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2011年9月28日 (水)

俳句とからだ 33

連載俳句と“からだ” 33


愛知 三島広志

胃・その飽くなき欲望

 東洋医療にはまともな解剖学がない。落書きのような絵が伝えられているだけである。その代わり十二本の経絡という実態の無いラインが体表に描き込まれている。経絡には内臓の名が冠され、その上にツボが口を開いている。経絡の巡行順位は決まっており肺、大腸ときて次は胃である。これは新生児が生まれて最初に泣き(肺呼吸)、排便し(大腸)、乳を飲む(胃)過程に似ている。乳頭は胃の経絡上にある乳中というツボである。乳児の食事である母乳が母の胃経から出てくると考えた古人の思考には感嘆せざるを得ない。

 柚子湯して五欲も淡くなりしかな  小林康治

 東洋医療の胃は地の氣をいのちに変える仕事をする。大地から芽生えた命の素である食物や飲み物を摂取する働きを概念化した存在だ。単に胃袋だけを示すのではない。生命体は個体保存と種族保存を行う。個体保存のためには環境から食物を取り込まなければならない。その中心的働きを行っているのが胃なのである。胃経は目の下から始まる。口角を過ぎ喉へ至る。もう一本はコメカミの上から顎関節を通って喉に合流する。噛む行為は胃の作用に分類されるのだ。それどころか獲物を見つけ、追いかけ、あるいは収穫場所まで出かける足の大腿四頭筋、これも胃の経絡上にある。膝下の三里というツボは有名だ。これはつま先を上げる前脛骨筋に深く関わる。胃は噛む、呑む、食物を獲得するといった総合的な作用全体を示していると考えたい。

 胃を敢えて解剖的に解釈するなら胃袋に留まらず口唇から喉、食道から胃、十二指腸、小腸、大腸と続く消化管の総称だろう。英語でもStomachは胃と同時に腹部内臓全体を示すようである。

 健啖のせつなき子規の忌なりけり   岸本尚毅

 しかし人間にとって胃は単に食物獲得の内臓に留まらない。なぜならヒトは教育によって歴史性や社会性を身につけることで人間になる。その過程で胃は食物だけでなく知識や金銭や名誉なども欲求することとなる。胃は環境から何がしかの情報や物質を内部に取り入れる臓器なのだ。したがって胃は欲求のシンボルと言える。欲求は行動の原動力であり、学習や訓練を行う糧となるが、方向性を誤るとその貪欲さゆえに極めて不幸な結果を招く。

 また胃は神経性胃炎や胃潰瘍を患うようにとても神経質で繊細な側面も持つ心理的影響が出易い内臓である。食欲にはそれが如実に現れる。食欲不振だけでなく拒食症や過食症など精神と密接する内臓なのである。

 秋風やひびの入りたる胃の袋 夏目漱石

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