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2011年8月20日 (土)

藍生だより  介護の人々

愛知 三島広志 hiroshi mishima

profile:広島生まれの愛知育ち。生まれてちょうど半世紀。人の身体に触れることで口に糊をしている。四半世紀をこの業とともに生きてきた。俳句はもう少し長い。

介護の人々

 振り返ると介護(訪問リハビリ)に係わって四半世紀になる。介護保険ができて四年半、その前の行政措置の時代、そしてその前の家族お任せ、行政放置の時代から細々と続けてきたことになる。

その間にはさまざまな出会いと別離があった。社会の片隅でゴミのように放擲されてひっそりと糞尿にまみれて亡くなった方。布団にこびりついた垢と鱗のように蓄積した皮膚の剥離物に埋もれるように息を引き取った方。これらは家族(多くは配偶者か娘)のみの介護力の限界の中でのことだ。家族が持てる最大の介護力で看取った結果がこうだったのだ。そして家族もぼろぼろに壊れる。

 反対に明るい居間で家族に包まれ、こんこんとひたすら穏やかに眠り続ける要介護者。経済力や家族の介護力の豊かさの恩恵である。近隣の力も侮りがたかった。

 行政とて手をこまねいていたわけではないだろう。その間隙を埋めるべくさまざまな努力をしてきた。それが2000年施行の介護保険という形で一応の成果を生み出した。もっともこの制度も財政難と人員不足で明日の存続は明るいとはいえない。

 そもそも人生の末期を明るく過ごすなどということは可能なのだろうか。冥土への旅と言うならただ冥く暗澹たる思いが湧き上がるほかない。

 ところが、実際にその死生の間際にいて実に明るく強く生き抜いた人たちが大勢いた。今、係わっている方たちも多くはそうである。

わたしの四半世紀はそうした方々との出会いだった。感動をいただいた日々だった。そんな体験から強い人は明るく大らかに、弱い人も愚痴と涙の後、結構したたかに苦難をやり過ごす能力を持っていると学んだ。渦中にある時の困難は別として、後から考えるとみんな揺れながら苦しみながら何とか荒波を乗り切っているのだ。

現在わたしが係わっている方を何名か紹介しよう。もちろん守秘義務があるので名前は明かせない。

Yさん 57歳 男 工務店経営 脳幹梗塞

通常脳卒中では左右どちらかの半身の麻痺が生じる。しかし脳幹という中央で出血したYさんは両側に麻痺が出現した。しかも生命機能の中心部なのでことは重大。結局Yさんは四肢麻痺の上に意識が戻らず、呼吸もままならない状態である。喉に空けた穴から酸素が吸入され、食事は胃瘻(腹から直接胃に穴を開け、管を通して栄養液を注入する)。現在自宅で妻の介護を受けている。
彼女は何の反応もない夫のわずかな変化を見ながらそれを励みに介護している。しかもその状況に愚痴一つこぼさずエステの会社を経営し二十数名の社員の生活も守っている。たいしたものである。ここでの介護力は経済力という余裕もあって現在とてもうまく機能している。一番下の小学四年の息子さんも時に手伝ってくれるのである。

Iさん 78歳 女 主婦 脊髄小脳変性症

 四肢の運動機能が消失していく進行性の病気だ。Iさんは夫と二人暮し。歩行器でかろうじて室内を移動している。そして家事をこなし、手芸で花や人形を作っている。明日の希望はない。淡々と今日を生きている。若者の明日は希望に溢れているが、高齢者の明日は不安に満ちている。それを見ないように暮すのがコツなのだろう。

Hさん 53歳 女 主婦 脊髄小脳変性症

 Iさんと同じ病名だがこちらは遺伝性。昨年兄が同じ病気で亡くなった。叔母も寝たきりだったようだ。彼女は車椅子で台所に立ち(?)夫と息子の食事を作る。女性はこの辺りが強い。他人のために苦労を厭わない。Hさんは達者なお喋りを発揮できる週二回のデイサービスを心待ちにしている。

Sさん 65歳 女 元家政学講師 脊髄小脳変性症

 彼女もまた同じ病気。孤発、つまり遺伝的ではないタイプである。十年前、突然の失禁と転倒で発症した。その時、股関節を折り、人工関節に交換。数年前、呼吸困難になる。現在、酸素吸入。人工呼吸器。中心静脈栄養の点滴。胃瘻による栄養補給。さらに24時間点滴。
まるでICUさながらの状態で在宅介護を受けている。彼女の可能な機能は目とまぶたを動かすことだけである。しかし意識はきわめて清明。生き抜きたいという意思を家族も尊重している。

介護の中心は夫と娘。夫は元国立病院の役職だったお医者さん。主治医はその部下で、娘婿は大学病院の医師。恵まれた環境ではあるが、夫や娘の献身には並々ならぬものがある。

この家族を見ると延命治療に否定的だった主治医も自らの主義を改めざるを得ないとメールしてきた。Sさんは料理を大学で講じていただけあって料理番組を観るのがお好きなようであるが、彼女の口には何も入れることはできない。誤嚥性肺炎が怖いからだ。たまにアイスクリームなどを一滴二滴と舌に乗せてもらっている。

Aさん 59歳 男 元リサイクル業 モヤモヤ病 脳梗塞 クモ膜下出血

 頑健なAさんも八年前立て続けに脳の血管障害を起こし倒れた。右半身の麻痺で言語も不自由になった。いつまで経っても動くようにならない手足に向かって怒っている。そして痛みに耐えながら関節可動域拡大のため運動に励む。少々の痛みにはへこたれない。彼の楽しみは車椅子での散歩。片手片足で上手に漕げるのである。そして近くの運送屋の自動販売機でお茶を買う。社員販売用で市販より安いからだ。社員でない彼も黙認されている。さりげない近所の温情だ。

Tさん 64歳 元会社員 男 全身性エリテマトーデス 脳梗塞

 秋田出身のTさんは広島出身の奥さんと結婚した。ゆえにこの夫婦の会話は実に分かりにくい。もっとも両親の広島弁に親しんだ私には奥さんの言葉はよく分かる。問題はご主人。

まるで外国語のようだ。しかも歯がほとんどないから始末に悪い。陽気なTさんはいつも笑っている。時々犬の遠吠えや牛の声を出して奥さんに叱られる。唯一動く右手が時に女性のほうに伸びて悪さをするので、また奥さんに叱られる。痴呆ではないのに痴呆老人の真似をするからだ。だがそんなことでめげるTさんではない。今日もデイサービスで大人気なのである。

 

 こうしたすばらしい人と出会うことで、実はこちらが励まされている。これは多くのケアに携わる人たちの共通見解だ。そしていつかは自分自身も介護される側に回る。その時、果たして周囲の人を明るくできるだろうか。

 それは今の一日一日の過ごし方の決まってくるのだろう。

                                                  (終)

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