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2011年9月29日 (木)

俳句とからだ 57

連載俳句と“からだ” 57


愛知 三島広志


極限の選択

 先頃、あるターミナルケアに関わった。私の仕事は鍼灸師でありマッサージ師でありケアマネージャーであるから自らの職分においてチーム医療やチーム介護の一人として参加することがある。このケースは訪問マッサージ師としての依頼だった。その方の病名は筋委縮性側索硬化症。難病の神経変性症で通称ALSと呼ばれている。意識や感覚は極めて清明なまま全身の筋肉の働きが削ぎ落とされていく厳しい病気である。アメリカではメジャーリーガー、ルー・ゲーリックが現役中に罹患ことで知られルー・ゲーリック病と呼ばれている。高名な学者ホーキング博士(否定説もある)や中国の指導者毛沢東もこの病気であった。日本でも俳人折笠美秋氏がそうであったし、徳洲会の徳田虎雄氏やタレント教授として知られた篠沢秀夫氏が現在闘病中である。

 春の昼喪服の中のししむらも 藤田湘子

 ALSの特徴は進行が極めて速いことだ。通常、半数の方が人工呼吸器を装着しなければ発症後三年から五年で呼吸筋麻痺により死亡する。残念ながら治癒のための有効な治療法は確立されていない。 私の関わった方は昨年十一月発症、今年の三月に入院し、月末に退院、自宅療養に入られた。二人の娘さんが介護休暇を取って献身的に介護されたが四月半ばに逝去された。予想以上に速い進行だった。

 この方は字が書ける間に主治医や家族と意見交換、あらゆる延命行為を拒否された。人工呼吸器も胃に直接栄養を流し込む胃瘻(いろう)も。唯一家族の願いで中心静脈からの栄養だけを入れた。

しかしこの決意は単純ではない。マッサージに訪れた枕元には娘や夫、主治医に対して「早く楽にしてほしい、殺してほしい、動けないし喋れないなら生きている価値がない」などの希死念慮が書き連ねてあった。私にも為すすべはなく、ただ辛いという首肩や足などをマッサージすることしかできなかった。

延命行為の拒否、それ自体、患者が真に望んでいることなのか、苦痛への恐怖のみでなく本当は周囲に対する配慮ではないか、医療や介護の費用や手間、世話になる家族への申し訳なさ、これらと辛さとが相まって死を望ませているとするなら、苦痛の緩和や家族の介護の支援によっては死を望まない場合も考えられる。

 延命行為の拒否は見方を変えると消極的自殺だ。これは本人にも家族にも厳しい現実である。この選択は誰にも降りかかる問題として看過することはできない。

後日、マッサージを受けている間だけ母は本当に安らいでいましたと聞いた。多少の役には立てたのであろうか。

 死は春の空の渚に遊ぶべし 石原八束

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