるのではないかと夢を持って語られる時代だったろう。しかしなお今日でも科学の理解と一般的な感覚には齟齬がある。科学でそう解かれても私はそうは思わないと感じることは日常頻繁に遭遇する。「もしそれ人とは人のからだのことであると」と規定することで現代医学は発達してきた。心を無視したのではなく敢えて心を括弧で括って横に置いてからだのみを研究したことで薬や手術が大いに進歩し、今もなおその過程にあることは間違いない。

「しかし」と多くの患者は苦情を述べる。「医者は私の苦しみを分かってくれない」と。仕方ない。共感は科学ではなく芸術の問題だ。「さりとて人は/からだと心であるといふならば/これも誤りであるやうに/さりとて人は心であるといふならば/また誤りであるやうに」と人を本当に理解するのは難しいのである。

 一方で科学的理解を尊重しつつ直感や共感という曖昧な部分で人との交流をする。ここに人と人との関係性が存在する。

 夜空に輝く月に天子を感(観)じる心。それは人に対しても言えることだ。だからこそ互いに尊厳を認め合えるのだ。

 月天心貧しき町を通りけり 蕪村

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俳句とからだ 57

連載俳句と“からだ” 57


愛知 三島広志


極限の選択

 先頃、あるターミナルケアに関わった。私の仕事は鍼灸師でありマッサージ師でありケアマネージャーであるから自らの職分においてチーム医療やチーム介護の一人として参加することがある。このケースは訪問マッサージ師としての依頼だった。その方の病名は筋委縮性側索硬化症。難病の神経変性症で通称ALSと呼ばれている。意識や感覚は極めて清明なまま全身の筋肉の働きが削ぎ落とされていく厳しい病気である。アメリカではメジャーリーガー、ルー・ゲーリックが現役中に罹患ことで知られルー・ゲーリック病と呼ばれている。高名な学者ホーキング博士(否定説もある)や中国の指導者毛沢東もこの病気であった。日本でも俳人折笠美秋氏がそうであったし、徳洲会の徳田虎雄氏やタレント教授として知られた篠沢秀夫氏が現在闘病中である。

 春の昼喪服の中のししむらも 藤田湘子

 ALSの特徴は進行が極めて速いことだ。通常、半数の方が人工呼吸器を装着しなければ発症後三年から五年で呼吸筋麻痺により死亡する。残念ながら治癒のための有効な治療法は確立されていない。 私の関わった方は昨年十一月発症、今年の三月に入院し、月末に退院、自宅療養に入られた。二人の娘さんが介護休暇を取って献身的に介護されたが四月半ばに逝去された。予想以上に速い進行だった。

 この方は字が書ける間に主治医や家族と意見交換、あらゆる延命行為を拒否された。人工呼吸器も胃に直接栄養を流し込む胃瘻(いろう)も。唯一家族の願いで中心静脈からの栄養だけを入れた。

しかしこの決意は単純ではない。マッサージに訪れた枕元には娘や夫、主治医に対して「早く楽にしてほしい、殺してほしい、動けないし喋れないなら生きている価値がない」などの希死念慮が書き連ねてあった。私にも為すすべはなく、ただ辛いという首肩や足などをマッサージすることしかできなかった。

延命行為の拒否、それ自体、患者が真に望んでいることなのか、苦痛への恐怖のみでなく本当は周囲に対する配慮ではないか、医療や介護の費用や手間、世話になる家族への申し訳なさ、これらと辛さとが相まって死を望ませているとするなら、苦痛の緩和や家族の介護の支援によっては死を望まない場合も考えられる。

 延命行為の拒否は見方を変えると消極的自殺だ。これは本人にも家族にも厳しい現実である。この選択は誰にも降りかかる問題として看過することはできない。

後日、マッサージを受けている間だけ母は本当に安らいでいましたと聞いた。多少の役には立てたのであろうか。

 死は春の空の渚に遊ぶべし 石原八束

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俳句とからだ 56

連載俳句と“からだ” 56


愛知 三島広志


地震と津波そして・・・

 2011年3月11日、三陸沖で発生した地震は巨大な津波を呼び、さらには原子力発電所を破壊するという大惨事となった。

災害に遭われた方、お亡くなりになった方たちに心よりお見舞いを申し上げます。同時に全力で救出復興に当たられる方たちには最大限の尊敬を持ってお礼を申し上げます。

災害はいつも天災と人災が綯交ぜになって救出復興再建までに相当の年月と歳費を必要とする。しかし西暦869年の貞観津波を持ち出して千年に一度の津波とか未曾有の災害などとしたり顔で話す政治家や御用学者には異を唱えたい。

岩手県花巻に生まれた童話で詩人の宮澤賢治。彼の伝記を読むとかの地がいかに津波や地震に襲われていたかが分かる。

賢治は1886年(明治29年)8月27日に生まれた。その約2ヶ月前の6月15日に「三陸地震津波」が発生して岩手県を中心に多くの災害をもたらした。これを明治三陸津波と称し、死者行方不明者は22000人に上っている。M8.2~8.5という巨大地震であったが体感の震度は3程度で弱く、これが被害を巨大化した。地震後の津波は本州観測史上最高の遡上高である海抜38.2mを記録する。

賢治が世を去ったのはそれから37年後の1933年9月21日。その年の3月3日にもほとんど同じ場所でM8.1の地震が発生、死者行方不明者3000名以上と記録されている。今回の津波でも被害に遭った田老地区は村人の4割以上が亡くなっている。この時の津波は最大で海抜28.7mを記録した。これを昭和三陸津波という。明治昭和ともに岩手の沖で発生した地震であるから、震源は今回の宮城沖よりやや北となる。しかし県境に関係なく昔から地震と津波の害で苦しんできた地であることには相違ない。

地震は天災である。津波も避けられない。人間にできることは壊れにくい家を作る、避難場所を考える、非常時に対応する対策を用意しておくなど生き残る術を磨くことでしかない。津波に対しては低い土地に家を建てない、警戒心を忘れず逃げるべき場所を確保しておくしかないであろう。度々の津波被害から学んだ田老地区の堤防は世界一を誇ったが、今回はあっさりと破壊されてしまった。天災には抵抗は難しい。

原子力発電所はどうだろう。なぜ御せない火を危険な地に作り、かつ津波対策を何もしていなかったのか。これは人災以外の何物でもない。その後の避難の不徹底。これは広島や長崎の人が被った言われなき差別を繰り返すことにもつながる。これら人災への対策はまだ端緒にもついていない。いつの時代でも大自然の前では涙するしかできないのだ。

ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
宮澤賢治

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2011年9月28日 (水)

俳句とからだ 55

連載俳句と“からだ” 55


愛知 三島広志


型と身体

 京都大学の入学試験において携帯電話で投稿サイトに質問、その答えが速やかに返ってくるという極めて時代を反映したカンニングがあった。パソコンや携帯電話はそれ自体が外部化した脳であり、情報の収集、整理だけでなく世界中に発信できる。これは文化的身体がそこまで拡大しているということである。これらの機能は元来は身体自身が行っていたが今日では装置が身体の代替をしてくれるのだ。だがこうした身体化は生身の身体を鈍化させ退廃化する可能性がある。

 身を離るる言霊どつと花吹雪 濱田のぶ子

 偶然だが別の意味で京都大学の入試問題が能楽関係者の間で話題となった。能と身体について書かれた文章が使用されたからだ。先々月号で紹介した能楽師中所宜夫氏はたまたまバリの伝統ダンスとのコラボレーションのためにインドネシアに滞在していたが、この件に関してはツイッターすでにご存じだった。これまた携帯電話の能力である。

 入試問題の文章は能楽師安田登氏の「神話する身体」。近代演劇は「悲しい場面の演技では、自分の体験の中から悲しい出来事を思い出す」練習を行うが、能の稽古は「気持ちをいれたりはせずに、ただ稽古された通りの型を稽古された通りに忠実になぞる」と説明する。ここで中所氏との会話を思い出した。「狂言師はドラマや演劇で活躍しているが能楽師にもいますか」という質問に対し、中所氏は「能は面を着ける。素面でも表情は作らない。狂言師は顔の表情を訓練する」と答えた。顔の表現の稽古をしないのは型を徹底的に身に着ける能楽師ならではのあり方だったのだ。

 安田氏は「ココロの深層にある『思ひ』は変化しない」と述べる。「『思ひ』とはココロを生み出す心的作用」で万人のココロの奥にある普遍的なものだと。「古人は舞や謡の『型』の中に、言葉にはできないある『思ひ』を封じ込めて冷凍保存した。『思ひ』のさらに深層に世阿弥は『心(シン)』という神秘的作用を想定する」と続ける。能は型を忠実になぞることでこうした「思ひ」や「心(シン)」を演技することなく伝えるのだ。そのためには自分の身体を無にする必要があるだろう。したがって能楽師の稽古とは生活者としての身体を解体し無に帰した後、能的身体に再構築することなのだ。能の家に生まれなかった安田氏や中所氏は己と能の関係に生まれながらの能楽師より一層自覚的なのではないかと考えられる。

 安田氏の文は「舞歌とは文字化された神話をクリックする身体技法であり、私たちの身体の深奥に眠っている神話を目覚めさせ、解凍する作業である」と続く。

 夢に舞ふ能美しや冬籠 松本たかし

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俳句とからだ 54

連載俳句と“からだ” 54


愛知 三島広志


自然と不自然の狭間

「ヒト」は環境を素材として環境の中に生まれ、「人」として環境と関係しつつ育ち、「人間」として刻々と変化しながら成長し、ついには世を去っていく過渡的生命体だ。その根本に存在するのが身体。身体がなければ精神もない。

「ヒト」は自然体として産まれる哺乳類の一種だ。しかしヒトは自然体のままでは生きていけない。数千年の時を費やして環境との相互浸透により形成された不自然体である。これを「人」と呼ぼう。同時に人は歴史的時間や空間的社会の中で「人間」として世間を生きている。つまり人間とは自然と社会と歴史の関係の中に存在している人工的且つ文化的な存在なのだ。換言すると人間は生物的自然体と世間的不自然体が直接し一如となっている矛盾を孕んだ存在なのだ。身体は自然であると同時に不自然も抱え込んでいると言ってもいい。完全自然体としての身体は存在し得ないのだ。

人間は既に生まれる前から医療技術によって母子の健康を守るための管理を受け、安全な出産を用意されている。従って生まれた時から人工的な不自然体として育っていくのだ。裸で生まれた赤ん坊がすぐに布で包まれた瞬間それは人工的な環境に取り込まれたことになる。

こうした人工的環境は死に瀕した場合も同様に存在する。以前なら為す術もなく亡くなった人が今日では様々な医療技術や看護技術、さらには介護の労によって生を永らえることが可能となっている。気管支切開で呼吸を維持し、胃瘻で栄養を確保、膀胱内バルーンカテーテルが排尿を助けることで呼吸・摂食・排泄という生命の基本的営みが保たれるのだ。これらの処置は居宅においても可能となっている。今日、もはや死は死の寸前まで自然現象ではないのだ。

医療の進歩が死を曖昧にしている。こうした医療による生存を人生と考えるのかそれとも単なる延命と見なすのか。この現実が新しい可能性と苦悩を孕んでいる。元気な間に延命治療をするか否かを意思表示するリビングウイルが勧められている。しかし、それは見方を変えると消極的自殺宣言でもある。そこには家族や周囲に迷惑を掛けたく無いという心情的配慮と予測される経済的困難が絡んでくる。純粋に死のみを見つめている訳ではない。それは人間が自然体では無く人工的かつ世間的生き物であるからだ。ここに至って、私たちは自らの身体でさえ自らの所有でないことに直面せざるを得ない。以下はALSという難病で逝けない身体を見事に生き切った折笠美秋の句。

 俳句思う以外は死者かわれすでに
 目覚めがちなる墓碑あり我れに眠れという
 微笑が妻の慟哭 雪しんしん
 春暁や足で涙のぬぐえざる

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俳句とからだ 53

連載俳句と“からだ” 53

愛知 三島広志

現代能

 2010年12月、国立能楽堂で現代能「光の素足」を観た。現代能とは能の構造や形式美を止揚しつつ現代に生き且つ後世に伝え得る作品の創出を目指すものだ。作者は中所宜夫という観世流シテ方の能楽師。彼は大学卒業後能楽師の道を志し、現在五十代半ばの円熟期にある。能の会を主宰し、観阿弥、世阿弥の本意を現代に問い続ける挑戦者である。

 『光の素足』は宮澤賢治の童話『ひかりの素足』をもとに創作された。中所氏は「口語詩『原體剣舞連』『春と修羅』『永訣ノ朝』『雨ニモ負ケズ』、童話『銀河鉄道の夜』『ひかりの素足』そして『農民芸術概論』などの言葉・モチーフを散りばめながら、賢治の精神世界を能舞台上に再現する新しい能である」と自ら案内に記載している。

 能には亡霊や神仙などがシテとして登場し生身の人間であるワキが彼らの話を聞き出すという夢幻能がある。夢幻能は「死者の世界からものを見る」と言われ、「ワキの夢の中でシテが夢を見ている」という難解な構造になっている。『光の素足』も夢幻能の形式をとるが、一郎少年(中所氏によるとここではツレ)と光の素足(シテ)との会話で成立している。

中所氏は、賢治が臨死体験の後、異界が見えるようになり、終生その苦しみを抱えて生きたという仮説から『光の素足』を通して賢治の根源に迫ろうとしている。

原作『ひかりの素足』において吹雪の中で死の世界を体験し一人生還した一郎は、弟の喪失の哀しみ、生還者の罪悪感、一般の人々には見えない異界が見えてしまうという苦悩の中にある。そこへ現れた光の素足。一郎は光の素足との対話、そして連舞によって救済される。

しかし実は光の素足は賢治自身が綴った言葉に宿る力である。すなわち彼の苦悩は自ら著した言葉によって昇華されるのである。中所氏は一郎(現身の賢治)を、シテである光の素足(賢治の言葉=賢治の魂)のツレとして相舞わせることで描こうとしたのではないか。

中所氏の舞台は見事であった。最初の一声と立姿だけで能楽堂全体の気を統一する。謡、言葉、姿勢、所作、型、衣の揺らめき。和する笛や鼓や地謡。すべてが総合的に人々の心を掴み揺り動かす。氏は極限まで削ぎ落とした動きと静止とを演ずることで賢治の言葉の世界、賢治の魂を具現していた。

能の抑制された所作は身体を捨て去ることで完成される。しかしそのためには逆に高度な身体性が必要となる。この逆説的な抑制は俳句の沈黙性に通じるところがある。高度な省略こそは物言わぬ饒舌なのである。

 父恋し松の落葉の能舞台  高浜虚子 

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俳句とからだ 52

連載俳句と“からだ” 52


愛知 三島広志

野口体操

 野口体操をご存じだろうか。そのくにゃくにゃした動きからこんにゃく体操、創始者が東京芸大教授だったことから芸大体操と呼ばれることもある。野口三千三という異才が、従来の解剖学に基づいた体操とは全く別の視点で創意工夫した体操だ。身体観の革命と呼んでもいいだろう。
私たちは通常、筋肉が骨を動かしていると考える。ところが野口体操では手足は鞭のようなもので筋肉は不要と説く。力は筋肉から生まれ伝わるのではなく、鞭のように、ゆったりと脱力した腕を力が通り抜けるのだ。

 鞭うつて牛動かざる日永かな 夏目漱石

 面白い体操がある。「臀」うち・たたき。左脚に重心を載せて立つ。右膝を曲げて踵を臀部に付ける。簡単な体操だが、踵は臀に届かない。筋肉の動きの限界である。では今度は左脚に体重を載せて膝を柔らかく上下に弾みをつける。すると今度は簡単に右の踵が臀に付く、はずである。

 様々なところでこの実験を試みたが、殆どの人ができなかった。動きとは筋肉の力であると思い込み、かつ身体動作がそのようにできてしまっているからだ。コツを説明し何度か繰り返していくうちに、だんだんできるようになる。慣れると弾みをつけなくても簡単に臀うちが可能となる。
 
 「身体は革袋に水が溜まっている状態。その中に骨や筋肉や内臓が浮いているのだ」というのも野口体操の大原則。身体がこの状態であれば、先ほどの臀たたきが苦も無くできる。
身体は水の詰まった革袋であり、手脚は鞭である。その動きの原動力は筋肉ではなく重力、つまり重さなのだ。  
私たちの動作は重力と折り合いをつけた静止と、関係が崩れた移動から成り立っている。いつも安定していては動けない。不安定が力となる。筋肉はそれらを微妙にコントロールしているだけなのだ。

 水族館で魚の群れを見たことがあるだろう。彼らは一瞬に翻る。魚は重力から解放されて浮いているので、あの動きが可能となる。ヒトは重力に束縛されている。重力に逆らって立っているその脚で動かなければならないという矛盾にある。しかしその重力を逆に利用すると魚のような動きができるようになる。それが先程の臀たたきだ。

 若鮎の二手になりて上りけり  正岡子規

脱力するとは重力に委ねることだ。重力に委ねることは開放されることにつながる。身体を支えている支持脚を上げて遊走脚にすることで歩行が可能となる。それは取りも直さず脚を解放したからに他ならない。
野口体操は身体を通して実に様々なことを教えてくれる。それは身体そのものが無限の可能性の宝庫だからだ。

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俳句とからだ 51

連載俳句と“からだ” 51


愛知 三島広志

筋肉山脈

 鍼灸の資格は三年の専門学校か四年制大学を卒業後、国家試験に合格して取得する。学校では西洋医学の解剖学や生理学、衛生学や医事法などを履修する。当然、鍼灸の背景である東洋医学概論や鍼灸の実技および臨床も。

開業して役立つのは具体的な身体構造を対象とする解剖学だ。そもそも治療行為とはある刺激に対する好ましい反応を期待するものだ。それらは常に過渡的現象として表出する。解剖は現象を一時的に固定された構造として確認できる。即ち治療の効果判定がしやすいのだ。それは筋肉に顕著だ。

 青空のような背中に草矢射る 西村 薫

 筋肉は幾つかが山脈のように連なり力を伝導している。例えば肩を横に上げるとき、肩甲骨の上にある棘上筋が初動を作り腕が外に動き出す。次いで肩口にある三角筋に連動すると腕が水平まで上がる。さらに上部僧帽筋が作用して垂直に上がる。これらがアクセルとして働く筋肉だ。同時にブレーキとして動きに拮抗する筋肉もある。胸にある大胸筋や背中の広背筋だ。これらの力が抜けていないと腕が躯幹から離れにくい。肩を上げるための治療やトレーニングはこれらの筋群を考慮してアクセルとブレーキが滑らかに連動するようにしなければならない。

広背筋は意外なことに腰と腕をつないでいる。12ある胸椎の5番目から腰椎の一番下の5番目、さらに仙骨、腸骨稜、第9~12肋骨という名前さながらに背中を広く覆ったところから起こり上腕骨の小結節稜という肩のすぐ下の辺りに付着する。主作用は気をつけの姿勢のように腕を躯幹に張り付ける。

手が上がりにくい人がいると仮定する。そのときの治療はアクセルとして挙上しようとする三角筋や棘上筋を鍛える、あるいは痛みを和らげると同時にブレーキとなる広背筋や大胸筋を緩める必要がある。一般に病院の治療は鍛える方を重視するが鍼灸や東洋医療では広背筋や大胸筋を宥める方法も重要視する。なぜなら前述したように筋肉は独立峰ではない。山脈のように連なり、それぞれ関係しながら一定の役割を果たしているからだ。例えば背中の中心には縦に走る脊柱起立筋群がある。外側から腸肋筋、最長筋、棘筋となり、さらに頭部、頚部、胸部、腰部に分化し協働して姿勢の維持を行う。

 秋の暮山脈いづこへか帰る 山口誓子

こうした筋肉の山脈を古の人は経絡と呼んだのではないかと推測する。解剖学が極めて未発達だったからこそ、むしろ統合的な筋肉の作用に思いが至ったのではないだろうか。

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俳句とからだ 50

連載俳句と“からだ” 50

愛知 三島広志

腹腔の球

 躯幹のうち肋骨に覆われている部分が胸である。その裏側は背。肋骨が無いところが腹、裏は腰だ。胸と腹の境目には膜がある。横隔膜だ。腹の底にも骨盤隔膜という膜がある。横隔膜は一枚の筋板がドーム状に張っており、それが上下して呼吸運動を司る。腹の底にも膜がある。これを骨盤隔膜と呼ぶ。骨盤隔膜は一枚板の横隔膜と異なり肛門挙筋、肛門括約筋、恥骨直腸筋などから形成され骨盤内臓器の脱落を防いでいる。高齢女性を悩ます失禁や子宮脱などはここの弱体が原因となる。

 横隔膜と骨盤隔膜で作られる空間が腹腔だ。そこは古来から丹田と呼ばれて重要視されてきた。丹田とは古い神道や道教の考えで、仙人になるための霊薬仙丹を練るため気を集め練る体内の部位を指す。ここは東洋医療の気海や関元というツボの辺りで臍下丹田とか気海丹田とも称す。日本ではハラとも言われ、ハラが坐っているとか、ハラから気合を出せというのは丹田のことである。東洋古来の鍛錬はこの丹田を練ることを重要視してきた。しかしその実態は明らかではない。

 腹底に逆波起つる青嵐とは  平島一郎

 丹田はその位置からして横隔膜と骨盤隔膜で形成される球のような空間ではないかと推測する。つまり実体的な組織ではなく内圧を生み出す機能的存在だ。それは呼吸運動をする時実感できる。
腹式呼吸でも胸式呼吸でも構わない。息を深く数と横隔膜は下がる。下がると胸郭は広がりその陰圧で空気が入ってくる。同時に腹腔は横隔膜の降下によって圧迫される。つまり丹田の内圧は上がるのである。その時、意識的に骨盤隔膜を引き上げる。具体的には肛門を閉め、上に持ち上げる。尿意を強く抑える感覚だ。こうして上下の膜によって形成される腹腔の内圧はますます上がる。この内圧が腰やハラを内支えするのだ。内圧が弱ると腰椎が前弯し腰椎すべり症などになり易い。また躯幹が定まらず姿勢が不安定になる。内圧が弱いと外殻である筋肉が緊張して姿形を支えることになり、腰痛や肩こりを生み出す元となる。

 呼吸法は自律神経を安定させ、副交感神経優位のリラックスを生む効果があるが、同時に筋肉に依存しない勁さを作ってくれる。
 稽古は簡単だ。お腹を球、あるいは風船と見立ててそこに静かに息を注ぎこむのだ。すると自ずと腹式呼吸になる。その時肛門を強く締めて引き上げる。数秒の持続の後、静かに息を吐く。これを数回繰り返すのだ。こうして丹田を練ることで感情のコントロールが可能になる。簡単に切れなくなるのだ。

 丹田に力を入れて浮いて来い 飯島晴子

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俳句とからだ 49

連載俳句と“からだ” 49


愛知 三島広志

肺と胃の腑

宮沢賢治に『北守将軍と三人兄弟の医者』という作品がある。三十年間北を守った将軍ソンバーユーの物語だ。末尾、将軍は引退後故郷へ帰る。次第に食を摂らず「水もさつぱり呑まなくなつて、ときどき空を見上げては何かしやつくりするやうなきたいな形をたびたびした」。やがて姿を消した将軍。人々は仙人になったと信じてお堂をこしらえた。しかし将軍の治療をした医師は冷静に言う。「肺と胃の腑は同じでない。きつとどこかの林の中に、お骨があるにちがひない」と。

ここで注目するのは「腑」だ。内臓には五臓六腑がある。五臓とは医学で言う実質器官、即ち肝臓のように臓が付く内臓で中身が詰まっている。それに対して腑は中空器官。管状で中が空洞になっている内臓だ。胃や大腸などがこれに当たる。しかし日常腑は全く使われない。作品中、賢治は「肺と胃の腑」は同じでないと区別している。肺は臓で胃は腑である。作品が『児童文学』に発表された1931年当時は臓腑の別が理解されていたのだろうか。

 仙人になりそこねたる山椒魚 田畑益弘

胃は平滑筋の袋。筋肉には赤い横紋筋と白い平滑筋がある。横紋筋は骨格筋で随意筋だ。対して平滑筋は不随意的な内臓筋だ。リアルに言えばステーキは横紋筋で、もつ鍋の材料が平滑筋。平滑筋は思い通りには動かない。太りたくないから「胃腸よ、もう休め」と命令しても不随意的にどんどん吸収してしまう。腑は平滑筋でできた筒であり、その仕事の多くは食物の通り道。臓が様々な代謝を行なう化学工場であるに比して腑の仕事はシンプルだ。しかし精神ストレスなど現れ易い。

中国で生まれ日本には奈良時代以前に伝来していた漢方が既に臓腑の違いを理解していたとは驚きだ。エビデンスが無いため医療の現場から追い出された漢方だが、古代の医師たちも病気を治したいという強い意思を抱いていた。その点は今日の医師と何ら変わらない。ただ方法が今日的視座から見れば未熟だっただけである。古書には病には必ず原因がある、魔物などの怪しい作用ではないと書かれている。だからこそ素朴な医療の観察眼でも臓腑の識別が可能だったのだろう。

 粥すする杣が胃の腑や夜の秋  原石鼎

北守将軍は最期、何も食べなくなる。そこで人々は将軍が雲を呑む仙人になったと思った。いやむしろ偉大なる将軍の死を簡単に認めたくない人々はそう考えたかったのだろう。神格化とは畢竟、人々の総意が作り出すものだ。それを「肺と胃の腑は同じでない」と正す医師の目は鋭く貴重だ。

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俳句とからだ 48

連載俳句と“からだ” 48


愛知 三島広志

男の肋骨は少ない?

 アフリカ出身の女性が身体調整に来た。彼女は大学で英語を講じているが本来の仕事は教会の宣教師。アフリカで鍼治療を受療していたので日本でもと知り合いの紹介でやって来た。早速治療テーブルに仰向けになってもらい脉や腹を診察。ところが妙に落ち着かない。部屋の隅に立っている等身大の骨格標本を頻りに気にしている。

「骨が怖いですか」と尋ねると、「これは男?」と質問する。「男ですよ」と答えたらさらに「男と女の肋骨の数は同じ?」と聞く。何が知りたいのか一瞬思案した。「ああ、聖書には神様はアダムの肋骨でエヴァを創ったとありますね。でも男女の骨の数は同じですよ」「やはり同じか。でも、ダーウィンの進化論は私、信じない。何故ならミッシングリングがあるから・・・」。話がややこしくなりそうだったので 慌てて話題を治療に修正した。

 空は太初の青さ妻より林檎うく  中村草田男

 さて導入部が長すぎた。肋骨は十二対あって胸を籠のように覆っている。背中側の胸椎と胸中央の胸骨をつなぐ形だ。これを胸郭と呼ぶ。胸郭は筋肉によってアコーディオンのように収縮拡大する。これに横隔膜が加わって呼吸運動が生じる。空気はこのふいご状の運動が生み出す陰圧によって肺に取り込まれるのだ。

 胸郭は同時に肺や心臓の保護も担っている。脳を守る頭蓋骨のようなものだ。しかし胸郭は強固な頭蓋と異なり心肺を保護しつつ呼吸運動を行う。したがってこれらの矛盾した役割を遂行するためアバラ状になっている。これは見事な造形だ。先の女性ならずともまさに神の業としか考えられない。

 胸郭の裏には胸壁胸膜という膜がある。肺は臓側胸膜に包まれる。これら二つの胸膜の間に隙間があってそこに何らかの理由で空気が入り込むと気胸になる。あってはならないことだが鍼を深く刺入すると胸膜を破って気胸を発症することがある。運悪く両側に気胸が起こると死に至ることさえある。胸郭の中で行き場を失った空気が肺を圧迫して呼吸困難に陥るからだ。鍼の事故で一番報告されるのがこの気胸である。首から胸にかけての深い刺入は避けてもらうほうが賢明だ。

何故に神がアダムの肋骨からエヴァを創ったのかは分からない。しかし聖書の話から推測すれば男は生まれながらにして女性より肋骨一本分劣っているということになる。確かにそうかも知れないとつくづく感じる。

 猫の肋われのあばらや夏布団  大木あまり

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俳句とからだ 47

連載俳句と“からだ” 47


愛知 三島広志

前脚から腕に

 ヒトは通常、二本足で立つ。生後一年もすると立ち上がる。生物的ヒトは立つことで社会的人間になる(身体障碍などの理由で物理的に立てない人もおられるが、彼らの意識はすっくと屹立している)。
ヒトはその発生から卵割、胎生期を経て出産、立ち上がるまでおおよその生物進化の過程をなぞる。胎内では極めてシンプルな生命体であり、脊索を得て魚類となる。発生の極初期はエラ呼吸だ。その後、羊水中は臍の緒で母親から栄養や酸素を受け取る。魚の様にエラ呼吸する訳ではない。出産と同時に肺呼吸になる。産声こそは記念すべき肺呼吸の第一声である。

出産後は両生類や爬虫類のように這々。さらに一気に駆け抜けて四本足の哺乳類だ。ヒトは他の生物に比べて極めて不完全な状態で生まれてくる。立つまでに一年、社会的に独立するまでに二十年を要する。なぜ立ち上がるまでに一年も費やすのかと疑問に思う。キリンなどすぐに立ち上がるではないかと。一説には脳の発育を待っていては頭が大きくなりすぎて産道を通れなくなるからだと聞く。

這っている間、腕は前脚として身体の支持と歩行に制約され自由度が低い。胸から上も同様だ。両腕が床に固定されているため首の動きに制限がある。よって視線も限局されて水平を左右に見ることが主だ。ヒトはお座りできた時初めて前脚が両手となって開放される。首も自由を得て広い視野を獲得する。発声のための喉も立つこと(座ること)で形成される。

 では、解放された手は何を得たのだろうか。支持や移動の道具から解き放たれた手が得たもの、それは自由と可能性だ。道具を使う能力はここから生まれた。手も目も喉も、外部化した脳としてより緻密に働き、情報を脳に届ける。従来の行動に集約されていた機能が自由を謳歌できるようになった。ここに至ってヒトは人間となって文化を得ることになるのだ。

 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり  寺山修司

 わたしたちは何かを掴んでいる限り新たなモノを掴むことはできない。仏教で言う「捨てなければ得られない」はこのことだろう。可能性を得ようとするなら掴んでいるものを捨てて手を解放しないと不可能だ。思惟や観念もコトノハとして放出することで新たな可能性を待つ。
前掲の短歌、同じ作者に以下の俳句もある。

 夏井戸や故郷の少女は海知らず 寺山修司

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俳句とからだ 46

連載俳句と“からだ” 46


愛知 三島広志

肩甲骨は翼か

 仕事場に等身大の骨格模型がある。説明のためだ。試みに手首を持って上肢を羽ばたきの様に動かしてみる。模型だと肩関節の構造や動きが理解し易い。腕を水平まで上げるとその動きが肩甲骨や鎖骨に連動する。ここで皆一様に驚く。そこで肩の解説を行う。
1、肩の関節は上腕骨と肩甲骨と鎖骨と胸骨で形成される。狭義の肩関節は上腕骨と肩甲骨で構成(肩甲上腕関節)。
2、鎖骨と肩甲骨は肩先で関節を作る(肩鎖関節)。
3、上腕骨は鎖骨を仲介に胸の中央にある胸骨と継がる(胸鎖関節)。
4、肩甲骨は胸郭背部で肋骨に載る形で関節を形成。(肩甲胸郭関節)。
5、上肢と躯幹は胸側の胸鎖関節と背中側の肩甲胸郭関節で連なり、動く。

多くの人がこれらの解剖的説明に納得する。腕は胸の中央、喉の下の胸鎖関節から出てという事実。肩甲骨も関節であり背中で動いているという事実。腕は想像しているより長いのだ。

 夏に入る肩甲骨をきしませて  杉山久子

肩が凝りやすい人は筋肉を無駄に働かせて腕を動かしている。その動作はこれらの関節構造を上手に活かしていないので筋肉と骨格の連動性がうまく機能しない。したがって筋肉に無用な力みが生じ、肩が凝ってくる。内臓からの反射や過剰ストレスなどの問題を除けば、肩や腕の使い方に気を付けるだけで肩凝りがかなり楽になる。

腕を水平まで上げたとき、上腕骨は60度、肩甲骨が30度動いている。常に両者の動く角度の比率は2対1だ。したがって肩の動作のコツは普段意識しない肩甲骨を上手に使うことだ。動きが肩甲骨から派生し、胸鎖関節という支点を操作すると意識する。すると上肢が脱力して自在に動く。力みがなくなるからだ。そして支点である胸鎖関節から伸びやかに動作する。まるで浅田真央やキム・ヨナの腕のように。

では実際に片手で羽ばたいてみよう。左手で右の胸鎖関節や鎖骨に触れ、動きを感じながら右の腕で羽ばたいてみる。ゆったり大きく。挙上した腕が耳に触れるまで。大切なことは肩甲骨と鎖骨を動かす意識。こうすると普段より肩の動きが大きいはずだ。背中や体側も伸びるだろう。深呼吸を加えるとなお良い。腕を挙上するときに吸い、下ろすとき吐くのだ。最初は慣れないので筋肉に痛みやつっぱりを感じるかもしれないがすぐ慣れるだろう。
もう一度鏡を見ながらやってみよう。いつもより腕が長く感じる。そこには真央かヨナが写っている・・・はずだ。

 をさなごに生ふる翼や桜東風  仙田洋子

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俳句とからだ 45

連載俳句と“からだ” 45


愛知 三島広志

唇歯輔車そして舌

 唇歯輔車という故事がある。唇と歯は互いに密接に助けあっており、一方が滅べばもう一方も成り立たないという意味だ。輔車も頬骨と歯茎つまり顎関節のこと。一説には車の添え木と車輪ともいう。身体は鼻から空気を呼吸し、口から食物を摂取することでいのちを育んでいる。その入口が唇であり、歯牙でそして舌である。また歯牙を動かすのが顎関節と周辺の筋肉群だ。

 現代人の歯牙は上下合わせて28本。親知らずを含めると32本となる。切歯(前歯)は上下計8本。犬歯(糸切り歯)は上下計4本。臼歯(奥歯)は計20本で小臼歯と大臼歯に分けられる。永久歯は再生が効かないので大切だ。先日歯牙の管理に行ったとき、歯科医から近年の歯科治療では「極力削らず、抜かず」というあり方に変わっていると聞いた。歯牙にもある程度の再生能力があるからだそうだ。これは朗報である。

 うつくしきあぎととあへり能登時雨  飴山實

ある健康法では歯牙の種類の割合で食物を摂取するように勧める。切歯はウサギなどのように野菜を食べる歯牙、犬歯は肉食動物の牙、臼歯は牛の仲間のごとく穀物をすり潰す歯牙。それらの歯の割合が2:1:5となる。つまり野菜と肉と穀物の割合が2:1:5になるように食べろと言うのである。一見一理あるようだが無論何の根拠もない。健康法にはこうした怪しいものが多いので注意が必要だ。ただ野菜、肉、穀物を満遍なく食べるので偏食を防ぐという意味がある。これは同じく根拠のない酸性・アルカリ性食品、あるいは陰・陽性食品も同様である。

 噛む力は顎関節とそれを動かす筋肉群から生まれる。顎関節周辺は食事時も話す時も動いている。黙って集中する時は噛み締める。全く休むことが無い。就眠時でさえ歯ぎしりすることがある。ここが疲れている人は首の横が凝っていることが多い。甚だしい時は歯科で顎関節の調節をしてもらわなければならない。

 食の摂取にもう一つ重要な器官が舌。舌は食物と唾液を混ぜ、喉に送り込む。味覚もここで感じる。介護施設では「パタカラ」体操を行う。これは口唇と舌の体操だ。

パ 口唇を閉めたり開いたりする。
タ 舌を打つ。
カ 喉の入り口の開閉。
ラ 舌の運動。

これらの動作によって摂食や発語が行われる。暇なとき「パタカラパタカラ」と繰り返していると老化防止に役立つ。

 万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男

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俳句とからだ 44

連載俳句と“からだ” 44


愛知 三島広志

目も身の内

 目は光学カメラに喩えられる。レンズ、フィルター、絞り、フィルムなどその構造が極めて相似しているからだ。否、その発生順序からすればむしろカメラが目を参考に創られたに違いない。

視覚は眼球とそれを保護する目蓋、情報を伝える視神経と認識する脳の視覚野で成立する。眼球の中にはフィルターの役目をする一番外側の角膜、光量を絞る虹彩、これは黒目だ。光を集めるレンズは水晶体。水晶体の厚みを調節して焦点を合わせる筋肉が毛様体。外界の像を結ぶフィルムの役目を担う網膜。その像を脳に伝える視神経。さらに眼球を上下左右に動かす眼筋。これらが秩序よく働くよう調整する神経系。こうした複雑な体系が見るという行為を可能にしているのだ。

 目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹  寺山修司

今日多く見られる目の不具合は以下である。詳細は専門家に委ねたい。
白内障(レンズの濁り)
緑内障(視神経の病気)
加齢黄斑変性症(網膜の歪み)
糖尿病網膜症(糖尿病合併症)

現代社会において目は実に酷使されている。現に今、私は薄暗い喫茶店の片隅で人を待ちながらiphoneという携帯電話でこの文章を書いている。老眼には過酷な作業である。そこで疲れが昂じると目を戸外に向ける。それも出来るだけ遠くを眺める。こうするとレンズが緊張から解放され、目の周りの筋肉が解け、肩の緊張が緩み、頭も休息に入る。一点を見続けることは目だけでなく全身の緊張を強いる。目も身の内に他ならない。

目が疲れたら毛様体のストレッチをしよう。ギュっと自分の鼻をみて、窓を見て、向かいの屋根、空の雲、遠嶺と視点を次第に遠くへ運ぶ。次にその反対に近付けて来る。さらに眼球を上下左右に目一杯動かす。次いでぐるぐる回す。これらは眼筋のストレッチだ。両手で目を塞いで真っ暗にすると虹彩の休息。現代に真闇は無いのでこうすると目が安息する。

眼球は眼窩という骸骨の窪みに収まっている。目と骨の間にはリンパが貯留しやすいのでこれをツボ刺激で流そう。目の上下の骨を押し広げるように抑える。三秒三回ほど。眼球は押さないように。次いでコメカミを揉みながら眼鏡の弦を辿るように耳の裏へリンパを流す。そのまま首の後ろに降りて盆の窪やその外側の窪み(頭蓋骨と首の境目)も軽く押し揉みする。回数は適当に。強さは心地よい程度。

 ありありと晩年が見え梅の花 草間時彦

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俳句とからだ 43

連載俳句と“からだ” 43


愛知 三島広志

頭とツボ

 頭は8個の骨片がジグソーパズルのように組み合わさってできている。その役目はヘルメットとして脳を保護することだ。これを脳頭蓋という。さらに14個の骨が顔面を形成している。これが顔面頭蓋だ。両者を合わせて頭蓋骨と呼ぶ。その形態は髑髏そのものだから誰でも知っている。正面には目玉の収まる穴と鼻の穴が開き、歯牙が剥き出し、横には耳の穴。唯一可動性のある顎関節には下側の歯牙が付く。

 頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋

 頭はご存知のように固い。骨を薄い皮膜が覆っているような印象だ。ところが丁寧に触れてみると微細な凸凹や穴があり、そこかしこに経穴(ツボ)が存在する。有名なツボは百会。頭頂にある。鼻の線を上に延長し、両耳を結ぶ線との交点に取る。百会とは全ての経絡が集まるところの意味である。その前後左右、親指の幅ほど離れた所には四神聰という四つのツボがある。

実際に頭に触れてみよう。悩み抜いて頭を抱えているようにすると中指がおおよそ百会に当たる。そうすると示指と薬指がそれぞれ前後の四神聰を抑えるようになる。指は熊手のような形がいい。次いで中心線から親指の幅だけ外へ移動すると中指の先が左右の四神聰に触れる。ツボの抑え方は指先の力を抜き、沈める。イメージとしてはジャガイモの茹で加減を箸で刺して調べる感じで指を柔らかく頭に通していく。ツボの位置にこだわらず五本指全てに柔らかい力が加わった方がツボに嵌っていく。これらのツボは上気した気を散じ、頭の疲れ解消や精神的な安定に役立つ。目の疲れも和らぐだろう。

 手を当てるとは対象に溶け込むことだ。押しつけではなく受容してもらうこと。恩師増永静人先生は千利休が説いた稽古のための歌『利休百首』の「茶を振るは手先をふると思ふなよ臂よりふれよそれが秘事なり」を捩って「指圧とは指で押そうと思ふなよ肘より押せよそれが秘事なり」と指導していた。ツボを抑えるときも同様に指先でなく肘、あるいは肩から力を加えるようにするとツボが開いてジ~ンとした心地よい響きを生じる。頭の指圧は指先の意識を捨て、掌全体で頭を抱えるようにするとツボにはまる。
ツボは壷であり蕾である。通常は壷のように口がつぼんでいるのだ。中国語の経穴も八の形に入口がつぼんでいるという意味。指を優しく当てることでツボは開口する。粗雑な触れ方をすると閉じてしまう。無理に押すと「親切の押し売り」となって反発を招く。しかも筋繊維など傷めてしまう。

 大空に莟を張りし辛夷かな 松本たかし

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俳句とからだ 42

連載俳句と“からだ” 42


愛知 三島広志

肝・怒れる臓器

これまで中国伝統医療の経絡についてその巡行順に述べてきた。復習してみよう。天の氣(酸素)を呼吸する肺と大腸。地の氣(食物)を摂取する胃と脾。酸素や食物を後天の氣という。次いで心と小腸。外部からの情報を整理選択する。選別した情報は腎・膀胱へ。ここには親から受け継いだ先天の氣が宿る。そこで精といういのちの基本物質が創られ心包によって全身に送られ、三焦によって体表を保護する。そうして胆や肝の行動・表現となる。

 肝臓のご機嫌を問う菜種梅雨 夏井いつき

東洋医療のいのちのモデルは現代医学からみれば全くの荒唐無稽である。これが現代「医学」に対して東洋「医療」と言い分ける理由だ。しかし現代医学の祖とされるヒポクラテス(紀元前460年頃誕生)にしてもその身体観は東洋医療とあまり変わりは無かった。彼の血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁に分類する四体液説は中国の五行説に似ている。それどころか病気を身体に起こる自然現象として土地や気候を含む環境の中で把握しようとするのは東洋医療そのものである。但し、それに合理的な説明を与えて医療を哲学や宗教の呪縛から解放し、合理性の日向へ曝け出していった姿勢が現代医学の祖と敬われる所以なのだろう。東洋医療でも結果に対する原因を把握することに腐心し、その方法として陰陽五行を用いたが、そこから先へは進まなかった。しかしいずれにしても古人が何とかして身体の真実に迫り、病気に対峙しようとした歴史に洋の東西の差はない。

病態を人文的に把握する場合、東洋医療の方法が意外に役立つのである。それこそが東洋医療が永年命脈を保ってきた所以でもあろう。

 さて本題に戻ろう。肝は将軍の官と呼ばれ、全身を統括する内臓と考えられた。そして怒りは肝を傷めるという。肝の臓は爆発的なエネルギーを持っている内臓なのだ。行動力は丈夫な肝の臓が産み出す。バイタリティ溢れる人の肝は大いに働いている。ところがその気が方向性を誤ると怒りになる。また、物事に急かされ、忙しさに翻弄されると肝が疲弊する。すると張り切っていた人が妙にしょぼくれてしまう。肝は少しばかり元気過ぎる方が人生を謳歌出来そうだ。

 怒ることに追はれて夫に夏痩なし 加藤知世子

 今回で経絡は終了。今後は身近なちょっとした不調に対応する方法を通じて身体を考えてみたい。つまり概論が終了して個別論へ進むということになる。やっと肝の気長な編集長の意向に添えるということになる。

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俳句とからだ 41

連載俳句と“からだ” 41


愛知 三島広志

胆・動きは骨(コツ)

先日、知人の紹介で韓国の舞を鑑賞する機会があった。金利惠さんという韓国伝統舞踊家である。偶然にも黒田主宰のお知り合いであった。それどころか日本公演の実行委員長は主宰ご自身。しかも藍生2009年一月号に

金利恵さんへ

 冬麗の人在日といふ希望 杏子

という句を献じ、パンフレットにも

 花に舞へ奥千本の花に舞へ 杏子

というご自身の著名な句の改作が載せられていた。

金さんの舞はゆったりとした韓国伝統衣裳が優雅に翻って極めて美しいものだが、その内側では骨格が軋む程烈しく動いていた。観ているこちらの身体まで深層で揺さ振られ終演後も心地良い疲労が残った。まるで一緒に舞っていたのではなかいと思う程だ。

身体は共振する。心地良さも不快感も。音楽も劇も舞も等しく身体をうち揺すり、そこには発信者と受信者と空間が響き合う場を形成する。 今回、私は魂の舞に骨格をいたく揺さぶられた。そして骨格や筋肉など身体動作に深く関わる経絡である少陽胆経に思いを馳せた。なぜならこの経絡は少陽と呼ばれる体側をジグザグに通る。そのラインは身体を捻じった痕跡さながらなのである。金さんは見事な正中線で身体を天から繋ぎ止め、側面の経絡である胆経を自在に展開していた。身体を捻ったりクルクル回ったり床に伏せたり。それらの動きは能楽堂の舞台に浮いている、あるいは滑っているとしか思えなかった。そして折々の表情にフィギアスケートのキム・ヨナ選手を連想した。キム選手の背中がひらひら舞うような演技の根本には、もしかしたら韓国独特の身体操作あるのではないかとも考えさせられた。

日本の作法に擦り足のまま身体を展開する技法がある。着物の裾が乱れないよう足を揃えたまま身体を左右に展開する。板の間に足を平行にして立ってみて欲しい。スキーを履いている感じ。そのまま膝の力を抜くと重力が下半身にかかる。その時少し胸を緩めながら(これが大切)左に方向づけると身体が左に向く。お盆を持った料亭の仲居さんたちの作法だ。これは胆経を使っている。金さんもキム選手もそうした操作をとんでもないレベルで駆使しているに違いない。

 語るとも語らざるとも花の下 

舞踊家金利惠さんの句である。言葉でなくても、否、言葉でないからこそ伝わるものがある。畢竟、言葉もまた身体から生まれるものなのだから。

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俳句とからだ 40

連載俳句と“からだ” 40


愛知 三島広志

三焦・恒常性なるもの

 身体は外部環境(皮膚の外側)と内部環境(皮膚の内側)との調和で保たれている。古くは外部環境を大宇宙、内部のそれを小宇宙と呼び両者の調和を天人合一と称した。ヒトという生物は社会性という空間と歴史性という時間を内包した人間として世間の中で生きている。世間とは外部環境と考えていいだろう。身体は常に外と交流している開かれた存在だ。しかし外部環境は常に身体に優しいわけではない。風(目に見えない影響)寒、暑、湿、燥等によって人を苛む。昔の医療は病気の外因として環境の変化を考えた。それに内因としての感情の起伏。両者が相まって病気になると説いている。

 冷やされて牛の貫録しづかなり 秋元不死男

 では健康に生きるために外部との接触をできるだけ避けることが賢明だろうか。それは不可能である。わたしたちは外部環境の影響下にあるどころか、身体の素材も機能も外部から取り込むことで形成、維持している。呼吸や摂食は否応にも外部を取り込むことに他ならない。これは実に危険なことである。病原体の多くは鼻や口から侵襲するし、食毒も口から入る。わたしたちは多くの危険を冒しつつ天人合一を実践しなければならない。

 外部環境の変化に対応して内部環境を一定状況に維持することをホメオスタシス(恒常性、動的平衡)と呼ぶ。この概念は米国の生理学者キャノンが20世紀初頭に提唱した。体温は外部気温の変化にも関わらず通常平熱に維持されているのがよく使われる例だ。

 風邪は風の影響で病気になること。これは中国医療の古い用語だが今日でも使われている。この「邪」こそホメオスタシスの狂いを表現している。邪悪の意味ではなく「牙」のように食い違いを生じている状態だ。

 中国医療でホメオスタシスに深く関与しているものが三焦と考えられる。三焦とは聞きなれない言葉だが単独の内臓ではなく内臓諸器官や水分(リンパ液)の調整をしているとされている。その名の通り焦がす働きで、熱を生むと考えられていたのだろう。体温を維持し外部環境の変化にうまく対応する働き、これが三焦である。

 身体は皮膚で保護されているが、その外部には衛気という見えないバリアがある。掌を頬に近付けると頬に触れる前にほんのりした暖かさを感じる。これが衛気だ。したがって本来の身体とはここまでを考える。地球にある大気圏のようなものだ。わたしたちの身体はさまざまな働きによって外部に依存しつつ外部に冒されないという離れ業を行いながら生存しているのだ。

 なを翔ぶは凍てぬため愛告げんため 折笠美秋

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俳句とからだ 39

連載俳句と“からだ” 39


愛知 三島広志

心包・触れる掌(たなごころ)

 この連載は現在、東洋医療の経絡の順に臓腑を追っている。今回は心包の番だ。しかし心包は心の臓を補佐するという意味合いから医学の心臓に近いものと考えていい。心臓の仕事は血液を全身組織へ送ることだ。その構造はシンプルでポンプに搏動を促す電極があると考えればいい。

 炎天の遠き帆やわがこころの帆  山口誓子

 心包に関連する経絡である心包経は心臓のある胸から腕の内側拍動部を通って手のひらの中央から中指の先端に至るとされている。手のひらの窪みの一番深いところ、そこには労宮というツボがある。これは全身の疲労から胸が苦しい時など静かに指圧すると心身が落ち着いてくる大切なツボだ。血圧が下がったり頻脈が落ち着いてきたりする。無論それには心臓疾患がないことが前提となる。

 しかしそれよりもこのツボは掌の中心であることに意味がある。掌(たなごころ)とは「手の心」だ。古人は心が手のひらに反映されると実感したに違いない。それがタナゴコロだ。胸の中心には心臓がある。そこには心がある。ココロは上肢によって表現される。歌手が両腕を広げて気持ちを会場一杯に伝えようとするのはその代表的な動作だ。その腕の先に掌がある。思いは言葉や表情だけでなく上肢や手によっても表現されるのだ。

 医療の本質は手当てだ。苦しむ人にそっと手を当てる行為がいつからか医療自体を表す言葉になった。そして弱った人をそっと抱く。それが介抱だ。このように苦しむ人に手を当て、抱きしめる行為は相手を思い遣る心がタナゴコロを介して行われる。人間関係を触れ合いというのは実に示唆的な表現である。

 外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女

 労宮を体感してみよう。両手掌を少し窪ませ水を掬って顔を洗うように顔に近付けてみる。鼻に触れるか触れないかのぎりぎりまで。すると手のひらから顔にかけてぼんやりと暖かく感じないだろうか。東洋医療では身体を守るように包んでいる衛気(えき)があると説く。全身をバリアのように保護しているのだ。それがこの労宮では感得し易い。気と言うと怪しいと思われるが、こうして実験すると気の一側面ではあるが容易に実感することができる。この温もりを相手に伝えるようにそっと当てる、それが触れる行為の基礎となる。

 コスモスのまだ触れ合はぬ花の数  石田勝彦

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俳句とからだ 38

連載俳句と“からだ” 38


愛知 三島広志

腎・元気の源

 身体は環境から生まれ、環境と調和して生存している。生存のために日々環境からいのちを維持するモノを取り込む。鼻からは「天の気」即ち空気を、口からは「地の気」即ち水穀を。空気や食物を中国の伝統医療では「後天の気」と呼ぶ。さらに親から受け継いだいのちもある。これが「先天の気」で元気(原気)という。元気は腎に宿るとされる。こうしていのちの源である元気は親から子へ伝えられる。それはあたかも火を紡いでいくようだ。

 死後もまたあかあかと火を雪の上 有馬朗人

 腎臓は血液濾過を行う化学工場であると医学的に解明されている。各組織から集められた血液は腎臓で濾過され不要なものは尿として排泄、有用なものは再利用する。腎臓の重要性は腎臓が二個あることで分かるだろう。
 
東洋医療の腎は概念的なもので先天の気つまり元気が宿るところだ。そこで精といういのちの根源となるものを作る。「精一杯頑張る」とはこれに由来する。腎は冷えやストレス、過度の塩分に弱い。腎虚とは腎が加齢やストレスなどで弱ることを意味するが、房事過多によっても起こるので川柳や落語のネタになった。世俗的な腎虚は医療本来の意味とは異なるが次の現代俳句に言い尽くされている。男の哀愁である(もちろん女性も腎虚になる)。

 腎虚とはかかるものかは秋の風 土井田晩聖

医療と医学

 現代医学と東洋医療は当然ながら別物だ。自然科学的解析で現象を捉える現代医学は普遍的で再現性があり、極めて信頼に足る。翻って経験や思弁によって成る東洋医療は現象を教条的に解釈する。非科学的であることは否めない。だが医療に東西古今の違いはない。患者の苦しみや恐怖とどう対峙するか、その時代の最良の方法を模索してきたのが医療の歴史だ。医学はここ100年ほどの間に発達したが、それ以前はどの地域でも素朴で真剣な伝統医療しかなかった。それらが科学的に研究され、客観性や再現性が認められた結果、今日の医学として発達した。

では非科学的な伝承医療に存在価値があるのだろうか。現象を自然科学的に把握することは重要だ。原因や原理が明らかになり一般的な手段が生まれる。ところが現実の病人は決して整然たる存在ではない。こうした病む人に対応するのは整然たる理論や整頓された制度・技術だけでは困難である。
医療の現場は医学を越えた医師や看護師の犠牲的良心に支えられている。そうした隙間に伝統医療の存在価値が再確認されているのだ。

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俳句とからだ 37

連載俳句と“からだ” 37


愛知 三島広志

膀胱・脊椎と自律神経

 膀胱は腎臓で血液を濾して生成された尿を貯め、必要に応じて排泄する袋状の器官である。水中に棲む魚類には不要だが陸に上がった生物は排泄するタイミングが重要で排尿によってテリトリーを誇示したり、異性を誘惑したりする。同時に外敵に自分の居場所を教えることにもなり安易な排泄は危険なのだ。人にとっては社会的に重要な器官で、これがないと常に垂れ流すことになり不衛生かつ不便。オムツを常用しなければならなくなる。そこで尿を一時的に貯留する膀胱が必要となる。

 蚤虱馬の尿する枕元  芭蕉

東洋医療では膀胱を「州都の官」と比喩的に説明している。水をコントロールするということだ。ところが膀胱と冠された経絡は独特の役割を担っている。膀胱経は目頭から頭、脊中の両側を走り、下肢の真ん中を脚の第五趾外側まで走る。注目すべきは脊柱を支えるようにその両側を走っていることだ。脊柱には脳の延長である脊髄が通っている。そして脳・脊髄からは自律神経が各器官に伸びている。

自律神経は意識と無関係に働いて生体機能を調節している。交感・副交感の二種類があり、昼間や活動時は交感神経が働き心臓の働きを高め、呼吸を速くし、消化管の働きを抑制する。この刺激は副腎のアドレナリンや交感神経自身の出すノルアドレナリンによって媒介される。逆に夜間や安静時、食事時には副交感神経が働き心臓の働きや呼吸を抑制、消化酵素の分泌を促進、消化管の蠕動運動を活発にする。副交感神経の刺激はアセチルコリンによって媒介されている。これらが乱れると自律神経失調となる。

 名月や君かねてより寝ぬ病 太祗

膀胱経の特徴は脊椎の両側を通るツボに内臓の名前が冠され、そのツボが内臓に関連していることを示唆していることだ。肺兪・心兪・肝兪・胆兪・脾兪・胃兪・腎兪・大腸兪・小腸兪・膀胱兪などである。これは自律神経の事実と相似している。同じ考えが骨格調整を主体としたカイロプラクティックなど世界中の伝統的な医療に共通する。古人にはもちろん自律神経などの知見はない。経験上、背中の凝りや痛みが内臓機能と関連していることに気づいたのだろう。

背骨は東西の伝統療法の橋渡しをすると同時に、神経学的に西洋医学とも交錯する。そして古代中国人は経験的に尿意を通じ身体と精神の間に心身相関を感じ取っていた。そこで多くの内臓の状態が反映される脊椎の両側を通る経絡に内臓の代表として膀胱の名を冠したのではないだろうか。

 しづかさの背骨にしづむ大暑かな 森澄雄

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俳句とからだ 36

連載俳句と“からだ” 36


愛知 三島広志

小腸はヒトの原型

 ヒトの祖先を遡行するとヒドラという腔腸動物だそうだ。ヒドラはほぼ口と小腸だけのクラゲの仲間。存在自体が小腸のようなものだ。食の摂取こそが生物個体保存の要であるから、畢竟、小腸だけあれば事足りる。口から摂取された食物は胃に届き、胃酸で殺菌、粥状にされ小腸で栄養素として吸収、滓は大腸に一時保存して適宜、便として排泄される。小腸で吸収された糖質とタンパク質は門脈を通って肝臓に運ばれ、脂質は直接リンパ節に入り、いずれも心臓から血液として全身を巡る。

体外から摂取した食物は小腸で初めて体内に取り込まれる、つまり口から肛門は外部が身体内を管状に貫いているだけで体内とは言えない。ヒトがヒドラと極めて相似をなす所以だ。ヒドラにとって食を蓄える胃(魚類以後発生)も便を溜める大腸(両生類以後発生)も本来不要なものだった。きっとヒトもどんどん省略すると小腸だけになるのだろう。その入り口が口唇で出口が肛門。まるで蚯蚓のようだ。

 みちのくの蚯蚓短し山坂勝ち 中村草田男

最新の生命科学では「脳は原則として小腸の働きに関与しない」と教えている。確かに胃や大腸はストレスの影響を受けやすいが小腸は自覚しにくい。ストレスを感じた脳の影響は胃に伝わると食行動に影響し、大腸にいけば便秘や下痢を繰り返す。これは胃や大腸に脳や脊髄から神経が伝わっているためだ。ところが小腸は脳から独立して独自のセンサー細胞を持つ。この細胞は10種類以上のホルモンを分泌し胃酸や膵臓の酵素などを放出させ、胃壁を保ち、膵臓などの消化器官の形と大きさを維持する作用をもつ。こうなると小腸は食という生命維持の中枢といっても過言ではあるまい。ヒドラが小腸だけで生存可能なのも当然なのだ。

 もの食うてゐる緑蔭の一戸かな 岸本尚毅

受容・整理・表現

身体は食に限らず様々な情報を受容し、整理・分別した後、吸収や表現を行う〈場〉である。感受性も判断力も表現も身の在り様に大きく関わってくる。東洋医療的身体観では心と小腸はその整理・判断をするところと考える。通常、人間の主体は脳であるとされる。確かに脳は高次の判断や記憶などの情報を処理する。しかし脳も他の臓器や運動器によって支えられ相互に影響し合っている。しかも脳は判断をミスして身体を破壊することさえある。ヒドラにはない精神が身体を隷属化するからだ。精神と身体の適切な関係性こそ望ましいが、むつかしい。

 蝶々のもの食ふ音の静かさよ 高浜虚子

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俳句とからだ 35

連載俳句と“からだ” 35


愛知 三島広志

心臓はココロ・・・

 心臓は常に働き、停止したら寿命が尽きるという点で最も重要な臓器だろう。胸の中心やや左にあり握り拳大。その存在は鼓動として感知できる。毎分約70回、生涯休まず血液を排出するポンプとして動き続けている。
 東洋医療では心臓を心もしくは心の臓と表記する。心はココロと心臓の両方の概念が混在した臓と考えられる。なぜなら心臓はココロの状態が如実に現れる臓器だからだ。驚いたり心配したり緊張するとドキドキと拍動が体感できる。まさにそれは心理状態と連動している。

さらに心臓が止まると人は死んでしまう。この事実から心臓には生命が宿るとも考えられてきた。

 心の臓うごくかなしさ梅雨深し 岸田稚魚

ココロの象徴

 漢字の「心」は心臓の象形文字だ。古代中国人は心臓を具体的に知っていたことになる。また英語のHeartは心臓とココロの両方を表し、ハートのマークは心臓の形だ。洋の東西を問わず素朴な現象学的に心臓にココロを重ねていたのだ。「胸に手を当ててよく反省しろ」と言うようにココロは胸にあると実感できる。しかし人は熟慮するときは頭に手をやる。これは何故か。以前にも書いたように「思」という字の「田」は頭蓋骨の象形、「心」は心臓の象形。つまり「思」は頭と心臓を指す。言い換えると知性と情緒だ。知性は頭脳に、情緒は心臓にあると身体感覚が示している。それで反省は胸に手を当て、思慮は頭に手をやる。

心の経絡

 心の経絡は腋窩から肘を通って小指の先に至る。胸に手を当てる動作も頭に手をやる動作も肘を曲げる。肘を曲げる動作は心経を伸展する。この行為が思考に関わるようだ。瞑想や熟考のときの姿勢を想像して欲しい。仏像もロダンの考える人も皆、肘を畳む姿勢である。肘を畳むと心身はコンパクトに集中することができる。合掌然り。

心は外界に対して自己の世界を中心化する働きをしている。外からさまざまな情報が入ってくる。それらの情報を処理、整理し、要不要の判断をするのが心の役割なのだ。辞書にも「思慮分別。判断力」『広辞苑』とある。

試しに両手を深呼吸のように大きく開き、難しいことを考えてみよう。集中し難いだろう。お手上げ状態だ。腕組みをすると考えている気持ちになる。これは外界に心を開いている状態。自己を中心化するとき、集中するときは自ずと腕組みや合掌(情緒)眉間、こめかみ(知性)などに手を当てている。

 炎天の遠き帆やわがこころの帆 山口誓子

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俳句とからだ 34

連載俳句と“からだ” 34


愛知 三島広志

脾・思えば脾を病み・・

 東洋医療を西洋医学的に説明することは邪道である。未開発で経験主義、それを怪しい陰陽五行などで説明しようとしている伝承医療はとうてい科学的ではない。科学的でないということは再現性を客観的に確認されていないということだ。そこには人対人という関係性の中で技術を駆使して某かの結果を得ようという営みがあるだけである。従って東洋医療を西洋医学的に説明することは不可能なのだ。西洋医学的に整合性ある説明が可能ならそれは西洋医学の範疇に引き込まれてしまう。(註:今日からみると陰陽五行は非科学的であるが、物事の本質に迫り、理を解し、説明しようとする行為自体は尊い。MRIも心電図もない当時、陰陽五行が最先端の指標だったのだ)

 冬の日の海に没る音をきかんとす  森澄雄

では何故今日でも非科学的医療が存続しているのか。それはその非整合性故に西洋医学には無い温かみのある手作り医療として再評価されているからだ。と、前を振っておきながら脾は西洋医学の膵臓に近い概念であると矛盾したことを言わなければならない。東洋医療が普遍的な用語を持っていない悲しさだ。東洋医療の脾の臓は胃とともに外部から食物を取り込みいのちに転換する役割を担っている。胃が外部から取り込んだ食べ物を石臼のように擂り潰し、脾はその中からいのちの成分を運び出す仕事をするとされている。そうなると脾は消化の中心である膵臓と説明することが最も妥当と感じるし現代人にも理解しやすい。現代医学の脾臓は血液やリンパに関わる臓器であるから全く異なったものだ。

 山頂に脾腹をあづけ蜜柑食ふ  佐藤鬼房

古書に「思えば脾を病む」とある。考え過ぎると食欲が無くなることは日常経験するだろう。くよくよしたり、お節介に他人の心配ばかりしていると脾の働きが悪くなる。脾の経絡は足の親指内側から膝の内側を通り、わき腹に終わる。そのためか脾を病むと膝が悪くなることが多い。膝の辺りの脾経に力が無い。そこは大腿四頭筋の内側広筋だ。変形性膝関節症の予防にはこの筋肉の強化が有効で、整形外科では足に錘を着け膝を伸ばす体操を推奨する。同時にその筋肉の柔軟性も大切なので胡坐をかいて内股の筋肉を静かに指圧するといいだろう。指圧といっても掌全体を用いる。右の内股に右の掌を柔らかく当て、その上に左の掌を置き、膝頭に向かってお辞儀をする。すると自然に圧が内股に加わって指圧になる。無理に押さないで息を吐きながら体重をかけることがコツである。

 鷄頭を三尺離れもの思ふ 細見綾子

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俳句とからだ 33

連載俳句と“からだ” 33


愛知 三島広志

胃・その飽くなき欲望

 東洋医療にはまともな解剖学がない。落書きのような絵が伝えられているだけである。その代わり十二本の経絡という実態の無いラインが体表に描き込まれている。経絡には内臓の名が冠され、その上にツボが口を開いている。経絡の巡行順位は決まっており肺、大腸ときて次は胃である。これは新生児が生まれて最初に泣き(肺呼吸)、排便し(大腸)、乳を飲む(胃)過程に似ている。乳頭は胃の経絡上にある乳中というツボである。乳児の食事である母乳が母の胃経から出てくると考えた古人の思考には感嘆せざるを得ない。

 柚子湯して五欲も淡くなりしかな  小林康治

 東洋医療の胃は地の氣をいのちに変える仕事をする。大地から芽生えた命の素である食物や飲み物を摂取する働きを概念化した存在だ。単に胃袋だけを示すのではない。生命体は個体保存と種族保存を行う。個体保存のためには環境から食物を取り込まなければならない。その中心的働きを行っているのが胃なのである。胃経は目の下から始まる。口角を過ぎ喉へ至る。もう一本はコメカミの上から顎関節を通って喉に合流する。噛む行為は胃の作用に分類されるのだ。それどころか獲物を見つけ、追いかけ、あるいは収穫場所まで出かける足の大腿四頭筋、これも胃の経絡上にある。膝下の三里というツボは有名だ。これはつま先を上げる前脛骨筋に深く関わる。胃は噛む、呑む、食物を獲得するといった総合的な作用全体を示していると考えたい。

 胃を敢えて解剖的に解釈するなら胃袋に留まらず口唇から喉、食道から胃、十二指腸、小腸、大腸と続く消化管の総称だろう。英語でもStomachは胃と同時に腹部内臓全体を示すようである。

 健啖のせつなき子規の忌なりけり   岸本尚毅

 しかし人間にとって胃は単に食物獲得の内臓に留まらない。なぜならヒトは教育によって歴史性や社会性を身につけることで人間になる。その過程で胃は食物だけでなく知識や金銭や名誉なども欲求することとなる。胃は環境から何がしかの情報や物質を内部に取り入れる臓器なのだ。したがって胃は欲求のシンボルと言える。欲求は行動の原動力であり、学習や訓練を行う糧となるが、方向性を誤るとその貪欲さゆえに極めて不幸な結果を招く。

 また胃は神経性胃炎や胃潰瘍を患うようにとても神経質で繊細な側面も持つ心理的影響が出易い内臓である。食欲にはそれが如実に現れる。食欲不振だけでなく拒食症や過食症など精神と密接する内臓なのである。

 秋風やひびの入りたる胃の袋 夏目漱石

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俳句とからだ 32

連載俳句と“からだ” 32


愛知 三島広志

もの云わぬは・・・

 東洋医療の肺と大腸は陰陽の関係にあり相補う。肺と大腸は呼吸やガスの排出という観点から関係付けられたと考えられる。大腸の経絡(氣の流れる経路)は人差し指に始まり鼻の穴の脇に終わる。大腸という名を冠しながら鼻の脇で終わることから大腸も呼吸に関係することが分かるだろう。鼻のツボは迎香と称し花粉症で鼻が詰まったときなどに多用される。

 腸の先ず古びゆく揚雲雀 永田耕衣

 わたしたちは呼吸を通じて空気だけでなく雰囲気も呼吸する。雰囲気を呼吸するとはどういうことだろう。例えば周囲に苦手な人がいると考えてみよう。すると何となく息苦しく感じることだろう。その時、胸や肩の筋肉は無意識に防衛体制を取って緊張し、結果として呼吸は浅くなる。息を潜めるように吸い込み、閊えたように呼息する。言いたいことも言えない状況が続くとこの緊張状態が身体化する。古人はそれを「もの云はぬは肚脹るる業なり」と見事に言い表した。これは精神の緊張が大腸へ影響することを示している。

腸 に春滴るや粥の味  夏目漱石

 現代医療でも精神的影響が身体化することは立証されている。緊張して喉が詰まったり、やたらと咳払いしたり、甚だしいときは喘息発作を来す。これらは肺に現れた症状だ。同様に大腸にも現れる。現代人に増えてきた過敏性腸症候群。これは主としてストレスからくる大腸(まれに小腸にも)の病気で便秘や下痢の反復、激しい腹痛などを症状とする。緊張性の便秘は大腸が痙攣して大便やガスを詰まらせる。痛みと苦しさから救急車を呼ぶこともあるがケロリと治る。しかし激しい下痢の反復は日常生活を阻害し学校や会社に行けなくなる人もある。わたしの治療室にもその病気を伴った鬱病で一年近く会社を休んだ人が来ている。精神科医と漢方医(漢方を勉強した西洋医学の医師)を紹介し、鍼治療を継続した結果、無事復帰された。とても生真面目な方で、自分の意見を抑えて周囲のために努力した挙句自身の心身を病んでしまったのだ。

このように東洋医療では身体症状と精神状態を分離せずに患者を理解しようとする。そして必要なら専門医を紹介する。

 東洋医療の古典には肺と大腸は悲しみという感情に深く関係すると説かれている。思わずため息をつくような状態。そんな環境に長くいると肺や大腸を病むのだ。あるいはため息もつけない状況。そこで「もの云わぬは肚脹るる」ことになる。

 蟇蛙誰かものいへ声かぎり 加藤楸邨

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俳句とからだ 31

連載俳句と“からだ” 31


愛知 三島広志

肺 天の氣導入

東洋医療では十二の内臓を想定する。五臓六腑だ。五臓とは肝・心・脾・肺・腎で心包が加わって六臓となる。これらは中身の詰まった実質器官だ。六腑とは胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦である。これらは袋やチューブ状の中空器官である。経絡学では氣の流れる順番が決まっており肺・大腸・胃・脾・心・小腸・膀胱・腎・心包・三焦・胆・肝と巡り再び肺に戻る。なぜ肺から始まるか。推測だが、赤ちゃんは生まれた時まず産声を上げる。そして人の最期は息を引き取る。人生は息に始まり息に終わる。この間を「いきる」という。よって肺から始まるのだ。

今回はその肺を取り上げる。まず初めに注意したいこと、それは肺に限らず内臓の名称は東洋医療に由来するということだ。それを蘭学の解剖書に基づいて『解体新書』に翻訳する際「肺」と流用したのは杉田玄白たちだ。ここで齟齬が生じた。東洋医療は解剖学が未発達である上に今日の医学から見れば全く根拠の無い独自の生理学に基づいている。したがって東洋医療の肺と現代医学の肺は同じ名称でも全く異なるものなのだ。

東洋医療ではいのちは氣・血・水によって維持されていると考える。中でも重要なのが氣だ。氣には親から受け継いだ先天の氣(腎に宿る)と日々呼吸や飲食で取り込む後天の氣がある。後天の氣には鼻から取り入れる天の氣と口から摂取する地の氣(水穀の氣)がある。肺は後天の氣の導入として呼吸を担っている内臓だ。

現代医学の肺はガス交換する内臓である。それに対して東洋医療の肺とは空気を出し入れする呼吸運動と内呼吸(各組織でのガス交換)、外呼吸(肺の中でのガス交換)など呼吸作用全体を行う臓器である。概念として捉えるなら天(空気)のエネルギーをいのちに変える場、体内にある天空なのだ。

氣は経絡という循環路を流れる。肺の経絡は腸や肺を巡ったあと胸から腕の親指へ走っている。この経絡を展く動作は深呼吸である。両腕を翼のように開いて息を吸えば肺経の体操となる。この動作はラジオ体操でもお馴染みであり欠伸の動作でもある。脳が酸欠になったとき、疲労感があるとき、気分が塞いだとき、両手を大きく開いて清浄な宇宙のエネルギーが体内に導入されると思いつつ息を吸う。吐くときは腕を閉じながら体内の汚れを排出すると考える。そのとき宮沢賢治の「雲の信号」を思い浮かべるといい。

 ああいいな せいせいするな
 風が吹くし
 農具はぴかぴか光っているし
 山は! ぼんやり
 岩頸だって 岩鐘だって
 みんな時間のないころのゆめをみているのだ

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俳句とからだ 30

連載俳句と“からだ” 30


愛知 三島広志

鍛錬と頑張り

 鍛錬とは文字通り「鍛え、錬る」ことだ。相撲の稽古を見に行くと新米力士と関取の身体差に驚く。新米力士といえども一般的生活者と比べれば相当に立派な身体をしている。しかし、幕内力士の身体は相撲取りとして見事に作り込まれている。これが鍛錬の成果だ。鉄を鍛え、錬るように身体を(精神性も)鍛え、錬るのである。鍛錬によって身心の土台を構築し、練習によって技を磨くことで生活体が相撲体に作り変えられる。鍛錬によって関取、水泳選手、ダンサーという具合にそれぞれの身体に作り上げられる。文化は創造であり、まずはその基礎となる身体を創造する。その身体から様々な創出が成されるのだ。これは哲学者や画家など身体性から遠く感じられる領域においても無関係ではない。

ところが最近、リラックスの重要性が説かれる。筋肉を固めて力んだ状態よりも身体を緩めた方が能力を発揮できることが体験的にも科学的にも分かったからだ。ストレッチはその代表的な例だろう。果たして脱力と鍛錬は矛盾するのだろうか。

頑張り

私が中学の頃、部活では頑張ることを要求された。それは今考えると精神的にはともかく、身体的には無意味な頑張りだった。当時、炎天下の練習でさえ水は身体に悪いからと飲むことを禁止された。これでは熱中症をわざわざ誘発させるようなものだ。今日の医学的見地からすると喉の渇きを我慢するのは危険な頑張りでしかなかった。
では脱力はどうだろう。実は脱力は単に筋肉を休ませた状態ではなく、意図的に弛んだ身体によって初めて実現されるものである。つまり脱力は鍛錬によって創出される結果であるから、脱力と鍛錬に何ら矛盾はない。

身体の隷属化

 得てして人は身体に無理を強いる。精神力で頑張る余り、身体の声に耳を傾けようとしない。その挙句が怪我や故障である。怪我とは我が怪しい状態であり、故障は障りの故である。どちらも身体が原因ではない。身体を操作している精神の在り方の問題だ。

わたしたちは自分の身体に対して自信が持てない。そこで医学的な基準値に頼ることになる。ところが身体はヒトとして普遍的共通性を持つと同時に独立的個体差を有している。必ずしもそれらの数値が正しいとは限らないのだ。

 精神による頑張りから身体を解放することで身体の声を聞くことができる。どうすればいいか。まずは芭蕉の「松のことは松に習へ」に倣って「身体のことは身体に習へ」であろう。以下の句もまた鍛錬の成果を詠んだものだ。
 
 羅をゆるやかに着て崩れざる 松本たかし

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俳句とからだ 29

連載俳句と“からだ” 29


愛知 三島広志

仙骨と呼吸

 仙骨は動作に先駆けて動く骨であると同時に呼吸運動にも関与している。意外なことに仙骨は呼吸運動と協調して動いている。試みにうつ伏せになって誰かに仙骨を抑えてもらうとよく分かる。息が十分に吸えないのだ。わたしたちの身体は呼吸をしているだけで仙骨から脊椎、頭蓋骨までしなやかに動いている。呼吸運動は脳脊髄液の循環を助け、脊椎に関連する筋肉の伸縮を促し、内臓の自己マッサージをしていることになる。今回は仙骨を意識した呼吸を試みてみよう。これは第25回に書いたことの復習でもある。

  白き息ゆたかに朝の言葉あり 西島麦南

呼吸

呼吸とは酸素を血液中に取り込み、二酸化炭素を体外に排出することだ。空気の出し入れである呼吸運動とは分けて考えなければならない。呼吸のうち、外気と血液との間でガス交換されることを外呼吸という。これは肺の中で行われる。空気中の酸素を肺胞で血液に取り込み、二酸化炭素を排出する。酸素を含んだ血液は心臓に送られ、動脈で全身の組織に送られる。各組織では細胞と血液との間でガス交換がなされる。新鮮な酸素を細胞に受け入れ、不要な二酸化炭素を血液に戻すのだ。これを内呼吸という。二酸化炭素を含んだ血液は静脈を通って心臓に戻り、再び肺に入って外気との間でガス交換をする。これが間断なく行われることでわたしたちの身体は生命を維持することが可能となる。「息」と「生きる」は同義だという説もある。

 呼吸に対して呼吸運動は鼻から空気を吸ったり吐いたりすることで、主として横隔膜や呼吸筋が行う。この運動はコントロール可能であるから訓練することができる。これが呼吸法だ。腹式呼吸は呼吸法の代名詞である。しかし、腹を意識しすぎると反対に浅い呼吸になる。なぜなら呼吸を行う肺は胸にあるからだ。腹式呼吸とは腹で行う呼吸ではなく、腹を利用してより深く行う呼吸のことである。

 腹式呼吸を容易に行う方法として仙骨呼吸がある。これは仙骨から息が入るとイメージする方法。すると丹田に気が集まる。身体の中心に生じた充実感を全身に膨らますのが仙骨呼吸だ。

 身体を風船とイメージしよう。腰掛けてゆったり背を伸ばす。仙骨から空気を入れる。その空気が身体という風船を丸く膨らます。腹だけでなく手にも足にも気が満ちてくる感覚。全身が一杯になったら口からシューっと吐き出す。これだけでいい。いつもよりずっと深く、ゆったりとした呼吸ができたのではないだろうか。無理せずに数回繰り返してみよう。

 それぞれに花火を待つてゐる呼吸 村越敦

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俳句とからだ 28

連載俳句と“からだ” 28


愛知 三島広志

仙骨 その2

仙骨の意味

旧字では仙骨を僊骨と書く。僊の字の旁は「笊から水が漏れる」ことを示している。そこから形を残して中身が抜け出るという意味が派生した。遷都は都の構造を残したまま都市機能を別の場所に移すことだ。僊(仙)人は肉体を残して魂が抜け出し、空を飛んだり雲に乗ったりできるよう修行した人のことである。羽化登僊とは羽が生えて仙人になり天に昇ることだ。

