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2011年9月28日 (水)

俳句とからだ 13

連載俳句と“からだ” ⑬


愛知 三島広志

立つ

二本足で立つことは文化である。本能に根ざした自然な行為ではない。立つことは人類が進化の過程で獲得し、教育によって伝えられる文化であり技術である。

 ヒトの誕生時は遺伝情報によって形成された未熟な裸のサルである。そして周囲からの影響つまり教育によって次第に社会性(空間)と歴史性(時間)を内包した人間になっていく。ヒトは教育されると同時に、自らを教育することで人間になる。人間とはそうした能力を有した生き物なのだ。

 二本足で立つことは人の成長過程で極めて重要な役割を担っている。人類は立つことで文化を得たといわれる。なぜなら動物は四本足で行動する。彼らの前足は獲物を抑える時、あるいは木にぶら下がる時以外は歩行のために使用される。動物の前足は普段は歩行以外の可能性を抑制されているのだ。しかし人類は二本足で立ち得たために移動に使用していた前足が開放された。その時点で「前足」は「両手」になった。開放された両手は新たな自由と可能性を得ることとなる。手は次第に精緻な活動ができる道具として発展し、物を掴み、摘み、創造する能力を得た。ここにおいて動物と人間との差異が明確になったと考えられる。人間は本能という抑制と環境からの抑圧に対して立つことで自由を獲得し、文化の可能性を手中にしたのだ。

しかし立つことは意外に難しいものである。誰もが立って歩いているがその技量は一様では無い。上手に立つことは実に困難なのだ。最も美しい立ち姿は赤ん坊が始めて立った瞬間であるといわれる。その立ち姿の内面には立ち上ろうとする意志と倒そうとする重力とのせめぎ合いが発生している。立つ行為は体内を貫く重力と反重力という矛盾が見事に一致して可能となる。筋肉の未発達な赤ん坊はほぼ骨格と重力のバランスのみで立っている。だから僅かの動揺で倒れてしまう。大人は筋力で誤魔化しているので簡単には倒れないが、赤ん坊ほど美しくない。

人間は立つことで一人一人が地軸を形成していると考えてもいいだろう。重力線と上手く折り合って立った時の佇まいは美しい。それは本人だけでなく見ている人をも至福に導く。優れたスポーツや舞踊の立ち姿を見た時の感動を思い出せば納得していただけるだろう。

人の直立。それは文化の萌芽だけではなく屹立した夏木立や揺らぎつつ建つ五重塔に通じる大いなる力と同化する至福でもあるのだ。

 蜀(たち)葵(あおい)人の世を過ぎしごとく過ぐ 森澄雄

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