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2011年9月28日 (水)

俳句とからだ 22

連載俳句と“からだ” 22


愛知 三島広志

身体幾何学

先回、身体の軸や丹田について述べた。これらは身体の指標としての点や線だ。このように身体の中に幾何学的存在を仮定して身体を理解し、技の進化や事物との関係性に応用することを身体幾何学と呼ぶ。さまざまな身体技法に共通して内在する幾何学的な身体原則。これは身体を通して文化を実証的に探究し続けている坪井香譲氏の業績の一部である。解り易く説明すれば、身体を用いるとき実体である腕や脚などに囚われず、それらを線や点、面や螺旋として把握する。するとパフォーマンスの飛躍的な質的変化が生じるのである。身体中や技法上、人間関係(道具と人、自然と人も含む)の中に幾何学を見出すことは氏の発見ではなく歴史的に伝承された原則であるが、各技法間を貫く原理として明らかにし、再措定したのは坪井氏の功績である。

身体に内在する幾何を具体的にみてみよう。

三角

竹刀やバット、あるいは竹箒のように両手で道具を持つと両肩と手で三角ができる。同時に胸の中心の中丹田と腹の中心である下丹田、そして手先をつなぐと垂直の三角形になる。ハンドルを持つ時、両手と両肩を結ぶ四角が想定できるがこれも三角と捉えた方が動作し易い。三角を意識的に想定すると、手と腰とのバランスが取れ、姿勢が定まり、無駄な筋力が抜ける。

線と面

脳天から両足の中心に下ろした垂直線を正中線もしくは中心軸、西洋ではセンターと呼ぶ。自分の中心軸と対峙した相手の中心軸を結ぶと自分と相手の間には面ができる。これを正中面と呼ぶ。人と向き合うとき正中面をきっちり合わせると非常に詰屈になる。力に上下関係があると威圧的になる。その場合、面を少しずらすと楽に対面できる。診察室での椅子の並びは敢えて正対を避けるようになっている。これには医師が正中面を合わせることで権威的、威圧的になることを避ける意味がある。もし医師が正面を向いて面や軸を合わせてきたら重篤な病気を告げられる恐れのある時だろう。

 優れた演技者は身体を球のように肥大させ観客をそのオーラで虜にする。

脱中心と関係性

身体は常に何かと関係を持つ。その際、人は上記の例のように自分の中に形成された軸や丹田などの「中心」を幾何学のように身体から離脱・延長・拡大することで容易に「脱中心化」することができる。ここに関係性としての身体が見えてくる。身体はいつ、いかなる場合でも、何からも孤絶した存在ではない。問題はその関係性に気づけないことにある。

 秋の航一大紺円盤の中 中村草田男

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