僊(仙)骨も同じ字を書くが、僊(仙)骨の僊は仙人を表すものではなく「動く」方に比重がかかる。僊骨(以後、仙骨と表す)は身体行動に先んじて動く骨なのだ。したがって身体動作にとって極めて重要な骨となる。
動作の要諦を表す時「腰を入れろ」と言う。ところが現実動作として腰を入れたら腰砕けになる。相撲であっけなく勝敗が決してしまったとき解説者が「腰が入ってしまいましたね」というのはこれである。「腰を入れる」とは「仙骨を上手に用いろ」ということに他ならない。優れた動作は仙骨より湧き出し、重力という最大パワーに則しつつ重心を移動し、時には大地からの反動を利用して身体を見事に操作することで生まれるのである。

 錦木の仙骨となり父を愛す 寺井谷子

坐る

 仙骨は腸骨と仙腸関節を形成する。この関節は不動結合だが微妙な弾力を有し、動作中はもとより呼吸の度にも動いている。その関節が歪み、固まるとさまざまな問題を生じる。例えば腸骨と上腕骨をつなぐ広背筋に問題が起こると肩の動きが制限され肩こりや五十肩の原因になりうる。それを予防するためにも仙骨の在り様を身体感覚として味わっておくことを勧めたい。

 硬い椅子に坐す。仙骨は直接床には当たらないがその延長として左右の坐骨が椅子に当たる。坐骨の形は逆三角形である。したがってWを想像すればいいだろう。理想的な腰掛け位は体重が左右の坐骨の頂点(Wの下の二点)に均等にかかっている状態だ。

 そこで実験である。上体を反り返し、お腹をゆっくり突き出してみよう。すると骨盤は前傾し腰椎は前弯する。反対に上体を前に屈めると骨盤は後傾し腰椎は後弯する。いずれの姿勢も長時間保つと椎間板や椎間関節に無理を強いる。前方と後方、左右どちらにも偏らず、体重をWの頂点で支えている状態が理想となる。その時仙骨は自然に直立し、背骨はしなやかに伸び、その上の頭蓋骨は重さを無くしたかのごとく浮くように定まる。なぜなら体重が重力線にきっちり乗り、一本の軸が巨木のように天に伸びているからだ。

 直立が農の憩ひや冬菜畑  森棟定子

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俳句とからだ 27

連載俳句と“からだ” 27


愛知 三島広志

仙骨

 仙骨は脊椎の底部で骨盤を形成する骨である。

骨盤は椀状の骨格であり、その構造は仙骨、仙骨の下に付着する尾骨、仙骨の左右にある一対の寛骨の計四個で形成される。仙骨は脊椎の延長で五つの仙椎が固まって一個の仙骨となった。その名残として四対の穴があり五対の仙骨神経が出る。尾骨は三から六個の骨からなり、一対の尾骨神経が出る。仙骨神経も尾骨神経も脊髄神経の一部であり主として下肢に分布する。

寛骨は側面の腸骨、底部の坐骨、前面の恥骨に分かれるが、実際には一個の骨として結合している。寛骨はいわゆる腰骨でベルトが当たる骨。腸などの器であると同時に臼状の窪みを持ち、大腿骨と共に人体最大の関節である股関節を作る。恥骨は下腹部にあって左右の骨が結合して内臓を保護している。出産時には結合が緩んで産道の拡大を阻害しないようになっている。坐骨は腰掛けたとき床に当たり、体を支える骨である。
骨盤は構造上、内臓を保護し、かつ躯幹の底部にあって受け皿となる。また股関節を形成し下肢へ連絡する。妊婦では赤ん坊の揺り籠にもなる。

 せみしぐれ身体のなかの対の骨 大西泰世

仙骨と歩行

骨盤、特に仙骨は身体活動上特異な存在である。歩行を例にとって説明しよう。立って実際に身体を内感しながら読んで欲しい。

歩行運動を分解すると、まず仙骨が微妙に動いて重力を右脚に分配する。その時、重心も右脚に移る。右脚は支持脚となり、大地と躯幹を結ぶ。同時に、左脚は解放されて遊脚となる。重力線が崩れ身体が前方に倒れ出す。遊脚である左脚は振り子のように前に振り出される。踵から接地すると即時に重心が左脚に乗り支持脚となる。

接地した衝撃は左脚を通じて仙骨に伝わる。仙骨で力がスイッチして右の腰から背中、右腕に抜ける。このうねるような動きが左右交互に身体を貫いている。これが歩行の原理であり仙骨はその中心にあって力を分配しているのだ。

文章で読むと難しいが脱力してゆっくり歩いてみると実感できるはずだ。身体とじっくり対話することが肝要。注意すべきは最近流行している背筋を伸ばして両手を力強く振る歩行をしないこと。その歩行は重力という自然を無視した強引な動作で身体に無理を生じる。筋骨を鍛える意味では有用だが、自然体歩行ではない。こうした動作は精神による身体の隷属とも言う。筋骨を鍛えるということはそれが不自然で身体に無理を強いていることに他ならない。

 分け入っても分け入っても青い山  種田山頭火

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俳句とからだ 26

連載俳句と“からだ” 26


愛知 三島広志

軸と骨格

 身体には軸が通っている。それは重力の貫く線であり、意識によって磨かれた線である。元々、身体には骨格という身体を内側から構造的に支持する器官が存在する。その代表は身体のほぼ中心を上下に貫く脊柱である。けれども軸と脊柱とは一致しない。

生物の骨格には外骨格と内骨格がある。昆虫や甲殻類(カニやエビ)などは殻で外部からの衝撃に耐える外骨格という構造になっている。それに対して脊椎動物は内骨格を有し、身体を内側から支持する。内骨格は外骨格に比べ運動の自由性が高く、成長過程で脱皮という儀式も不要なので大型化し易いという特徴がある。無論、人間は内骨格である。

 秋の暮大魚の骨を海が引く 西東三鬼

筋肉と骨

骨格は構造として固定したものではなく筋肉によって支持され、運動も行われる。筋肉は私たちが日常最も意識している器官である。キーボードを叩くのも、歩行するのも筋肉を通じて骨格を動かすことで可能となる。咀嚼や発音、瞬きも筋肉の仕事だ。

筋肉の鎧

 筋肉は骨格を介して身体を自在に操作する運動の中心的存在だが、同時に過度に、そして持続的に緊張して身体を拘束する存在ともなる。ここで腰掛けて脱力して身体を内側から感じてみよう。手を握り締めてはいないだろうか。肩に力が入っていないだろうか。精神的な緊張は肩や胸、腕の緊張として表現される。継続すれば呼吸が浅くなり肩凝りとなる。自覚し難いが緊張は腰や脛の筋肉、頭皮の筋肉、舌、顎などにも現れる。

筋肉は容易に緊張する。緊張は筋肉が身体を甲殻類のような外骨格にして防衛いる状態だ。それは外部からの衝撃に対して構えている状態だ。その状態を筋肉の鎧と呼ぶ人もいる。

こうした緊張を解く上で重用になるのが軸である。身体の中心を上下に貫く重力線がはっきりと形成されると、その軸に身を任せることで全身の緊張が抜ける。筋肉の無駄な収縮がほどけゆったりとした身心脱落の状態となる。そうなれば身体は筋肉でなく、骨格でなく、大空に浮かぶアドバルーンのように自在な存在となる。

実感してみよう。仰向けに寝て、片手を伸ばし天の中心を指差す。その状態で微妙に角度を変えてみる。その時最も腕が軽く感じられる位置、それが腕に軸の通った状態である。実際に試みてほしい。その状態を立って身体の正中心でできれば達人の立ち方となる。軸が通ると肩が軽くなるのである。

 子を負うて肩のかろさや天の川  竹下しづの女

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俳句とからだ 25

連載俳句と“からだ” 25


愛知 三島広志

呼吸と肩凝り

 呼吸は外界から身体へ酸素を取り込み、不要になった二酸化炭素を吐き出す一連の活動である。肺で行われる外呼吸と組織で行われる内呼吸がある。

生物は進化の過程で酸素を利用する術を身に着けた。本来、酸素は鉄を錆びさせるように身体にダメージを与える。老化や発ガンの素である。しかし生物はある酵素を産出することで酸素の害を減じることを可能とした。

呼吸の中心を担う内臓は肺であるが、肺に空気を取り込んだり吐き出したりする呼吸運動の能力はない。呼吸運動は胸郭(肋骨、胸骨、胸椎で形成された骨格)を開閉する肋間筋と横隔膜によって行われる。

一度、息を大きく吸ってみよう。吸うのは鼻からである。息を大きく入れると胸が広がる。肩も上がる。微妙だが頭骨はやや後ろに倒れ、腹が出て骨盤も動く。その時、横隔膜は下がって胸郭の陰圧が高まり、空気が流入してくる。その逆が呼気となる。

呼吸運動は他の内臓と同様、自律神経に支配され無意識下に行われているのでわたしたちは普段、呼吸や内臓を意識しない。ところが呼吸運動は意識的にもコントロールできる。深く、浅く、速く、遅く、あるいは休止。こうした制御は自律神経に対して可逆的影響を与える。ここに呼吸法の妙がある。

 仰ぐとは胸ひらくこと秋の富士 岡本眸

肩凝り予防の呼吸

日常生活は自分のペースで進まない。人はいつも何かに追われ、息せき切って暮らしている。この状況が続くと交感神経が高まり緊張を生じる。心身ともに深く寛ぐのは難しくなる。こんな時、呼吸法を行うことで緊張の緩和を誘発することが可能である。

では簡単な呼吸法を紹介しよう。先月号で説明したように身体正中に軸を通す。肩の力を抜き首は柔らかく伸ばす。そして息を鼻から吸う。その際、空気が仙骨から入ってくるとイメージする。仙骨は背骨の一番下の三角の骨。お尻の真ん中にある。そこから真っ直ぐお腹に入ってくる実感があれば成功である。そこが丹田となる。丹田に空気が入ってきたらさらに胸まで一杯吸い上げる。数秒止めて、ゆっくり蜘蛛が糸を吐くように息を出す。鼻からでも口からでも構わない。これを苦しくない速さで数回繰り返す。しばらく普通呼吸をした後、また繰り返す。やり過ぎないことが肝要。整理体操の深呼吸のように両手を広げてもよい。

呼吸運動は深層筋を動かすので内臓のマッサージになると同時に酸素供給量を上げ、老廃物の排除を促進する。

以下の句には呼吸を深くするような豊かな広がりがある。

 東大寺湯屋の空ゆく落花かな 宇佐美魚目

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俳句とからだ 24

連載俳句と“からだ” 24


愛知 三島広志

軸と肩凝り

 身体には頭の天辺から会陰を抜け、両足の間に通る軸がある。この軸は解剖学的構造ではない。脱力した身体を貫く重心線である。これを意識化したものを正中線とか中心軸、あるいはセンターなどと称して古来より身体技法上達の秘訣として継承されてきた。

 重力線であるから誰にも軸は通っている。しかし訓練によってもっと見事な軸を作ることも可能である。例えば能や狂言の役者、日舞の名手、バレエダンサー、スポーツ選手、武道家、無名の職人など。これら優れたパフォーマンスを見せてくれる人々の身体は美しい軸が天地を貫き、無駄な力みがない。重力から切り離されたような伸びやかさがある。

 冬木ま直ぐおのが落葉の中に立つ 大野岬歩

肩凝り

 肩凝りは比較的新しい言葉で、夏目漱石を嚆矢とする説もある。以後、日本人は肩凝りに悩むようになった。言葉は現実を規定する力を有するからだ。

 肩凝りにはさまざまな原因が考えられる。姿勢の悪さ、使い方の偏り、使い過ぎなどは単純な原因である。病的原因には骨格構造に起因する整形外科的問題。リウマチなど筋肉の病気。内臓の異常が反射的に凝りとして表れたもの。神経性難病。精神的緊張の継続や過度の防衛意識が筋肉を鎧のように固めた心理的原因。職業病のような社会的原因など複雑で多岐にわたる。

姿勢と軸

 病的な肩凝りは専門家に委ねなければならないが、姿勢や使い方の偏りなどが原因の時は対応が可能である。それにはまず軸を立てることである。

 では軸を実感してみよう。正坐か腰かけて背筋をゆったりと伸ばし、胸の前で合掌をする。多くの宗教儀礼に共通する合掌は軸を実感する行為でもある。仏教のように指を伸ばして合掌すれば自分の前に垂直に立った中指の軸ができる。その中指の線をイメージで上下に延長し、体内の中心に引き込めばそれが身体を貫く正中線(軸)になる。軸が通るイメージができれば合掌を解き、両手を膝に置く。全身の筋肉の緊張を緩め、軸に委ねてしまう。力むことなく姿勢正しく座ることができるはずだ。その際、胸も背中も緊張していない。背中が緊張して胸を無理に張った姿勢は規律と戦闘意欲を維持するための軍隊姿勢であって身体的に楽な直立ではない。首は自然に伸び、頭はアドバルーンのように浮かぶ。

日舞の武原はん氏や能楽師、イチロー選手の写真などがあれば眺めているだけで軸が通ってくるだろう。次の句は鉾を軸とした身体感覚に溢れている。

 東山回して鉾を回しけり  後藤比奈夫

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俳句とからだ 23

連載俳句と“からだ” 23


愛知 三島広志

受容と表現

 近所の公園の百合が満開である。百合の魅力は色彩と形態、そして芳香にある。人はそれらを身体に受容することによってさまざまな反応をする。色や形は目から、匂いは鼻から、涼やかな冷気は皮膚から、球根を食せば舌から味を受容する。般若心経の眼耳鼻舌身とはこの受容器官(感覚器官)のことだろう。

生物の行動は刺激に対する反応だという考え方がある。しかし単純な生物と異なり、進化した生物は複雑な反応をする。それは生育の過程で様々な記憶が身体に蓄えられ、刺激と反応という反射体系を複雑に変化させるからだ。

人はヒトという動物として生まれ、教育や体験を経験化する自己教育によって人間となる。他人や社会からの一方的な強制教育だけでは洗脳と変わらない。人間とは自己教育できる生物である。ヒトは自己教育できるようになって人間になるとも換言できる。

 くもの糸一すぢよぎる百合の前 高野素十
 百合におう職場の汗は手もて拭く 西東三鬼

身体は現象を刺激として受容し、判断し、表現する器である。しかし身体は透明なガラスのように現象を通過させることはできない。某かの色を付け、形を歪ませ、量や質を変化させて表現即ち現象化する。同じ百合を見ても多様な表現がされるのはそのためだ。

 繰り返しになるが身体とは受容し判断し表現する器である。もっとも受容・判断・表現は身体に限られたことではない。経営では市場を調査(受容)、経営状態の把握(判断)、新製品の開発(表現)を行い、医師の診察、診断、治療もまさに同じことである。情報はこのように身体(会社も医師もその延長)という器を通過して情報として生きてくるのだ。

 わたしは身体に関わる仕事をしている。何故なら人の存在はいつかは捨てなければならない身体そのものと考え、興味を抱いたからである。スポーツや舞踊のように身体が前面に出ようと、詩歌の如く深奥で支えていようと、身体の存在がなければ人の存在はない。意外に感じられるかもしれないが怪我や病気も身体の表現のひとつである。

身体と俳句にどのように関わっていくか。これが論のテーマだった。けれども結局踏み込めないまま約二年が経過した。ただ徒に麓を徘徊して時を過ごしてしまった。この先をどうするか。たまたま全国のつどいで臨席した編集長と話し合い、次回からは別の視点でもっと読者とともに身体と親しんでいけるように、実際に身体管理に役立つような内容を盛り込んでいく計画をしている。今しばらくお付き合いを。

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俳句とからだ 22

連載俳句と“からだ” 22


愛知 三島広志

身体幾何学

先回、身体の軸や丹田について述べた。これらは身体の指標としての点や線だ。このように身体の中に幾何学的存在を仮定して身体を理解し、技の進化や事物との関係性に応用することを身体幾何学と呼ぶ。さまざまな身体技法に共通して内在する幾何学的な身体原則。これは身体を通して文化を実証的に探究し続けている坪井香譲氏の業績の一部である。解り易く説明すれば、身体を用いるとき実体である腕や脚などに囚われず、それらを線や点、面や螺旋として把握する。するとパフォーマンスの飛躍的な質的変化が生じるのである。身体中や技法上、人間関係(道具と人、自然と人も含む)の中に幾何学を見出すことは氏の発見ではなく歴史的に伝承された原則であるが、各技法間を貫く原理として明らかにし、再措定したのは坪井氏の功績である。

身体に内在する幾何を具体的にみてみよう。

三角

竹刀やバット、あるいは竹箒のように両手で道具を持つと両肩と手で三角ができる。同時に胸の中心の中丹田と腹の中心である下丹田、そして手先をつなぐと垂直の三角形になる。ハンドルを持つ時、両手と両肩を結ぶ四角が想定できるがこれも三角と捉えた方が動作し易い。三角を意識的に想定すると、手と腰とのバランスが取れ、姿勢が定まり、無駄な筋力が抜ける。

線と面

脳天から両足の中心に下ろした垂直線を正中線もしくは中心軸、西洋ではセンターと呼ぶ。自分の中心軸と対峙した相手の中心軸を結ぶと自分と相手の間には面ができる。これを正中面と呼ぶ。人と向き合うとき正中面をきっちり合わせると非常に詰屈になる。力に上下関係があると威圧的になる。その場合、面を少しずらすと楽に対面できる。診察室での椅子の並びは敢えて正対を避けるようになっている。これには医師が正中面を合わせることで権威的、威圧的になることを避ける意味がある。もし医師が正面を向いて面や軸を合わせてきたら重篤な病気を告げられる恐れのある時だろう。

 優れた演技者は身体を球のように肥大させ観客をそのオーラで虜にする。

脱中心と関係性

身体は常に何かと関係を持つ。その際、人は上記の例のように自分の中に形成された軸や丹田などの「中心」を幾何学のように身体から離脱・延長・拡大することで容易に「脱中心化」することができる。ここに関係性としての身体が見えてくる。身体はいつ、いかなる場合でも、何からも孤絶した存在ではない。問題はその関係性に気づけないことにある。

 秋の航一大紺円盤の中 中村草田男

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俳句とからだ 21

連載俳句と“からだ” 21


愛知 三島広志

統合と分節

身体はおよそ60兆の細胞で構成されている。元は一個の受精卵であったものが分裂を繰り返し膨大な数に増殖したのだ。細胞は毎日、約20%が死滅し、ほぼ同数が再生している。脳細胞は約140億あるが二十歳をピークに少しずつ消滅していく。

細胞を保持するためには環境から栄養や酸素を摂取しなければならない。栄養は口に始まる消化器官、呼吸は鼻に始まる呼吸器官が担当する。取り込まれた栄養素や酸素は循環器系によって全身を巡る。各組織で産出した老廃物は泌尿器によって排出される。身体にはその他、外敵から身を守る免疫系、意識の座であり身体をコントロールする脳神経系、活動のための運動器なども存在する。

さまざまな役割を担って分節した身体器官が統合的に働くことで生命活動が維持されている。単細胞動物では一つの細胞で営まれる生命活動も、多細胞動物では専門的に発達した器官が必要となるのだ。

最も意識しやすい器官は運動器である。骨格や筋肉がその中心だ。身体を支える骨は約200個、骨を動かす筋肉は300個といわれる。分節された筋肉や骨が自由気ままに活動していては統合された身体動作は行えない。そこに身体の統合性が必要となる。各部品としての役割と同時に全身調和した活動が可能でないと生命維持も、目的に即した行動も行えない。

丹田と軸

 細胞、器官とばらばらに分節された身体の活動を統一的に制御するために古来から様々な身体装置が創案されてきた。運動は無意識という下部構造に支えられた意識活動によって制御されている。その制御をより精緻に効率的に用いる方法が身体の技となるからだ。例えば身体の中心。それは中国では丹田と呼ばれてきた。丹田は上中下の三部位あることが知られている。上丹田は知性の座として頭部、中丹田は情緒の座として胸部、下腹には意志の座である下丹田。通常丹田といえば下丹田を指し、座禅などで重要視してきた。丹田を明確に自覚すると五体が統一体となる。身体が脱落(リラックス)し、精神が集中する。

また、脳天から股間を貫く重力に即した直線を中心軸とか正中線という。バレエなどではセンターと称する。フィギアスケートのスピンで軸が決まっているなどと解説されるラインだ。日本では「煙が立ち上るが如し」と表現されることもある。高度な剣道の試合では打ち合う以前に正中線の取り合いという内面的な戦いがなされている。
丹田や軸の自覚は佇まいに勁さや美しさとして体現されると同時に、思考や精神の深さとしても表れてくる。

 丹田に光りし無月巡礼記 五十嵐秀彦

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俳句とからだ 20

連載俳句と“からだ” ⑳


愛知 三島広志

姿勢と文化

 今、名古屋では複数の美術館が北斎などの浮世絵を展示し好評を博している。人気の理由は浮世絵が日本の誇る芸術であると同時に描かれた世界が文化的遺伝子を刺激するからだろう。しかし、その世界は決して過去として亡失したわけではない。それを姿勢という側面から考えてみたい。

姿勢

 子どもの頃、姿勢を良くしなさいと襟元から背中に物指を突っ込まれたことがある。しかし、姿勢は外側から修正できるものではない。なぜなら姿勢という字の如く「姿の勢い」、つまり内面に潜在する力が外部化したものが姿勢だからだ。

気持ちが前向きなら勢いが溢れて前傾姿勢になるだろう。後ろ向きの時は気が引けて及び腰になる。人を拒絶すれば動かずとも、身を翻す内面の勢いが相手にも伝わってしまう。迷いは左右へ重心がぶれて右顧左眄を呈す。自信に満ちれば胸を張り、沈思黙考時には腕を組む。両手を上げれば感激の極みの万歳がお手上げである。

姿形

 これら内在した勢いが恒久的に筋肉を刺激し続けると、その人独特の姿として固定化する。個性的な性向や生きる志向が筋肉の緊張を生み、骨格を規定する。スポーツや仕事なども自ずとそれぞれに適した姿形として発展形成される。こうして出来上がったのが個々人の姿形である。人が外観でかなりの部分を判断されてしまう、あるいは判断できるのは姿形の形成過程が人生に直接しているからだ。したがって姿形を良くするには日々の姿勢、つまり生き方を変えなければならない。

身体観の激変

日本は明治維新という激変を経験した。この激変は政治、経済、文化だけでなく身体にも多大な影響をもたらした。明治政府は国民皆兵のため西欧からの輸入体操を普及、身体能力の均一化を図った。それ以後、軍人の威風堂々とした姿が理想とされるようになったのだ。その象徴的な例が剣道の変化に見られる。古流剣法の背を緩めてゆったりと立つ姿は現代剣道の背を伸ばした力強い構えに変化した。つまり、今日わたしたちがよい姿勢と思い込まされているのは権力の手が入ったものであって、必ずしも身体の内側から生まれたものではないのだ。
では、権力から押し付けられた身体観の前に古い身体操法はこのまま滅んでしまうのだろうか。否、それらは能や狂言、日本舞踊や伝統武術などに脈々と伝承され、昨今、その見直しが盛んにされるようになった。それは単なる懐古趣味ではなく温故知新として未来を展望するものである。浮世絵展に集う人たちに潜む血脈が刺激され続ける限り、伝統的身体観はそう簡単に滅びることはないだろう。

 白地着て血のみを潔く子に遺す 能村登四郎

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俳句とからだ 19

連載俳句と“からだ” ⑲


愛知 三島広志

身体を超えて

立春を過ぎた。これからの寒さが本番となる。今日は朝から趾尖が冷たい。予感通り、午後になって天から雨混じりの雪が降り始めた。この地方に降る雪は北陸から関が原を越えてやってくる。今日の雪はとりわけ大粒の牡丹雪だ。古びたマンションのバルコニーに雪が滂沱と降り注ぎ、みるみるうちに積もりだす。

雪雲に包まれた「蒼鉛いろの空」を見上げていたら、「あめゆじゆとてちてけんじや」という言葉が呪文のように湧いてきた。宮沢賢治の『春と修羅』に収められた「永訣の朝」に出てくる「雨雪を取ってきて下さい」という妹の懇願。死に臨む妹とし子の印象的なリフレーンがこの粗鋼な詩を崇高な絶唱として昇華している。

ビルに区切られた空を眺めながら幾度となく「あめゆじゆとてちてけんじや」と繰り返す。空の微塵のように「みぞれはびちよびちよ沈んでくる」。それは宇宙の剥落のようだ。

 肩落とすやうに日暮れて牡丹雪 岡本眸

バルコニーに置いたシマトネリコの鉢植えに蜜柑が刺してある。これは冬になって毎日、何度となく訪れる目白のためだ。一度に数羽やってくる。また、下に撒いたパン屑は腹を空かせた雀たちのため。まだ背中に茶色い線のある小雀が遊びにくる。

激しい雪の中、なぜか今日は目白が木を降りてパン屑を雀と取り合っている。小鳥たちの鬩ぎ合いの痕が雪の上に刻まれる。降り止まぬ激しい雪はその小鳥たちの足跡をも覆っていく。そしていつしか鳥たちの影はない。

窓外の真っ白な世界に目は塞がれ、しんしんと降る雪の静けさに耳は萎える。雪と一緒に静寂な時間が空から降り注ぎ、身心は次第に研ぎ澄まされ、先鋭な感覚だけの実体と化してゆく。肉体や精神などあらゆる猥雑物がわたしの身体から消滅していく。今、ここに実在するもの、凍てつつもかろうじてここにあるものこそわたしの身体そのものだ。

この静謐かつ怜悧な実感は雪が生み出したものだ。純白の雪が覆い尽くしたものは空間と時間、そしてわたしそのものだ。この不可思議な身体感覚。この身体を超えた身体感覚。趾尖に残る幽かな冷たさのみが自己を危うく保っている。
これと同様の状態を次の句の作者も経験したに違いない。もっと深く、さらに真摯に。

 落葉松はいつめざめても雪降りをり 加藤楸邨

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俳句とからだ 18

連載俳句と“からだ” ⑱


愛知 三島広志

脳と心

 愛知県西尾市に岩瀬文庫という素封家の残した私設図書館がある。そこで江戸時代の解剖図を見た。『解体新書』から数十年後の写本である。

もともと漢方医療には写実的な解剖図譜は残されていない。それは漢方医療に外科が存在しなかったため体表からの刺激や服薬というアプローチを主としたからだ。当時の医療にとって重要なことは具体的な臓腑ではなく「いのち」の発現としての臓器の機能を重視した。また当時は手術するだけの技術も確立できていなかった。よって臓腑は構造と機能を明確に分離されず概念として漠然と把握することで事足りたのだろう。

ところがオランダから解剖図譜『ターヘル・アナトミア』(1734年刊)が伝来し、そのあまりの精緻さに圧倒された漢方医たち(杉田玄白・前野良沢など)は、苦労して日本語に翻訳。有名な『解体新書』を刊行した。それは『ターヘル・アナトミア』発刊からわずか四十年後の1774年のことである。

 岩瀬文庫には実際の腑分けを元にして描かれた図譜の写本が保存されていた。その図譜の正確さはすでに現代の解剖学書と何ら遜色のないものであった上に、解剖を通して人体生理が詳細に解明されている。しかも写実に徹しようという意気込みから解剖の際に括った紐まできちんと描かれている。

最も感心したのは脳の解説であった。脳髄は精神や意志の元であり、心が胸にあるのは間違いであるという内容の記述が書かれていたのだ。すでに精神の座は脳であると解剖学を通じて明確にされていたことは驚嘆である。
もっとも脳が思考や精神の中心であることは古来から経験的に知られていた。「思」という漢字がある。分解すると「田」は頭蓋骨、「心」は心臓の象形で、思考や精神作用は頭と胸で行われるとはるか昔から考えられていたのだ。西洋でも古くは心が心臓にあったと考えられていた。♡のマークは心臓の形を絵にしたものだ。古人は東西に関係なく心は胸にあると考えたのだ。なぜなら心臓は感情にしたがって鼓動を変える。まさに心がそこで躍動していると実感されるではないか。ところが解剖学はそれが間違いであることを明確にし、心臓は単なるポンプであることを冷徹に暴き出してしまった。

それでも人は心の座は胸にあると実感する。うれしい時は胸が高鳴り、悲しいときは切なく喘ぐ。雄々しく困難に立ち向かう時も、悲しさに耐える時も常に胸の鼓動がいのちを歌い上げる。こうした身体感覚は生きる上で極めて重要である。解剖図を見て身体を理解すると同時に、身体感覚に委ねて自らの身体を想像する。どちらも大切な営為であろう。そして文芸としての言葉は身体感覚からあぶり出てくる。

 蛇踏みし心いつまで青芒 原石鼎

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俳句とからだ 17

連載俳句と“からだ” ⑰


愛知 三島広志

カンとコツ

 ものごとをなす要領をカンやコツという。カンは感・観・勘などと漢字表記できる。感はものごとを感覚的に把握すること。あの人はいい人だろうと何となく直感するのがこれである。第一印象は結構本質を見抜いていることが多いが、それは直感という閃きのなせる技だ。

観は直観である。上辺を卒然と感受する直感に対して、直観はものごとの本質をつかみ出すことだ。しかしその把握は決して哲学的思惟の結果ではなく、思惟を深めていったあと、天啓のように出現して知的に把握する。アルキメデスが浴槽を溢れる水から「ユリイカ」と叫んで浮力の原理を見出したのはこれだろう。

勘は当てずっぽう。閃きの才能である。もっとも山勘などあまり良くない印象もある。サイコロ賭博の「半か長か」もこれに含まれる。

いずれにしても、カンとは感受する能力が磨きこまれて瞬時にものごとの判断する行為だ。

それに対してコツの漢字表記は骨である。骨は技術の要領を直覚的に把握してそれを実現することだ。「俳句のコツを掴んだ」とは、自分にとっての俳句とは何かを直感、もしくは直観し、作句の要諦を身につけ、実際に俳句を生み出していく。その時、「俳句のコツを掴んだ」などという。

コツとは文字通り骨の使い方である。身体を操作する器官は筋肉であり、筋肉が動かしているものは骨である。骨を如何に上手に操作するか。それがコツなのだ。筋肉はあくまでもエンジンやブレーキに過ぎない。けれども筋肉は意識しやすく、骨は意識できない。それでどうしても筋肉に無駄な力を入れることになる。

自然に直立するとき、下半身は大腿骨や脛骨に委ねている。この姿勢なら長時間立っていても疲れない。試みに相撲取りのように四股の姿勢を取ってみればそれがとても大変であることが分かる。体重を筋肉に委ねた結果、膝や太腿が悲鳴を上げているのだ。それは鍛錬であってコツではない。

カンやコツはあくまでも技術という道具である。それを何の目的でどのように用いるのかは全く別の問題となる。

 初空や大悪人虚子の頭上に
 大いなるものが過ぎ行く野分かな  高浜虚子


 近海に鯛睦居る涅槃像
 枯草の大孤独居士ここに居る  永田耕衣

大悪人虚子の自在な息遣いや大孤独居士耕衣の禅的直覚の世界には俳句のカンもコツも秘められている。しかし、その世界は遥かで深い。俳句は小手先の芸ではない。カンもコツも身体を通じたもの、畢竟、人生の発露なのだ。

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俳句とからだ 16

連載俳句と“からだ” ⑯


愛知 三島広志

食と胃

わたしたちは「いのち」ある生物である。生物の特徴は個体保存と種属保存であり、これは人間も犬も桜も苔も芋虫もアメーバも関係なく、全てに共通するものだ。

個体保存と種族保存が生物に共通の特徴であるならば「いのち」を考えるとき、無理にヒトにこだわる必要はない。素朴な生物体をモデルにした方が分かりやすいだろう。そこでアメーバを例に考えよう。

アメーバは一個の細胞だけの生物である。彼らの生涯は環境から餌を探し出して捕捉・摂食し、不要なものを環境に排泄することと、危険を回避して自らが他の生物の食とならないよう生きていくことである。したがって食糧と安全の確保のために彼らの生のほとんどが費やされる。これを個体保存という。さらに生物は子孫を残す。配偶者を探すために個体のいのちを捨てることさえある。これが種族保存だ。ただし、アメーバは細胞分裂で子孫を残すので配偶者は必要ではない。

さて、そこからもう少し考えを発展させよう。単純な生物は個体保存という本能的欲求を満たすためにのみ生きていると推測できる。しかし、人間はそうではない。食べるだけでは何か虚しいものだ。人間は何らかのかたちで、この世に生まれた意味、あるいは生きてあることの証が欲しくなる。つまり人間は本能的欲求を超えた欲望や価値を満たさずにはおれない生命体なのだ。

そうした欲求は食べるという個体保存のための本能的欲求が生命体の進化とともにより複雑に深化、変質していったと考えられる。具体的に言えば知識が欲しい、本質を知りたい、自己を表現したい、金品が欲しい、人から認められたい、地位が欲しい、恋人が欲しい(これは種族保存にも関係する)などである。こうしたさまざまな欲求や欲望、希望や願望、あるいは野望などが内側からあたかも食欲のように生じてくる。人間的欲求はこうした生物本来が持っている個体保存のための本能的欲求が延長し、変節、拡大したものではないだろうか。

本能的欲求の根本にある象徴的な臓器が「胃」である。実際、胃は消化管随一の大きな袋であり食物を豊富に貯め込む器である。動物は本能で制御されているため一定量を得ると満足するが、人間は「ケーキは別腹」などと嘯いてどれだけでも食べる。胃は果てしない欲望にいつも飢えている器なのだ。
本能の制御を離れた人間の欲望には制限がない。これがどこまでも肥大し過ぎれば地球の危機を生むのは自明のことだ。

 殖えてまた減りゆく家族雑煮食ふ  大橋桜坡子

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俳句とからだ 15

連載俳句と“からだ” ⑮


愛知 三島広志

歩く

 歩行は生物の代表的な移動手段である。ヒトは寝返りからうつ伏せになり、四這いから立ち上がる。そしてついに二本足で歩き出す。赤ん坊が初めて立ったときの美しさは、身体を貫く軸が偶然醸し出した絶妙の安定を見せていることによる。しかし安定だけでは歩けない。

歩行には安定の崩壊と回復という矛盾した要素が必要とされている。歩くとき片方の脚が支持脚となって身体を支え、もう一方が遊脚として宙に浮く。ここにバランスが要求される。普段何気なく歩けるのは、バランスを右足(支持脚)に崩しつつ左足(遊脚)を前に出し、バランスを回復しつつ左足(次の支持脚)を地に着ける、と同時に次のバランス崩壊に滑らかに移行するという複雑な左右交互の動作を無意識に行っているからだ。

一旦崩壊した安定を回復するためのバランス感覚の未熟な幼児は、転ばないように両足の感覚を広げたまま足裏を床から離さないように慎重に歩く。これは転倒を避ける相撲取りの摺足にも似ている。

 介護予防運動指導員の転倒予防講習で興味深いことを学んだ。高齢者の転倒は、下肢筋力の低下(筋肉の強さ)・バランスの喪失(小脳の反射)・歩行技術の後退(下肢の反射)のいずれか、もしくはそれらの複合から発生するという。したがって、脚力が低下し歩行技術の衰えた高齢者は、転倒しないようにバランスに気を使って歩こうとする。これだと自ずと幼児のヨチヨチ歩きに似てくる。

 だが、人にとって歩行は単なる移動手段ではない。動物の場合、歩行は餌や水、異性などに身を運ぶために行われる。あるいは危険から逃避して安全を得るため。では人間はどうだろう。動物と同様、生存に関わる目的に向かって歩く。さらに、思索を深めるため、精神を開放するため、健康のためや痩せるためなど、生存から離れた目的でも歩く。そのうえ、歩くこと自体を楽しむこともあれば、内なる力に衝き動かされて歩く場合もある。

俳諧の系譜に連なる多くの者は「漂泊の思ひやまず」人生と直接するように歩いてきた。あるいは歩かされてきた。西行然り、宗祇然り、芭蕉然り、山頭火然り。山頭火は「歩かない日はさみしい/飲まない日はさみしい/ 作らない日はさみしい/ひとりでゐることはさみしいけれど、/一人であるき、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない」という日記を残している。はたして人を歩行へと衝き動かす根源とは何だろう。一体人は何を求めて歩くのだろうか。

 どうしようもないわたしが歩いてゐる  山頭火

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俳句とからだ 14

連載俳句と“からだ” ⑭


愛知 三島広志

はう
 
 ヒトは生まれてしばらくすると寝返りができるようになる。首を反らし顎を上げ、クルリと上手に回る。さらにはベッドの柵を掴んだり、床を蹴っても行なえるようになる。

面白いことに、寝返りは顔が向いている方にしかできない。左を向いて右側に寝返ることは不可能なのだ。この事実は脳血管疾患などで運動障害になった人たちの訓練の時、重要な意味を持つ。訓練は赤ちゃんの発達段階を追うように行われるが、寝返り訓練の時に顔の向きを指導することが大切なポイントとなる。あるいは介護で動けない人を坐らせる時なども、顔の向きを整えることで動きが容易になる。

わたしが顔の向きと寝返る方向が一致している事実を初めて知ったのは高校の柔道部で先輩から指導を受けた時だ。寝技の抑え込みは首を制することと教わった。首を一定方向に制したら相手はその方にしか動けない。柔道の試合で抑え込みに入った途端、下の選手が諦めたように全く動かなくなることがある。それは首を完全に制されてしまったからだ。

さて、赤ちゃんは寝返りをするとうつ伏せになるので、次は這い出す。その後、四這いから高這い、そして立ち上がり、歩行を始める。これが成長の過程で一般的に見られる行動だ。

這うとは腹が接地している場合をいうので赤ん坊の這い始めや軍隊の匍匐前進の状態である。動物では軟体動物の蛞蝓、爬虫類の蛇、昆虫の幼虫(毛虫)などが這っている。これらの動きはcreep(クリープ)と言われて車がのろのろ進んだり渋滞したりするときに用いると同時に、その形態や動作から気味が悪いという意味を持つ。外国人女性から「あなたはクリープだ」と言われたら最高に嫌われたと判断していいだろう。

四這いで地面から腹を離し手足を床につけて進むことを英語ではcrawl(クロール)という。水泳のクロールはここからきているようだ。

 這う行為を立って行えばそれは歩行になる。したがって十分に這う期間を持つことは後の歩行能力に深く関わってくる。這うことで歩行に必要な筋力や神経反射が発達するのだ。
 
ヒトも昆虫もその生育の始まりは這うことからである。脚を上手に使って歩く前には腹を支えにして進む術を身につける。「這えば立て、立てば歩めの親心」とはこの辺りの機微を捉えたものだろう。脳の疾患はこの生育段階を破壊してしまうので、もう一度寝返りから作り直すのである。それは大変な困難を伴う。

 蛆虫のちむまちむまと急ぐかな 松藤夏山

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俳句とからだ 13

連載俳句と“からだ” ⑬


愛知 三島広志

立つ

二本足で立つことは文化である。本能に根ざした自然な行為ではない。立つことは人類が進化の過程で獲得し、教育によって伝えられる文化であり技術である。

 ヒトの誕生時は遺伝情報によって形成された未熟な裸のサルである。そして周囲からの影響つまり教育によって次第に社会性(空間)と歴史性(時間)を内包した人間になっていく。ヒトは教育されると同時に、自らを教育することで人間になる。人間とはそうした能力を有した生き物なのだ。

