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2011年9月28日 (水)

俳句とからだ 41

連載俳句と“からだ” 41


愛知 三島広志

胆・動きは骨(コツ)

先日、知人の紹介で韓国の舞を鑑賞する機会があった。金利惠さんという韓国伝統舞踊家である。偶然にも黒田主宰のお知り合いであった。それどころか日本公演の実行委員長は主宰ご自身。しかも藍生2009年一月号に

金利恵さんへ

 冬麗の人在日といふ希望 杏子

という句を献じ、パンフレットにも

 花に舞へ奥千本の花に舞へ 杏子

というご自身の著名な句の改作が載せられていた。

金さんの舞はゆったりとした韓国伝統衣裳が優雅に翻って極めて美しいものだが、その内側では骨格が軋む程烈しく動いていた。観ているこちらの身体まで深層で揺さ振られ終演後も心地良い疲労が残った。まるで一緒に舞っていたのではなかいと思う程だ。

身体は共振する。心地良さも不快感も。音楽も劇も舞も等しく身体をうち揺すり、そこには発信者と受信者と空間が響き合う場を形成する。 今回、私は魂の舞に骨格をいたく揺さぶられた。そして骨格や筋肉など身体動作に深く関わる経絡である少陽胆経に思いを馳せた。なぜならこの経絡は少陽と呼ばれる体側をジグザグに通る。そのラインは身体を捻じった痕跡さながらなのである。金さんは見事な正中線で身体を天から繋ぎ止め、側面の経絡である胆経を自在に展開していた。身体を捻ったりクルクル回ったり床に伏せたり。それらの動きは能楽堂の舞台に浮いている、あるいは滑っているとしか思えなかった。そして折々の表情にフィギアスケートのキム・ヨナ選手を連想した。キム選手の背中がひらひら舞うような演技の根本には、もしかしたら韓国独特の身体操作あるのではないかとも考えさせられた。

日本の作法に擦り足のまま身体を展開する技法がある。着物の裾が乱れないよう足を揃えたまま身体を左右に展開する。板の間に足を平行にして立ってみて欲しい。スキーを履いている感じ。そのまま膝の力を抜くと重力が下半身にかかる。その時少し胸を緩めながら(これが大切)左に方向づけると身体が左に向く。お盆を持った料亭の仲居さんたちの作法だ。これは胆経を使っている。金さんもキム選手もそうした操作をとんでもないレベルで駆使しているに違いない。

 語るとも語らざるとも花の下 

舞踊家金利惠さんの句である。言葉でなくても、否、言葉でないからこそ伝わるものがある。畢竟、言葉もまた身体から生まれるものなのだから。

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