俳句とからだ 24
連載俳句と“からだ” 24
愛知 三島広志
軸と肩凝り
身体には頭の天辺から会陰を抜け、両足の間に通る軸がある。この軸は解剖学的構造ではない。脱力した身体を貫く重心線である。これを意識化したものを正中線とか中心軸、あるいはセンターなどと称して古来より身体技法上達の秘訣として継承されてきた。
重力線であるから誰にも軸は通っている。しかし訓練によってもっと見事な軸を作ることも可能である。例えば能や狂言の役者、日舞の名手、バレエダンサー、スポーツ選手、武道家、無名の職人など。これら優れたパフォーマンスを見せてくれる人々の身体は美しい軸が天地を貫き、無駄な力みがない。重力から切り離されたような伸びやかさがある。
冬木ま直ぐおのが落葉の中に立つ 大野岬歩
肩凝り
肩凝りは比較的新しい言葉で、夏目漱石を嚆矢とする説もある。以後、日本人は肩凝りに悩むようになった。言葉は現実を規定する力を有するからだ。
肩凝りにはさまざまな原因が考えられる。姿勢の悪さ、使い方の偏り、使い過ぎなどは単純な原因である。病的原因には骨格構造に起因する整形外科的問題。リウマチなど筋肉の病気。内臓の異常が反射的に凝りとして表れたもの。神経性難病。精神的緊張の継続や過度の防衛意識が筋肉を鎧のように固めた心理的原因。職業病のような社会的原因など複雑で多岐にわたる。
姿勢と軸
病的な肩凝りは専門家に委ねなければならないが、姿勢や使い方の偏りなどが原因の時は対応が可能である。それにはまず軸を立てることである。
では軸を実感してみよう。正坐か腰かけて背筋をゆったりと伸ばし、胸の前で合掌をする。多くの宗教儀礼に共通する合掌は軸を実感する行為でもある。仏教のように指を伸ばして合掌すれば自分の前に垂直に立った中指の軸ができる。その中指の線をイメージで上下に延長し、体内の中心に引き込めばそれが身体を貫く正中線(軸)になる。軸が通るイメージができれば合掌を解き、両手を膝に置く。全身の筋肉の緊張を緩め、軸に委ねてしまう。力むことなく姿勢正しく座ることができるはずだ。その際、胸も背中も緊張していない。背中が緊張して胸を無理に張った姿勢は規律と戦闘意欲を維持するための軍隊姿勢であって身体的に楽な直立ではない。首は自然に伸び、頭はアドバルーンのように浮かぶ。
日舞の武原はん氏や能楽師、イチロー選手の写真などがあれば眺めているだけで軸が通ってくるだろう。次の句は鉾を軸とした身体感覚に溢れている。
東山回して鉾を回しけり 後藤比奈夫
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