 二本足で立つことは人の成長過程で極めて重要な役割を担っている。人類は立つことで文化を得たといわれる。なぜなら動物は四本足で行動する。彼らの前足は獲物を抑える時、あるいは木にぶら下がる時以外は歩行のために使用される。動物の前足は普段は歩行以外の可能性を抑制されているのだ。しかし人類は二本足で立ち得たために移動に使用していた前足が開放された。その時点で「前足」は「両手」になった。開放された両手は新たな自由と可能性を得ることとなる。手は次第に精緻な活動ができる道具として発展し、物を掴み、摘み、創造する能力を得た。ここにおいて動物と人間との差異が明確になったと考えられる。人間は本能という抑制と環境からの抑圧に対して立つことで自由を獲得し、文化の可能性を手中にしたのだ。

しかし立つことは意外に難しいものである。誰もが立って歩いているがその技量は一様では無い。上手に立つことは実に困難なのだ。最も美しい立ち姿は赤ん坊が始めて立った瞬間であるといわれる。その立ち姿の内面には立ち上ろうとする意志と倒そうとする重力とのせめぎ合いが発生している。立つ行為は体内を貫く重力と反重力という矛盾が見事に一致して可能となる。筋肉の未発達な赤ん坊はほぼ骨格と重力のバランスのみで立っている。だから僅かの動揺で倒れてしまう。大人は筋力で誤魔化しているので簡単には倒れないが、赤ん坊ほど美しくない。

人間は立つことで一人一人が地軸を形成していると考えてもいいだろう。重力線と上手く折り合って立った時の佇まいは美しい。それは本人だけでなく見ている人をも至福に導く。優れたスポーツや舞踊の立ち姿を見た時の感動を思い出せば納得していただけるだろう。

人の直立。それは文化の萌芽だけではなく屹立した夏木立や揺らぎつつ建つ五重塔に通じる大いなる力と同化する至福でもあるのだ。

 蜀(たち)葵(あおい)人の世を過ぎしごとく過ぐ 森澄雄

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俳句とからだ 12

連載俳句と“からだ” ⑫


愛知 三島広志

みる

 日本語はその多くを中国語に委ねてきた。文字を持たない民族であったので漢字の輸入は必至だったのだ。したがって今日使用されている日本語の中には実に多量の中国語が存在する。

漢字の発音を字音と言う。いわゆる音読のことである。それは中国語が伝来して国語化したものであり、中国語の発音が継承されている。逆に漢字を日本語に訳したもの訓読という。

わたしたちが日常用いる文字はアルファベットを除けば漢字とそこから派生した平仮名と片仮名である。漢字は一字が意味を持つ絵文字や象形文字を起源とする表意文字だ。日本語の特徴は漢字から表音文字を作り出したことだろう。それが平仮名や片仮名である。

漢字は日本文化の記録や伝達という点で実に貢献してくれた。しかしそれだけではない。漢字は大和言葉(外来語到来以前の日本語)をより分析的に理解整理する役割も担ってきた。

例えば「みる」という言葉。「みる」とは「感覚器官の目を通じて認識すること」である。これを漢字に置き換えると実に多くの当て字ができた。辞書から列記すると見・視・診・看・観・覗・窺・望・顕・瞰・覧・監・占・鑑・査・閲・省・督・相。その他にもたくさんあることだろう。「みる」の当て字に特徴的なことは感覚器官である「目」あるいはその変形である臣(伏目)が多く使われていることである。

しかし、私たちが「みる」というとき、実際には視覚のみにとどまらず、より広範な感覚も表している。たとえば、湯加減や味加減まで「みる」という。実際に湯加減を調べるのは触覚であり、味を感知するのは味覚である。

推測するならば、身を持って情報を受容しようとするとき、代表的な感覚である「みる」を用いているのではないだろうか。見て、試みて、吟味して、鑑賞して、反省する。これら一連の行為を「みる」と表現したのだろう。

先人は「みる」に様々な漢字を当ててきた。その試みによって「みる」ことの詳細な意味が明確になり分析的に理解を深めることができた。「情的」で曖昧とされる日本語を「論理的」に見直す機会となったのだ。

しかし敢えて「みる」と平仮名で表記すれば、漢字の特徴である一対一対応的な詰屈さを超えた多様で曖昧で混沌とした原初的身体感覚を暗示することもできる。こうして現代の日本語表記には「論」や「情」などの複雑な諸相が多重に存在し豊かさを構成しているのである。それはまた身体の特性である混沌の表出でもあろう。

見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く  日野草城

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俳句とからだ 11

連載俳句と“からだ” ⑪


愛知 三島広志

血肉化する体験

戦争が終って八年後にわたしは生まれた。当然、戦争の記憶は無い。

幼少時、戦争の傷痕は周囲にいくらか残っていた。小学時代、仲間と遊んだ通称「爆弾池」。田んぼの中に大小二つ並んでいた。空襲の名残である。神社裏の叢には掘りかけの防空壕の口が開いており、夜な夜な幽霊が出ると噂されて子どもたちの肝試しの場だった。駅前でアコーディオンを弾く白衣の傷痍軍人を見かけることもあった。

しかし、戦争を伝えるものは、このような現実の風景だけではなかった。

子どもの頃、父と風呂に入ったことがある。父の背中には大きな痣があった。それは爆風で浴びたガラス片の傷跡がシミとして残ったものだ。広島工専の一年生だった父は、夏休みにたまたま出校したその日に被爆した。隣にいた級友は即死だった。多くの友は搬送された島の水が悪く病死した。父は生前こうした話を好まなかったので、多くは父の死後、祖父が語ってくれたものだ。祖父もまた父を探しに市内に出て被曝したのだった。

当時、少年漫画誌には戦争漫画が連載されていた。戦争映画やドラマ、写真や小説などを目にする機会も多かった。

このような媒体によって何度も反復される言葉や映像も、次第に自分の身体の中に蓄えられて実体化し、ある種の経験として血肉化していった。真夏の日盛り、ふと生まれる前のあの日の記憶が甦り「まるで終戦の日のような暑さだ」と思う一瞬がある。深紅のカンナの花に「あの日もこうして赤々と咲いていた」と妙な感慨を抱く。

芸術の血肉化

すぐれた芸術は、その過程で、事物の本質を掴み普遍化し表現する。そのような芸術によって、個人の死とともに消えてしまう個別体験が、同時代を生きる人々のみならず後世の人々にも、普遍経験として汎く共有され血肉化する。芸術はこのように血肉化してこそその価値を発揮するのではないだろうか。

戦争体験が希薄になってきているといわれる今、その本質を普遍化して表現し伝えていくことは、芸術の極めて重要な使命といえよう。同時に、芸術として表現された体験を自分の身体で受け止めることのできる身体性も伝えていかなければならない。感受性とは頭脳だけの問題ではなく身体の能力でもある。
 
 原爆図中口あくわれも口あく寒  加藤楸邨

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俳句とからだ 10

連載俳句と“からだ” ⑩


愛知 三島広志

触と切

 「触」とは虫が触覚で辺りを探るところから作られた漢字だ。それに対して「切」という漢字は刃物で切ること。では「親切」とはどういうことだろう。親を切ることがどうして親切なのか。長い間違和感を覚えたものだ。

 長じて鍼灸や指圧を学ぶようになった。漢方に「切診」という診察法がある。実際に患者の肌に触れて診ることだ。脉を診るときは切脉、経絡を診るときは切経という。「切診」とは「相手の身体に触れ、深く切り込み、患者の辛さや苦しさに共感することだ、決して同情ではない」と師は解いてくれた。
 
 「切」は刃物をぴたりと当てるように肌に触れるさまであり、相手の中に深く切り込んでいくこと、そこから派生して相手に深く共感する意味があると知った。冒頭の「親切」とは、相手にぴったり寄り添って気持ちに深くこたえることだったのだ。

 一般に触診は身体に触れることで違和感や病的な差異を明確にする手段であり、切診はむしろ一体化して共感する行為であると考えられている。

 それらの行為を日常生活では、「触」は「さわる」と「切」は「ふれる」に置き換えることができるだろう。「さわる」と「ふれる」の違いは以下のようになろうか。

触(さわ)る・・・確認 差異 相対化
触(ふ)れる・・・受容 共感 一体化

「触」の名句

手をつけて海のつめたき桜かな  岸本尚毅

「触」の字はないが、尚毅は海の水に触れてその冷たさと桜の差異に驚いている。海水と桜と作者それぞれが違和感を包含しつつ絶妙な俳句的空間を生み出している。この作者は実際に対象に触れて確認したい傾向があるのか似た傾向の佳句が多い。

 虫時雨猫をつかめばあたたかき
 仲秋のお城を撫でてつめたさよ

「切」の名句

外にも出よ触るるばかりに春の月  中村汀女

 この句は実際に月に触れているわけではないが、触るるばかりに月と一体化している。月光と汀女が融合し、その世界に読者も抱かれている。

 「触る」と「触れる」、「触」と「切」。一見同様に思えるが全く異なった世界を生み出す。そこにその時のその人の身体観と人生観が顕れることだろう。

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俳句とからだ 9

連載俳句と“からだ” ⑨


愛知 三島広志

六月の女

 六月の女すわれる荒筵 石田波郷

 奇妙な句である。六月、女が荒莚の上に坐っている。ただそれだけのことだ。しかも季語の六月は動きそうだ。別に一月でも八月でもよいではないか。さらに言えばこの句には切字がない。上から読み下せば焦点は梅雨でもなく、女でもなく荒莚になる。六月も女も荒莚の修飾に過ぎない・・・と、単純に言い切れない不思議な魅力がこの句にはある。一体なぜこの句が人口に膾炙しているのだろう。

荒筵は粗悪な筵だ。するとこの女は決して高貴な存在ではない。庶民あるいはもっと貧窮した立場かもしれない。わたしが幼い子どもだった昭和三十年代前半、筵を抱えた物乞は駅前や祭のときなど結構身近にいた。この句が作られたのはもっと古く、昭和二三年刊の『雨覆』所収であるから戦後の混乱期の光景だろう。同句集には戦後の様子が多く詠われている。「はこべらや焦土のいろの雀ども」「日々名曲南瓜ばかりを食はさるる」「百万の焼けて年逝く小名木川」等々。

それらから察するにこの女は戦中戦後の困窮が生み出した乞食と考えられる。焦土に生きるという背景を考慮すれば波郷の視点は荒莚に坐る女に向けられると同時に自分自身の来し方や行く末および現況をも重ねているのではないだろうか。そして自分とその女を共に包んでいるのが六月なのである。

六月は梅雨だ。湿気と暑さで毛穴も塞がる過ごし難い季節。波郷たちの上には雨雲が覆い被さっていることだろう。戦争が生み出した社会の歪みと先の見えない不安。まさに梅雨空に覆われた未来。そんな自らの気持ちを女に投影している。その女とはまさに波郷自身ともいえる。

しかし波郷はあからさまな社会性を表現していない。むしろ女という身体的な言葉を用いることである種の艶かしさを感じさせる。何故なら元来、女という字は女性が膝を崩してなよなよとしなを作って坐っている象形だからだ(藤堂明保編『学研漢和大辞典』)。波郷は産む性である女の生命力に救いを感じているのではないか。筵に坐っているのが男であったら句として成立しないだろう。しかもその女を包む空間は梅雨時の湿気と暑さ。髪も衣服も梅雨のおもさを吸い込んで女体の魅力を増している。

梅雨時の女の魅力を余すことなく詠んだ名句なら桂信子にある。これらの句はその音律の深さによって女の身体性を女性の側から見事に表現している。

 ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜  桂信子
 ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子

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俳句とからだ 8

連載俳句と“からだ” ⑧


愛知 三島広志

未来三句

 肉体は皮膚に包まれた実体である。骨や筋肉、内臓や血液などからできており、誰もが見て触ることのできる確かなものだ。しかし、この論では当初から身体と肉体を区別してきた。肉体とは実体的な体であり、身体は精神や環境、歴史的広がりも含んだ存在を指す。

 身体は肉体を大きく逸脱した概念としての“からだ”と考えればいい。身体は肉体の呪縛から解かれ、時間や空間を超えて存在する。わたしたちが千年前の「あひみての後のこころにくらぶれば昔は物を思はざりけり 敦忠」という歌を読めば心は時空を超えて作者に共感する。作者が今に蘇ると言い換えてもいいだろう。

肉体は厳然と時空の法則に縛られているが身体はそれをやすやすと超えることができる。そのとき、言葉は大いなる呪術として作用する。

 玫瑰や今も沖には未来あり  中村草田男

 この句に出会った読み手は眼前のはまなすの花から一転遥か沖に視線を展開する。そのとき身体も沖遠くまで拡大し、その拡大した身体を、今この瞬間も存在する未来が満たすのだ。この句を読むとき身体は未来からの祝福で歓喜する。

 未来より滝を吹き割る風来たる  夏石番矢

番矢の句は現在を過去にするべく未来の風が向こうからわが身体に向って吹いてくるというのだ。その風は天地を貫く滝をも吹き割る強靭なものだ。それを読者は身をもって受け止めなければならない。未来に向けて身体を啓いておくのだ。滝の垂直と向ってくる風の水平。この句は大きな幾何学的身体感覚を刺激してくれる。

草田男の句はこれから向かうであろう未来への希望と喜び、救いを表現しているが、番矢の句はむしろ未来から読者への輝かしき挑戦とも読める。未来は現在の延長に過ぎない、よき未来を望むなら今をどう生きるか。一見やさしい表現ながら厳しい。

 海市立つ噴ける未来のてりかへし 加藤郁乎

 郁乎の未来はどうだろう。草田男のはまなすと異なり目線はすでに沖の蜃気楼にある。そしてそれは噴出した未来の照り返しだという。蜃気楼は実体ではない。太陽の移動と共にはかなく消える。その曖昧な未来を知ると身体は不安におののく。

 言葉はこうして身体を現在から未来へ、未来から現在へと揺さぶることでそれ自体も身体化するのだ。

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俳句とからだ 7

連載俳句と“からだ” ⑦


愛知 三島広志


新樹

 夜の新樹詩の行間をゆくごとし  鷹羽狩行

 初夏。新樹と相対する。太い幹の中を地中からいのちが迸り青葉となる。青葉はいのちの反映だ。新樹は勢いである。新樹に対峙するとき、こちらのからだも共振し身中を勢いが奔騰する。

樹と対峙するとき、ふと考える。今わたしは樹の勢いに絡めとられているのだろうか。それともわたしの中に内在する鏡に樹を写し込んでいるのだろうか。あるいは樹とわたしとの間にこそ、自分と樹の融合した何かがあるのだろうか。

人は決して身体の中だけに納まってはいない。からだは外界を像として脳に反映する器であると同時に、からだから自在に脱出し、対象と自分との間に新たな“からだ”を築き上げる。こうして自分の主観を超え、対象との間に新たな主観を生じることができる。

 この句の作者は夜なおいのち燃え盛る新樹の間を歩いている。樹と樹の距離を測りながら同時に自分と樹の距離も測っているのだろう。その気分を「詩の行間をゆく」という何とも魅惑的なことばで捕捉した。

間主観

 からだは主観の「中心」である。自分はからだを離れては存在しない。同時に自分が存在しなければ対象(この句の場合は新樹)も消滅する。自分と対象は対立するものでありながら自分が対象に向かうとき、からだという「中心」を離れて何かが表に出ていく。脱中心化する。自分が新樹と対峙するとき、自分の中心は脱中心化して樹と自分の間に存在する。対立物の間にこそ相互浸透的に主観が存在するのだ。

ひとは決して自分の主観だけでものごとを把握できない。対象とするものと自分の間で互いに浸透的な影響を与え合う。新樹に向かうとき自ずと身体中に勢いが共鳴湧出してくるのはそのためだ。

写生って?

 写生は俳句の基本とされる。少なくとも子規はそう考え、多くのひとが踏襲している。写生とは対象物のいのちを無心にみること、そして写し取ることだ。客観写生も主観写生も、あるいは真実感合や実相観入にしてもまずは真摯にみることから始まる。そしてことばが立ち上がるのを待つのだ。ただし、みる者の態度は異なる。そこに個々の身体性が現れる。極力主観を排してみる人。あるいは個人体験を絡ませる者。ある人はことばの自走を許し、ある作者はことばの意味をも破壊する。そして人はみるとき、実は自分もまたみられるものなのだ。上田五千石の句のごとく。

 渡り鳥みるみるわれの小さくなり 上田五千石

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俳句とからだ 6

連載俳句と“からだ” ⑥


愛知 三島広志


春風駘蕩

 春風に尾をひろげたる孔雀かな 正岡子規

春風駘蕩。駘はくつわの外れた馬。翻っておっとりとのろまな馬。蕩は草木が湯のようにゆったりと揺れる様。ともに春風がのどかに吹く様子を表す。転じてそのような性格も意味する。

厳しい冬を乗り越えると穏やかな春が待つ。寒さで堅く閉ざされたからだが緩んでくる季節だ。地中からは蛇や虫も出てくる。句のごとく孔雀も生の共感を求めてのびのびと尾を扇のごとく広げるのだ。

 水あふれゐて啓蟄の最上川 森澄雄

陽裏補腎

東洋医療では冬を閉蔵といい、身体の中の陽気が冷えた外気で消耗しないよう閉ざすことを養生の根幹とする。温かいものを食べ、早く休み、ゆっくり朝日を受けて起きる。「早臥晩起必待陽光 陽裏去寒補腎健脾」なのだ。

体温は筋肉と肝臓で作られる。寒い時身体が硬くこわばり、ぶるぶると震えるのは筋肉を緊張させて熱を作ると同時に毛細血管を収縮させて体温の放射を防ぐ仕組みによる。風邪で節々が痛くなるのはこの緊張が極度に起こるからだ。冬に対応して閉ざした身体は本来活動には向かない。熊のように冬眠することが賢い冬の過ごし方だが人間社会はそれを許してはくれない。


春は「張る」

しかしそんな冬も去り、大地の緩む春がやってくる。春は木の芽が「張る」を語源とする説もあるように、木々が活発に生気づく。小枝の中をいのちが漲り、先端から芽が噴出して春の訪れを告げる。同様にわたしたちのからだの中も春風駘蕩、春風が吹くようにいのちがほぐれ、勢いが奔出する。東洋医術では春は肝の臓が活気づくという。そのとき冬の間大切に保ってきた陽気が活躍するのだが、寒中に冷えたからだでは陽気が思うように働けない。日々温まりゆく環境と冬に冷えた身体との間に不調和が生まれる。そこに花粉などが飛んでくると花粉症になると教えている。その是非はともかく、春になると凍てた大地が解けていくようにからだもほどけて春風と融合していく。

 永き日のにはとり柵を越えにけり 芝 不器男

日照時間も次第に永くなり、からだが長閑になってくるとただ単に鶏が柵を越えただけの光景が春の喜びとして感受される。緩んだからだの深い息吹と生気を取り戻した大地の共振がある。しかし現代に拘束されるわたしたちのからだにここまでの共振する感受性が残っているのだろうか。

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俳句とからだ 5

連載俳句と“からだ” ⑤


愛知 三島広志


大寒から立春

  極寒のちりもとどめず巖ふすま  飯田蛇笏

  大寒の一戸もかくれなき故郷  飯田龍太

親子二代、極限の寒さを詠んだ句である。敢えてこの二句からのみその相違を検討してみると、蛇笏の方に一層の孤独を感じる。父蛇笏はその自然に対峙し、極寒の厳しさを屹立する巖襖に塵もとどまっていないと感得する。そこには孤独とそれに対峙する強靭な精神の強さがある。それに対し、子息の龍太は大寒の緻密な空気に浮かび上がる故郷の家々を見る。しかも一戸もかくれなきとは何と優しい眼差しであろうか。

 父蛇笏は故郷の自然の厳しさに向かい、子龍太は古里の人々に目を向ける。二人の異なった視線の中にこそ、その人の身体性が現れているのではないか。

脳の外部化

 現代の社会にあって身体性は脆弱し、脳の一面が拡大して現象化している。今わたしが向かっているパソコンこそ脳の外部化の象徴といっていいだろう。そして腰掛けているミスタードーナツの窓から見下ろすと整然と構築された硬質な都市空間。都市は脳の外部化とは養老氏の言葉だったか。

隷属する身体

わたしたちは否応なく時代に翻弄されて暮らしている。そこでは身体性は喪失され精神のみが活発に意識される。翻弄されるとき身体は精神を支える下部構造としての存在を余儀なくされてしまう。今日、人が身体を思うとき、それは病気や怪我をしたときだけだ。しかも道具として役に立たないと罵る。あるいは酒を飲んだりピアスをしたり、ドラッグやセックスあるいは健康法に身をやつすのは身体が奥底から郷愁めいた自己存在の叫びを発するからだ。

しかしこの身体という下部構造はしたたかである。ひとの精神活動は確実に身体の影響を受けている。開かれた身体や閉じた身体、ねじれた身体など無意識に精神に影響を与え、個性の一半を担っているのだ。

包摂された身体

蛇笏の時代、龍太の時代、彼らの郷土。そこには身体と環境との濃密な交流がある。自然環境は脳の外部化ではない。むしろ身体は自然環境に包摂された存在である。そこに<生きる場>と<生かされる存在>が影響を与え合う平和な関係が維持されていたのだ。

  落葉ふんで人道念を全うす  蛇笏
  手が見えて父が落葉の山歩く  龍太

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俳句とからだ 4

連載俳句と“からだ” ④


愛知 三島広志


清新

 元旦。目覚めるとカーテンを漏れる陽光がチンダル現象を見せている。窓を開ければ常の景色。シラカシ越しにお向かいの犬小屋があり、腹ばう黒犬がわたしに向って尾を振っている。全く何の変哲も無いいつもの朝の光景だ。だが、年が改まって元旦となると何かが違う。屋根で囀る雀の声も、子ども達の靴音もどこかが違う。

 昨夜、除夜の鐘の音を聞き、今朝、茫洋と目覚めた。何が変わったのだ。ただ単に暦上、新しい年が始まったというだけのこと。一月のカレンダーがぴしりと壁に貼りついているだけのことだ。

何が違うのだろうか。その変化は外部には無い。変わったのは“からだ”の方だ。暦と同時に改まろうとする心の問題に他ならない。清新とはそんな心地よさをいう言葉だろう。年の改まりと同時に自ら生まれ変わろうとする人生の区切りの潔さだ。

淑気

 淑気とは天地の間に満ち満ちているめでたい気配のこと。しかしそんなものは天地の間にはない。常の気配を淑気と受容するのは“からだ”の問題だ。わたしたちは“からだ”で世界を感じ、理解し、行動する。客観的な世界は学問的には措定できてもそれが何になろう。自らが見て、味わって、触れて、耳を傾けて、芳香に酔ってこそ世界が生き生きと立ち上がる。そこからふとことばが零れ落ちた時、詩歌となる。俳句とは本来そういうものではないか。

夕ごころ

 おちこちから聞こえる除夜の鐘。奇妙に恥ずかしい年頭の挨拶。暦に随ったこれらの装置が“からだ”に作用して世界を軽くリセットしてくれる。旧年の自分を屠り、今日からまた新たな人生を歩むのだ。しかし寿ぎの一日もいつしか暮れる。清新の気配も、満ちていた淑気も夕暮れには気息が衰え、淡々とした常の日の様相が忍び寄る。

 元日や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介

この句は元日に誰もが身に纏う清新や淑気が実は長くは続かず、儚くも移ろうものであることを「手を洗ひをる夕ごころ」という絶妙の表現で示している。意味は重要ではない。しかし切に響いてくる。ことばが直接“からだ”に働きかけてくるからだ。

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俳句とからだ 3

連載俳句と“からだ” ③


愛知 三島広志


時は貫く

 去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子

 十二月。一年最後の月だ。一年とは地球が太陽の周りを一回転した時間を基準に作られた人為的な約束事に過ぎない。約束事は社会生活を送るための統一された基準としてその必要は認めよう。だが、それに振り回されるのは滑稽だ。しかるに人は毎年、師走になると忙しさを吐露する。自分たちで作った約束事が逆に人を不愉快にするのだ。とりわけ時と金とはたびたび反乱を起こし、われわれを苦しめる。

時は刻む

 今、この時も刻々と卓上の時計が時を刻んでいる。その音を聞いていると、時はこうして細切れにされ、その集積が時間であると勘違いしてしまう。あたかもモノのように。虚子の句はまさにそうした即物的な時の移ろいを棒という比喩を用いて冷徹かつ圧倒的な存在感をもって表現している。

 けれども誰もが知っているように、実感される時間は時計の刻みとは必ずしも一致しない。楽しい時は瞬時に去り、辛い時は意地悪く停滞する。音楽だって単純にメトロノームで刻まれては身体に響いてこない。音楽という時間芸術は演奏家の体内を通過し、その息遣いで生命を吹き込まれる。そこに身体としての時間がある。

体内時計

体内時計とは生来体内に組み込まれた時間のリズムである。これが時計の無い昔からわたしたちの睡眠・食事・運動などの生活リズムを調整してきた。卑近に言えば腹時計のことだ。研究によると人間が本来持っている1日の単位は25時間だそうだ。それが朝起きて太陽の光を感じることで1時間早め、1日24時間の周期に合わせている。なぜ25時間なのかは知らないが、いずれにしても体内時計と生活時計に齟齬があるところに時間の厄介さがあるように思える。

時は逝く

 船のやうに年逝く人をこぼしつつ  矢島渚男

時は時刻として刻まれると同時に、滔々たる川のように流れとしても実感される。虚子の句は時の流れを一本の棒と喩えたが、渚男は船の運航として捉えた。しかも時の流れは悠然と人をこぼして行く。これまた虚子の句と同様冷徹ではないか。それは両者ともに時間というものの性質を言い当てているからだ。

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俳句とからだ 2

連載俳句と“からだ” ②


愛知 三島広志


五臓六腑に染渡る

白鳥のかなしさや海底に棲む魚の孤独を恋うた歌人若山牧水(1885~1928)は、酒に生き、酒に殉じた流離の人でもあった。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」という吟味すべき歌を醸し出している。
酒のうまさは味覚だけではない。無論、咽越しという一過性の刺激だけでもない。酒は「五臓六腑」で味わうものだ。「五臓六腑」は漢方用語で内臓のこと。五臓とは肝・心・脾・肺・腎の五つであり、腑は胆・小腸・胃・大腸・膀胱に三焦を加えたものである。三焦以外はそのまま蘭学者によって西洋伝来の解剖学に転用されたが、東西医療でそれぞれの意味は全く異なる。即ち漢方の肝と医学の肝臓は別物と理解しなければならない。

歴史が長いせいであろう、漢方用語は日常に浸透し今でも「肝胆合い照らす」とか「肝腎(肝心)要」などと使用される。最も多用されている用語は「元気」であり「精」だろう。「元気ですか」「ご精がでますね」「精一杯がんばります」などと用いられるあれである。

気とは

そもそも漢方は気の身体観だ。気とは見えないが某かの勢いがあるものを指す。気の現象が身体と考えてもよい。身体は鼻を通じて天の気を取り込む。呼吸だ。また、口で食物(大地の化身)を命の元とする。これは摂食・消化作用。つまり、身体は生命を維持するために環境である空や地の気を取り込むのだ。これらを後天の気と呼ぶ。それに先立って親からもらった先天の気がある。その気のことを「元気」と呼ぶ。そして身体は天地の気と元気を混ぜて「精」という生命の基本物質を作る。「ご精が出ますね」の「精」とはそういうことだ。

酒の精

「精」は物質の本質だ。酒の本質を酒精という。牧水は生きるために天地の気と元気に加えて酒の精も取り込んでいたのだろう。だが酒精は残念ながら猛毒である。だから傷口の消毒に用いる。

果たして酒精は牧水の根源から湧出してくる苦しみやさびしさ、辛さや痛さをその毒でもって退治してくれたのだろうか。苦酒とか自棄酒など呑んだことがない筆者に牧水のかなしさが本当に見えているのか心もとない。

秋の闇酒席は女らにさみし 金田咲子

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俳句とからだ 1

俳句と“からだ” ①

からだって何だ? さらば、デカルト主義

愛知 三島広志

からだって何だ?

 “からだ”は漢字で書くと体であり身体、肉体、體、軆、躰、躯である。大和言葉ではみ(身)とかししむら(肉叢)だ。漢字はいずれも身か骨が用いられている。身は妊婦の象形で、骨は関節を表す。どちらも身体構造を示すものだ。構造は解剖学だが、身体学には機能を研究する生理学もある。さらに心を探求する心理学や思考・認識の筋道の深奥を模索する哲学。これらの総体が身体である・・・・とここでは断定する。

 上記は身体の内側に存在するものである。しかし身体は身体だけでは存在し得ない。身体を包む環境が必要である。そもそも身体は環境の一部を身中に取り込んで成立している。つまり外部環境である「空」と「陸」と「海」を体内に梱包することで内部環境である身体を形成し生命を維持しているのだ。

 からだは「空(から)だ」という人がいる。これは卓見だ。口から肛門までは一本の管であり空っぽである。口から陸の産物、つまり食べ物を取り込んで腸で吸収する。腸こそは体内の「陸」であり大地なのだ。同様に肺と鼻の穴も管でありそこは呼吸という作用を通して「空」と一体化している。また、生命の生まれた母なる海。生物は海を血液として内包し、はじめて陸に上ることができた。血は内在する「海」なのだ。このように「陸海空」を揃えることで身体は命脈を保っている。そんな総てを称して“からだ”と呼びたい。

さらば、デカルト

肉体はまさに生々しい肉から形成された物体だ。対して躯(軀)体はより構造的な意味合いを感じる。肉体より骨格的だ。では身体はどうだろう。身は「み」と読む。そして身体には肉体のような生々しさを感じない。むしろ「身につく」、「身に沁みる」という言葉から察せられるように身と心が未分の状態ではないかと思われる。つまり身の字だけで、心身を示す。もとより昔の人は心と身の分離、精神と肉体の二分は行わなかったのだ(禪には心身一如という認識があるが)。そもそもデカルト(フランスの哲学者、1596~1650)が「われ思う、ゆえにわれあり」などと難しいことを考えて、精神と物体とが独立する実体であるという二元論を振りかざすまでは人々の心身は調和がとれて幸福だったのだと信じたい。

そろそろ俳句にも触れなければならない。今は秋。爽やかな風が肺を出入りする。風は鼻や肺を通じて身体の内外を往来する大いなる空だ。何しろ風は地表の温度差と自転による大循環から生じる地球の息吹なのだ。地球の息を身体一杯呼吸しつつ、デカルトなんぞはここではっきり無視しよう。

しんしんと肺碧きまで海のたび 篠原鳳作

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2011年9月 8日 (木)

宮沢賢治とおきなぐさ

宮沢賢治とおきなぐさ

 

三島広志

 うずのしゅげを知っていますか。

 うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと呼ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやささいい若い花をあらわさないようにおもいます。

 

 こんな書き出しで始まる宮沢賢治の「おきなぐさ」という童話があります。

八月号の佐藤潤四郎氏の「植物誌」を読んでふと思い出しました。

 賢治はおきなぐさを 

 まっ赤なアネモネの花の従兄、きみかげさう(スズラン・・筆者)やかたくりの花のともだち 

と述べています。アネモネはおきなぐさと同じキンポウゲ科ですので従兄としたのでしょう。

 おきなぐさは暗紫色の花で、年を経ると、まっ白いタンポポの種のようになるので、その姿が白髪の翁に似ているのです。

 うずのしゅげというのは岩手県の方の呼び方で、「おじいさんのひげ」という意味だそうです。

 

 おきなぐさの種は、まっ白になると風に乗ってどこか旅立ちます。賢治の世界をもう一度訪れてみましょう。ひばりと種の対話です。

 

 「どうです。飛んでいくのはいやですか」

 「なんともありません。僕たちの仕事はもう済んだんです」

 「こわかありませんか」

 「いいえ、飛んだってどこへ行ったって野はらはお日さんのひかりでいっぱいですよ。僕たちはばらばらになろうたって、お日さんちゃんと見てらっしゃるんですよ」

 

 おきなぐさのこの諦観はみごとです。このあとにおきなぐさの種は飛び散り、その魂は天に昇って星になったのです。自然を深く愛した賢治は、ちっぽけな種にも同じ慈愛をもって交流します。

 

 数年前、私が東北を旅し、賢治の世界を訪問した時の印象は、さわやかですきとおった冷たい風とゆうゆうと雲を浮かべた大空とどこまでも続く一本道でした。

 

 賢治の実弟清六氏にお会いした時、賢治はどういう人かと質問したら
「兄は、嬉しい時は笑い、腹が立ったら怒る普通の人でした」
とおっしゃいました。

 

 しかし、私は思います。賢治はおきなぐさのような人ではなかったかと。風が吹けばいつでもゆうゆうと飛んでいける人ではなかったかと。

 

 皆さんも一度ぜひ、宮沢賢治の世界を旅してみませんか。

 熊や星や山男や狼が、あるがままに、素直に、友達として接してくれることでしょう。

 日頃の捩曲がった卑屈な精神や、怒りと憎しみと欲でパンクしそうな心が、きっとすっきりすることでしょう。さわやかにせいせいして生きるとはこういうことかと実感できるでしょう。

 

 賢治のドリームランド=イーハトーヴは本を開けばすぐそこです。

 なお、佐藤氏が、おきなぐさの学名Cernuaの点頭の意味がわからないと書かれていますが、それは「まえかがみの」「うつむきかげんの」意で、pulsatillaは「小さな鐘」の意だからおきなぐさの姿勢が前かがみの小さな鐘に似ているという発想だそうです。

 

※参考「宮沢賢治と植物の世界」(築地書館)

 

(初出:柏樹社「まみず」)

 

 

 

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宮沢賢治は何故舞ったか

宮沢賢治は何故舞ったか

 三島広志


 宮沢賢治の聖人君子像は広く世間に喧伝されているが、その奇人ぶりは余り知られていない。しかし、農学校の生徒達や同僚達の聞き書き等から推察すると世の天才と同様、かなりの奇行の持ち主であったことは確かである。

 もし私が生前の賢治と知り合っていたなら、彼の本質を見抜くことができないまま、その奇行に眉をひそめて絶縁したであろう。多分に脚色された聖人君子的賢治像であったからこそ賢治に魅力を感じたのかもしれない。

 

 ところが、今回私が問題にしたいのは、賢治の奇行である。そしてその内でも自然との交流という形で表された奇行である。農学校の教師時代、教室に窓から出入りしたとか、土足で廊下を歩いた、あるいは女性に好意を持たれたとき、顔に炭を塗って嫌われようとしたなどというのはここでは取り上げない。

 

 農学校の同僚、故白藤慈秀氏の著書「こぼれ話宮沢賢治」に月夜の麦畑での賢治の奇行が書かれている。

 

 ・・・麦の穂はよく実って、そよ吹く風に手招きするかのように柔らかにゆれている。

 皓々たる月は大空にかかっている。

 この風景を見た宮沢さんは、何を思い出したのか、突然両手を高くあげ、脱兎の勢いで麦畑の中に入っていった。手を左右にふり、手を高くまた低く、向こうに行ったと思うと、すぐ引き返してきた。こうしたことを数回くり返してもとの場所に戻って路上の草の上に腰をおろし、大きなため息をしていた。

私は奇異に思い「いま何をしたのですか」と聞きただすと、宮沢さんは平気で、「銀の波を泳いで来ました」といった。・・・

 

 また、同書に次の話も書かれている。

 

 

その晩は樹にも石にも黒い影をおとしているほど月の光は皓々としてかがやいていた。宮沢さんは、レコードの音律と月の光に誘われて全身躍動し、大空にむかって両手をはばたき躍動し、狂踊、乱舞、ただ踊り四肢高く舞うなど、寄宿舎の生徒がこの状を見て全く不思議であったと私に話してくれた。

 後日、宮沢さんに、宿直の晩のできごとについて糺すと、あれはあまりに月がよかったので、その光に誘われ無茶苦茶におどったのです。それは踊りの練習でもなく、ただ詩を作るときはどうしても身体にリズムの感覚が必要なので、身体にその訓練をつけるためであった

 

と語ったとある。

 

 賢治は自然の中にいて風や月や木霊などと共感する精神の持ち主だったので、自然に誘発されて舞い叫び出したのだろう。そして、次には内なる自然が目覚め、身体を激しく動かし、それは賢治の意識ではなく無意識の力で全身の筋肉が躍動したに違いない。そういった無意識的な運動を賢治自らが経験していることは、中学時代、父に宛てた手紙に書き残している。

 

 明治45年11月3日、賢治16歳の時、父政治郎に出した手紙に、佐々木電眼と称する人物から正坐法の指導を受けるとあり(校本宮沢賢治全集第13巻12ページ 筑摩書房)、翌日の葉書には「本日電眼氏の下に正坐仕り候ところ40分にして全身の筋肉の自動的活動を来し・・・」とある
(同書13ページ)。

 

 賢治はその後、冬休みに同人物を自宅に呼び、家族が正坐法を試みている。妹トシは自動的活動が発現したが、父政治郎は笑っているだけでなんら効果はなかったと弟清六氏が記憶しているそうである(校本14巻452ページ)。

 

 ところが、この正坐法による自動的活動は今日でも色々流派が存在し、それぞれ信望者を集めている。故野口晴哉氏はこの運動を活元運動と名付け、無意識的な錐体外路系の運動と説明し、そのグループ「整体協会」には同氏亡き後も多くの病める人や芸術家や知識人が集まって盛んに活動している。 健康法としての人気もさることながら、その運動を行うと芸術的勘や学問的直感力が増すからである。

 

 坪井香譲氏のグループ「メビウス気流法の会」でも、独特の運動瞑想法があり、古来からの集団的解放(祭り)を現代に掘り起こし、整体協会と同様の理由で芸術家や武道家、東洋的治療に携わる人々が集まって来ている。

 

 賢治の行った正坐法はおそらく活元運動と同じで、全身をリラックスさせポカーンと正坐をしていると身体が勝手にユラユラと動いてくるものであろう。動きは人によって全く異なり、同じ人でも身体の状態で全く違った動きが出てくる。

 ひとしきり身体の動きに任せていると全身の歪みが矯正され、身体の感覚が甦り、滑らかな身体の動きと新鮮な感性が得られるのである。だからこそ、芸術家が多く集まっているのだ。しかしその動きを始めて見ると何かに憑かれているようでとても気味が悪い。

 理性の勝ちすぎる人はなかなかこの自然な動きが出てこない。導き方にもよるが、賢治が40分で自動運動を得たと言うのはかなり早いほうである。

 

 賢治のこの佐々木電眼の指導による正坐法の体験が、先に引用した月夜の乱舞、狂舞にどこかで係わっているような気がしてならない。しか

も賢治は白藤氏に対して、あの踊りは詩作のリズム感覚を身体につける訓練だと言っている。これは今日の芸術家達が同種の運動を行うことと軌を一にしているではないか。

 

 

 そもそも人は何故舞うのだろうか。

 形式化した舞踏ではなく、賢治の乱舞のように人が内面から揺すられ弾まされる舞いには、単に楽しむだけではなく自然への接近もしくは同化の願望が込められているという。

 多くの原始的な宗教には舞いが不可欠であるし、天照大神(アマテラスオオミカミ)が天の岩戸に隠れたとき、神々は光を求めて天鈿女命(アメノウズメノミコト)に舞いを舞わせた有名な神話もある。

