俳句とからだ 11
連載俳句と“からだ” ⑪
愛知 三島広志
血肉化する体験
戦争が終って八年後にわたしは生まれた。当然、戦争の記憶は無い。
幼少時、戦争の傷痕は周囲にいくらか残っていた。小学時代、仲間と遊んだ通称「爆弾池」。田んぼの中に大小二つ並んでいた。空襲の名残である。神社裏の叢には掘りかけの防空壕の口が開いており、夜な夜な幽霊が出ると噂されて子どもたちの肝試しの場だった。駅前でアコーディオンを弾く白衣の傷痍軍人を見かけることもあった。
しかし、戦争を伝えるものは、このような現実の風景だけではなかった。
子どもの頃、父と風呂に入ったことがある。父の背中には大きな痣があった。それは爆風で浴びたガラス片の傷跡がシミとして残ったものだ。広島工専の一年生だった父は、夏休みにたまたま出校したその日に被爆した。隣にいた級友は即死だった。多くの友は搬送された島の水が悪く病死した。父は生前こうした話を好まなかったので、多くは父の死後、祖父が語ってくれたものだ。祖父もまた父を探しに市内に出て被曝したのだった。
当時、少年漫画誌には戦争漫画が連載されていた。戦争映画やドラマ、写真や小説などを目にする機会も多かった。
このような媒体によって何度も反復される言葉や映像も、次第に自分の身体の中に蓄えられて実体化し、ある種の経験として血肉化していった。真夏の日盛り、ふと生まれる前のあの日の記憶が甦り「まるで終戦の日のような暑さだ」と思う一瞬がある。深紅のカンナの花に「あの日もこうして赤々と咲いていた」と妙な感慨を抱く。
芸術の血肉化
すぐれた芸術は、その過程で、事物の本質を掴み普遍化し表現する。そのような芸術によって、個人の死とともに消えてしまう個別体験が、同時代を生きる人々のみならず後世の人々にも、普遍経験として汎く共有され血肉化する。芸術はこのように血肉化してこそその価値を発揮するのではないだろうか。
戦争体験が希薄になってきているといわれる今、その本質を普遍化して表現し伝えていくことは、芸術の極めて重要な使命といえよう。同時に、芸術として表現された体験を自分の身体で受け止めることのできる身体性も伝えていかなければならない。感受性とは頭脳だけの問題ではなく身体の能力でもある。
原爆図中口あくわれも口あく寒 加藤楸邨
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