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2011年9月28日 (水)

俳句とからだ 38

連載俳句と“からだ” 38


愛知 三島広志

腎・元気の源

 身体は環境から生まれ、環境と調和して生存している。生存のために日々環境からいのちを維持するモノを取り込む。鼻からは「天の気」即ち空気を、口からは「地の気」即ち水穀を。空気や食物を中国の伝統医療では「後天の気」と呼ぶ。さらに親から受け継いだいのちもある。これが「先天の気」で元気(原気)という。元気は腎に宿るとされる。こうしていのちの源である元気は親から子へ伝えられる。それはあたかも火を紡いでいくようだ。

 死後もまたあかあかと火を雪の上 有馬朗人

 腎臓は血液濾過を行う化学工場であると医学的に解明されている。各組織から集められた血液は腎臓で濾過され不要なものは尿として排泄、有用なものは再利用する。腎臓の重要性は腎臓が二個あることで分かるだろう。
 
東洋医療の腎は概念的なもので先天の気つまり元気が宿るところだ。そこで精といういのちの根源となるものを作る。「精一杯頑張る」とはこれに由来する。腎は冷えやストレス、過度の塩分に弱い。腎虚とは腎が加齢やストレスなどで弱ることを意味するが、房事過多によっても起こるので川柳や落語のネタになった。世俗的な腎虚は医療本来の意味とは異なるが次の現代俳句に言い尽くされている。男の哀愁である(もちろん女性も腎虚になる)。

 腎虚とはかかるものかは秋の風 土井田晩聖

医療と医学

 現代医学と東洋医療は当然ながら別物だ。自然科学的解析で現象を捉える現代医学は普遍的で再現性があり、極めて信頼に足る。翻って経験や思弁によって成る東洋医療は現象を教条的に解釈する。非科学的であることは否めない。だが医療に東西古今の違いはない。患者の苦しみや恐怖とどう対峙するか、その時代の最良の方法を模索してきたのが医療の歴史だ。医学はここ100年ほどの間に発達したが、それ以前はどの地域でも素朴で真剣な伝統医療しかなかった。それらが科学的に研究され、客観性や再現性が認められた結果、今日の医学として発達した。

では非科学的な伝承医療に存在価値があるのだろうか。現象を自然科学的に把握することは重要だ。原因や原理が明らかになり一般的な手段が生まれる。ところが現実の病人は決して整然たる存在ではない。こうした病む人に対応するのは整然たる理論や整頓された制度・技術だけでは困難である。
医療の現場は医学を越えた医師や看護師の犠牲的良心に支えられている。そうした隙間に伝統医療の存在価値が再確認されているのだ。

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