俳句とからだ 14
連載俳句と“からだ” ⑭
愛知 三島広志
はう
ヒトは生まれてしばらくすると寝返りができるようになる。首を反らし顎を上げ、クルリと上手に回る。さらにはベッドの柵を掴んだり、床を蹴っても行なえるようになる。
面白いことに、寝返りは顔が向いている方にしかできない。左を向いて右側に寝返ることは不可能なのだ。この事実は脳血管疾患などで運動障害になった人たちの訓練の時、重要な意味を持つ。訓練は赤ちゃんの発達段階を追うように行われるが、寝返り訓練の時に顔の向きを指導することが大切なポイントとなる。あるいは介護で動けない人を坐らせる時なども、顔の向きを整えることで動きが容易になる。
わたしが顔の向きと寝返る方向が一致している事実を初めて知ったのは高校の柔道部で先輩から指導を受けた時だ。寝技の抑え込みは首を制することと教わった。首を一定方向に制したら相手はその方にしか動けない。柔道の試合で抑え込みに入った途端、下の選手が諦めたように全く動かなくなることがある。それは首を完全に制されてしまったからだ。
さて、赤ちゃんは寝返りをするとうつ伏せになるので、次は這い出す。その後、四這いから高這い、そして立ち上がり、歩行を始める。これが成長の過程で一般的に見られる行動だ。
這うとは腹が接地している場合をいうので赤ん坊の這い始めや軍隊の匍匐前進の状態である。動物では軟体動物の蛞蝓、爬虫類の蛇、昆虫の幼虫(毛虫)などが這っている。これらの動きはcreep(クリープ)と言われて車がのろのろ進んだり渋滞したりするときに用いると同時に、その形態や動作から気味が悪いという意味を持つ。外国人女性から「あなたはクリープだ」と言われたら最高に嫌われたと判断していいだろう。
四這いで地面から腹を離し手足を床につけて進むことを英語ではcrawl(クロール)という。水泳のクロールはここからきているようだ。
這う行為を立って行えばそれは歩行になる。したがって十分に這う期間を持つことは後の歩行能力に深く関わってくる。這うことで歩行に必要な筋力や神経反射が発達するのだ。
ヒトも昆虫もその生育の始まりは這うことからである。脚を上手に使って歩く前には腹を支えにして進む術を身につける。「這えば立て、立てば歩めの親心」とはこの辺りの機微を捉えたものだろう。脳の疾患はこの生育段階を破壊してしまうので、もう一度寝返りから作り直すのである。それは大変な困難を伴う。
蛆虫のちむまちむまと急ぐかな 松藤夏山
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