新年の挨拶
窓ありて水美しき初茜 原コウ子
初茜とは元日の朝、日の出前の空があかね色に染まることです。
朝日は毎日気持ちを新たにしてくれます。それが新年ともなればさらに清新な美しさで満たされます。ものごとの始まりは朝日のような自然現象でも、また、暦のような人為的な区切りでも、何がしかの感動や希望、あるいは未知への神秘を孕むものなのでしょう。そこに初日の出を待つよろしさがあります。この俳句は新年の朝の清々しい景を窓から見える水に焦点を置くことで余すところなく表現しています。
作者の原コウ子さんは大正時代を代表する俳人原石鼎の夫人。実はわたしの最初の俳句の先生です。わたしは二十歳前、石鼎が創刊した『鹿火屋』という老舗の俳句結社に入会しました。当時主宰しておられたのが作者のコウ子さん。コウ子さんは病弱だった石鼎の補佐を長い間全うされ、石鼎没後は『鹿火屋』を継承主宰されたのです。そしてわたしが入ってまもなく主宰を養子の原裕氏に譲られ、現在は裕夫人の和子さんが継承しています。
原コウ子先生略歴 http://www.city.kaizuka.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/52/temp19.pdf
以前『藍生』に書いた拙文 http://homepage3.nifty.com/yukijuku/haikuron/g01.htm
『鹿火屋』という誌名は「かびや」と読みます。それは石鼎の名句、
淋しさにまた銅鑼うつや鹿火屋守
に由来しています。
鹿火屋守とは山の畑を荒らしに来る鹿や猪などを追い払うため、夜間、鹿火屋という小屋に泊まり込んで銅鑼などを打ち鳴らす当番のことで秋の季語になります。石鼎は闇夜に遠くで鳴る銅鑼の音を聞きながら「きっと鹿火屋守は獣を追うのではない。淋しさを紛らわすために叩いているのだろう」と感じたのです。これはまた石鼎の心の状態でもあります。後に精神を病んだ石鼎の繊細な側面が伺われます。多感な?高校生だったわたしはこの句が大変気に入り、大学生になって『鹿火屋』に入会したのでした。しかし父の死などで生活に追われ、結局、俳句に集中することなく退会してしまいました。コウ子先生はそんな事情を察し、会費を取ることなく俳句を続けるように手紙を下さったのですが不肖の弟子はそれに応えることができませんでした。
初日は人の営みとは関係なく暁光を降り注いできます。「天行は健なり。君子もって自ら彊(つと)めて息(や)まず『易経』」と古書にあります。天の巡行に則っりつつ人智を働かせて暮らしていきたいものです。
今年一年もまた昨年と同様、不透明な現実に翻弄されることでしょう。であればこそ静謐な元旦の太陽を望み、一年の出会いの初めとして寿ぎたいと思います。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
三島広志
〒464-0850 名古屋市千種区今池五丁目3番6号サンパーク今池303号
052-733-2253
h-mishima@nifty.com
| 固定リンク
「游氣風信」カテゴリの記事
- 身体から見える景色 何故身体を問うのか(2015.12.30)
- 游氣風信212号 今池好きな店便り(2013.03.13)
- からだと環境(2011.09.08)
- 游氣風信 No.202 2008. 8.14(2011.08.29)
- 游氣風信 No.204 2009. 1.1(2011.08.29)
コメント