游氣風信 No.176 2004. 8. 1
続・短歌渉猟
先月に引き続き現代短歌を読んでいきます。
青春詠と言えば真っ先に名前が浮かぶのが小野茂樹。昭和十一年東京生まれ。昭和四十五年交通事故で急逝。
五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾むきみの声 小野茂樹
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ 同
巨きタイヤ日ざしを浴びて過ぎゆけば路上にくだる空の明るさ 同
このタイヤの歌を詠んでまもなく、予期したごとく車禍で亡くなりました。
奥村晃作は昭和十一年長野県生まれ。
ヤクルトのプラスチックの容器ゆゑ水にまじらず海面を行くか 奥村晃作
ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く 同
こうしたタダゴトが歌になるのですね。なんでもない日常に人の営みの本質が潜んでいるのです。
祖父、父と三代にわたって短歌の世界で名を上げているのが佐々木幸綱。昭和十三年東京生まれ。
サンド・バッグに力はすべてたたきつけ疲れたり明日のために眠らん 佐々木幸綱
サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず 同
作者はこのように力強い調べの男歌が知られています。かの俵万智の師匠でもあります。
あしびきの山の夕映えわれにただ一つ群肝一対の足 同
泣くおまえ抱けば髪に降る雪のこんこんとわが腕に眠れ 同
この世代は六十年安保闘争の真っ只中にいました。国会への学生デモでは死者も出て、大きな時代の波がうねったようです。その時代を駆け抜け、短歌史上に名を遺したのが岸上大作。
昭和十四年兵庫県生まれ。
意思表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ 岸上大作
寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」に呼応しています。
装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている 同
血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする 同
父の骨音なく深く埋められてさみだれに黒く濡れていし土 同
かがまりてこんろに青き火をおこす母と二人の夢作るため 同
大作は昭和三十五年に闘争の挫折と失恋に苦しんだ末、自殺します。資料に掲載されている写真は繊細な顔に青春の苦悩を刻み込んだようでいたたまれなさを感じます。
激動の時代にも叙情を愛する歌人たちもいました。玉井清弘はその代表でしょうか。昭和十五年愛媛県生まれ。
荷をひきて港につきし馬の目の動かず海に向けられており 玉井清弘
月光の占めつくしたる庭ゆくにああいずこにもゆきどころなし 同
これらの歌には直接闘争などを示す強い言葉は出てきませんが、それでもなお青春のいたたまれなさ、時代の閉塞感が詠まれています。
彼らの後の世代である高野公彦は(昭和十六年愛媛県生まれ)は時代に流されることのない普遍の世界を心中深くに求めている作家です。その後の世代に大きな影響を与えました。
青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき 高野公彦
飛込台はなれて空にうかびたるそのたまゆらを暗し裸体は 同
少年のわが身熱をかなしむにあんずの花は夜も咲きをり 同
ここには青春のかがやきとかなしみ、痛みと甘美が歌われています。
ぶだう呑む口ひらくときこの家の過去世の人ら我を見つむる 同
あるいは血脈の重さ。
白き霧ながるる夜の草の園に自転車は細きつばさ濡れたり 同
ふかぶかとあげひばり容れ淡青の空は暗きまで光の器 同
みずみずしい抒情は短歌という器を極限まで活用し、さらに可能性を広げたようです。
夜ざくらを見つつ思ほゆ人の世に暗くただ一つある<非常口> 同
中年以降の作者。現実の重さをもこのように歌に象徴させて詩化します。
この頃から女性による歌の<身体化>が台頭してきます。与謝野晶子による女性解放の謳歌とは別次元の女歌です。例えば黒木三千代(昭和十七年大阪生まれ)。
あかつきに見たりし夢に乳房を?ぎて祈りのごとく手渡す 黒木三千代
ししむらのま闇羞(やさ)しきくれなゐの卵管なども春はけぶらむ 同
女性が女性の肉体を生々しく歌い出したのです。後に出てくる数歳若い河野裕子などに連なります。
黒木と同世代に不思議な存在感のある歌を作った成瀬有がいます。昭和十七年愛知県三河生まれ。
サンチョ・パンサ思ひつつ来て何かかなしサンチョ・パンサは降る花見上ぐ 成瀬有
サンチョ・パンサは愚直な主ドン・キホーテに誠を尽くす侍従。この歌の存在感はなぜかわたしを悩ませます。
現代女性の短歌を代表する一人が河野裕子でしょう。ジェンダーとしての女性性および生身の女性性、そのバランス感覚が見事です。昭和二十一年熊本生まれ。
逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと 河野裕子
女性が男の側からの視点で恋を歌っています。
たとへば君 ガサット落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか 同
このあっけカランとした求愛は過去には無かったのではないでしょうか。
ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり 同
肉体を詠むとき、女性の大胆さは男の比ではありません。
あるだけの静脈すけてゆくやうな夕べ生きいきと鼓動ふたつしてゐる 同
妊娠中の歌。これも男には到底詠めない世界です。
われの血の重さかと抱きあげぬ暖かき息して眠りゐる子を 同
ここでは女性が母性に変換しています。産む性ならではの子供の歌。
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る 同
母としての強さ。この妻に打たれた男が永田和宏です。昭和二十二年滋賀県生まれ。
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり 永田和宏
なんと優しい恋歌でしょう。河野裕子と比べると男の優しさがにおい立ちます。
あるいはこの歌は人を恋してしまったかなしさを詠んでいるのでしょうか。恋する人に会う前と後ではまるで世界が異なります。権中納言藤原敦忠の有名な歌に「あひ見てののちの心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」というのがありますが、まさに恋する人に会うと世界は大きく転換するのです。永田和宏も河野裕子に会って人生が大きく啓けたに違いありません。
