俳句とからだ 60
連載俳句と“からだ” 60
愛知 三島広志
機能と構造
万物は機能と構造を所有する。構造とは物質や物体のつくりや組み合わせ、メカニズムやシステムの様式や形式、組み合わせを言う。また機能とはある物事に備わっている働き。器官・機械などで相互に関連し合って全体を構成する個々の各部分が全体の中で担っている固有の役割である。構造はつくり、機能ははたらきと要約すれば理解し易いかも知れない。
会社は組織構造と会社員が目標に向かって役割機能を成就することで成立する。つまり機能と構造が互いに浸透し合うことで維持発展する。テレビは複雑な機械構造に電気が流れることで受像器という役割機能が出現する。自動車もボディや足回り、エンジンやハンドルといった構造にエネルギーという情報が伝わり、運転手が操作することで機能する。
身体もまた機能(つくり)と構造(はたらき)をもつ。雑に言えば機能は生理学、構造は解剖学だ。骨折は構造的な問題で、骨が上手に整復すれば以前のように動くことができる。しかし脳血管障害後遺症のように脳の構造が壊れると同時に機能がうまく働かなくなると、外見上つまり構造上問題が無いように見えても本人は身体を思うようにコントロール出来ない。
ヒトは加齢によって筋肉や骨格に疲弊や衰退が生じるが若い時と基本的な構造に変化はない。ところが若い時と同じようには身体が働かなくなる。つまり機能的に異変を生じているのだ。一気に異変が来れば病気だが、時間を経ながらゆっくり弱ってくるならそれは加齢現象と呼ばれる。つまり老化ということになる。
山越える山のかたちの夏帽子 桂信子
俳句にも構造がある。大きくは言語構造、さらに日本語という構造、それらに包摂された俳句の独自構造。五七五が構造であるというのは余りに現象的な捉え方である。仮に五七五という定型をとりながらも実はその句の内容に相応しいリズム、韻を生かす形式がある。この形式を一句毎に作ることが本来の俳句の構造であろう。安易に定型に詰め込むだけなら構造もどきであって機能しているとは言えない。字余りや字足らず、句またがりは作者の強い意図の元に練りこまれた機能的構造への一歩と言える。
自由詩や自由律は作者の意思によって一句毎に形式を創り上げるという実に難儀な作業である。定型というスローガンの元、安易に五七五という器に言葉を放り込むだけならそれは俳句と呼べるかどうか。機能と構造という側面から俳句を考えてみることも必要だろう。
扇風機働き羽根を見失う 片岡秀樹
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