俳句とからだ 10
連載俳句と“からだ” ⑩
愛知 三島広志
触と切
「触」とは虫が触覚で辺りを探るところから作られた漢字だ。それに対して「切」という漢字は刃物で切ること。では「親切」とはどういうことだろう。親を切ることがどうして親切なのか。長い間違和感を覚えたものだ。
長じて鍼灸や指圧を学ぶようになった。漢方に「切診」という診察法がある。実際に患者の肌に触れて診ることだ。脉を診るときは切脉、経絡を診るときは切経という。「切診」とは「相手の身体に触れ、深く切り込み、患者の辛さや苦しさに共感することだ、決して同情ではない」と師は解いてくれた。
「切」は刃物をぴたりと当てるように肌に触れるさまであり、相手の中に深く切り込んでいくこと、そこから派生して相手に深く共感する意味があると知った。冒頭の「親切」とは、相手にぴったり寄り添って気持ちに深くこたえることだったのだ。
一般に触診は身体に触れることで違和感や病的な差異を明確にする手段であり、切診はむしろ一体化して共感する行為であると考えられている。
それらの行為を日常生活では、「触」は「さわる」と「切」は「ふれる」に置き換えることができるだろう。「さわる」と「ふれる」の違いは以下のようになろうか。
触(さわ)る・・・確認 差異 相対化
触(ふ)れる・・・受容 共感 一体化
「触」の名句
手をつけて海のつめたき桜かな 岸本尚毅
「触」の字はないが、尚毅は海の水に触れてその冷たさと桜の差異に驚いている。海水と桜と作者それぞれが違和感を包含しつつ絶妙な俳句的空間を生み出している。この作者は実際に対象に触れて確認したい傾向があるのか似た傾向の佳句が多い。
虫時雨猫をつかめばあたたかき
仲秋のお城を撫でてつめたさよ
「切」の名句
外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女
この句は実際に月に触れているわけではないが、触るるばかりに月と一体化している。月光と汀女が融合し、その世界に読者も抱かれている。
「触る」と「触れる」、「触」と「切」。一見同様に思えるが全く異なった世界を生み出す。そこにその時のその人の身体観と人生観が顕れることだろう。
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