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2011年9月28日 (水)

俳句とからだ 39

連載俳句と“からだ” 39


愛知 三島広志

心包・触れる掌(たなごころ)

 この連載は現在、東洋医療の経絡の順に臓腑を追っている。今回は心包の番だ。しかし心包は心の臓を補佐するという意味合いから医学の心臓に近いものと考えていい。心臓の仕事は血液を全身組織へ送ることだ。その構造はシンプルでポンプに搏動を促す電極があると考えればいい。

 炎天の遠き帆やわがこころの帆  山口誓子

 心包に関連する経絡である心包経は心臓のある胸から腕の内側拍動部を通って手のひらの中央から中指の先端に至るとされている。手のひらの窪みの一番深いところ、そこには労宮というツボがある。これは全身の疲労から胸が苦しい時など静かに指圧すると心身が落ち着いてくる大切なツボだ。血圧が下がったり頻脈が落ち着いてきたりする。無論それには心臓疾患がないことが前提となる。

 しかしそれよりもこのツボは掌の中心であることに意味がある。掌(たなごころ)とは「手の心」だ。古人は心が手のひらに反映されると実感したに違いない。それがタナゴコロだ。胸の中心には心臓がある。そこには心がある。ココロは上肢によって表現される。歌手が両腕を広げて気持ちを会場一杯に伝えようとするのはその代表的な動作だ。その腕の先に掌がある。思いは言葉や表情だけでなく上肢や手によっても表現されるのだ。

 医療の本質は手当てだ。苦しむ人にそっと手を当てる行為がいつからか医療自体を表す言葉になった。そして弱った人をそっと抱く。それが介抱だ。このように苦しむ人に手を当て、抱きしめる行為は相手を思い遣る心がタナゴコロを介して行われる。人間関係を触れ合いというのは実に示唆的な表現である。

 外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女

 労宮を体感してみよう。両手掌を少し窪ませ水を掬って顔を洗うように顔に近付けてみる。鼻に触れるか触れないかのぎりぎりまで。すると手のひらから顔にかけてぼんやりと暖かく感じないだろうか。東洋医療では身体を守るように包んでいる衛気(えき)があると説く。全身をバリアのように保護しているのだ。それがこの労宮では感得し易い。気と言うと怪しいと思われるが、こうして実験すると気の一側面ではあるが容易に実感することができる。この温もりを相手に伝えるようにそっと当てる、それが触れる行為の基礎となる。

 コスモスのまだ触れ合はぬ花の数  石田勝彦

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