 

 人は舞うとき、日常を離れて非日常の世界に漂う。日常の中で形式化、形骸化した心身を何かの機会に日常の枠を破って内なるエネルギーを爆発させるのだ。

 群衆の乱舞はそれ自体が大きなエネルギー体となって集団を包み、自然と深く呼応する。ついには宇宙との一体感に浸り出す、すなわち神の世界と同化するのである。

 そういったハレの日(春、秋の祭りなど、あるいは秘められた行事)を我々はついこの前までもっていた。有名な江戸時代の「えじゃないか」や、熱狂的な一揆になだれ込んだりもした。為政者はそのエネルギーを恐れ、ガス抜きの場を設けた。岐阜の郡上踊りや四国の阿波踊りはその名残である。

 

 今日でも多くの宗教ではこれに近いハレの場を秘密裏にあるいは公然と持ち、信者に至福感と同時に束縛感を植え付けている。それを企業化した「人格改造」会社も近年乱立している。

 

 

 賢治のような型破りな個性が社会という鋳型の中で生存することは非常に困難であったろう。社会から見て賢治や山頭火のような自らが自らの個性を持て余すような天才は受け入れ難い。彼らが自ら崩壊に至らないためには芸術に拠るしか方法はないであろう。

 

 しかも賢治は己の生き方を宗教的善意と天性の他人に対する優しさで厳しく律した。恵まれた出生をさえも社会的犯罪者として罪の意識で自責することもあった。さらに山頭火のように酒や女で紛らわすことは決してなかったのである(山頭火はその愛すべき堕落性が逆に彼の魅力となっている)。

 

 そんな賢治の内向するエネルギーが突如として外に向かったとき「ホーホー」という奇声や奇妙な舞踊が生まれたのではないだろうか。そのきっかけを与えたのが月の光であり、実った麦の銀の波であったのだ。

 

 手足を自由に、身体の命ずるままに動かして奇声をあげるとき、その動きは岩手に伝わる鬼剣舞(おにけんばい)の手つきに似てくる。わたし自身が自動的活動を試みた経験ではそうなる。その動きはゆっくりなら盆踊りの手つき、腰を落とせばどじょう掬いにも似ている。バリ島の踊りやトルコの円舞にも共通するところがある。

 そしてその動きは一見何かに憑かれて支配されているトランス状態のようで、実は反対に理性や感性はより一層研ぎ澄まされているのである。

 

 

これらの自然との原初的交流に対して精神分析の立場から福島章氏は、

 

  女性を愛することよりも「自然」を愛し、風や雨雲と「結婚」することを考え、台地を「恋し」、青い山河を自分と<同一視>したのは、おそらく躁状態にあって自然の生命性に対する感受性が高揚していた時代の賢治であったろう。そのような状態において、彼は自然と合体、融合してなお自分を保つことができたにちがいない。

(「愛の幻想」中公新書)

 

と述べている。

 

 賢治はまさに自然と合体、融合していながらなお感性、理性はより明確に保たれていたに違いない。

 

 賢治が舞うとき、自然も舞い、自然が舞うとき、賢治が舞う。そのエネルギーは賢治の作品に触れた我々一人一人の内に通じ、我々も舞っているのだ。賢治の作品を読むときすでに我々は熊や鹿や山男たちと柏林の中で月光を浴びながら舞っている。

 この大きな自然や人との交流を、賢治は「すべてがわたくしの中のみんなであるように みんなのおのおののなかのすべてですから」と表現したのだろう。

 

 賢治の内から発せられた「ホーホー」という奇声に伝達の意志が加わったとき、詩や童話、短歌や絵に姿を変えたのである。自然に触発され賢治の内なる自然からほとばしりでた舞いこそ賢治文学の原点であるとひとまず考えられる。さらに考察を続けたい。

 

 

 一般に踊りのことを「舞踊」というが、「舞」と「踊」の2字は、本来意味が違うそうである。現在では明解な区別はしていないが、「舞」はスリ足で舞台を回ることで、「踊」はリズムに乗った手足の躍動であると広辞苑に書いてある。

 さらに藤堂漢和大辞典によれば、

 「舞の字の上半分」→人が両手に鳥の羽飾りを持って舞う様

 「舞の字の下半分」→人が左足と右足を開いた様

 「舞」→人が両手に飾りを持って左足と右足を開いて舞う様

とある。

 

 そこから、手足を動かして神の恵みを求める(舞踏)、心を弾ませる(鼓舞)、むやみにデタラメなことをする(舞文・舞幣)などの意味が派生したそうである。

 

 賢治の月夜の狂気とも思える奇行は、自然=神への接近、同化及びどうしようもない内面からの躍動がでたらめな動きや奇声となって現れたもので、まさに原初的、自然発生的ないわばシャーマンの舞の原型ではなかったろうか。

 

 秋の風から聞いた「鹿踊りのはじまり」という童話には、鹿の素朴な行為が人間の側から鹿の世界に同化する形で書かれている。彼の最も有名な作品「風の又三郎」は全編これ風の世界という不可思議な透明感で貫かれている。その他多くの作品でも賢治の常套手段として一陣の「風」が舞台を急展開させたり、道案内したりする。

 

 「風」に代表される天の気象が人間の心身に大きく係わっているのは、生命体の存在そのものが環境と分離・交流という矛盾の中にのみ確立できることを示唆している。

 

 学問的には生態学が生命体と環境の関係を明らかにしつつあり、人は環境と支え合い、影響し合うことで人間存続の道を歩むしかないことが広く知られるようになった。そこから環境破壊に対する反省、未来に対する不安、それ自体が商品価値を生むなどと複雑に入り交じって今日のエコロジーブームを生み、支えている。 

また、経験的にも湿気と神経痛、低気圧と喘息のように気象と病気の関係は昔から「年寄りの痛みは天気予報より正確」だなどとため息交じりの冗談として言い伝えられている。

 

 しかしそうした具体例を出すまでもなく、「もののけ」とか「気」ということばで示すようなメンタルな自然との交流に日本人は特に敏感なようである。

 俳句の季題、季語はその集大成であり、次に上げるような人口に膾炙した短歌も日本人なら誰もが心を動かされるものである。

 

  秋きぬとめにはさやかに見えねども風の音にぞおどれかれぬる  敏行

  わが宿のい小竹群竹ふく風の音のかそけきこの夕かも 家持 

 これら古歌にも自然と人間との交流がみずみずしい感性で歌われている。無気質な都市空間に囲まれて閉塞感に窮している現代人が失いつつある新鮮な感覚であろう。

 

 賢治文学は短歌に始まったが、賢治に内在するイマジネーションは31文字にはとうてい収まり切らなくなって詩や童話に移行した。それは賢治が「めにはさやかに」とか「かそけき」のようなさらっとした日本的情緒を逸脱していたからであり、人間の存在の根源を示すような土着的怨念性と宇宙的透明感という一つの肉体に収めきるには不可能な巨大なエネルギーを持て余していたからだろう。

 賢治はその持て余したエネルギーを舞として昇華することで辛うじて自らを保つことができたに違いない。

 

 では、賢治は自然に触発され詩や童話を書き、それだけでは発散しきれない身を焦がすようなエネルギーを舞や叫びに表現したのだろうか。

 それとも、月や雲や風から透明なエネルギーを得た賢治は、舞い叫ぶことでエネルギーを昇華し、その残滓を作品にすることでかろうじて狂気から脱出、日常性を回復していたのだろうか。

 

 いや、そうではない。舞いこそ全てなのだ。

 鬼剣舞のあの地中から天に向かってドロドロしたものが噴出したような激しいほとばしり、人間の怒りの根源から、自分を押さえるものを打ち破るような動きは「つばきしはぎしりゆききする」一人の修羅を引き付けて止まなかったろう。

 

 また、世界を循環する季節風から透明な安らぎの力が農作業の汗に濡れた賢治の心身を満たし、喜びは溢れ、人々に対してほほ笑まずにはおれなかったろう。

 

 そして、一人の修羅は月夜の麦畑の銀の波の中を舞い出したのだ。もはや他人の眼などどうでもよかった。賢治の全存在を賭けての最高の交響詩、メンタルスケッチ・モディファイドがそこで演じられたに違いない。

 

 残された膨大な量の原稿は、その断面に過ぎないのだ。

 

(初出 盛岡タイムス を少し修正)

 

 

 

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賢者から見者へ    ──栗谷川虹「宮沢賢治 見者(ヴォワイアン)の文学」(洋々社)を読んで──

賢者から見者へ

   ──栗谷川虹「宮沢賢治 見者(ヴォワイアン)の文学」(洋々社)を読んで──

 

三島広志

 一つの時代を代表する賢治論がある。それらは賢治論という体裁をとりながら、実はその時代を反映している。

 国家への忠誠が最善とされた戦前には、賢治を賢者とした谷川徹三説を歪めて戦争に利用した過去がある。

 敗戦後、全ての価値観が根底から覆された時、賢治は現実認識の甘さ、国家に利用され易さを批判された。

 国民全体が余裕を得た頃、天沢退二郎は作品に付着する一切の背景を排除し、純粋に作品を読む行為に没頭、賢治の彼方を求めた。

 

 時代によって作品の評価、読み方が変わるなら、栗谷川虹の「宮沢賢治 見者の文学」は、賢治の思想が再評価さあれつつある今日を驚愕させ、かつ将来に問題を残す代表的な書となるだろう。

 

 栗谷川は、今まで誰もが感じながら避けてきた賢治のオカルティックな面を白日にさらした。

 天沢は聖なる賢治像に対し、デモーニッシュな面を強調し、賢治作品にいつも異空間を垣間見ただけで踏み込むことなく引き返して来る傾向があることを発見している。

 ところが栗谷川はいとも簡単に賢治を異空間へ行かせている。否、同居させている。賢治の作品は霊的直感(霊視・霊聴)によって受容したものを単純にスケッチしたに過ぎないと言うのだ。

 

 栗谷川は賢治の心象スケッチの難解性は、表現や用語にあるのではなく、作品に展開されている賢治の体験そのものの難解性にあると指摘する。難解なのは我々の全く感知できない世界を余りにあっさり見せつけられるからだ。 

 

 賢治は、自分には幾つかの意識が存在し、それら「透明な幽霊の複合体(『春と修羅』序)」としての自分を認識していた。現実に重なって種々の異なった次元の世界が同時に、明晰に感知出来たようだ。

 賢治は見える苦労を乗り越え、作品を通してそれらの世界を皆に知らせようと決意した。栗谷川は書簡や作品を分析してそこまで至る過程を再現している。

それによって「春と修羅」の序詩の<記録されたこれらのけしきは/記録されたそのとほりのけしきで>という賢治の発言を、今日まで多くの評者は看過したか、敢て避けたか、信用していなかったことが暴露される。

 

 賢治は自分だけに認識される非現実の世界(地獄、極楽なども)を強烈な理性で己を失うことなく見続け、ついに、それらを人々に伝えることによって皆と一緒に無上道へ行こうと決意した。自らを求道者と位置付けて、見え過ぎる苦悩を超克したのだ。だからこそ、狂気にも自殺にも至らずに済んだのだろう。

 

 

 また、栗谷川は賢治とランボオを対比してみせる。冒頭に

 

「俺は架空のオペラとなった──ランボオ」

「わたしは気圏オペラの役者です──宮沢賢治」

 

を並列して読者を驚かす。そして、「人間の意識の深奥は、(中略)神秘的な、混沌たる暗雲の中に消え去るのではなく、その暗雲を突き抜けた虚空で、もう一つの明晰な世界を持っているのではなかろうか。ランボオと賢治は、そこまで昇りつめて、そこで架空の、気圏のオペラを演じた(後略)」と両者の共通性を認める。

 

 さらに、賢治は文学史を素通りしただけだが(惜しくも中原中也と擦れ違う)、ランボオは奇跡的にマラルメと出会う幸運を得たとする。

 ならば、宮沢賢治は没後五十年にしてようやく、栗谷川虹という気圏オペラの観客と出会うことができたと言っても過言ではあるまい。 

 

 

(初出 俳句結社誌「槙」:主宰平井照敏)

 

 

 

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出会いの一句

出会いの一句

 
三島広志


 人に強烈な出会いがあるように、俳句との出会いもまた大いなる影響を与えてくれるものである。以下にはそのことを述べてある。

 

 高浜虚子の客観写生に不満を抱いた水原秋桜子は、自らの主宰誌「馬酔木」(昭和六年十月号)に「自然の真と文芸上の真」の発表をもって「ホトトギス」から離別したといわれる。

 虚子は弟子たちに主観性の強い句の創作を禁じておきながら、自分自身は主情の強い俳句を発表していたのが秋桜子には納得できなかったのである。その間、高野素十との人間関係など複雑に込み入った事情もあったようである。

 

 平井照敏氏はこの秋桜子の「虚子・ホトトギス」離脱を現代俳句史上最も大きな出来事の一つとしている。なぜなら後の新興俳句、前衛俳句などの潮流はそれに先立つ秋桜子の勇気ある反虚子の行動があってこそ起こり得たというのである。

 

 そのころ俳句を制圧していたと言っても過言ではなかった大虚子に反旗を翻しなおかつ「馬酔木」を成功させることができたのは秋桜子ほどの力量・人望あってこそ可能であったであろう。でなければ単発の花火として消滅したにちがいない。

 これは当時、虚子という存在がいかに巨大であったか、その強大な権威にアンチの声を挙げることがどれほど大変であったかを物る逸話である。

 

 また秋桜子が試みたような揺さぶりが大なり小なり繰り返されることが俳句の命脈を保つ内なる生命力を高めることになるのであろうことも確かなことである。

 

 といった歴史の話は枕であって、主題はわたしの出会いの衝撃が大きかった俳句についてである。その一句とは

 

  高嶺星蚕飼の村は寝しづまり   秋桜子

 

である。

 

 この句に関して秋桜子は句集「葛飾」の序に、おおよそ次のようなことをことを書いている。

 

 作者のとるべき態度に大別して二種類あり、

 

 「その一は自己の心を無にして自然に忠実ならんとする態度、その二は自然を貴びつつもなお自己の心に愛着をもつ態度である。第二の態度を持して進むものは、先づ自然を忠実に観察する。而して句の表には自然のみを描きつつ、尚ほ心をその裏に移し出さんとする。」

 

と。

 

 さらに続けて、句作をはじめた大正八年から同十三年までは第一の態度で心を無にして客観写生を行い、同十四年春頃第二の態度での創作が意識され、同年五月、掲出の一句によって第二の態度がはっきりと自覚されたと書いている。いわば主観写生、文芸上の真の目覚めであろう。

 秋桜子自身にとってもまた偉大なる出会いの一句であったわけだ。

 

 無論、わたしはこれら諸々のことは何も知る由もなく、何かのおりに掲出句に出会い大きな感動を得て、一時中断していた俳句の創作を再開したのである。

 

 

 高嶺星は秋桜子の造語であり、高嶺のそら高く燦然と輝いている星のことであるが、意外なことにこの句は大垂水峠で昼間に作られた空想句であるとのこと。

 「寝しづまり」に作者の主観がたっぷりと込められており、明るい昼間の空に星を想像することこそ芸術における創造、いわゆる「文芸上の真」の発見ということになるのであろう。

 今日考えれば実に当たり前のことであるが、その当たり前に到達する道筋はけっして当たり前ではなかったのである。

 

 わたしと俳句の出会いは多くの人と同様、小学校の教科書である。確か
 

  春の海ひねもすのたりのたりかな

  山路来てなにやらゆかしすみれ草

 

などの句であったと記憶する。

 

 高校三年の校内模試で、山頭火の自由律俳句が出題され試験を忘れて感動した。

 

  しぐるるや死なないでゐる

  うしろ姿のしぐれていくか

 

 これらの自由律は当時の心を激しく揺さぶった。人並みに悩み多き少年期にあった身としてこれら自嘲的な独白はまさに身に染むものであった。

 

 大学に入てから自覚をもって俳句をやろうと決心して書店で山本健吉著「現代俳句」文庫本を入手し、気に入った作が一番多かった原石鼎の系統にある「鹿火屋」に入会した。

 いきなり自由律では足腰が鍛えられないだろうと思い、まずは有季定型の勉強をしようと考えたのである。

 しかし根っからの飽きやすい性格ゆえと、多忙を口実にあまり熱心に続けることなく自然に俳句から離れ、卒業後は鍼や指圧などの東洋物理療法の専門学校に進みそちらに熱中した。大学在学中父親の死去にともなう生活苦もあった。

結社に払う会費も捻出できなかったのである。

 当時「鹿火屋」の主宰は故原コウ子先生だった。先生はこちらの事情を察して当方から丁重にお断りするまで無料で本を送り続けてくださった。この厚情には今も感謝している。

 

 俳句を中断している間に結婚し、子を二人得て家庭的にも落ち着いた頃、いつの間にか年は三十才を目前にしていた。仕事も何とか安定してほっとしたら、加齢に対する漠然とした焦りを感じていた。

 そんな頃に出会ったのが高嶺星の句である。

 以前にはこの句から読み取ることのできなかった俳句の深さ、新鮮さを発見して句作を再開したのだ。

 

 高名な高嶺星の句には以前から出会っていたはずだ。しかし当時は句を味わう器量に欠けた。中断している間のさまざまな経験がわたしの器量を多少大きくして、鑑賞眼を成長させていたのだろうか。あるいは以前の俳句体験が知らず知らずのうちに体内で発酵していたのかもしれない。

 

 句作中断前、秋桜子の俳句では

 

  滝おちて群青世界とどろけり

 

が一番好きであった。色彩感と臨場感には素晴らしいものがある。だが人生の味わいという点では

 

  高嶺星蚕飼の村は寝しづまり

 

の方であろう。生活や労働、休息が一種の祈りにまで高められているようだ。

高嶺の星に託された生命の賛歌、自然の中に生きる人々の息遣いが聞こえてくる。

 

 打ち明けるなら、実はこの句の景観は我が胸中に深く浸透している。

 妻の実家が長野県南佐久にあるが、そこは今も蚕を飼う村なのだ。

 

 夜、星を見るために外へ出ると、すっかり寝静まった村の彼方に黒い八ケ岳の稜線がくっきりと闇に浮かび、手を伸ばせば採れそうな星が全天に輝いている。

 寝静まった村から蚕が桑の葉を食う音が聞こえてくるような静寂の中にたたずむと美の極みは畏れではないかとさえ思えてくる。

 

 そこに立てば日常を超えた世界の存在の底深くにいる自分が自覚できる。

 家々からの寝息が空に溶け込んでいく。

 そのうち自分の身体が大地につき刺さった一本の杭のように感じられ宇宙との一体感とはかくやと確信する。

 そこでは秋桜子とも時空を共有することができる。

 

 出会いの一句とはこれほど偉大なものとして胸中に存在し続けるのだ。

 

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游氣塾 身体調整セミナー試案

游氣塾 身体調整セミナー試案

 

游氣塾 主宰 三島広志


《 アウトライン》

A,環境と身体と皮膚 

B,生命と經絡 

C,經絡と情報の収集・整理・表現

D,經絡と発生学

E,皮膚と手当て

F,深奥と表層

G,氣

H,氣と言葉、氣とイマジネーション、氣の手当て(エクササイズ)

I,身体の使い方と意識化

  

《内容》 

A,環境と身体と皮膚

 環境はいのちを育むあらゆる条件を備えた場である。

 身体は皮膚によって区切られているが、区切った皮膚の中は環境にほかならない。

     皮膚の外 外部環境 陸      空      海

     皮膚の中 内部環境 腸(消化器) 肺(呼吸器) 血液(循環器)

 

 いのちは環境と交流することで初めて存在可能となる。

 

 外部環境 大宇宙・外的自然

      空間的・時間的変化 流れ リズム

 内部環境 小宇宙・内的自然

      生きるとは外部環境に調和し、委ね、任せ、待つこと。

 我    不調和、不自然、リズム(間)に乗らない(間抜け)

      我→手+戈(ほこ) 手に戈を持って我が身を守る。

 

B,生命と經絡

 

生命・・生命は個体保存と種族保存を行う。

 

 <生命の基本的な働き>

 

 情報の収集(吸息・食物・外敵不審者・交配相手・環境の変化を認知)

 情報の整理(内呼吸・消化・選択・交配相手選別・環境の変化を判断)

 情報の表現(呼息・吸収・逃避闘争・交配行為・環境への働きかけ・行動)

 

 いのちは本来アメーバのように“混沌たる単純”で環境としての海をそのまま膜でくるんでいた。しかし進化の過程で身体は活動しやすいように様々な器官を発達させ、より環境への適応を目指した。

 ところが身体が秩序ある器官の集合体であるためには、生命統括機構が必要であり、それは複雑化するほど重要になる。

 

 アメーバはあらゆる情報を原形質流動というコロイドのゾル-ゲル転換で行っている。

 ヒトのような多細胞生物においても1つの細胞内はアメーバと同様である。

 多くの細胞を貫く生命統制機構として原形質流動様の働きをするものとして經絡が仮定され、科学的に証明される事なく経験的に臨床応用されている。

 

 經絡は原初的生命活動を12にパターン化。

 經絡は発生学から見たほうが理解しやすい。

 

經絡

 生命の基礎的な動き、働き。生命の流動性を示す概念。

 全生命体普遍の機能。

 生命エネルギーが循環するルートで、肉体と精神を総括する生命統制機構。

 原初的生命活動を12にパターン化。

 身体調整のシステムとして応用する。

 

 

肺・大腸

 呼吸 魄 天の氣導入 無形のものを取り込む(雰囲気・精神的財産・人当

 たり・無形の影響力) 悲しみ

 

脾・胃

 食事 意 地の氣・水穀の氣導入 摂食行為 ものを取り込む(財産・知識・人脈・物質欲) 思い

 

心・小腸

 知覚 神 氣の統括 中心 感覚 知覚 取り込んだ種種の情報を整理・処理し同化する 喜び

 

腎・膀胱

 元気 志 生命素“精”を作る 先天的・親からもらった元気の座 丹田 生殖 驚き 恐れ

 

心包・三焦

 防衛 神 氣・血循環 環境から内部を守ると同時に環境と適応しようとする 喜び

 

肝・胆

 動作 魂 決断 実行 活動 迷い 攻撃 怒り

 

C,經絡と情報の収集・整理・表現

 

収集   肺・脾  捕食 呼吸(取り入れる) 知覚 交配相手発見

 

整理   心・心包  消化 呼吸(O・・CO・選別) 選択 判断 交配相手選別

 

表現   肝・腎  吸収 呼吸(吐き出す・活用する) 行動 排泄 交配  実施

 

 

D,經絡と発生学

 

<胚葉>

    經絡指圧の増永静人による分類

 外胚葉(外皮・伝導)  肺・大腸  心包・三焦

ヒフ・神経・脳

 

 中胚葉(支持・運動)  肝・胆  腎・膀胱(増永案では腎・膀胱の代わりに骨格・筋肉・血液 脾・胃が入る)  

 

 内胚葉(内臓器官)   心・小腸  脾・胃(増永では脾・胃の代わりに内臓諸器官 腎・膀胱が入る)

 

 經絡は未発達の生命体をモデルにしたほうが理解しやすい。そのために発生初期の胚葉 を經絡に置き換えてみる。この試みは細かな相違点は多く見られるものの日本でも中国でも行われている。

 

 増永静人の分類には大いに啓発される。しかし一部に疑問がある。確かめようにも本人が世を去っているので、ここには私案と増永の原案の両方を載せた。

これをもって増永静人を否定するものではない。

 

  腎・膀胱は支持器官の骨に関係があるとされており、しかも生命活動源の“精”を作り、また親からの“先天の元気”の宿るところであるから中胚葉に置いた。

 

 脾・胃は地の氣・水穀の氣を取り込み、エネルギーに変えるところであり、内臓の中心的存在であるから内胚葉に加える。

 

 

胚葉と經絡・姿勢との関係

(by増永静人、一部三島改変)

 

外胚葉(皮膚・脳神経系)

呼吸系

 交換・排出<外気導入・欠伸・深呼吸の姿勢>

   肺        相傅(ソウフ:総理大臣)の官、治節出ず

  大腸        伝導(官房長官)の官、変化出ず

 

循環系

 循環・保護<表裏営衛・寒さから身を守る姿勢>

  心包        臣使(家来)の官、喜楽出ず

  三焦        決涜(ケットク:溝を開いて水を流す)の官、水道出ず

 

中胚葉(筋肉・骨格・血液)

運動系

 貯蔵・配分<右顧左眄・右か左か迷う、決断がつかない姿勢・動作>   

   肝        将軍の官、謀慮出ず

   胆        中正の官、決断出ず

 

ホルモン・自律神経系

 精気・清浄<発進態勢・準備完了の姿勢>

   腎        作強の官、伎巧(優れた技)

  膀胱        州都(地方長官で末端の需給調節)の官、津液出ず

 

内胚葉(内臓諸器官)

こころ・感覚系 

 転換・統制<沈思黙考・座禅の姿勢>

   心        君主(全体を見て外の刺激、変化に機敏に反応)の官、神明(全てを見通す全能の力)出ず

  小腸        受盛(エネルギーを受け、盛んに身体に取り入れる)の官、化物(ケブツ・ものを変化する)出ず

消化系

 摂食・消化<獣が餌を抱きかかえる姿勢・食物獲得>

   脾        倉稟(ソーリン・米蔵)の官、五味出ず

   胃                同  上    

 

[補]

『臓腑名の由来』

肺・・双葉がパッと開くように動く

腸・・長いはらわた

焦・・焼く、熱エネルギーを生じる

肝・・干=幹、中心

胆・・日が地平線に沈む、ずっしり落ち着かせる

脾・・薄く平らなもの

胃・・食べ物が袋にたまっている

心・・心臓の象形、心身の相関を実感しやすい内臓

腎・・がっちり堅い、全身をがっちり堅くする

膀・・旁は張って膨れた様子

胱・・光は広と同じで、広がりを示す、袋の意

 

E,皮膚と手当

 皮膚

 区切り(情報遮断・防衛・異化・交感)と交流(情報入力・同化・排泄・副交感) 

 <生体膜> 環境と個体を区切る。

       環境と個体を交流する。

 <感覚器> 外部からの刺激を受け止め、表層(後述)に伝える。

       ストレートに深奥(後述)に届くこともある(心に響く)。

       内部の刺激も同時に受け止めているが認識しにくい。

       物を持った時、物の重さを感じると同時に、筋肉感覚(身体感覚)も感じている(内観)。

       

手当て

 古来より医療のことを“手当て”という行為が象徴し、その呼称にもなってきた。

環境の変化に身体の恒常性がうまく保たれなかったり、怪我をした時などのような肉体 的精神的苦痛に対し、手を当てるという行為で苦しみに共感し、治療しようとした。

 

 皮膚は[交流]と[区切り]という相反した働きをしている。

 しかし、生命は個体保存という本質的に防衛重視なので、区切りに比重が傾きやすい。

 [区切り]は、自律神経の交感神経、[交流]は副交感神経が主として司る。

 

 交感神経支配の強い皮膚に対し、副交感神経優位にした術者の手を当てることで、皮膚を副交感神経的リラクセーションに導き、生命力の喚起を待つ。

 

 「手当て」とは弱いところをかばい補うこと。

 ボーナスも家計を補う意味で夏期手当て、歳末手当てと呼ぶ。

 医療の原点を「手当て」(弱いところをかばい、エネルギーを補う)と言い、看病のことを「介抱」と言う。

 これらは触れ合うことが医療の根底にあることを示している。そもそも基本的な人間関係を「触れ合い」と呼ぶのはその名残りである。

 

 皮膚は防衛のため常に交感神経優位の緊張状態。そこに優しく暖かい手による副交感神経優位の「手当て」が良い影響を与え、身体をリラックスさせる。

 これによって身体活動に好ましい状況が生まれる。これが身体調整の根本である。

 

F,深奥と表層

 身体を深奥と表層に単純化してみる。

 

深奥

 無意識的 過去的(未来も?) 生育史 本能的 イメージの海

 生まれて以来の体験・体感した経験や無自覚の記憶、雰囲気、自己の感情等あらゆるものがイメージとしてプールされている。

 母に優しく抱かれた喜び、泣き叫んでも誰も来てくれなかった淋しさ(抱かれた喜びを知る人は手当てで喜びを感じる・・・紙おむつはこの機会を奪う)。

 

 体験を集積した好ましい人の顔付きのイメージ、反対に好ましくない人のイメージから人を第一印象で判断する。

 思わぬ判断・行為をするのは多分に深奥の影響から。

 瞑想などの訓練はこのイメージをプラスに働かせるため。

 

 生物の歴史そのものも遺伝子情報として溜めている。

  爬虫類が怖い・・恐竜の記憶

  朝がだめ・・夜行性動物の記憶

  冬がだめ・・冬眠性動物の記憶

  奇形は多く、爬虫類・魚類・鳥類の形態がそのまま発生してしまうこと。

 

表層

 意識的 現在的 大脳皮質的 孤立的

 意識的に生きていると実感する層。

 外界と深奥の間で揺れる自我。深奥は自己。(宗教的分類)

 自分が自分であると思っている部分。

 常に外界に刺激され、深奥に揺さぶられながら健気に生きて行こうとしている。

 

G,氣

 氣とは森羅万象の奥に潜む実在の力。

 身体に影響する内(生命力)、外(環境)の根源的なエネルギー。

 不可視でも感応し、強力なパワーとして現象。

 理論的に説明不可能な場合に多用する便利用語。

 

[語源からのアプローチ]

 既・・座って食事をする様子 食によって氣が満ちた勢力を表す

 氣・・米と湯気 米によって得た生気から、米の意味が薄れたもの したがって食そのものの実体は食+氣で表す

 云・・雲(自然の氣)、転(動き)、魂(人体に出入りするもの)

 鬼・・キ・ケ→怪 物の怪(もののけ)、気配

 機・・タイミング(機会)、時間的氣

   

H,氣と言葉、氣とイマジネーション、気の手当て(エクササイズ)

 

重心変化  上・下 過去・未来 前・後ろ等の言葉掛けで重心が移動する。

身体変化  雲 鉄 岩等のイマジネーションで身体が変化する。

掌熱感   合掌で行う氣の体感。深い呼吸が大切。

腹熱感   腹への手当てで氣の体感。深い呼吸が大切。

經絡体験  AKの技術から筋肉の反射で經絡を実感。重心変化、身体変化も可能。

氣で触れる 掌熱感の手で人に触れる。人の手による腹熱感を味わう。

經絡実感  經絡の流れを体感する(自分のからだと相手のからだで)。

その他   勁力 伝達 

 

I,身体の使い方と意識化

 身体の各部位を意識化、自覚化することで技の高度化を図る。

 身体の中に垂直軸(腰の意識)と中心(腹の意識・丹田)を育てる。

 垂直軸は常に保ち、中心は身体の内外を問わず自由に移動出来るように訓練

する。

 訓練は日常化しなければ身につかない。

 常に身体は垂直軸と中心を保ちつつ、脱落(脱力ではない)しなければならない。

 

 掌  触れ方(触れられ方)、柔らかく暖かく、働きかけと情報収集

 手首  活かす(豆状骨を起こす)、肘に伝える、肘から伝わる

 肘  締める(豆状骨を起こす) 垂らす(肩の脱落)

 肩  落とす 沈める 沈肩墜肘

 腋  丸く緩める ゆとり

 頭・首・背中  天に伸びる 天からぶら下がる 吊るす

 背骨  腰から立つ

 腰  構える きめる 立てる 動きの意識の中心

 はら  落とす 氣を満たす こころの意識の中心

 胸  くつろぐ 開く 空を仰ぐ

 股関節  ゆったり締める 丸く緩める

 膝  バネのようなゆとりを持たせる

 足首  解放して床のエネルギーを伝える

 足底  床との触れ合い 大地に委ねる エネルギーの入力 力の源泉

 

 動きは動こうとする心が氣を動かし、僊(仙)骨から動き始め足底が床に働きかけることから発生する。その流れを身体が伝導し、掌から相手に働きかける。

 骨盤と手掌は連動する。手掌を立てると腰が決まる。

  背屈・・仙骨前屈(腰が決まる、腹が開く パワーが出やすい)

  掌屈・・仙骨後屈(腰が曲がる、腹が閉じる パワーが出にくい)

 

《游氣法》

   常に深い呼吸を忘れないこと。

触当て

 掌熱感の手で触れ熱を伝える。自分と相手の間に皮膚の感覚は無い。触れる以前にすでに氣で触れることが大切。

浸透

 触れた状態で自分の中の原形質が流れ込むイメージ。

融合

 相手からも原形質が流れ込む。呼吸が合うと深い一体感(生命共感)。

 

 あらゆる技術はすべてここから始まる。

 

揺動

 相手の身体を深奥から揺り動かす。骨格の歪みを調整して行うか、揺りながら骨格の調整をする。

 

切圧

 漢方四診の切脉のように、指圧する。切經。

 

流動

 切圧の状態から、ゆっくり体液を流すように手を移動する。マッサージ的方法。

 

伸展

 ストレッチ。融合の無いストレッチは表面が突っ張るだけ。芯まで伸ばすことが大切。まず自分が十分に伸び、その伸びやかさを相手に伝える。

 

放落

 関節の角度を調節してストンと落とす。操体の瞬間脱力の他力。

 

 ここからさらにモーションパルペーション、モビリゼーション、アジャスト等の技術に発展する。ヨガ、太極拳、スポーツ、武道も同様である。

 

 テーピングでも、自分の身体を同じイメージに保ちながら施すことが肝心である。同じようにテープを張ってもあの先生なら効くが、自分では効かないというのはこの当たりにヒントがある。

 

 

 

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肩凝りと指圧

肩凝りと指圧

三島広志


肩凝り

 

 肩凝りは、肩や首、胸や背中腕の付け根の筋肉が堅くなって動きが悪くなったり重苦しくなって、うっとおしく、はなはだしいときは、手がしびれたり、歯が浮いたり、首が回らなくなったり、頭が痛くなったり、耳鳴りがしたり、
胸が苦しくなったりします。

 

原因

 

 身体的なものと精神的なもの、環境によるものがあります。

 

身体的原因

 

筋肉の疲労

 

  仕事の質や量によって肩が凝ります。

  タイピスト、ピアニスト、理容師、植木屋などのように手を酷使する仕事、長い間カバンを持っていたり、スポーツのやり過ぎでもなります。

 

脊椎の変位

 

  首の骨や背骨に歪みがあります。ひどいときは腕がしびれたり、腕に行く血の流れがわるくなります。整形外科の診察が必要な場合もあります。

 

筋肉の病気

 

  リウマチが主。専門医との協力が必要です。ホルモンのアンバランス女性の更年期に顕著に表れます。

 

内臓から

 

  胃や心臓が悪いと左肩、肝臓が悪いと右肩が凝りやすいと言われています。

 

悪い姿勢

 

  骨盤の上に背骨が、背骨の上に頭がきちんと乗っていると肩凝りにはなりにくいのです。

 

事故

 

  典型的なものは車の事故によるムチウチ症。階段から落ちたり自転車で転んでもなります。

  腹部のうっ血や足の緊張を除く治療が大切。

 

精神的原因

 

  不安や心配などの神経の緊張が長く続くと肩凝りになります。

  自分を守るために鎧(よろい)を着たようになるのです。

  逆に筋肉を緩めると精神的にリラックスできることも知られています。

 

環境

 

  あまりに厳しい仕事や人間関係は身体的、精神的緊張を強います。それらによって肩凝りが生じることも多いのです。

  個人の力ではなんともならない問題ですが、これも筋肉を緩める練習が役にたちます。

 

調整方法

 指圧療法

 

 指圧により以下の効果が期待できます。

 ツボ刺激・・ツボ刺激によるさまざまな効果

 脊椎調整効果・・静かで安全な整体効果

 循環促進・・血液やリンパの循環促進

 心理効果・・触れられることによりリラックス

 呼吸運動・・意識的に呼吸法を取り入れるとさらに精神的なリラックス

 

指圧の三原則

 

技の三原則

 1 垂直圧・・体表もしくはコリに垂直に圧をかける

 2 持続圧・・一定の圧を数秒から数分持続する

 3 支え圧・・安定のために体を支えるように圧をかける。また自分の体が相手に支えられるように圧をかける。

 

心の三原則

 1 集中・・気を集中する

 2 共感・・相手の苦痛に共感する。同情ではない。

 3 三昧・・指圧をする人、受ける人双方が一種の瞑想のような深いリラックスに至る

 

技法

 

 圧法・・一般的なもの。手のひらや指などで体を圧する。

 運動法・・関節を可動域一杯に動かす。

 伸展法・・筋肉や経絡をしずかに伸ばす。

 矯正法・・骨格の歪みに対して瞬間的な圧をかけて可動性を引き出す。

 

注意事項

 

指圧する人

 心身を整え、精神をゆったり統一する。

 ふざけたり、無理強いしない。手指を清潔にし爪を切っておく。

 室温は暖かく。

 

指圧を受ける人

 気を楽にしてすべてをゆだねる。

 前もって排泄をすませておく。

 ゆったりとした肌触りのよい薄手の服で(綿が最適)、アクセサリーは外しておく。

 入浴、食事の前後1時間は避け、指圧後15分位くつろぐ。

 循環を良くし、代謝を高めるために水もしくは白湯をコップ1から2杯飲む。

 

してはいけない場合

 病気、症状によってはその患部

 原則として妊娠初期(4カ月くらいまで、それ以後でも不安定なとき)

 高熱、化膿性疾患、伝染病、

 症状が激しいとき、

 泥酔、体力消耗がはなはだしいとき

 

 

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からだと環境

からだと環境
 

三島広志
 

 まだ地球に“いのち”が生まれてない頃のこと、今からずっとずっとの遥かな大昔。地球には「空」と「陸」と「海」とがありました。

 

 「空」は青々とあくまで透き通り、底の無い静けさをたたえていました。

 「陸」は黒々と横たわりその先にはうるうる高い山が連なっています。

 そして「海」は寄せては返す群青色の波に輝いていました。

 そこにうごめくのは風だけ。空に舞い上がり、陸をびょうびょうと吹き抜け、海鳴りを生んでいます。

 原初の地球は生き物の息吹の無いがらんとした静けさに覆われていたことでしょう。

 

 ある時、どうしたはずみか、海の中にいのちの仄めき(ほのめき)が漂い始めました。それは細胞膜という袋の中に「空」と「陸」と「海」の素晴らしいエッセンスを封じ込めた“いのち”ある“からだ”です。

 

 つまり、“からだ”とは「空」の爽やかさと「陸」の暖かさと「海」の優しさを細胞膜や皮膚と呼ばれる袋の中に詰め込んだものです。

 そしてその“からだ”を“いのち”として育むために、「空」からはすがすがしい早朝の林のような透明なエネルギー、「陸」からは取り立てのパセリのような生き生きしたエネルギー、「海」からはきらめく塩の結晶のようなエネ
ルギーを絶え間無く“からだ”に取り入れているのです。

 

 私たちの“からだ”はこのように外の環境である「空」と「陸」と「海」を内側に閉じ込めた内なる環境として存在し、外なる環境と常に交流しながら“いのち”を育んでいるのです。

 