きまぐれに抱きあげてみる きみに棲む炎の重さを測るかたちに 同
スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろと美し古典力学 同
氏は物理学の教授です。河野裕子の炎の重さを測り損ねたのではないかと思うのですがそれはまあどうでもいいことです。
切れ味が鋭い中にもユーモアを湛えている評論で知られるのが小池光。昭和二十二年宮城県生まれ。一度だけお会いしたことがあります。偶発的な手紙のやり取りも一度だけ。
いちまいのガーゼのごとき風立ちてつつまれやすし傷待つ胸は 小池光
青春詠の白眉。「傷を待つ胸」というのが骨頂です。
廃駅をがくあじさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり 同
こうした古格に適う名吟もあれば、
こずゑまで電飾されて街路樹あり人のいとなみは木を眠らせぬ 同
という歌もあります。こちらは皮肉な視線で表層の奥を見つめる評論家としての矜持が伺えます。
歌壇を超えて広く知られるのが道浦母都子。昭和二十二年和歌山県生まれ。六十年安保闘争の渦中にいた方です。
ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いゆく 道浦母都子
調べより疲れ重たく戻る真夜怒りのごとく生理はじまる 同
君のこと想いて過ぎし独房のひと日をわれの青春とする 同
このようなデモや恋、取調室の歌などで知られました。
人知りてなお深まりし寂しさにわが鋭角の乳房抱きぬ 同
君に妻われに夫ある現世は黄の菜の花の戦ぐ明るさ 同
ひと恋はばひとを殺むるこころとは風に乱るる夕菅の花 同
その後はこのような愛を赤裸々に詠んで多くの女性の共感を呼んだようです。この歌は塚本邦雄の代表作「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人恋はば人あやむるこころ」を元にしていると思われます。
地元名古屋で若いときから頭角を現し活躍、さらに将来を嘱望されながら四十代で早世したのが永井陽子。昭和二十六年愛知県生まれ。平成十二年没。わたしは二十年程前にある結社誌で彼女から短歌の指導を受けたことがありました。
ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ 永井陽子
彼女は情感を抑制的に詠みました。
べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊 同
あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ 同
このように新鮮で折れそうな情感が彼女の持ち味でした。
今日を強く見つめ絶えず提言をしている歌人が藤原龍一郎。和二十七年 福岡市生まれ。
ああ夕陽 明日のジョーの明日さえすでにはるけき昨日とならば 藤原龍一郎
シャボン玉ホリデーのごと牛が鳴きハラホロヒレハレと来る終末か 同
今も電脳日記を以下のホームページで精力的に公開しておられます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~rojyo/rink.html
次にわたしと同世代の歌人を三人。
今野寿美は昭和二十七年東京生まれ。夫も著名な歌人です。
その五月われはみどりの陽の中に母よりこぼれ落ちたるいのち 今野寿美
いのちを身体感覚豊に表現するのは女性の得意とするところ。
あの夏の言葉よりなほ無防備にさらす咽喉にいま触れてみよ 同
この歌は冒頭に紹介した「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ 小野茂樹」を踏まえているのでしょう。同じ命令形がそれを示しています。
栗木京子は昭和二十九年愛知県生まれ。
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生 栗木京子
この有名な相聞(恋歌)を詠んだ若き才媛も、
天敵をもたぬ妻たち昼下りの茶房に語る舌かわくまで 同
せつなしとミスター・スリム喫ふ真昼夫は働き子は学びをり 同
扉の奥にうつくしき妻ひとりづつ蔵はれて医師公舎の昼闌け 同
結婚後は堂々たる主婦振り。専業主婦の外面や内面を余すところ無く詠む作者です。他人からは理解されにくい妻という存在。その鬱屈たる心情や自分自身それとどう向かい合ったかなどマスメディアでも発言されておられます。
水原紫苑もテレビによく出演しています。昭和三十四年横浜生まれ。
われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる 水原紫苑
魚食めば魚の墓なるひとの身か手向くるごとくくちづけにけり 同
これら艶のある抒情。内容に深みがあり、いたずれに流されていません。
さて、現在最も有名な歌人は俵万智でしょうか。最近は小説も書いています。昭和三十七年大阪生まれ。処女歌集『サラダ記念日』が大ベストセラーになりました。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 俵万智
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの 同
以前「游氣風信」にこの歌のことを書いたら知らない少女から意味を教えて欲しいという電話がありました。声の感じでは中学生くらいでした。おそらく宿題かなんかだったのでしょう。
最後に紹介するのは辰巳泰子。昭和四十一年大阪生まれ。この大胆な詠み振りの女歌にはただただ脱帽。
おじさんは尻尾を巻いて逃げるのみです。
青醒めし肉のにほひを放ちをる脱ぎ捨てられし壁ぎはのシャツ 辰巳泰子
乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる 同
困ったときの詩歌頼み。今回も短歌の名吟でお茶を濁しました。文中の敬称は略させていただきました。
雅な和歌の系譜が最後の歌のように自在に人の心を表現せしめる不思議。五七五七七という形式は全く変わっていないのです。人の心は本質的にはさほど変わっていないだろうし、日本語も変節しているとは言え、基本的に日本語であることに変わりはないのでしょう。
俳句や短歌という器は日本語の変節を上手に受け止めてきたのです。そして案外日本語の衰退を食い止める最後の砦なのかもしれません。
参考図書
『現代の短歌』高野公彦編 講談社学術文庫
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