俳句とからだ 20
連載俳句と“からだ” ⑳
愛知 三島広志
姿勢と文化
今、名古屋では複数の美術館が北斎などの浮世絵を展示し好評を博している。人気の理由は浮世絵が日本の誇る芸術であると同時に描かれた世界が文化的遺伝子を刺激するからだろう。しかし、その世界は決して過去として亡失したわけではない。それを姿勢という側面から考えてみたい。
姿勢
子どもの頃、姿勢を良くしなさいと襟元から背中に物指を突っ込まれたことがある。しかし、姿勢は外側から修正できるものではない。なぜなら姿勢という字の如く「姿の勢い」、つまり内面に潜在する力が外部化したものが姿勢だからだ。
気持ちが前向きなら勢いが溢れて前傾姿勢になるだろう。後ろ向きの時は気が引けて及び腰になる。人を拒絶すれば動かずとも、身を翻す内面の勢いが相手にも伝わってしまう。迷いは左右へ重心がぶれて右顧左眄を呈す。自信に満ちれば胸を張り、沈思黙考時には腕を組む。両手を上げれば感激の極みの万歳がお手上げである。
姿形
これら内在した勢いが恒久的に筋肉を刺激し続けると、その人独特の姿として固定化する。個性的な性向や生きる志向が筋肉の緊張を生み、骨格を規定する。スポーツや仕事なども自ずとそれぞれに適した姿形として発展形成される。こうして出来上がったのが個々人の姿形である。人が外観でかなりの部分を判断されてしまう、あるいは判断できるのは姿形の形成過程が人生に直接しているからだ。したがって姿形を良くするには日々の姿勢、つまり生き方を変えなければならない。
身体観の激変
日本は明治維新という激変を経験した。この激変は政治、経済、文化だけでなく身体にも多大な影響をもたらした。明治政府は国民皆兵のため西欧からの輸入体操を普及、身体能力の均一化を図った。それ以後、軍人の威風堂々とした姿が理想とされるようになったのだ。その象徴的な例が剣道の変化に見られる。古流剣法の背を緩めてゆったりと立つ姿は現代剣道の背を伸ばした力強い構えに変化した。つまり、今日わたしたちがよい姿勢と思い込まされているのは権力の手が入ったものであって、必ずしも身体の内側から生まれたものではないのだ。
では、権力から押し付けられた身体観の前に古い身体操法はこのまま滅んでしまうのだろうか。否、それらは能や狂言、日本舞踊や伝統武術などに脈々と伝承され、昨今、その見直しが盛んにされるようになった。それは単なる懐古趣味ではなく温故知新として未来を展望するものである。浮世絵展に集う人たちに潜む血脈が刺激され続ける限り、伝統的身体観はそう簡単に滅びることはないだろう。
白地着て血のみを潔く子に遺す 能村登四郎
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