 では、私たちの“からだ”の中の「空」とは一体何でしょう。

 それは鼻から胸一杯空気を吸い込むところ、肺を中心とした呼吸器官です。

 私たちは自分の胸の中に太古の「空」を持っているのです。青く高く澄み切った大空が胸の中に息づいているのです。時には夕日に哀しく染まり、時には真夏の太陽のように深紅の情熱がほとばしります。

 そこには今も一瞬たりとも休まず「空」のエネルギーが満ち溢れています。

 「空」は風となって私たちの“からだ”の中に入り、“いのち”の息吹と換わります。

 

 次に、私たちの“からだ”の中の「陸」は何処でしょう。

 それは口から食べたり飲んだりして生きる糧を取り入れる腹ですね。腸を中心とした消化器官です。

 

 土の中には根粒菌などというバクテリアが住んでいて空気の中から窒素を取り出して植物の肥料にしてくれていますが、私たちの“からだ”の中にも有名なビフィズス菌などのバクテリアがいて、消化を助けてくれたりその他さまざまな働きをしてくれています。

 植物は土の中から根っこを通じて栄養を吸収しますが、私たちの腸の表面にも根っことそっくりの形と役割の組織があって栄養をそこから吸収しているのです。まさに土の中と腸の中はそっくりなんです。

 

 最後に私たちの“からだ”の中の「海」とはなんでしょう。

 丘の上から遥かな水平原を眺め、潮騒を聞いていると何となく懐かしいような哀しいような気分になる人が多いと思います。

 私たちの祖先は海から陸(おか)に上がってきたのです。皮膚のようなしっかりした袋を持たなかった遠い祖先は最初海の中を住まいにしていたのです。

 それから長い年月を経て陸を生活の場としたとき、“からだ”の中に「海」を持つ必要があったのです。

 “からだ”の中の「海」は、今でも血潮と呼び称されるところ、血やリンパなどの循環器官です。

 海の成分と血液の成分は性質や比率がそっくりなんだそうです。そして植物の緑の部分、葉緑体も。

 素晴らしいことに、血液の赤と植物の緑と海の青は本来同じものなんです。

 

 おさらいしますと、私たちの“からだ”は「空」と「陸」と「海」という外の環境を取り込んでそれを皮膚という袋の中に詰め込んだ内なる環境のことで、その袋の中は常に外なる環境の「空」や「陸」や「海」のエネルギーを貰うこ
とで“いのち”としているのです。

 

 それだけでなく“からだ”の中で古くなったり、いらなくなったりしたもの、即ち「うんち」や「おしっこ」などは外の環境に放り出して、あとは知らないよ・・と、外の環境つまり地球にゆだねてしまっているのです。実に勝手がいいものですね。

 

 私たちを取り巻く外の環境つまり地球は黙ってそれを処理してくれます。私たちが取り込んで利用し、「うんち」や「おしっこ」として捨てたカスは地球によって分解されてまた「空」と「陸」と「海」に再生されるのです。しかもタダで。

 

 私たちの“からだ”は、地球の一部を貰って出来ていて、しかも、いつも絶えることなく地球を呼吸し飲食しエネルギーに変換して“いのち”を保ち、いらなくなったものは処理を地球におまかせ。何から何まで地球の世話になりっ
ぱなし。地球に巣くう寄生虫なんですね。

 

 人間以外の生き物は環境に適応して、つまり環境に合わせて自分の方を変えてきました。キリンは高い木の葉を食べるために首を長く伸ばし、体が大きくなり過ぎて動けなくなった鯨は海に帰って泳ぎやすい魚の形になり、花は甘い香りを放って蜂や蝶を呼び込む術を開発しました。

 

 ところが人間だけは自分をあまり変えず、環境の方を変えることで過ごしやすい状況を造ってきました。さらにそうして作り変えた快適環境に自分を順応することで今日まで人類の歴史を営んできたのです。

 地中に眠るガソリンを燃やして冬を暖かくすることで弱い皮膚を作り、機械を工夫することで筋肉をやせ細らせたのはそのためです。

 

 動物としてのヒトが、社会的・歴史的人間として文化を築いた時、火と言葉を手に入れた時から、人間の不自然な行き方は避けられないものとして今日まで営々と続いているのです。そしてその方面での恩恵は十分に認められるものです。

 

 なぜなら希望や生きがいを持って「棲息」でなく「生活」し、「餌」でなく「食事」をいただき、「行動」でなく「仕事」を楽しみ、ゆとりの中で芸術に親しみ、人間らしい思索と創造をして生きて行けるのは素晴らしいことです。

 それらは皆、社会的・歴史的人間として自然そのものから少しく距離を取ればこそ可能になったことです。

 寒さが厳しい時、身を震わせてひたすら耐え忍ぶしかなかったら、何かを考えたり作ったりは出来ないでしょう。暖かくすればこそ、創造的な時間が持てます。

 食べ物を作る術を手に入れることが出来たればこそ、年老いたり、病気をしたりして自分で食にありつけない人にも回すことが可能です。

 これらは全て自然からいささか離れたからこそ人間が手に入れた能力なんです。

 

 けれどもその方向で何処までも突っ走ることは正しいでしょうか。先程、人間は地球に巣くう寄生虫と言いました。でも今の人間の行き方を進めて行くと、これは寄生虫の域を越えて、むしろ地球を蝕むガン細胞になってしまいます。

いやもう既になっているかも知れません。

 寄生虫は自分の領分を知っています。増え過ぎると自分たちの宿り主が弱ってしまいますから、寄生虫の繁殖は押さえられ、適当にバランスがとられています。

 

 しかし、ガン細胞は勝手に増えるだけ増え、やりたい放題やってしまいますから、ついには宿り主は衰弱し、死んでしまいます。あげくの果てには結局、ガン細胞自身も一緒に死んでしまうという結末を迎えます。

 私たち人類の今の生き方はガン細胞の道をたどっているとしか言いようがありませんね。

 

 最近よく「地球を守ろう」とか「地球に優しい生き方」とか言いますが、これらのスローガンほど人間の我が儘さ、身勝手さを表した言葉はありません。

私は大嫌いです。

 

 「地球を守ろう」と言うときの地球とは人間にとって都合の良い地球であり続けて欲しい、そのためだったら何かしましょうという気持ちが奥に読み取れます。

 地球は私たちが守らなくても一向に平気です。平均気温を5度も上げれば、あるいは下げれば、また地震で大地をゆさゆさ揺るがせれば人類は木っ端微塵に滅んでしまいます。そう、人間がいなくなれば地球は救われるのです。

 「地球を守ろう」とか「地球に優しい生き方」という言葉の持つ人間優先主義的な考え方をこそ捨てなければいけません。

 

 地球から「空」と「陸」と「海」を貰った“からだ”とエネルギーを吸収して維持している“いのち”を本当にいつくしむなら、今一度、私たちは地球とどう付き合って行ったら良いか、どこまでが許されるのかを探していかねばならないでしょう。

 さもないと人類は本当に地球のガン細胞、悪性新生物になってしまいます。

それは自然のまま、生態系のまま食いつ食われつ調和して生きている他の生き物と違って、勝手気ままなことができる唯一の生物、「人間」の使命と言えます。

 

 あの青く高く美しい大空を胸に宿し、緑の草原と黒く屹立する山々からなる陸を腹に秘め、懐かしい潮騒の響きを熱い血潮として全身にみなぎらせている私たち人類。

 地球の一部、大自然の分かれとしての自分。

 自分という字は自然の分かれと書きます。

 その大いなる自然・地球と不即不離の存在としての生き方を、一人一人考えていくべきでしょう。

 

 “いのち”と“からだ”の源である地球。

 地球の一部分である自分。

 大切にいとおしく生きて行きたいものです。

 

 

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《游氣塾》 [生きる場の解放・生きる方向の発見・生きる活力の養成]を求めて

《游氣塾》

[生きる場の解放・生きる方向の発見・生きる活力の養成]を求めて

 

三島広志 

我々は生きていく限り<身体>の問題を看過する訳にはいかない。そしてそれは単に健康とか病気だけの問題でもない。 なぜなら、すべての情報は<身体>によって感受(認識・自覚・勘等)、処理(判断・整理・選択等)され、あらゆる創造(活動・表現・技術等)は<身体>から発せられるからだ。

 即ち、我々の<身体>とは我々の<存在>そのものなのだ。  

 

 しかし、現実には我々の肉体は、社会という鋳型の中で精神の僕として隷属を強いられ、感性は鈍麻し頽廃し、心身は疲れ強ばり日常に漂流している。

 

 日常に埋没した自分に気付いたなら、この未知で、大切で、ままならない、いつかは捨てねばならない<身体>をじっくり見直し、親しく対話してみようではないか。

 否、むしろそんな<身体>に委ねきってしまうことで、もっともらしい権威やおかしな常識、偏った先入観等の束縛から解放されようではないか。

 それに応えるべく、<身体>こそは完全なる世界を体現しているのだ。

 

 そこから、活性の湧き出る身体と、自律性に富んだ生活と、共感性に包まれた環境(人と人・人と自然)を得て、健やかな個性の融合した生命共同体が築かれるのではないだろうか。

 

◎身体とは

 ここで言う<身体>とは以下を統合した概念としての身体である。

 

<肉体> 解剖学的=骨格・筋肉・皮膚・神経・内臓等(構造)

      生理学的=消化・循環・呼吸・運動・感覚等(機能)

 

<精神> 心理学的=本能・感情・葛藤・知性・欲求・学習等(ヒトとは?)

       哲学的 =意志・目的・欲望・認識・創造・内省等(人間とは?)

 

<經絡> 身体における氣の循環路といわれるもので、肉体と精神を総括する存在

       生命の流動性を示す概念

      生命を12のパターンで認識し、身体調整のシステムとして応用

 

<氣>  森羅万象の深奥に潜む実在の力

      身体に影響する内(生命力)、外(環境)の根源的なエネルギー

      不可視でも感応し、強力なパワーとして現象する

      理論的に説明不可能な場合に多用する便利用語

     氣といわれると、なんとなく解った氣がする曖昧なコトバ

 

◎解放された身体とは

 脱力性=リラックス、放下、可能性、ゆとり、重力に委ねる、安定性、中心が定まり強さが生じる、バランス 

       「をりとりてはらりとおもきすゝきかな」飯田蛇笏

 柔軟性=やわらかさ、しなやかさ、適応性、多様性、広い視野、自由、自在「をみなごしめやかに語らひあゆみ」三好達治

 感受性=認識、感動、みずみずしい感性、創造のモチーフ、センス

       「蔓踏んで一山の露動きけり」原石鼎

 流動性=うねり、波動、リズム、エネルギー、カオス(混沌)、スパイラル、体液循環、呼吸、經絡

       「筋肉は隆起し消滅する」坪井香譲

 方向性=目的意識、自律性、自立性、勢い、パワー、全身がまるごと一体となって向かう(動く)、表現、集中、志向、思考、コトバ、希望、コスモス(秩序)

       「はまなすや今も沖には未来あり」中村草田男

 共感性=人の痛みを自分の痛みとして感じる、人との調和、自己との調和、宇宙・自然との調和、生命共同体の礎、アガペ 

       「世界がぜんたいに幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」宮沢賢治

 

◎身体調整について

 身体調整はコミュニケーション(触れ合い)の一形態である。その根底にあるのは苦しみ、悩み、疲れている人に対する理解と共感であり、その行為は思わず手が出て、触れ、さすり(手当て)、じっと抱きしめる(介抱)などの形で表現される。

 ここで忘れてはならないことは、それらの行為が決して一方的でなく、同時にこちらの手も触れられ、さすられ、じっと抱かれ、そこでさまざまな情報の交換がなされていることである。

 本来、医療とはそうした対等の関係であったはずだが、今日では権威主義と経済関係にとって替わられてしまった。しかし一部で本能的な手当ての歴史が受け継がれ発展してきた。

 それは、患者と治療者との関係性を考慮した身体観に立脚する、おおらかで風通しのよい、解放された対等関係に基づく触れ合いの手作り医療である。

 

◎身体調整の技術について

 調整手技は武道、スポーツ、ダンス等と同じく身体で表現する体技である。したがって指一本使う時でさえ、全身の協調と意識の統一が必要となる。

 <技>を学ぶためには、手、指はもちろん肘、肩、腰、膝、足、腹の隅々まで神経をいき渡らせて、身体を意識すること(内感)と平行しながら<技>を修得しなければ上達は望めないであろう。

 さらにこの<技>を何の目的で、どんな場合に、どういう人に、どのように使用するのかを前提にした<術>の稽古も必要である。

 そのためには、身体と意識を十分に練って心技体を統一させていくことが極めて重要になる。

 

◎手技の内容

 1 基本(全ての手技に共通する原理)

  姿勢、手の当て方、手首・肘・肩・腰・足の構えと意識、足底と床との感覚

  床からのエネルギーを相手の体まで伝える流動的な身体作り

  呼吸と動き、呼吸と意識

  意識と技の関係、重心を活かす法、勁力の養成、腹(丹田)と腰の意識

  氣の体感と伝え方、一体感(生命共感)

  正中線 中心軸 骨軸 左右軸 正中面 体側面などの身体意識

  経絡の体感

  寝る 寝返る 座る 立つ 歩く などの基本動作の再認識  

 

  上記をさまざまな形でトレーニングする。それによって技を使いこなせる身体を作り、さらなる上達を目指す。

  トレーニングは簡単で、それ自体健康法になる。

 

 2 検査法(民間療法的手探り療法からの脱却)

  生体反射検査法(BRT)、生体脉反射検査法(BPRT)、經絡診断、操体的動診、モーションパルペーション(可動性検査)、整形外科的検査

  身体調整は、まず相手からの情報収集から始まる。収集した情報を整理し

  現状把握の後、調整法を決定し、実行する。

  現状把握は予後の判定の判断基準になる。

 

  以上の情報収集と予後判定の方法が検査法である。同時に自らの限界を知る方法でもある。

 

 3 各種手技(直接的手段)

  カイロプラクティック、モビリゼーション、經絡指圧、操体、ストレッチング、リンパ流動法、生体反射療法等を各人の適性に応じて深める。

  上記の技術を用いて全身の筋肉、骨格(頭蓋・脊椎・骨盤・股関節・四肢)の調整、内臓の活性、リラクセーション、生体エネルギー(氣)の調整と養成を目指す。 

 

以上の技術はばらばらに存在する訳ではなく、互いに関係しあっているので、相乗的に上達していくであろう。 

経絡調整塾「増永静人を読み解く会」

「増永静人」を読み解く会の発足について

先日、必要があって私の指圧の恩師であり指圧界の至宝でもあった増永静人生の本の在庫をインターネットで確認しました。すると多くの著作が絶版もしくは入手困難になっています。師の没後20年以上になりますから次第にその思想や技法が指圧界から消滅していくのは仕方のないことかもしれません。

世の変化の速さは東洋手技療法の世界においてもその流れを圧し留めることは不可能です。

しかし、増永静人の思想は単に病気治療や指圧技法に留まるものではなく、「いのちとは何か。生きるとは何か」という医療の原点から成り立っています。よってその思想の根幹は指圧を超える力を保有しているのです。増永
静人が大学で哲学を学んだ経験が指圧理論の普遍化に関与している理由でしょう。

今日、増永静人の理論や技法は本人によって設立された医王会において継承されていますし、直接の弟子や受講生、あるいは没後その著書に私淑した熱心な人たちによって命脈が保たれています。しかしどうしても年月が経つにつれ、その理論は弟子の個性によって希釈・変形されていきます。

あるいは明らかな誤解や意図的な歪曲も見受けられます。

そこで游氣塾では原典を忠実に読み解くことで改めて増永静人の業績を明らかにし、継承の礎になれたらと考えました。

当座は入門書として版を重ねている『スジとツボの健康法』(潮文社)を読み解くことにします。この本は思想と技法が最もうまくまとまっているからです。

本に書かれている内容を吟味しつつ、実技を重点的に検討していく予定です。

 

游氣塾 

〒464-0850 名古屋市千種区今池5-3-6-303

電話:052-733-2253

h-mishima@nifty.com

 

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触れる心   「接触」から「触れ合い」へ

触れる心   「接触」から「触れ合い」へ  

三島広志

 治療行為は、患者と治療家の出会いの場、いわば一つのコミュニケーションの場であって、それはあくまでも対等な人間関係の場であるべきである。

 

 ともすれば治療家は、治療する側が優位に立っているという誤解から、患者より上に位置しているものと勘違いする傾向がある。患者もまた、治療される側として自らを下に位置してしまいがちである。しかし、それでは正しい人間関係を形成することは不可能である。

 

 治療家と患者が対等になって初めて本当の人間像を掴むことができるであろう。病気は人間像の一部に外ならないのであるから、人間像を明確に理解しない限りその人の病気を明らかにすることは困難である。

 

 そもそも、患者が治療家を訪れたということは、それに先立って患者が、チラシ、評判等から決断を下している。即ち、治療家は患者に選ばれているわけで、治療家が優位に立っているわけではない。

 

 実際の治療でも、治療家の行為に対して患者が反応し、その反応に合わせて治療家が新たな働きかけをするという、二人の呼吸があってこそ納得のいく治療が可能となる。

 

 こうした治療において「触れる」という行為が大変重要な意味をもってくる。昔から人間関係を「触れ合い」と言い、治療を「手当て」、看護を「介抱」と言うのも、皮膚の接触が人間社会に占める価値の大きさ故であろう。

 

 患者からの情報を得る方法として、漢方には「望・聞・問・切」の四診があり、西洋医学には視診・聴診・問診・触診・打診等と、機器による物理的、化学的な方法がある。

 

 西洋医学は極力主観を排し、客観性を高めることに努めているため、診察は機器に頼る傾向が強いが、漢方では五感による体験的、直感的で主観性の強い診察が主流である。

 

 四診の中で最終的に最も信頼すべき方法が切診つまり接触による診察である。鍼灸治療家は患者の体に触れることで診察を行い、綜合的判断のもとに診断をし、治療点を体表に決定する。

 

 冒頭、治療家と患者は対等の位置にいなければならないと述べた。それは患者を診断する時の最も基本的な在り方でもあるからだ。

 

 人と自分が対等の立場にいるためには、まず互いに認め合わなければならない。治療家は患者が病気である現在そのものを受け入れなければならない。腕が挙がらないのは異常であると思うことはすでに患者を受け入れていないことになる。腕が挙がるのが正常で挙がらないのは異常とみるのは一種の差別である。腕が挙がらないことを含めてそっくりそのまま患者を受け入れることが認めるということである。

 

 すると、患者の肌に触れる時、治療家と患者は同化することができる。二人の人間が一つに融合するような感覚になるのである。

 

 筆者が今まで、触れるということについて書かれ、ショックを受けた本が二冊ある。それらを紹介しながら触れるということについて考えてみたい。

 

 「大事に触れるということは、自分の中身全体が変化し外側の壁がなくなって、中身そのものが対象の中に入り込もうとすることである。そのことによって対象の中にも新しく変化が起こり、外側の壁がなくなり、中身そのものが自分に向かって入ってくる感じになるのである。そして自分と対象という対立するものはなくなり、あるのはただ文字どおり一体一如となり、新しい何ものかを生みだす実感がある。(中略)皮膚は原初生命体の界面の膜である。すべての感覚受容器(視・聴・嗅・味・触)をふくむ総合的感覚受容器なのである、と同時に、脳、神経の原初的形態なのである。(中略)皮膚は脳がからだの表面に、薄く伸び展がったものである、といったらどうであろうか。原初形態の脳(原初生命体の膜)は、受容、伝送、処理、反応のすべての働きをしていたと考えられる。(中略)皮膚は[もの]としてここにある心である、というべきであろう。(中略)人間の触れるという働きの中で、最も強く『体気』が出入りする所のひとつが手・掌・指である。本気で触れた時、どんな驚くべきことが起こるか、体験しないとまったく想像もつかないようなことが起こるのである。本気とは『本当の気』である。協力の在り方の中でぜひ体験してほしいと願っている。」
(野口三千三『原初生命体としての人間』三笠書房・岩波書店より再刊)

 

 野口体操で知られる野口氏の体操は、芸術、特に演劇や、教育の関係で地味ながら大きな影響を与えている。野口氏は独特のくねくねした体操を通じて人間を探求してこられた方で、筆者もその著書から人生観を変える程の影響を受けた。

 当時、経絡指圧の増永静人氏の勉強会に参加していた筆者は、両氏の到達した地点の共通性にも驚いた。片や指圧、片や体操で、触れるということの捕らえ方が大変似ているのである。共に人間とは何かといつ命題を求める方向が同じで、たまたま方法が異なっていただけということであろう。

 

 「経絡が生命に固有のものと考えるならば、それは細胞にみられる原形質流動の発展したものと考えるのが適当だろう。細胞が分化するとき外胚葉は皮膚・神経系となって外と内を連絡した。内胚葉の内臓もやはり外界との適応・交流のために原形質流動を経絡系統として連絡に当てたとみるのである、この交流、適応ののぞき穴が、皮膚の感覚器のように経穴として開孔していると考えてよかろう。(中略)生体の歪みに対して、経穴は内臓へ向かって液性伝導を行うのであるが、これを人為的に代行した時、経絡のヒビキがおこると考えるのが妥当であろう。(中略)ツボをとるときには探ってはいけない。その疑いの心から科学は発達し得ても、生命を掴むことはできない。生命には生命でもって対しなければならないのであって、ツボを知るのは原始感覚によって感じとるのである。(中略)スキンタッチは皮膚接触と訳されるが、生命共感のタッチとは深く挿入される接合である。(中略)皮膚接合によって生命共感は得られ、その原始感覚を通してツボは実感される。指はツボを押さえるのでなく、ツボに受け取られて自ずとツボにはまるのである。」
(増永静人『経絡と指圧』医道の日本社)

 

 増永氏の言う生命共感とは、指圧を施している時、自分の体と患者の体が全く一体になったように感じ、患者の違和感、苦痛を我が身の苦痛と同様に感じるものである。それはまさに野口氏の自分と対象との中身がお互いに交じり合い溶け合うことと同じである。

 

 治療という場において、治療家と患者が本当に一つに溶け合った時、「気」が最高に発揮されるのではないか。この状態は自然との同化と同じで、太極拳に代表される気功やヨガ、自律訓練法等、皆これを目指したものである。

 

 その最もスケールの大きなものが古来から行われてきたハレの日の祭ではなかったかと筆者は思っている。祭はケの日の(普段の日常的な日)の束縛から解放されるハレの日(非日常の日)である(今日でもハレてご成婚とか晴れ着というのはその名残)。祭の日は、上下の身分を超え、男女を忘れ、唄と踊りと酒と御馳走を心行くまで堪能する。そこに存在するのはあらゆるものからの解放である。

 

 治療は治療家と患者の合一によって病気からの解放を目指すが、祭は自然と人とカミの合一によって存在からの解放を目指す。治療において触れることは、祭の酒と同じ作用をする。

 

 今日では、祭のようなハレの日を失い、ケの日も曖昧になってしまい、自らが束縛されていることに気づきにくくなってしまっている。そんな現代人を確実に束縛するのが病気である。病気は、われわれが実は束縛されている存在であることに改めて気づかせてくれる一つの現象である。

 

 治療家はそれに気づいた患者に何を与えることが可能だろうか。症状を除去することだろうか。症状を除去しても、患者は一応満足こそすれ、すでに束縛された存在であることに気づいた彼らは、一抹の不安を常に抱き続けなければならいだろう。患者に与えるべきものが見つからない時は、治療家は己れ自信に対しても与えるべきものを持っていないということでもある。この点においても、治療家と患者が全く対等の関係にあることが明瞭に見えてくる。

 

 この根源的な触れ合いの場を、もっと大きな「気」の渦巻く場として、太古の祭のような場として活かせないものだろうか。

 

 そこを素通りして小手先の指頭感覚のみを鍛えても無意味であろう。名人とされる人の評伝は皆、彼らが「気」を根底から転換させる力を持っていた事実を伝えている。患者の病気や人生がその「気」との出会いの中で治り、変化していくのである。

 

 我々治療家はそうした可能性を持っていることを絶えず自覚して、逆に患者から学ぶ心で治療に当たり、まず自分自身を啓発していかなければならないだろう。

 

 触れる、その一瞬に治療家の人生の総てが表現され、患者の人生の総てとの出会いがあり、そこから二人の新たな人生が始まるのである。

 

             所収

医道の日本1986年(昭和61年)4月号

創刊500号記念特集

圧痛点による診断と治療及び指頭感覚

 

 

 

 

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身体調整について   ・・・心臓発作を通じて・・・

身体調整について

  ・・・心臓発作を通じて・・・

 

三島広志
 

 一般に治療と表現する行為及び理念を、私自身は「身体調整」と呼んでいる。

なぜなら人のいのちの状態の過渡的一断面を見て、それを病気とか異常と決めつけることに一種のためらいがあるからである。

 したがってそれに対するアプローチを治療とか医療と呼ばず身体調整と呼んでいる。

 

 敬愛する福岡の鍼灸師 筑紫城治氏は

 

 医術は人の病いをヒトの<病気>として

 療術は人の病いを生活者の<病い>として見る所に、

 双方の欠点と長所があるようですね

 

と分類、定義する。けだし卓見である。

 

 その言に沿えば、私の目指す行為および理念は療術である。しかし別の観点から身体調整にこだわっている。

 

 それは<病い>と<非病い>の間にボーダーラインがあると仮定し、マイナス状態をゼロラインに引き上げるのが<療術>、ゼロラインからプラス状態に高めることを<鍛練>とし、それらを一貫するものを<養生>とする。その<養生>に対するアプローチを<身体調整>とするのである。そしてもとより仮定されたボーダーラインなどは無いのである。

 

 今その人が示している状態は、その人の生育の結果である。すなわちその人の人生史のヒトコマである。そのヒトコマである今がいかなる苦しい状況であろうともまず懸命に生きている人生の一瞬として「いとおしみ」、かつ冷静に「評価」したのち、然るべき対処をすべきであろう。

 

 なぜなら今こそが未来の礎であり、苦しい今から素晴らしい未来に転換するには、相当の認識の転換を必要とするからである。

 「苦は楽の種」という有名な諺は体験を経験に変える認識の産物に外ならないのだ。その認識に癒しの術をもって働きかけるのが身体調整なのである。

 先の筑紫氏の「病い」とはこの辺りをも視座に入れたものに違いない。

 

 医大、病医院、保健所、保険制度など厚生省の管轄による体制規定の、いわゆる正当医療(もしくは体制医療)ではなく、非正当的で辺縁的立場にある手技療術関係者はこの体制からある程度の(法律限度内の、あるいは道徳的容認の)自由な立場にある。

 我々はその立場をこそ逆に利用すべきである。

 

 苦しむ人、悩める人の生育史及び環境をも包括した<癒しのまなざし(中川米造)>を伝家の宝刀として、病める人の苦しみの深奥に共感すべき<手>と<術>を磨き上げて「生活者の病い」を癒す道を尋ねて行くべきであろう。

 

癒しとは

 

 身体調整はコミュニケーション(触れ合い)の一形態である。その根底にあるのは苦しみ悩み、疲れている人に対する理解と共感であり、その行為は思わず手が出て、触れ、さすり(手当て)、励まし、慰め、じっと抱きしめる(介抱)などの行為で表現される。

 

 そしてそれらの行為は一方通行ではなく、同時にこちらの手も触れられ、さすられ、じっと抱かれ、両者間に種々の情報の交換がなされているのである。
 本来、医療とはそうした対等の関係であったはずだが、今日では医師対患者という権威主義とお客対サービス業という経済関係にとって替わられてしまった。

 

 しかし、一部で本能的な手当ての歴史が受け継がれ、危険を廃し、有効性を高めながら発展してきた。

 それは施す側と施される側との関係性を考慮した身体観に立脚する、おおらかで風通しの良い、解放された対等関係に基づく触れ合いの手作り医療である。

 

 

 私達の目指す手技療術とはこの生命観と歴史性の上に立つ、素晴らしいものであることを認識し、こころして日々の施術に当たるべきものである。

 

症例 心臓発作

 

 この症例は既に10有余年前のものであり、私の極めて初学時代の事例であるが、いろいろ考えさせられた経験であるから紹介したい。

 ただし、細かな事実を現在明らかにするべき資料が無いため、事実に基づいたエッセイのような感覚で読んでいただきたい。

 

 慢性関節リウマチで身体調整に通って来ていた婦人が、ある時妹もお願いしたいと言われたので、次回に予定していた。ところがみえたのは姉の方だけであった。

 姉によると
「妹は昨夜急に心臓発作が起きてしまい、近所の医者に往診してもらった。今は症状は治まっているが、動けないでいるので往診してほしい。」
とのことである。

 心臓ではちょっと手が出せないと断ったが、「診るだけでいいから」と懇願されるので仕方なく姉の運転する車で家まで乗せて行ってもらった。

 

 妹は布団に横たわっていたが思ったより元気そうであった。力は無いながらも笑顔で挨拶をされた。

 「昨夜は初めての発作であり怖かったから医者を呼んだ。医者の話では心臓自体は悪くないので心配はないが、安心のため薬を置いていくという。明日にでも心電図をとってもらう予定。」

 以上の話から多分心臓神経症であろうと推定し、それならば手を出してもよかろうと決意した。

 

診察・診断

 

 当時、私は經絡指圧の増永静人に師事していたので、まず腹を診た。

 心下部にひどいしこり(痞硬)があり、何か小さな袋でも詰まっているようであった。さらに右季肋部が堅く、季肋下には全く指が入らない。そして少し熱くなっていた。

 

 下肢の内側、肝経に強いつっぱりがあり、押さえると痛いと声をあげた。

 その後方にある増永心経は、表面的には力がなく芯に堅い平板なものを感じた。芯に圧を加えるとじんじんした感じが足先まで響くと言う。

 

 

 腹の鳩尾のつかえと右季肋部の固さ・熱感、足の経絡の状態と症状から「心虚肝実の証」とした。証とはさまざまな症状の集合をパターンとしてとらえる方法であり、そのまま調整の方法も示す。

 漢方薬なら証即処方である。

 

調整

 

 左手四指を心下部に軽く置き、右手拇指で左脚の増永心経に深く、静かな沈みこむような持続圧を加えていたら、1分ほどして心下部のしこりがググッという音と共に緩んできた。

 すると妹はフウーとため息をつき、何か胸のつっかえが除れたようだと言った。さらに持続しながら鳩尾を撫ぜ降ろして、しこりの完全な緩解を促して調整を終了した。

 肝の反応部も緩んだ。しかし熱は変化なし。

 左脚を選んだ理由は、左右の心経を深く指圧した時、左の方が右より鳩尾の心の部に響きが伝わり易かったからである。

 

 脚の肝経は先程のつっぱりは消え、押さえても痛くなくなり、心経の重苦しさも消失した。

 妹は嘘のように晴れ晴れした顔で横たえていた体を起こし、床のうえに座って「とても楽になりました。」と礼を言った。

 

考察

 

 何故こんなカビの生えたような古い症例を持ち出したかというと、一つには私としてうまくいき過ぎた例だからである。

 

 似たような症例で中年女性のケースもある。その女性は発作の最中に呼ばれた。行くと家族で手足を押さえ付けている。

 「いつもそうしないと体が宙に浮いてしまう」と本人が言うからと説明を受けた。

 

 急いで鳩尾(みぞおち)に手を当て、その時は何も考えず速やかに脚三里を強く指圧した。これは気を下げる効果があったらしく、1分もしないうちにゴボッと音がして落ち着いてきた。

 

 その後医師にかかり、心臓神経症と診断されて、ニトログリセリンの錠剤を常備するようになった。

 

 以上の2例はとても印象に残るほど鮮やかな効果をみた。むろん全てがこのようにうまくいくはずがない。

 

 もう一つの理由は、証の解釈について学ぶところがあったからである。

 心虚の場合、精神的な問題を強く表現していることが多い。増永静人は

「心経は心そのものだ」

と言っていた。

 

 増永静人の「切診の手引き」(医王会刊)によると心虚の症状は

 

 「気疲れ、ショック。不安感、神経緊張がある。舌がつれ、あれる。気力がない」

 

精神面として

 「精神的な疲れ、ショック、神経緊張、ストレスなどでノイローゼ、神経症ぎみ、心配による食欲不振、気ぜわしく落ち着きがない。物忘れしやすい。不安があり心労ぎみ、気が小さい」

 

身体面として

 「上腹に力がない。鳩尾が固くつかえる。心臓症状、動悸がしやすい。腹壁の緊張が強い。舌がひきつれ、のどがつかえる。手が固く汗ばんでいる。心身症、疲れやすい、狭心症、心筋梗塞、目尻がきれやすい」

 

とある。

 

 私は症例の妹は、何か精神的な疲れが体の状態や顔付きから感じられて、診察・調整中さりげなく聞こうとしたが、彼女は何も無いと言い張った。

 私もあえてしつこく聞くのは得策ではないと、その件には深入りせず、体の不安の方に比重を移した。

 しかし、先に引用した増永静人の説にあるように、鳩尾が固かったり、ペコンとへこんでいたり、芯に凝りや袋のようなものがある時は心身に重大なショックがあることが多い。たとえば交通事故の時などもそうである。

 

 調整後、彼女の姉が家まで送ってくれたが、その時、
 「実は妹の夫の勤務先が半年前倒産して、妹はその間必死で働いて家計をやり繰りした。そして最近夫の再就職先が決まったとたんにこうなった。先生の言うように彼女には相当な精神的重圧があったはずだ」
と教えてくれた。

 私はやはりと自分の想像が当たっていたことを喜ぶと共に、彼女がそのところまで心を開いてくれなかったことについて考えざるをえなかった。

 

 証は調整の方針、いわば治療の世界に関係するのみでなく、その人をより深く理解しようとするものである。人間理解の一手段なのである。

 

 証を診るとは調整法(治療法)の選定だけでなく、人間が人間に対してどこまで働きかけることができるかという大変な問題を含んでいる。

 彼女は私に心の世界まで入られることを拒否した。私は拒絶されたのである。

体のことだけを何とかして欲しいというのが彼女の要求であり、その場での私と彼女との関係における身体調整の限界を示すものなのだ。

 

 これは悲観しているのではない。人間と人間との関係性の中にしか身体調整は成立しないことを示しているということだ。

 私自身がさらに成長をしていたら、また別の展開も考えられうる。

 

 この経験から得たものは、もっともっと心の奥まで受け入れてもらえるような人間になれということであった。

 この体験を彼女からの無言のエールとしてとらえたわけである。

 

 むろんそれによって、身体調整家の責任は相当に重大になることは当然である。

 

増永経絡について

 

 古典では手に肺、心包、心、大腸、三焦、小腸、脚に肝、脾、腎、胃、胆、膀胱とそれぞれ6経絡ずつ示されているが、増永静人は手脚それぞれに12経絡を直観と経験から認め、さらに手と脚を繋ぐ経絡を書籍やチャートで発表している。多くの場合古典の経絡の隙間を通っている。これに疑義をもたれる方も多いと思うが、ここでは一つのシステムとして理解して戴きたい。

 

 増永の本に関しては医王会指圧センター(電話:03-3832-2983)まで。

 推薦図書としては「経絡と指圧」(医道の日本社刊)。

 身体調整に関して「身体調整の人間学」(高岡英夫著 恵雅堂)を勧める。

 

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俳句と志 -「遊び」と「人格」をからめて-

俳句と志
-「遊び」と「人格」をからめて-

三島広志

始めに

 人はなぜ俳句を作るのだろうか。なぜ作り続けるのだろうか。
 多分に創作の喜びを感じるためではあろう。また社会的な関わりからしばし逃れるための趣味としての側面もあろう。しかし、それにしても十七音の言葉に苦悶し呻吟する句作りにはどこか滑稽で自虐的な面を感じないではいられない。それでも人は俳句を作る。
 あえて言えば俳句は「遊び」だ。しかし、生きるということから完全に遊離した、ディズニーランドに行くような遊びとは明らかに異なる。

「俳句は遊びだと思っている。余技という意味ではない。いってみれば、その他一切は余技である。」

 この川崎展宏氏のよく知られた断定は俳句ならではのものと思うし、こうした断定は俳句以外には絶対ふさわしくないと盲目的に確信するのである。
 川崎氏は最近「俳句研究」誌に

「全体として、句に志がない。自分の作を含めて、今日の句には『腹(はらわた)の厚き所より』出たものがない。」

と書かれているが前述の「遊び」と後の「志」の間にはなんら矛盾はない。
 氏の言われるこの「遊び」がくせ者であるが、わたしは俳句はとにもかくにも生きることと根っこでつながっている「遊び」と考える。そして生きることそのものが「遊び」という感じでとらえていけたらと願っている。

俳句と人格

「一句を書くことは一片の鱗の剥脱である。」
 これは三橋鷹女の至言である。「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉」「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」などの彼女の有名な句を読めばなるほど鱗の剥脱という激しさを感じないわけにはいかない。しかし鱗を剥脱したとき、逆に彼女は彼女自身に何かを刻み付けたことにはならないだろうか。
 一句一句を成していくとき、心にあるものをことばとして吐露していくと同時に心に何かを刻み付けていく。その刻みが年月とともに人を俳人に作り替えていく。その理想が平畑静塔氏の言われる「俳人格」と呼ばれる一個人の中に俳句が人格化したものだろう。

 話は逸れるが、平畑氏は高浜虚子を俳人格の典型と見ていたようである。しかし、一個人に収斂してしまうことには危惧を感じないわけにはいかない。なぜなら虚子を俳人格の典型とすることでわれわれは虚子の見ようとしていたものを見る前に否応なく虚子を見てしまう。俳句の前に虚子が衝立のように立ちはだかるという厄介なこと
になるのだ。

 話が逸脱し過ぎたようである。視点を戻そう。人格に因んで話を進める。
 「技の人格化」ということばがある。長い修練の結果、技と人が不離のレベルに高まった状態のことである。逆に言えば人格中に無尽蔵の技を内包している状態だ。俳句の技が人格化した人は一定以上のレベルの俳句が自ずとその人の日常の中から生み出されるのである。そしてその日常そのものが俳句的人格に内包される。

俳句と関係性

 ヒトは動物としてこの世に誕生するが、生まれながらに自然とものと人の狭間にしか生存できない生き物である。
 具体例を上げるなら身近にいくらでもある。親と子、医師と患者、教師と生徒、大工と鉋、農夫と畑、運転手と車、人と食べものなど。むしろ、そうした関係なしにはヒトは人間として存在し得ないのだ。俳句も人間と同様それ自体が単独で存在するのではなく、作品と作者との関係の中にあって互いに影響を与え合っている。
 同じことは作品と読者の関係にも言える。そこで相互成長しあえる作者と作品の僥倖な関係が築けるならその俳句にはことばの力が宿るだろう。反面、作品と作者、あるいは作品と読者の「志」次第では相互堕落への広き門がいとも簡単に開かれる。

生活者と俳人

 会社員などの生活者として俳句を趣味にしている人もいれば、俳人として会社員を勤めている人もいる。その差は有名無名を問わず本人の自覚の問題である。仕事を通じて人間としての成長があると同じように、俳句を通して人は意識するしないに関わらず自己教育を実施する。
 主婦も学生も全く同じである。主婦として俳句を作る人もいれば、俳人という本分を保ちつつ主婦をしている人も大勢いるのである。 自分をどのように規定するか、そこに本人の「志」が関与してくる。一個人の中に住み着いている俳人と生活者の狭間にも絶えず対象と主体との間の関係において物事は揺れながら成就していく。
 先程述べたように、作品もそれ自体の自立はなく、読者の内的世界に支えられることで伝達普遍化する。その両者の関係によって鍛えられもすれば堕落もあるのだ。
 生活者としての自分を貫きつつ、俳人であるためには「志」と「志」を常に維持し続けようとする「意志」が必要になる。その「意志」が個人の対象とする分野においておのおのの対象を人格化するのだ。

 俳句ではそれを俳句的人格と呼ぶし、それぞれ人は各分野で何々的人格を目指すのではないだろうか。

俳句と教育

「ヒトは教育によって人間になる。」(南郷継正・・武道理論家)
「人間であることと人間になることは違う。」 (林竹二・・教育者)

 ヒトは教育によって社会と歴史の中に生きていることを学ぶ。つまり空間性(社会)と時間性(歴史)に自ら積極的に参加しようとしたときヒトは人間になるのだ。だから「人の間」と呼ぶ。そして人間は自己を教育しようとする欲求を持つ、あるいは持ち続ける。 俳句は自らの「志」の設定によって自己教育足り得るものである。(むろん設定に応じて心の癒しとか趣味にすることも可能であるが。)
 これは俳句に限ったものではない。俳句は俳句的人格を形成し、武道は武道的人格を成長させ、音楽は音楽的人格を築き上げる。また病気は病人を作るが、本人の考え方や性格によって、闘病的人格を形成し、あるいは和病的人格を作り上げる。
 これらを各分野が潜在する能力と呼んでもいいだろう。その能力を発揮するか否かが、繰り返して言うように「志」と継続的「意志」なのである。

 俳句は即吟という手軽さがいかなる生活者であっても継続を可能にし、大衆性を生む。常に脳裏胸中に俳句を置くことで俳句的人格を形成しやすいようだ。そこが他の分野との相違点であろうか。
 大相撲の横綱曙関の次の言葉はその点で実に示唆的である。

「ボクシングのチャンピオンはリングの中だけチャンピオンであればいいが、相撲の横綱は起きてから寝るまで横綱でなければならない。」

 横綱を俳人と置き換えることに、多くの俳人はさほどの違和感を感じないはずだ。さらに「なければならない」という義務感と責任感に曙関の困難さを読み取るであろう。ここが横綱の特殊性と大衆俳人の日常性の差である。

まとめとして

 俳句はその即吟性ゆえに日常の流れの中に自分の心の移ろう過程を刻み込むことができる。
 しかし、もう一面ある。それは俳句を作るとは心情をものに即して言語化するだけでなく、己が心に何かを刻んでいくことである。 俳句をつくり続けることは我が生において自分の「志」を見失わないための「意志」の確認とも思える。むろん人生の目的は一般生活者にとっては俳句ではない。各人の主たる人生の部分である。
 俳句はその背後にあって不即不離、一如として溶け合い影響を与え合うのだ。
 俳句の中に敢えて「人間性」を織り込んだり、俳句の目指すところが人格形成というのではなく、コツコツ俳句を作り続ける行為が某かの人格を形成するのではないかということである。
 そうあることが自然体に人格化した場合を「俳人格」と呼ぶことができるかもしれないが、それはあくまでも二次的なことだ。

 人は「俳人格」である前に「生活人格」であるべきだ。そしてわたしは両者の溶融をこそ目指したい。さらに言うなら、死を直覚しつつ恬淡たる句を詠めるなら俳句的人格のひとつの極みと言えるだろう。
 通りいっぺんに俳句を「志」中心に俯瞰してみた。しかしいささか急ぎ過ぎたきらいはある。全体に遊びがない。だがむしろこうした愚にもつかないことを考え、文章に表すことが即ちわたしにとっての「遊び」にほかならないのだ。

 

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切磋と情  --句会・俳句メディア空間--

切磋と情 

--句会・俳句メディア空間--

三島広志

始めに
 世間には俳句という無用のものを作る人達がいる。
 なぜ俳句を作るかここでは問うまい。同様に、なぜ俳句でなければならないかも。

 それらはすでに本誌の拙稿「俳句と志-遊びと人格をからめて-(平成六年十一月号)」や「現代の俳句(平成七年一年間連載)」で断片的に私見を述べた。したがってこの稿ではすでに俳句を作ることを当然のように生活にしみ込ませ、時々、あるいは定期的に句会へ参加する人達について語ろうと思う。すなわち「人はなぜ俳句を作るか」ではなく、「人はなぜ句会に参加するか」である。

地方にいて
 わたしは主宰からの直接指導かなわぬ地方愛知にあって藍生俳句会に入会した。しばらくして句会という研鑽の場が経験したくなり他結社の句会に参加した。そのうち藍生の支部活動の存在を知り、愛知会員による句会を提唱、毎月の例会を仲間と共にした四年間という貴重な体験を持つ。
 この体験について振り返ることで、その中からなんらかの普遍的なものを見いだせるなら、藍生愛知支部「からふね句会」という閉ざされた空間での体験を、もっと多くの人々の共通の経験に転化することができるかもしれない。
 これがこの稿で句会を取り上げる所以である。

芭蕉の座
 専門の研究者ではないため、句会がいつから行われているかは知らない。ただ古くからの和歌の歌会に対して俳諧の句会が行われていたことは確かだろう。たとえ句会と呼ばなくとも正岡子規以前から俳諧のための集まりが行われていたことも間違いない。
 江戸以前には連歌があった。和歌を二人もしくは複数で作るものだ。そこから俳諧として古歌に詳しくない庶民向けの連句が派生した。制約が少ないので参加しやすかったのだ。 松尾芭蕉も俳諧連句の宗匠であった。彼には弟子の土芳の記録になる次の有名な言葉がある。これは芭蕉往時の句会(連句の座)の精神を述べたものであるが、今日の句会の精神的拠としてなんら色を失していない。なぜなら目的をもった集団の普遍的摂理が述べてあるからだ。

 学ぶことはつねにあり。席に臨んで、文台と我と間に髪をいれず。おもふ事速にいひ出て爰(ここ)に至つて迷ふ念なし。文台引下ろせば即反古也。
三冊子(服部土芳)

 芭蕉の時代、まだ俳句ではなく連句であったから形式は今の句会とは異なっていただろう。しかし、文芸を囲んだ人間関係という点では同じである。また、俳句(連句)を通じて自分の生きる過程に何らかの付加価値を与えたいという人達の協力で成立している場であることも古今に差はあるまい。
 しかも集いの目的は「無用の用」「夏炉冬扇」であることも同様である。

 「学ぶことはつねにあり」という態度。これこそが句会に参加するための最低条件である。漠然と句会に参加する人がいると参加者全員のこころの流れを遮られてしまう。
 俳句の経歴・巧拙に関係なく、また俳句に限らず「常に、何にでも学ぶ」という態度をこそ持ち合わせたいものである。句座を共にする資格、これは「学ぶことはつねにあり」に言い尽くされている。

 「間に髪をいれず」とは当意即妙、打てば響くの意だ。元来、連句の座の流れを淀ませずに進行させる江戸時代の俳諧宗匠の心構えであるが、今日の句会においては参加者一人一人の戒めとなるであろう。機に応じ感に敏なること。人の話をよく聞き、そのこころを理解しようと努め、非日常の遊びの空間と時間を渋滞なく生み出し続けるために必須の心掛け。

 「おもふ事速にいひて」も本来、連句を付けることであろうが、句会に置き換えるなら選句後の講評を求められた場合、速やかに意見を述べることと読むことができる。
「爰に至つて迷ふ念なし」と言うことである。

 句会に参加しているときは、自分の句にばかりこころを置くものではない。その場で出会った仲間の句を味わい、選句し、講評するという流れの中に積極的に浸り、極力場を乱さぬよう心掛け、何時間かの充実した時を過ごす。日常生活から敢然と遊離した貴重な場を連衆と呼ばれる人達と築き上げ、句会を終了したら各人散り散りに日常生活に戻る。これが「文台引下ろせば即反古也」である。
 反古とは書画などを書き損じた不用の紙のことから、転じて役に立たない物事をいう。
 いかに熱中した句会といえども、終わればそれは済んだこととして見切る。これは逆に言えばそこまで一心に集中して句会に参加しなさいということであろう。ここに一期一会の醍醐味がある。

 芭蕉はこうして句会(連句の座)を自身の生涯を賭けた芸の道の縮図として、参加者にその精神の高みを求めたのだ。
 「文台引き下ろせばすなはち反古」とするためには、句会に参加するまでの時間が重要なことは言うまでもない。月に一回の句会ならその数時間のために残りの一カ月を過ごす決意がいる。それは悲壮なものではなく、心の片隅に俳句をしのばせておくことだ。寂かな緊張感を常に維持し、句会においてはその場の共同精神にとっぷり浸かり、過ぎし一カ月の成果を確認、来る一カ月への励みとする。 「学ぶことはつねあり」とはこういう普段の心掛けを言うものなのだ。

なぜ句会に参加するか
 芭蕉をもってきたために、文章が堅くなり過ぎたようである。いかに論立てしようとしまいと、句会の楽しさは参加した者のみが知る何かがある。それをあえて説明するために実に好都合な心理学の理論がある。企業研修などでよく使われるマズローの欲求五段階説だ。
 人の欲求には大まかに言って五段階があり、それらが並列するものではなく、一つの欲求が満たされるにつれてステップアップするというものである。

 マズローの欲求五段階説とは
  一 生理的欲求
  二 安全欲求
  三 帰属欲求
  四 承認欲求
  五 自己実現欲求
の五段階を言う。

 生理的欲求とは生きて行くために必要な食を基本にした欲求で、それを満たすためには危険も返り見ない。したがって、安全欲求の前段階に置かれている。
 生理、安全がほぼ当然となった社会においてはどこかの組織に参加したい(帰属)という欲求が出てくる。高校野球などで地元高校の応援に夢中になったり、オリンピックのにわか愛国心「ニッポンチャ!チャ!チャ!」などかこれである。
 それが満たされると、さらに人から認めてもらいたい(承認)と思うようになる。
そこまで行くと最後には自己を発見し、自己の可能性を見出し、実現していきたいという高度な真に人間らしい欲求が出てくる。
 平和でものの豊かな社会ではこれらが順次欲求として頭をもたげ、満たそうという行動を生むのである。
 これを句会に置き換えることはたやすいことだろう。
 句会に参加することで第三の帰属欲求を満たし、投句した自分の句が高い点を得ることで承認された喜びを感じ、一連の句会の流れの中で個々の力量に応じた力を注ぐことで自己実現することが可能となる。これらは順次質的に高めつつ繰り返される。

 こうして、昔からお天道様と米の飯がついて回り、空気と水と安全は無料と言われる国で歌会や連歌、俳諧連句や句会が続けられている理由がマズローの人間性心理学でうまく説明できるのである。

地方句会の問題
 芭蕉のような優れた指導者のもとに句会が開かれるならいささかの問題もない。しかし地方においては主宰・指導する者がいない。いきおい参加者全員が指導者であり被指導者となる。
 会員の中にはベテランもいれば新人もいる、才気溢れる人もいるだろうし遅々として上達しない人もいるだろう。しかし、句会は俳句というメディア(媒体)を介した共同の遊び場だ。そこには日常を離れた人々が虚構の「遊び」の場を築くためにさまざまな個性を持って集まっている。
 「遊び」の最大の長所、それは日常の利害から離れた純粋な場で、何が起こるか分からないことを、かつ起こってしまったことを、とことん楽しめることである。
 虚に遊ぶ。そこには新人もベテランもないのだ。ただただ虚心に遊ぶ。それが最大の、最高のルールなのである。
 句会はその「遊び」のメディアとして俳句を用いる。句会という俳句メディア空間に集う目的はただ一つ、無目的で公平な俳句という「遊び」のためなのだ。したがってそこでは依存は許されない。もとより「遊び」に依存は存在しないものだ。常に自分に何ができるかを模索すること。これが一番楽しく「遊ぶ」秘訣だろう。なぜなら、「遊び」は常に過程を楽しむもであるし、いかなる場合も自分が主役なのだから。
 そして自分がより楽しくありたければ周囲を楽しませることだ。真剣に「遊ぶ」という共通体験の場においてこそ真に個性が息づいてくるだろう。

 個性の異なる幾億の天才も並び立つべくかくて地面も天となる (宮沢賢治)

 わたしの座右の銘である賢治の「農民芸術概論綱要」に見られる言葉。これは戦前の東北農民の苛酷な労働を、そのままの状態で芸術にシフトするという理想主義に基づいて説かれたものだ。
 
 芸術をもて、あの灰色の労働を燃せ(同)

 これこそ壮大な遊びにほかならないのではないか。句会はこれを日常生活と同規模にスケールダウンしたものだろう。個性の異なる幾億の天才。賢治は誰もが何らかの能力を持っていると信じていた。句会という小空間においても、一人一人が全体のために惜しみなく力を発揮するなら天才と呼べる何かを出してくるに違いない。
 指導者と被指導者という固定的な一方通行の力関係が築けない地方句会ならではの良さがここにあるのだ。
 ただし、元来、固定的な関係などはあり得ないこと、主宰と言えども会員からの影響を受けずに成長することはあり得ないことを蛇足までに。

オズの魔法使い
 ここに「オズの魔法使い」とは我ながら唐突である。これは有名なアメリカのバームの童話。ジュディー・ガーランドのミュージカルでも知られているからストーリーはあえて紹介するまでもないだろう。さまざまな願いを魔法使いのオズにかなえてもらいたい一行がオズの住むエメラルドの都へ行く間のさまざまな冒険物語である。

 この話の示唆的な点は、エメラルドの都へ通ずる黄色いレンガの道の存在である。どこにいても、迷っても、常にこの黄色いレンガの道に戻ることで確実にエメラルドの都へ行くことが可能なのだ。これは目的即ち志と、目的へ向かおうとする持続する気持ち、即ち意志を象徴していないか。
 たとえ進路を失って、路頭に迷っても、困難な事件に出会って弱気になっても、黄色いレンガの道に戻りさえすれば、目的に向かって歩み続けることができる。わたしは幾度、人生に黄色い道があればどんなにいいかと思ったことか。

 句会に話を戻そう。賢明な読者諸氏には既に話が見えているだろう。
俳句の志高く掲げても、なかなかに難しいものだ。そんなとき、句会の仲間の誰かがエメラルドの都(俳句)へ続く黄色いレンガの道を指し示してくれるなら、句会に参加する会員全員が歩み始めることができる。「学ぶことはつねにあり」と芭蕉につながる精神を想起することができるのである。
 孤高を歩むごく少数の人を除けばこうした仲間の存在はありがたいに違いない。

孤と衆と
 句会では仲間と歩むことで志を失うことなく意志の確認ができると述べた。しかし、俳句は元来は孤独なものである。たとえ大勢の吟行で仲間と語らいながら作句したとしても、創作工房は孤独な営みだ。
 けれども鑑賞は共同の営みである。そもそも創作は常に鑑賞を前提にしているはずだ。 「いや、自分は誰にも見せずに一人で俳句を楽しんでいる」
 こういう人もいることはよく知っている。でもよく考えてみると、たとえ密かな楽しみで句作をしていて、絶対に誰にも見せないという人でも、必ず自分という鑑賞者は想定しているはずだ。自分という鑑賞者を排除することは絶対に不可能なのだ。
 句会は多くの鑑賞者に自分の句を見てもらう場である。まさに句を鑑みてもらう場なのだ。孤独な創作の結果を句会参加者という鏡に照らすことで、自らを別の視点から鑑みることができる。
 ここにおいて、平凡な我々が自らを相対化する哲学者の視点を得ることになる。

切磋と情
 句会という俳句メディア空間に集う人達の間には、互いに研鑽しようという「切磋」と、励まし合おうという心の通い合いつまり「情」が交錯しつつ、かけがえのない人生という有限な時間の中の潤いある場となる。

 座には連歌の雅に飽きた上流社会の人と、俗に生きる庶民の上昇志向とを同時に満足させる社会的ヒエラルキーを超える場としての機能もあった。
(乾裕幸「松永貞 徳、国文学 解釈と鑑賞一九八四年六月号」要約)

 このように、古来からさまざまな人生を背負った人達が交響して、句会という俳句メディア空間に「遊ぶ」。
 先の黄色いレンガの道さえ歩んで行くなら句会に直接参加した仲間だけでなく、遠く空間を隔てた仲間との交流も同時に行っていることになる。志を同じくした仲間に無言の叱責と励ましをいただいているのだ。
 同様に「学ぶことはつねにあり」と芭蕉に代表される時代を超えた仲間とも切磋琢磨し、道を同じくする同友としての情を交わし、虚の「遊び」、魂の交歓をすることができるのである。
 ここに至って、地方も本部も時代も関係ない本当の意味での「出会い」が、俳句をメディアとした虚構の「出会い」が成立するのだ。

 俳句メディア空間に心底たゆたっている時、三昧の境地を疑似体験していると感じているのはおそらく筆者だけではあるまい。しんとした会場で紙と鉛筆の音だけが辺りを満たす。 誰の句とも知れぬ作品に固唾を呑んで感動し、言葉の醸し出す世界に浸るとき、優れた芸術家や宗教家のみ到達できる世界を垣間見たような気がするのだ。

 

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藍生集を読む

藍生集を読む 

三島広志

藍生集を読む(′92・10月号) 1
影と陰とかげ

三島広志

 ある詩人の息吹を実感したくてみちのくの炎暑の下を彷徨したことがある。
 古びた町並みはくっきりとした影を道に焼き付けていた。

  日がかうかうと照ってゐて
  空はがらんと暗かった
宮沢賢治 「開墾」より

 明るさも極まれば暗くなる。みちのくの炎昼は旅人に鮮烈な片陰を与えてくれた。


 片陰に己の影を見失ふ
中井みつぐ(岐阜)

 旅人は自問する。自分は一体どこから来て何処へ去り行こうとしているのかと。片陰には確かに己を見失わせる魔力がある。

 片蔭や見知らぬ人に会釈して
川島維頼(群馬)

 見知らぬ人とは一体誰か。彼こそは失った己の影ではないか。会釈をしながら遠い記憶をまさぐる。

 果たして陰と影とは。
 「影」「形」「彫」「彩」などに含まれる三本の斜めの線は刻まれたものを象形している。即ち影はものが日を遮って刻み付けるものなのだ。
 対して 陰(蔭)は「魂」「雲」などと同じように「云」を持つ。これは日の当たらない所の意味と同時に「氣」の古い意味を有し、形無けれど動めきありを表す。

 土に焼き付くはずの己が影を片陰が吸い取る。片陰に涼をのみ求めてたやすく入り込めないのは陰に潜在する怪しげな動めきのなせる技なのだ。

 石影の濃ゆきはさびし冷し蕎麦
後藤仁(岩手)

 地に刻まれた石の影。ただ今、此処には確かに存在する形。けれども時のうつろいとともに形は歪みついには夕闇に溶け去る。

 待つ人のどの道を来る夏木立
大沢江南子(福島)

 人を待つ。その人の面影を胸に抱いて。燃え立つ夏木立の彼方からあの人は来る。
しかし来る人にかかわりなくその人はわが胸に住んでいる。投影された郷愁の影として。

 名作の冒頭の海明易し
西村隆枝(広島)

 名作は海の光景から始まる。潮風に読者をたゆたわせながら。ふと気付けば現実の朝は暁光に包まれている。
 光もまた彼方からやってくるのだ。沖の波に光が砕け、夏の太陽が昇ってくる。古人は光をも「かげ」と呼んだ。なぜなら、光は陰の中を突き進む。そしてものに出会って影となる。

 蚊喰鳥手話の指先昏れのこる
長野眸(福岡)

 一心に語る指先を見つめている。胸の前で軽やかに指ことばの精が舞う。語り合う
二人の周りには闇も近づけないのか。ふと見上げるとが蚊喰鳥が音無き声を発して宵
の空を飛び交っている。

 夜濯やすいと男に騙されて
橘しのぶ(広島)

寝静まってから汗のものを洗う。蒸し暑さで寝苦しいなら、いっそさっぱりと一日の埃を落とそう。深闇が覆い被さる窓を開けて洗濯物を干す。すいと騙されたんだもの。汗も男に騙されたこともすいと流してしまおう。

 墓洗ふ水をもらってくすり飲む
篠塚秀義(北海道)

 一年の苔を墓石から洗い落とす。幽明の境の標だから丁寧に磨こう。だが命あるこの身も労らねば。薬の時間だが、えい、ままよ。水に代わりはあるまいと墓石用の水で服薬。この飄逸さはどうだ。

 すいと騙され、墓洗いの水で薬を飲む。このおおらかさこそ超然と「かげ」を突き抜ける。陰(かげ)から光(かげ)へと転換し、影(出会い)を大空へ解き放つ。

 でで虫や真っ直あがる観覧車
小山京子(福島)

藍生集を読む(92・11月号) 2
なつかしみ

三島広志

 季語の現場に立っての俳句の創造は、季節のただ中にあって季を実感し、事実・事物の確かな手触りの中から生み出されるものである。
 しかし、鑑賞は違う。夏の俳句でぎっしり埋められた藍生集を今わたしが読んでいるのは、暦の上ではすでに冬、現実には晩秋である。
 されば、鑑賞こそは想像力を縦横に発揮する現場とならねばならない。先月のわたしの鑑賞のあまりの牽強付会さに呆れた方もあるだろう。しかし、それはわたし自身の想像力の表出の結果にしか過ぎない。
 また、韻文を散文で解釈・解説することは作品に対して実に失礼なことだ。俳句をなぞらず鑑賞文の形を借りた自分表出を心掛けたい。

 今月もまた集中が佳句で満たされている。そんな中にあって共感できる俳句、驚きを与えてくれる俳句も素晴らしいが、読みを深める謎を孕んだ俳句もまた楽しい。えてしてそんな俳句は表現が極めて素直なものだ。

 海底を白く平たく泳ぐかな
溝口怜子(埼玉)

 海に帰る。そこは遠いいのちを育んだ故郷。骨を無くした原初のからだのように平らになって水中で白くきらめく。

 かなかなの万のかなしみ負ふごとく
遠野津留太(東京)

 かなかなと鳴くを数へて父の墓
坂内信造(東京)

 かなかなやうしろ姿を見つめられ
浜谷君子(愛知)

 蜩はその鳴き声をして聴く者にあはれの情を起こさしめる。
 その音色は生のかなしみを負い、数えるうちに遥かな来し方を偲ばせる。

 うぶすなの深閑として蝉涼し
荻野杏子(愛知)

 これもまた蜩か。うぶすなの静けさは懐かしさにつながる。

 盆の月廃船をうつ波の音
長晴子(大阪)

 最終のバスに人待つ盆の月
田丸栄子(広島)

 盆は魂の歴史と語らう日だ。身を流れる血潮に耳を傾けるために鮭のように故郷に帰る。廃船を照らす月明かりが人を語らいへいざなう。そしてバスは最終。未来からの断絶がそこにある。

 ひと逝くや大暑の風にさからはず
桑尾睦子(高知)

 日盛や霊柩車のみ路地に入る
川崎柳煙(福島)
 風に逆らわずに逝くのは自然随順の極致であろう。日盛りに葬儀は音もなくあっけからんと運ばれていく。
 人の訃を突き放して読むところに俳句の凄みがある。死という重い事実を端的に描写すると枯れて見えるのだ。
 ただ自らに忍び寄る死をこのように詠めるかが一大事。

 想ふことみなそれぞれでゐて涼し
山崎紀子(鳥取)

 集いは楽しい。さざ波のように笑顔が広がっていく。でも皆本当は何を考えているのだろう。言葉は同じでも受け取り方はそれぞれ違う。そう、共通点は涼しさばかり。


 ねむの花郵便配達くる時間
内山兌子(長野)

 軽くなる朝の気配に芙蓉咲く
安河内ちえ子(福岡)

 百合の花ひらりと食べてしまひけり
森田伊佐子(茨城)

 花は時間と繊細な心象を吸って開くようだ。花を見て心安らいだ後なぜか疲れるのはそのせいだ。

 ゆく夏のある日鰻の掴み捕り
滝本利子(神奈川)

 不思議な句。ある日という曖昧さが鰻の掴み所の無さにあいまって逝く夏の味わいを醸す。

 夜の秋の蜆の水を替へにけり
加藤きちを(岐阜)
 秋近き夜のしじまの深さが懐かしい。蜆に注がれるのはすでに秋の水だろう。

藍生集を読む(九二年・十二月号) 3
過程としての俳句

三島広志

 自分にとって俳句とは一体何だろう。
 藍生集の膨大な俳句をじっくり鑑賞する機会を与えられて、改めて考えさせられた。

 漫然とただ楽しいから作句していた時期を経て、生活の中に句作りが習慣化され、いつも脳裏ないしは胸中奥深くに五七五の調べが流れ、ふとした瞬間にそれが言語と化す。そうした十数年が断続してあった。
 断続、そう、決して一貫して俳句に没頭してきた訳ではない。熱中したり、離れたりの幾度かの繰返しがあった。しかし、俳句はついに心身の一部のように完全には捨て切れない、業とでも呼ぶべき動かしがたいものとして背後に張り付いていたのだ。


 では改めて自分にとって俳句とは何なのだ。 心情をふと吐露する私小説的俳句、人生の根幹に関わる問い掛けを表現する求道的俳句、呻吟の中から絞り出す自己救済的俳句、日常のひとこまを活写する日記的俳句、仲間との触れ合いや旅吟に親しむ愛好的俳句など人それぞれに俳句への取り組み方は異なるであろう。

 今のわたしにとって俳句とは、句を創出することで魂を建て直すとも言うべきものである。しかしそれは決して呻吟から生まれるものでなく、おおらかで呼吸が深くなるような虚構を設定・構築するものである。
 そのために現実を直視し、心の琴線に響くものを直覚するのである。しかしこの方法は類型化を招く。そこに詩化という魂の新鮮な仄めきが必要となるのだ。
 したがってわたしにとって「結果としての俳句」は「過程としての俳句」の魂を揺する瑞々しい展開に及ぶべくもない、即ち少なくとも第一義の問題ではないのである。


数片の骨を拾ふて夏果つる
小原祺子(岩手)

空蝉を拾ひて吾子の墓参
飯倉あづま(茨城)

 ともに死をテーマとする。死は唐突にかつ確実にやってくる。愛する者の全てが消失する。人は何かの手応えがないと不安でしかたがない。骨や空蝉は故人の隠喩として残された者を慰める。

林檎二個もいで秘密の基地へ行く
齋藤えみ(福島)

 造成地か薮の中に秘密基地を作った。食料は通りがかりの畑から拝借したもぎたての林檎。男性が悪餓鬼のころの共通体験。それを母の目で捕らえた。

鬼灯を残り火のごと引きにけり
大町道(栃木)

 残り火は未練である。燃え盛りの後の燻りが、残滓の中に淀んでいる状態。また鬼は充たされないあがきを示す。だからこそ狂気のごとく打ち込む姿を鬼と言う。鬼灯は鬼の未練を照らし出す。

何もせぬ両手をさげて夏に居る
溝口怜子(埼玉)

起重機の何も吊るさぬ良夜かな
本田正四郎(埼玉)

 何もしない、何も吊るさない。何もないものは俳句の素材に向いているようだ。その発見こそが詩精神の発露。

厳かにみんみんの鳴き始めたる
浦部熾(埼玉)

 厳かとは見事。来年からみんみんの声には襟を正さねば。

秋高し妊りて知る空の色
岡村皐月(千葉)

 新しい生命を胎内に秘めた女性に、秋はどんな色をもって祝福するのだろう。

息継いで舞ひ上がりたる秋の蝶
藤井正幸(東京)

 秋の蝶の舞い上がる一瞬の空白。あれは息継ぎだったのだ。

今日の月照らせよ滅びゆく大和
島田勝(奈良)

今生に最高の夏ありがとう
市嶋絢(京都)

 全ての現象や自然、営みは滅びへの前奏曲にしか過ぎない。しかし最高の夏は確かな手応えで我が身体・命の賛歌となる。
 「ありがとう」。哀しいほどに輝かしい。

 

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現代の俳句 連載12 〈痰のつまりし〉

現代の俳句 連載12 〈痰のつまりし〉 

三島広志

 短歌・俳句の投稿欄は新聞販売に地味ながらも大きな影響を持っているそうであるが、現在、人気の点では俳句が短歌を圧倒的に凌駕していると聞く。

 俳句の人気の大きな要素のひとつは、それが世界で一番短い詩型である点だろう。何にしても一番というのは気分が良い。それに、短くて誰にでも作れそうだ。そこで、とりあえず短さにだまされて取り付いてみると・・・その先は実作に苦しむ会員諸氏には言わずもがなのことである。

 鑑賞するだけの人からすれば、俳句より短歌の方がずっと読み易いと言う。短歌の方が長いだけ説明の部分があるからである。
 俳句は短さを克服するために色々な技術を発展させて来た結果として、逆に俳句を読み難くしてしまったことは否めない。

 この傾向は決して喜べるものではない。ある特殊な環境に適応したために、一般的な環境に適応できなくなって絶滅した生物種は無数にある。俳句もその危機にあらずとは言えないだろう。
 しかし、やはり俳句でモノを詳細に説明するのは難しい。十七字ではあまりにも短すぎる。だからと言って直截に感情を吐露すれば読み手は白ける。では、先人たちはどんな方法を駆使してきたのだろうか。

 「写生」と呼ぶ絵画の技法を取り込んだ方法。モノの指示だけに止めてモノそのものに語らせるやり方だ。即ち、読者に鑑賞の大方を委ねてしまう。例えば、林檎と書けば読者は読者なりの林檎を思い浮かべるように。

 あるいは、五七五の韻律を意識的に断ち切って、その空白に物語らせる方法。さりげなく文法違反を犯す韻文の最大効果でもある。「切れ字」や体言止めが典型。

 それとも、モノとモノとの衝撃的な出会いに読者を巻き込むか。各々意味合いは異なるが二句一章とか二物衝撃、モンタージュ効果などと称される俳句の中でも重要視される技術である。

 さらには、季語の持つ普遍的な時空間的〈場〉の中に読者を引きずり込む方法。歴史的に最も有効な手段とされ、現在、季語は方法を越えて、俳句の条件とまでされている。

 結局、十七文字で完結した世界を提供しようとするなら、これらの俳句が育んできた技術を駆使するしかあるまい。

 しかし、その繰り返しだけでは俳句の世界が狭まる。従来の方法に乗りながら新しい世界を目指すにはどうしたらいいのだろう。

 一の橋二の橋ほたるふぶきけり 黒田杏子
 指さして雪大文字茜さす 同
 はにわ乾くすみれに触れてきし風に 同 

 これら杏子の俳句は、過去の俳句の世界をあえて踏襲しようとはしていない。むしろ、現場において体ごと感じ取った(観じ取った)ものを一気に句に仕立て上げて俳句を若返らせている。句を作るに当たって季語の力に依存していないのだ。


 これらの句にも、結果として、長い年月をかけて育まれてきた季語やその他のことばの世界が見え隠れしている。それらの相乗効果の上に杏子の俳句は立ち、さらに俳句が季語に命を吹き込んでいるのだ。黒田杏子の俳句が驚嘆をもって迎えられた理由はこんなところにもあるのだろう。

 現場に立ち、対象から送られて来る波動と自らの精神とが共鳴する瞬間をはっしと掴む。それを自得するためには年月を必要とし、さらに、俳句の表現技術と同時浸透するように〈人間〉としての成長も必要とされる。

 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 子規

 子規のこの句に学ぶなら、それは叙法ではあるまい。彼は宿痾による極めて困難な日常生活を見事に俳句を通じて突き抜けた。即ち、非常を平常として生ききった。その間、自らを俳人の目で相対化できたこと、この俳精神をこそ、まず学ぶ、否、追い求める必要があるだろう。

 熱や喘ぎの中に苦悶している自らを痰の詰まった仏と見る諧謔。こういうところからしか糸瓜の句は生まれてこなかったのだ。

後書に代えて
 一年間、読みづらい文体に付き合って下さったことに感謝します。
 また、本来なら当然敬称を付けるべき方々に対して文の体裁上一貫して省略させていただきました。ここに謹んでお詫びいたします。

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現代の俳句11 「女流俳句 」

現代の俳句11 「女流俳句 」

三島広志
 

 俳句総合誌では、時折、女流特集が組まれる。数誌が時折やるのだから、結果として年がら年中、どこかの雑誌が女流で賑わうことになる。
 しかし、今更、女流特集など組まなくても、世の俳句愛好家の大勢は女流にある。
文化センターしかり、結社またしかりである。それとも、いまだに女流は量的にこそ男流を凌駕しているが、質的にはまだまだ劣っていると考えられているのだろうか。
華々しい女流特集を見るたびに考えさせられるのである。

 物事を類型的に見るのは好きではないが、一般に女性の方が感覚的な表現に優れている、あるいは大胆であると言えるだろう。今日、現代詩でも短歌でも川柳でも女流は元気がいい。男流に比べて感性のままの表現を恐れず、身体性豊かで伸びやかなのである。

 母の寝顔を見る/眼の縁の皮膚が/湿った布のように/ひだをたたみ/眼球のはげしい動きに/物の姿が伸び縮みしている
岩崎迪子(坂道より抄出)

 君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る  河野裕子

 わたくしの骨とさくらが満開に 大西泰世

 これら他のジャンルに対して女流俳人がやや自制的に感じるのは、俳句の短さや季語、なにより漠然たる説明困難な俳句性などというものの制約の大きさゆえであろうか。その俳句性というものが男流の寄り所と言えなくもない。そこに男流擁護のシステムが見受けられるのだ。そもそも女流特集などという企画があることに男流擁護が窺えるというものであろう。

 そうした、無自覚的な男流擁護の俳句界にあって、女性俳人が詩人としての資質を適度に抑制して俳句にまとめると、かえってそこにきらめく詩情と味わい深い世界が展開される。若い男性俳人にも感性重視の俳句が見られるが、多くは女性本来の特徴としてその傾向が強いようだ。例えば長谷川久々子の俳句などはその良い例だろう。
 長谷川久々子。昭和十五年生まれ。二十七歳で雲母(飯田龍太主宰)に投句を始め、二十九歳で岐阜から発行の青樹(木下青嶂主宰)にも入会。句作は夫長谷川双魚の影響による。現在、青嶂・双魚の後を受けて青樹の主宰である。昭和五十四年刊の処女句集「方円」序文に師の龍太は次のように述べる。

  私は久々子さんの作品に接するたびに、恵まれた詩才に感服する以上に、見事な怺え性に共感をおぼえ、深い感銘を受ける。
(生得と自得と)

 弟子の才能に感嘆する優れた師匠は久々子の怺え性に共感をおぼえるという。つまりは龍太本人も有り余る才能を俳句一筋に絞り込んできた、つまり他の分野や表現方法への誘惑を怺えてきたという本音がぽろりとこぼれた「共感」なのだろう。龍太には男流擁護から距離を置く見識がある。

 冬鏡伏せて嘆きは詩のはじめ (方円)
 誰が死んでも仙人掌仏花にはならず 同
 模糊として男旅する薄氷 同
 病人に耳と目のある良夜かな 同

 師の懐で久々子は自分の才能を縦横に展開することになる。そこには直接の先生で夫でもある双魚の深く暖かい眼差しも忘れてはならない。

 うすものに風あつまりて葬了る 双魚
 雲よりも花に従ふ空の色 同
 しんがりの子に風の吹く鰯雲 同

 恵まれた二人の師匠の下、その愛に報いるために久々子は敢えて自分の才を見事に抑制してきたのである。おそらくこれは俳句の師弟関係や結社の束縛が極めて上手く機能した例だろう。逆に潰されたり、俳句を見捨てて他のジャンルに移行した才も多くいるに違いないのだから。

 仏事から慶事やうやくうすごろも (水辺)
 秋口の終りの草で鎌ぬぐひ 同
 枯蟷螂血縁は骨はさみ合ふ (光陰)
 茎立や別るるための耳飾 同

 今は男女別なく俳句の世界を歩んで行くことができる時代であることは間違いない。子を産み育てる性である女性に男性が機会を与え、協力を惜しまないことが社会の発展に繋がるとは実にプラトンの時代から言われていることなのだ。ただし、お稽古事でなく、真っ当なる「遊び」として極めるという志はしっかり持たなければならない
ことは言うまでもない。

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現代の俳句10 「季語」と「写生」

現代の俳句10 「季語」と「写生」 

三島広志


 些少ながらも俳句に関わる者として季題や季語、さらに写生に触れないで通過する訳にはいかないだろう。そこで、今月はわたしなりにまとめてみた。

 季題は長い歴史の間に、人々の美意識の選別に磨かれてきた四時の物事の奥にある本意である。その際、具体的な季節の事物を指すことばを季語と呼ぶ。

 季語はより実生活に即した季節を表すことばである。物事の持つ本意の醸し出す季題の世界を日本人一般に共有させる記号のようなものとも言えるであろうか。季題も季語も日本人の精神史が育み、鍛えてきた美的経験共有化のためのことばなのであるが、季語のほうがより現実的とされているし歴史も浅い。

 山本健吉によれば、季題の頂点に五個の景物として「花・月・雪・時鳥・紅葉」があり、その裾野に和歌の季題や俳句の季語があるということになる。

 しかし、それは反面、ことばが美意識を強制することでもある。人の意識をことばに隷属させるのだ。例えば、花と言えば目の前の桜だけでなく、西行や業平などに代表される多くの歌が築いてきた花にまつわる世界が染み付いている。そこから完全に屹立した地点に立つことの難しさ。

 したがって、逆にそのことばに付着した猥雑な手垢をそぎ落とそうとする動きも同時に発展させることになる。その方法として子規が絵画の技法から取り込んだのが写生である。 写生とは物事をことばでおさらいすることだ。極力主観を排して物事をことばに置き換えることで、結果として物事に新しい息吹を与え、読む人の心まで揺さぶる。そのための方法の一つが写生なのだ。

 しかし同時に、写生は具体的な物事に形を借りた心の表出に外ならない。物事になぞらえるという表現方法で湧き上がる思いの丈を俳句に委ねているのだ。ここに至れば写生は方法というより心構えということになる。

 かくして俳句は季語の歴史的集積で膨らもうとする力とそれを削ぎ落とそうとする写生という相い反する力の責めぎ合う器となる。わずか五七五という小さな器にとってそれが幸いなことかどうか判断がつかないが、その恩恵は誰もが無自覚に受け取っていることは間違いないだろう。

 ともあれ、俳句は一般通念上は、五七五ということば足らずの形式とそれを補う季語で事物の本意の顕在化を図り、それに加えて写生によるイメージの屹立化によって新たな世界を生む場であることは確かである。
 森羅万象の中からひとつの物事をことばとして独立させると、その瞬間、ことばは新しい宇宙や自然を生みだす。そのとき季語が大きな働きをすることになるのだ。ただし、季語に代わることばが同じ役割を担うことが可能なことはいうまでもない。

 その生み出された宇宙・自然は現実の森羅万象と微妙にずれながら重なる。さらにずれた宇宙・自然がまた新しい宇宙・自然をずれながら重なりつつ生み続ける。こうして循環する気流のような俳句の世界が成立し生成し続けるだろう。

 この運動性によって作者が思いもしなかった新たな世界が俳句によって創り出される。こうした俳句はいのちを注がれた作品として命脈を保ち続けることが可能だ。作品と人との間に螺旋状の発展的な運動が渋滞なく続けば俳句も詠まれた物事も喜ぶに違いない。

 俳句は物事の本意を把握し、記録し、一般化する一つの方法だ。そこに魅力的な共通認識としての季語があり、便利な写生という方法がある。

 今日、これらに支えられて俳句は安易に作られ過ぎてはいないかとも思う。けれども、反対にこれは大衆文芸として極めて優れた性質ではないかとも感じる。深くも浅くも、楽しくも苦しくも、自由自在にその人なりに俳句と交流することができる。ここに俳句の人気の秘密があるのではないだろうか。

 いつの時代でも、俳句の可能性を探ってさまざまな試行を行っている精鋭俳人が、俳句の陥りやすい閉塞性に風穴を明けてくれている。その潮流に乗って、多くの俳句愛好家もまた舳先をゆっくりと変えつつ俳句の歴史を刻んで行くことだろう。俳句はこうして多くの無名の作家によって累々と書き継がれてきたのだ。そして、これから
も泰然とうねり続けていくに違いない。

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現代の俳句9〈薔薇までの距離〉

現代の俳句9〈薔薇までの距離〉 

三島広志 

 馬場駿吉の第三句集「夢中夢」は刺激的である。俳句という短い定型詩の可能性を伝統を断ったところで見事に書き切ってあるという点で実に刺激的なのである。
 知り合いのN女史が、ある日、

 「俳句って短いのに、こんなにすごい世界が表現できるんですね。とても驚きました。ことばの持つイメージが精神の奥をありありと表現しているんですもの。」

と目をきらきらさせながら、一冊の句集を持参した。これが「夢中夢」との邂逅。
 N女史がその句集を購入したのはすでに十年も前。わたしが俳句をやっていると知って改めて本箱から捜し出して来たのだ。

 作者の馬場駿吉は名古屋在住の医師で耳鼻科の権威。大学教育者として名高く、美術評論家としても一家を成している。

 「夢中夢」は「断面」「薔薇色地獄」に続く、彼の第三句集であり、近々第四句集が出る。また、「夢中夢」とほぼ同時に美術評論「液晶の虹彩」も出版された。

 句集を紹介してくれたN女史はフリーの編集者兼舞台芸術評論家で、以前、朝日新聞東海版に演劇や舞踊の月評を受け持っていたこともある。
 彼女は私が三月号のこの欄に書いた「鶴を抱へて・長谷川櫂」の下書稿に目を通して、俳句論に〈場〉という言葉が使われていることにとても関心を抱いた。
 舞台芸術は演技者と観客が同時空間体験を持つ〈場〉を形成することで成立する芸術だと理解しやすいが、俳句は詠み手と読み手が異時空間で結ばれているのだから、そこに〈場〉は見えにくいと言うのだ。しかし、俳句の前身である連句の〈座〉を考えればそこには〈場〉が極めて明瞭に姿を表している。

 俳人にとって〈場〉こそが極めて短い文芸を成立させている重要な要素であることは自明のことに過ぎない。
 彼女は舞台芸術と俳句という一見全く異なったジャンルを〈場〉という共通言語が結び付けることにとても興味を抱いていたようだ。 さて、俳句にあまり関心のなかったN女史を感動させた俳句とはいかなるものだろう。 まず冒頭の句を示そう。

 舌面に白き地獄繪桃を食ふ 駿吉

 通常の俳句に親しんだ読者にとってこういう句には違和感を持つだろう。「桃を食ふ」と一応季語はある。しかし、この俳句は私の頭脳に季語が伝統的に受け持ってきた像を描いてはくれない。作者は舌苔を白い地獄絵と見たのだろうけれども、いわゆる写生でないことは明らかである。

 ところが、こうした難解な俳句も以下の句を読んでいけば作者の意図が見えてくる。

 薔薇を剪る夢にて人を殺めし手 駿吉
 わがサドの復活祭の冬木伐る 同
 今宵わが地獄の磁針薔薇を指す 同

 これらの句は、現実を描写したものではない。むしろ作者の精神の深奥を何とか具体的な〈もの〉を通して普遍化しようという外科医の冷徹な目が、自らの心をメスで
捌いているようだ。そこに示された薔薇も冬木も景物としてのそれらではなく、心の中の風景なのであろう。

 作者は自らの精神の奥底が人々の精神と通底していると確信しているのではないか。
そしてそこにしか芸術の立つ瀬はないと考えているのかもしれない。

 手に提げて紫陽花はわが鬱の腦 駿吉
 薔薇までの距離ふとわが死までの距離 同
 わが射手座墜ちゆく海に水母殖ゆ 同
 星座涼し滅びし神の名をとどめ 同
 血を盗む春蚊をゆるし從妹の忌 同

 これらの比較的読みやすい作品もその上辺に止まることは許されない。読者はこれらの俳句を一度自分の精神の底まで沈めて、湧き上がる共感に身を委ねるという快感、あるいは拒絶をもって鑑賞することが要求されるのだ。

  俳壇という一種の結界をとりはらった開かれた地平で、自己の自由を思うままに主張しつつ、創作活動をつづけたいという願望を実行してきたまでのことである。

 駿吉は後書にこう書いている。これは俳人としてではなく、一人の創作者の決意に外ならない。奇しくもこの句集を私に紹介してくれた女性が、俳壇という結界の外で創作活動を自由に眺めている人であった点は、まさに駿吉の意に即したものであったと言えよう。

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現代の俳句8 〈「書き」つつ「見る」〉

現代の俳句8 〈「書き」つつ「見る」〉 

三島広志

 「現代の俳句」を自分なりに眺めてきた。しかしそれらはいずれも俳句に切り込んで断面を白日にさらすという取り組み方ではなかった。そう、上っ面を眺めてきただけなのだ。
 ここに至って自分自身に対して「俳句を書く」という根本的な問いかけを全くして来なかったことに気がついた。
 「藍生」九四年十一月号の「俳句と志ー遊びと人格をからめてー」という拙文のまとめとして次のように書いた。

  俳句を作り続けることは我が生において自分の「志」を見失わないための「意志」の確認とも思える。

 この一見「書くこと」に触れたような文章で実は私が俳句を意志確認の〈道具〉として考えていたことが露呈してしまった。
 拙文には私と俳句の関係が述べられているだけで書く行為自体を問う姿勢は見受けられない。俳句に真剣で対峙しようという姿勢を放棄し、自分にとって都合のよい〈道具〉と見てしまっているのだ。そこから脱出するためには、種々の表現形態の中からどうして敢えて俳句という表現形式を選ばなければならなかったのかと問い続け
ることだろう。

 ところが俳書を参考にしても多くはそこを割愛していきなり「俳句の作り方」と「素材」を述べてある。
 「五七五に収め、季語を用い、写生を基礎とし切れ字と省略が大切。題材は自然・人生・社会など」と。

 また俳論には人生に引き付けて書かれたものも多い。芭蕉の求道的な生き方に影響されたものだろう。例えば森澄雄の発言はそのまま優れた人生論あるいは宗教談ととらえてもあながち間違いではない。

  みなさんの句を見ていると、いつでもそのものがあるように安心して句をつくっている。ものは絶えず動いて、変化しているんです。動いているというよりも死に近づいていっているかもしれない。
「俳意と写生」澄雄俳話百題より

 見事なものであるが、ここにはすぐれた俳人の自然観と心が書かれているだけで、俳句を書く行為自体を追及するものではない。

 このように「方法」や「素材」や「心」については書かれていても根幹をなす問題である「何故俳句を選び、書き続けなければならないのか」という点についてはあまり書かれていないのである。
 以上のことを踏まえて「現代俳句集成別巻二(河出書房新社)」の中の高柳重信「『書き』つつ『見る』行為」という文章を紹介しよう。そこには戦争と結核という厳しい現実に直面した時代に青春を過ごした彼(彼の世代)と俳句との切実な出会いが書いてある。

  何も始まらないうちに、何もかもが終わってしまいそうな環境のなかで、僕たちの世代が、ようやく掴み取った唯一のものが、この俳句だったのである。したがって、その頃の僕たちにとって、俳句というものは、非常に切実な何かであった。

 彼は俳句との出会いがかくも切実だったためか、自らの作品を厳しく批評する。

  そこに生まれてくるのは、書かれるに先立って、もう大部分が決定済みの世界である。言葉に書かれることによって、ただ一度だけ、はじめて出現する世界ではなかった。

 こうした自らの容赦ない批評が向けられたのが処女句集「蕗子」である。

 身をそらす虹の    
 絶巓         
     処刑台


 船焼き捨てし
 船長は

 泳ぐかな

 とそれらの効果を上げるための多行形式を一句ごとに試みるという厳密で血を吐くほどの困難な過程を経て成立した作品群。しかし、なお重信は「決定済みの世界」に過ぎないと言う。

 私が初めて「船長」の句と出会ったときの、一行の空白の衝撃は今でもまだ新鮮に響く。これが「切れ」か!と、身を貫いたのだ。

 秋の田やむかし似合ひし紺絣 山川蝉夫
 亡き友といふ言葉ある柚子湯かな 同

 困難な作業の合間にこうした句も作っていた。これらの俳句は従来の方法に乗って発想と同時に瞬間的に書ききってしまう試みでそのときは山川蝉夫という別号を用いたと言う。

 自らが書く行為自体を厳しく相対化すること、それが俳句を衰退させない唯一の方法なのかもしれない。

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現代の俳句7〈海を知らぬ〉

現代の俳句7〈海を知らぬ〉 

三島広志

 俳句と平行して短歌を作っていた。三十歳の頃だ。切っ掛けは木枯が山を吹き抜ける句がどうしてもまとまらなかったのでいっそ短歌にしたらどうだろうと考えたのだ。

 枯山を木枯し空へ抜けし音幾度聞かば父に近づく 広志

 この歌をおもしろ半分に角川「短歌」の公募短歌館へ送ったら島田修二特選に入り「枯山を吹き抜けるこがらしに、作者はこの世の果てを感じている」などと身にあまる解釈までしていただいた。いわゆるビギナーズラックというやつである。

 俳句と短歌は兄弟のようによく似た形式なのに両方作る人は少ない。大家と呼ばれる人にはまずいないだろう。わたしの経験からすると、両方を作っているとついにはどちらも出来なくなってしまうのである。
 五七五七七の七七があることで、俳句を作るための緊張が緩み、逆に五七五と言い切る癖で短歌の調べがぎこちなくなる。つまるところ、両者は全く異なった文芸なのだ。

 俳句と短歌の両方に名を残した人に寺山修司(昭和十年生)がいるが、彼も時期を同じくして創作してはいない。中学から十八歳まで主として俳句を作ることで自己形成したと本人は述べている。「チエホフ祭」で短歌研究新人賞を得た十八歳以後は俳句を止め、短歌にその活躍の場を移したのである。

 修司と中学と高校を同じくし、十代俳句雑誌「牧羊神」の編集もした京武久美によれば、修司は当時から他人の作品から言葉やフレーズを借りたり盗んで自分の言葉とイメージに磨き上げる才に長けていたそうである。

 これは後に戯曲に進んだとき彼を大きく助ける才能となったろうが、「俳人格」などという言葉があるほどの厳格な俳句の世界からはあまり快く思われてはいない。今日でも俳句雑誌で修司を取り上げる機会が少ないのは次に紹介する短歌のせいであることは想像に難くない。

 莨火を床に踏み消して立ちあがるチエホフ祭の若き俳優 修司
 燭の火を莨火としつチエホフ忌 草田男
 一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき 修司
 種蒔ける者の足あと洽しや 草田男

 同じことは自分の作品でも試みられている。

 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり 修司
 夏井戸や故郷の少女は海知らず 修司
 わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む 修司
 父と呼びたき番人が棲む林檎園 修司

 これらの短歌は修司の短歌中とりわけ有名な作品であり、わたしの愛誦歌でもあるが、それらの作品が他人や本人の俳句に題材を得ていたところに一抹の割り切れなさを感じる。

 確かに和歌の歴史には本歌取りという技法があって、むしろ本歌を知っている学識を高く評価されてきたが、俳諧連句はそうした伝統をばっさり切り捨てることで庶民一般の文芸として連歌から独立したのだ。
 修司自身も本歌取りとは考えていなかったろう。だからと言って修司の作品を剽窃とも思わない。むしろわたしは二つの形式の間を修司がどんな気持ちで行き来したかにとても関心が湧くのである。

 俳句は短いために無限の想像を許す。しかしそれは想像力のある読み手にのみ許される。短歌はその許容を少し限定してくれる。その分かえってイメージを形成しやすいのではないか。読み手に優しいのである。

 「海を知らない少女」の前に「両手を広げるわれ」を置くことで実に初々しい光景が描けるだろう。限定のないモノの世界を剥き出しで提出するだけでは修司は物足りなかった、あるいは怖かったのではないだろうか。そこまで読者を信頼出来なかったのかもしれない。終には彼は短歌も捨てて劇や映画という視聴覚を用いる発表の場に
移ることになる。

 しかし彼の芝居は観客に強いイメージの喚起力を要求する。決して受け手に優しくはないのである。その点では実に俳句的である。

 歯冠まだ馴染まざりせば舌で嘗め寺山修司のあをき劇観る 広志

 修司亡き後、劇「新・病草子(寺山修司作)」を観る機会があって、帰り道に作った短歌である。その折り、彼が晩年俳句に戻ろうとした気持ちがなんとなく分かったような気がしたのである。

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現代の俳句6 〈湯気立てて〉

現代の俳句6 〈湯気立てて〉 

三島広志 

 俳句を読む時しばしば気になることがある。それは俳句は馴染みの無い人に読めているのだろうかという疑問である。

 田一枚植ゑて立ち去る柳かな 芭蕉

 そのまま読めば田を植えて立ち去ったのは柳の木だ。その解釈でも面白いがいかにも変だ。立ち去ったのは芭蕉かあるいは誰か、いずれにしても人間だろう。この句には日常語の読み方が通用しない。

 この極端な例句に限らずどんな場合にも俳句独自の読み方が要求される。日常語と同じ読み方をすると俳句の魅力が掴めない。これは当たり前である。韻文である俳句を散文的に読むことは許されないからだ。

 「俳句は作るのではない、ひねるのだ」

と以前何かで読んだことがある。ひねられることで文脈からすとんと落下する快感が生じる。うまくはぐらかされるのである。言葉の落差。それはジェットコースターに乗って落下や回転の速さに心と体が分断されて一瞬奇妙な快感を得るのと共通の感覚だ。

 夕空の美しかりし葛湯かな 上田五千石
 四五人のみしみし歩く障子かな 岸本尚毅

 それぞれ下五は中七から飛躍している。読み手は表現上の飛躍を想像力で埋めて読むし、作り手もそれを期待して句に仕立て上げる。そこに作り手と読み手の相補う阿吽の関係が成立しているが、俳句と関わりの薄い人にどこまで読めるだろうか。俳句ならではの空白を埋め込む読みは望めそうもない。

 文語標記も過渡期にある。文語世代は文語で考え、文語で表しているので無理が無い。しかし口語世代は口語で考え、文語に置き換えている。あえて文語を用いるのはその美しさだけでなく、口語と文語のずれ、落差を楽しんでいるふしがある。その点で、文語世代と口語世代では文語に対する考えや姿勢はまるで異なることになる。それに続く世代に果たして文語が通用するのだろうか。

 難しい漢字や言葉もそうだ。「孑孑」や「蟋蟀」、「料峭」など今では俳句にのみ保存されていることばだろう。それはとても意味のあることだが、一般からの遊離もまた大きい。これらは俳句の閉鎖性を物語っている。 

「俳句はそれでいいのさ」
というセクト主義を貫くなら、俳句は衰退の道を辿ることになる。俳句が世界中に広がっても本家本元で青息吐息の状態では俳諧連句から命懸けで芸術の道を立てた芭蕉や連綿たる詩歌の歴史に関わってきた先達に会わせる顔がない。「現代の俳句」とは「過去から現代を経て未来へ続く俳句」でなければならないだろうから。

 さて、繰り言はこれくらいにして今月は伝統をしっかり受け止めつつ、新しい肌触りの俳句を指向している若手を紹介したい。平成五年、三四歳で処女句集「重華」を刊行して遅すぎる新人と評判となった日原傳である。
 彼は昭和三四年生まれ。俳句は小佐田哲男、有馬朗人、山口青邨に学び現在「天為」に所属。中国哲学の学究である。
 句集には彼の専門とする漢籍に関する用語も散見されるが難解なものは少ない。北京大学留学中の作品も多く入集されているが違和感無く読み進めることができる。

 もう鳴かぬ亀の化石を飾りけり 傳
 湯気立てて韓愈流謫の地の粽 同
 大根を蒔き半島の星の数 同
 夕風の出てぼうたんに裏表 同
手袋の真白き道士語りだす 同
 冬没日牛の顎の下に燃ゆ 同
 麗人にもらひし風邪や金閣寺 同
 山椿大きな足の仏たち 同
 水打つてある店先が登山口 同

 韓愈の句のように骨格厳しき作品もあれば、ぼうたんの句のように若々しい感性の句もあるが全体に豊かな大陸的とも呼べる「遊び」がある。ただし「仏蘭西にゆく人送る目刺かな」までひねると芭蕉の柳と同様目刺が人を送るとしか読めないのではないだろうか。

  傳の俳句は対象の真実に切り込むというより、対象の醸し出すものを的確に把握しようとしているように見受けられる。年長者からは甘いと思われるかもしれないが、それはそれで戦争や貧困、政治闘争といったものとは無縁に育っている世代を如実に表現していると言えよう。
 むしろ闘病者などを除けば重くれた句を作ることの方が今日では不自然なポーズなのだ。そういった意味で傳は現代の二十代三十代の俳句を代表していると言っていいだろう。 

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現代の俳句5〈くらき夜は〉

現代の俳句5〈くらき夜は〉 

三島広志

 自分個人の「体験」をほとんど同時進行で別のもう一人の自分が見つめている。これが「経験」である。その「経験」に知的な刀で斬り込めばそれは本質的な理論になるのだが、その一歩手前の経験知を一般的な体験事項で言い伝えているのが「諺」だ。
 例えば、どんな名人でも油断すると失敗するという本質を「猿も木から落ちる」とか「弘法も筆の誤り」とか「河童の川流れ」と分かりやすく表現をするのである。

 すると俳句はどこか諺に似ているように思える。俳句は言葉上では何も説明をせず物や事のみ書き留める。それでも、読み手が自己の経験かそれに基づく想像力で句の奥を読み取ってくれるのである。

 深い味わいのある句はその中に多くの人の共感を呼ぶ物の見方や感慨あるいは発見を支える下部構造を保持している。この下部構造を認め合う環境を俳句では「座」とか「場」と称するのではなかろうか。
 他人のアルバムを見せられても全くおもしろくないのは、そこに自分の共有できるもの、つまり「場」が存在していないからである。過去に自分も行った場所、あるいは恋人でも写っていればその写真は卒然と魅力を発揮するのだがそれは「場」の力によるものであって写真の出来とは直接関係がない。

 俳句も同様である。アルバムを見せられたような俳句は読むのが苦痛ですらある。
とりわけ吾子俳句がその典型であることは言うまでもない。子供の真実を掬い上げた次のような作品を除いては。

 万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
 天瓜粉しんじつ吾子は無一物 鷹羽狩行
 裸子がわれの裸をよろこべり 千葉皓史

 すぐれた作品は個別的な物事から一般性ある部分を抽出し、多くの読み手に共感される表現で書かれている。表面上は作為が見えないが、しかし実は、作り手の用意周到な内的処理が工夫されている。それではじめて広く深い作り手と読み手の交流する「場」が形成されるのだ。

 さらに先月号の最後に書いたように「場」は固着したものではなく時代を包む大きな意志によって動く。であるから芭蕉の句を現代に生きる私たちが読むとき、当時の人々とは異なった読みをしていることも確実である。
 したがって、昔の句を今日の目で再錯定して埋もれつつある佳吟を掘り起こすことも必要なことであろう。それが新しい「場」でも耐え得る作品を遺した俳人の命脈をより長く保ち得ることになるのだ。その意味で是非江戸期の俳人加舎白雄を取り上げてみたい。
 なぜなら彼の句は今日でも燦然たる光を放っているが、その魅力は歳月にさらされて程よく枯れた古寺のそれではないからだ。

 信州上田の中級武士の次男として生まれた加舎白雄(一七三八~一七九一)は江戸中期の俳人である。江戸時代の俳人は芭蕉とその門人、中期の蕪村、後期の一茶以外はあまり知られていない。私もその不明を恥じなければならないが、矢島渚男著「白雄の秀句」(講談社学術文庫)によってその蒙を啓かれた。

 くらき夜はくらきかぎりの寒哉 白雄
 元日や大樹のもとの人ごゝろ 同
 凧空見てものはおもはざる 同
 さうぶ湯やさうぶ寄くる乳のあたり 同
 梟も死なねば凍ぬ梢かな 同
 暁や氷をふくむ水白し 同

 白雄の俳論「寂栞」にある

  万象をはこんで自己とすべし 自己をはこんで万象とする事なかれ

について、渚男は次のように解説している。

  「万象をはこんで自己とする」ことと、客観を「写生」することと、両者の微妙 な差異は基本的にことなる根底に立っている。一方は自己を自然の一部とみなし造 化としての自然に随順し同化する、他方は人間主観が世界に対立してこれを把握し 支配しようとする。それはごくおおまかに老荘自然観と近代西欧の自然観との相違に基づいていると云ってよい。

 白雄の俳句には当時の状況を知らず、今日的読みをしても十分味わえる俳句が多い。
ひとつには人間の本質は昔も今もさほど変わらないということなのだろうが、白雄という作家は人や自然の営みの奥に潜む一般性すなわち造化と同化して見切る眼力を有していたからに相違ないだろう。

 白雄顕彰に情熱を注ぐ矢島渚男の一句。

 船のやうに年逝く人をこぼしつつ 渚男

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現代の俳句4 〈未来より〉

現代の俳句4 〈未来より〉 

三島広志

 思えば私の俳句において平井照敏という人の影響は大きい。「国文学解釈と鑑賞」誌の昭和五八年二月号に照敏と草間時彦の対談があり、時の若き女流俳人として次の人達が紹介されていた。

 べっかふ飴青水無月の森透かす 黒田杏子
 白葱のひかりの棒をいま刻む 同
 飛魚のいのちしろがね濤を翔び 神尾久美子
 熱帯の空白 跣の孔雀くる 伊丹公子

 「ひかりの棒」や「いのちしろがね」などは既存の俳句には無い新しい表現だと称賛されていたのだ。私が今「藍生」にいるのはその影響を否定できない。
 さらに照敏は高柳重信編集の「俳句研究」(現在刊行中のものではない)や坪内稔典を中心とする「現代俳句」を力ある若者の集団として評価していた。

 そこで早速「俳句研究」や「現代俳句」を購読したのだがほどなく両誌とも廃刊になってしまった。「俳句研究」は重信の死去や経済的理由から、「現代俳句」は新たな発展を目指して。
 手持ちの「現代俳句」を本箱から取り出してみると「藍生」に参加している中岡毅雄、今井豊の名も見える。特に豊は第一句集「席捲」を発刊したばかりで、その特集に大切に育てたいという稔典の熱意が伺われる。

 寒禽に未だ突き指の癒えざりし 中岡毅雄
 萩枯れて気になることがいつまでも 同
 落書きの中の愛憎鳥渡る 今井豊
 血を拭けば薄刃にもどる冬の凪 同

 「現代俳句」の別冊「俳句・1984」では夏石番矢や長谷川櫂などが評論で活躍している。
 今日の若手俳人の中心と目されている櫂と番矢は俳句観の相対する立場の代表として象徴的に比較されるが、当時の「現代俳句」別冊にも既に互いの明確な立場が記されている。

  俳句という短詩型は、短いという欠点を《切れ》によって克服しようとしている だけではなく、《切れ》によってことばを活性化させようとしている。
俳句と世界性 夏石番矢

 俳句を破壊しているのではないかと評される番矢は、このように俳句に日本語の活性化の可能性を見て取っている。つまり、俳句のみを見ているのではなく、それを包む日本語から俳句を捕らえ、とりわけ「切れ」にことばを活性化させる可能性を期待しているのである。「切れ」はことば一般に普遍的な活性力を有するが故に外国においても十分力を発揮できると理解しているのだ。そこには破壊どころか普通の俳句作家以上に俳句に寄せる情熱が感じられる。

  古人たちは、生々流転をくりかえす、はかない外界の自然にいつしか見切りをつ けて、むしろ進んで心のなかに、より確かな世界を築き上げようとした。
俳句と都市 長谷川櫂

 長谷川櫂は俳句は「場」の文芸との立場を明確にしているが(先月号参照)、番矢は「切れ」という言語構造に重きをおく俳句作家であり、櫂は「季語」の持つ普遍的な伝達性を信頼した作家と言えるだろう。

 日本海溝 幕が下りれば海あらず 番矢
 犬捨てられし野を剃刀が映しけり 同
 未来より滝を吹き割る風来たる 同
 天ハ固体ナリ山頂ノ蟻ノ全滅 同

 俳句の可能性と本質の探求のために様々な試行をして、結果として読者を拒絶しているかのような番矢も実は読み手を待っているのではないだろうか。今は読まれなくてもいつかは読み手が出てくるかも知れないと望んでいるのだ。
 その点では番矢なりの「場」を求めていることになる。およそ人間の営みは「場」に依存しなければ成立しないものなのだ。

 昔、難解派と称された加藤楸邨・中村草田男・石田波郷も今の読者にはさほど難解とは映らない。彼らの作品を受け入れる「場」が動いたからに違いない。作品を支える「場」は時代と共に動いているからだ。
 では、「場」の動きを成り行きに任せておけばいいのだろうか。そんなことはあるまい。そこには時代的な、あるいは俳句の詠み手の総和としての志が必要になってくる。

 番矢は力強く俳句の「場」の彼方を目指して開墾し続けて行くだろうし、櫂は過去の俳人たちとも共有可能な「場」を保持しつつ、新しい可能性を索ねているに違いない。

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現代の俳句3 〈鶴をかかへて〉

現代の俳句3 〈鶴をかかへて〉

三島広志

 昭和五十八・九年、わたしは「槇」(平井照敏主宰)に所属していた。三十歳前後のことである。
 会員の中に文・作ともに目覚ましい活躍をしていたほぼ同い年の同人がいた。わたしは彼の俳句や評論をまぶしく仰ぎ見ているのみであったが、ほどなく彼は総合誌においても評論家として活躍を始め、ついには現代の若手を代表する俳句作家の一人と目されるようになったのである。

 彼の名は長谷川櫂(昭和二十九年生)。平井照敏の俳論に惹かれた櫂は十年間師事したのち、飴山實に学ぶ。同人誌「夏至」を大木あまりや、千葉皓史と創刊。解散後結社「古志」を起こした。結社名は処女句集による。

 古志ふかくこし大雪の雪菜粥 (古志)

 古志は越(新潟)の古い当て字だそうだが、平井照敏は「伝統につながりながら、新しい感覚をにおわせて、十七音を一変させてゆく」と意味付けし、櫂に代表される若手を称して「古志派」と命名している。(現代の俳句・講談社学術文庫)

 冬深し柱の中の濤の音 (古志)
 鳥笛は息のなきがら春隣 (古志)

 櫂の俳句は端然として感覚にきらめきがあり言葉が潤っている。決して新しさを表面に出す事なく、恒久なる〈もの〉と〈もの〉との出会いによって句に鮮度を立たしめているようだ。
 たとえ俳句に詠まれた風景や素材が昔からのものであっても、ことばの組み合わせや素材の配合の工夫、何より物事の本質を把握する視座から十分現代に生きる人間の心は表現できる。一見古びた題材ながら、確かに詠んでいるのは今を生きている作者の視点なのだから。

 子の睡りもつとも深し苔の花 (古志)
 表より日のさす冬の葭簀かな (古志)
 旅人と旅人の子の初霞 (天球)
 目を入るるとき痛からん雛の顔 (天球)

 櫂は俳句を〈場〉の文芸とはっきり位置付けている。彼の〈場〉とは眼前にいる人達だけでなく遠く時間を隔てた芭蕉や蕪村、それに先立つ和歌の歴史も含まれている。

 また空間を別つ同時代に生きる人達や未だ出会わぬ遥かな先の人とも交流する。そういった大きな〈場〉を想定しているようである。
 彼にとって俳句とは歴史と距離を「季語」という時空を胎蔵したことばに乗って駆け巡る壮大な通信の器かもしれない。

 春の水とは濡れてゐるみづのこと (古志)
 春の水皺苦茶にして渉りけり (古志)
 みづうみは真水の寒さ舟を出す (天球)
 この家の明りのもるる氷柱かな (天球)

 永遠性のある素材や景色から新しい世界を読み取るためには偏執なまでのこだわりが必要なのだろう。櫂はさまざまなものにこだわる。とりわけ水あるいはその異体としての氷や雨などへのこだわりが句集を満たしている。
 第一句目は櫂の代表作のひとつであるが、この文語表記ながらも口語調の一行を俳句と諾えない人も多いことだろう。内容も当たり前と言えば当たり前だ。しかしかつて、春の水はこのようにことばに表現されたことがあったろうか。まさに水の本質を平易に的確に言い止めた俳句である。「水」と「みづ」の差異に作者の眼目があるに
違いない。
 この句は絶対に水という素材におぶさって書かれた句ではない。この俳句によって春の水に新たな息吹が注がれたのである。

 山口誓子は俳句に新しい素材を取り込むことで俳句の世界を広げたと言われる。それと同時に氏は素材の本質も書き留めようとされた。ところがその亜流は素材の新味にのみ喜びを感じて終わってしまいがちだ。
 櫂は新しい素材を取り込むより、身近な、あるいは言い古されたものの深みを執拗に追いかけている。
 処女句集第二句目に置かれたこの生硬な「濡れてゐるみづ」の句はその表現の硬さゆえにきわどい詩情を確保できたようだ。

 四十歳という年齢で人口に膾炙した句を少なからずものした偉才はこれからいかなる方向に進もうとするのか。彼は人々から現代の俳句の一つの可能性を期待される俳人である。それが長谷川櫂の良き重圧となることを願わずにはいられない。

 夏の闇鶴を抱へてゆくごとく 櫂

 櫂の行く末を暗示するような代表句だが何故か句集には収められていない。

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現代の俳句2  〈冬野の真中〉

現代の俳句2  〈冬野の真中〉

三島広志

 そもそも「現代の俳句」とは何だろう。今という時代を詠む俳句ということなら、政治や経済、福祉や女性の自立など今日の日本が抱えているさまざまな問題をテーマにすることになろうがそうした社会性俳句は現代の俳句にはあまり見当たらない。

 私たちは誰彼を問わず毎日を現実の社会の中で必死に生きている。その社会から影響を受けている日々の心象を俳句という形式と素材を借りて表現しているのが今日を生きている私たちの「現代の俳句」なのだから敢えて社会的な問題を俳句には直接表現しなくてもいいのではないかとも考えられる。
 時代を超えた人々の意識下に存在するものを俳句として表現されたものがその時代の〈現代の俳句〉ではないかと思うのである。

 芭蕉による俳諧の芸術革命から子規による俳句革命の流れに続いて、新傾向俳句、新興俳句、人間探求派、前衛俳句、社会性俳句などを経て今日の俳句があるが、ことばで表現された俳句の深奥にはそれぞれの時代の滔々たる流れがあって、それが作者の意識とことばを通じて俳句になっている。それがその時代における〈現代の俳句〉なのだろう。時代に書かされた俳句と言ってもよい。

 こうした俳句の歴史の中に「詩」と「俳」という二つの対立する因子を見いだして、そこに弁証法性(二つの因子が対立することで互いに影響を与えながら発展する力を内在している性質)を認めることで極めてダイナミックに俳句の歴史を捕らえることに成功した評論家・俳人に平井照敏(昭和六年生)がいる。

 彼は加藤楸邨に師事し「寒雷」編集長を経て、現在「槇」を創刊主宰している。
 照敏によれば「俳」は「伝統、守旧、俳句性」、「詩」は「文学、芸術などを含む。
俳句を新しいものに変えようとする欲求」ということになる。
 照敏の説を大雑把に紹介すると、芭蕉は「詩・俳」二つの因子を合わせ持ち、蕪村は「詩」的傾向、一茶は「俳」の実践、子規は「俳・詩」のバランスの取れた革新者、碧梧桐は「詩」を求めて猛進し自己分裂したが後のさまざまな俳句運動の萌芽となり、虚子は碧梧桐の動きを危惧して「俳」を守りながら大衆化を歩んだ。その停滞から秋
桜子が「詩」を指向して飛び出して新興俳句や人間探求派の端緒となったという具合に俳句史の大きなうねりを読み取り、戦後の前衛俳句や社会性俳句の「詩」傾向から澄雄や龍太による「俳」への復権を経て今日に至っているとする。

 さらにテーマも時代とともに変わり、自然の時代から人間、社会ときて、今後はことばによることばの俳句の時代へ展開していくのではないかと予見している。

 照敏の説に相似したものとして山本健吉は名著「現代俳句」で

  子規説の発展の上に碧梧桐はさらに伝統破壊と写生徹底の説を繰りひろげたが、虚子は伝統尊重の上に趣  向の調和を求めた。

と慧眼ぶりを示している。また、照敏編の「現代の俳句」に自ら記しているように復本一郎の近世俳諧を反和歌と親和歌の二因子による展開とらえる史観もあるという。
 照敏はフランス文学ことに詩の研究を専門とし、詩人としてスタートしたのち、楸邨と職場を共にした縁で俳句の研究に没頭した。

  吹き過ぎぬ割りし卵を青嵐  照敏
  雲雀落ち天に金粉残りけり  照敏
  リヤ王の蟇のどんでん返しかな  照敏

 初期の作品である。本来なら「青嵐割りし卵を吹き過ぎぬ」と素直に詠むべきところだろうが複雑に倒置させるところに、若き詩人としてことばに語らせようとする意志が感じられる。さらに雲雀の残像に金粉を幻視したり、蟇の転倒にリア王の悲劇を連想したりと、若き照敏の詩の技法を大胆に俳句に取り込む意気込みが伺われる。こ
うしたところに「詩」と「俳」の責めぎ合いが照敏自身の中にも起きていると読み取ることが可能だ。

  いつの日も冬野の真中帰り来る  照敏
  藍の布ひろがりひろがり秋の風  照敏
  春の闇うしろの顔が笑ひ出す  照敏

 句のうわべから作為が抜けた作品には、見える世界と見えない世界がひたと重なり合って、世界の裏側が沈黙のうちに仄(かす)かに仄(ほの)めいているようだ。
 昭和五十八年から約二年間、わたしは「槇」にお世話になった。


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現代の俳句1 〈淋しさ〉と〈なつかしさ〉

現代の俳句1 〈淋しさ〉と〈なつかしさ〉

三島広志


 一年間、この欄を受け持つことになった。広く現代の俳句を鳥瞰するのは実に困難な作業である。ならばまずは「わが俳句事始め」として来し方を見つめていこう。それでも現代の俳句にささやかながらも関わることであろうから。

 手元に一通の手紙がある。

「お父さまを失われました由、まだお若くいらっしゃいますのにお気毒に存じます。
お父さまはご両親に先立たれたのですからさぞご落胆なさったことでしょう。貴方もお母さんを守って立派になられますよう心に誓って下さい。ほんとに残念なことでした。あつくお悔を申します。十一月六日 コウ子」

 昭和四十九年、当時二十歳のわたしの元に届いた原石鼎夫人コウ子からの励ましの便りである。

 その前年終わり頃から、わたしは結社「鹿火屋」に所属していた。山本健吉著「現代俳句」を読み、句の好みから原石鼎の会を選んだのである。残念なことに石鼎は二十年以上前に亡くなっていたが。
 結社名は石鼎の知られた深吉野での作

  淋しさにまた銅鑼うつや鹿火屋守

にちなんでいる。

 昭和四十九年はコウ子から原裕へ主宰が継承された年と記憶するが、わたしは毎月コウ子の添削を受けて俳句の勉強を始めたのである。

  蛍火の飛ぶ一つだに合寄らず コウ子
  花屑にまみれしままの若緑  コウ子
  紅梅にしづ心なく人に酔ふ  コウ子

 明治二十九年生まれの原コウ子は石鼎亡き後、裕に譲るまでの約二十年間老舗「鹿火屋」を守り抜いた。その尋常ならぬ精神力からすれば彼女の俳句は実に穏やかである。慈眼とも言うべき視線が対象を包んでいる。
 「鹿火屋」を守り抜いた気力の源はおそらく先の手紙のような母なるやさしさであったのだろう。昭和六十三年亡くなられた。

 現主宰は石鼎の通夜にコウ子はもとより「鹿火屋」を支える同人幹部や高弟達からも請われて原家の養子となった裕(昭和五年生)。

  鳥雲に入るおほかたは常の景  裕
  はつゆめの半ばを過ぎて出雲かな  裕
  みちのくの闇をうしろに牡丹焚く  裕
  鬼やらふとき大闇の相模灘  裕

 裕の句は〈なつかしさ〉を基調とする。
 「こころの奥になつかしさを呼び覚ますものを詠みたい。なつかしさは過去にかかわるならば原初的ななつかしさを、現在にかかわるならば身を切るなつかしさを、そして、未来にかかわるならばいのちの尊厳にふれたなつかしさを」は裕の言である。
  牡蛎食うて男も白きのどをもつ  裕
  寒卵吸はるるごとく吸ひゐたり  裕
  石蹴つて鎌倉の冬起こしけり  裕

 大づかみに捉えたものを通して心象をどかりと詠み上げるのが原裕の歩んできた道だが、ときにこうした感性のひらめきのままに提出される句がある。

 本来の氏の特質はあるいはこちらにあるのではないだろうか。半生をひたすら石鼎顕彰に努め、句作の手法においても「写生より想像力へ」と自らを厳しく律してきた氏なればこそ、わたしとしてはこうした句が見られることに安心もするのである。
 対象を総身で一気に把握するおおらかさは裕の参禅への深い関心と繋がっているかもしれない。俳味と禅味には共通性を感じるのだ。

 「非常」にいて「平常」を掴み、「平常」にいて「非常」に身を置くのが禅であれば、日常、俳境に身を委ねておく態度は禅に相通じる。俳人の中には俳句を日常の中に浸透させることで「非常」を作りあげ、日常を道場とする人達が確かに存在するからである。

  一房のぶだう浸せり原爆忌  裕
  二房の葡萄あり父母のなきこの地  裕

 葡萄にいのちの重さを感得するのは裕だけではないであろう。一房の葡萄の意外な重さの充実からは、いのちの、あるいは血脈の連なりが意識させられる。その深奥に潜む風土の〈なつかしさ〉を裕は身体ごと掬い上げて把握しようとするのだ。次の短歌のような普遍の〈なつかしさ〉を。

  ぶだう呑む口ひらくときこの家の過去世の人ら我を見つむる  高野公彦

 裕の〈なつかしさ〉は石鼎の〈淋しさ〉の鉱脈を深く掘り進んで自ら探り当てたものなのである。

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