游氣風信 No.188 2005. 8.1
歳晩を楽しむ
今年もとうとう歳晩となりました。
歳晩とはあまり馴染みのない言葉ですが年末のことです。俳句ではしばしば用いられる冬の季語。歳時記を開くと似た言葉に歳の暮れ、歳暮、歳末、歳の尾、年の瀬、歳の果、歳の終、歳堺、暮歳、年末、晩歳、歳の際、歳の峠などが載っています。
これらは年の終わりをいう言葉ですが、その残り少なさを惜しむときは、年逝く、行く年、年流る、年の内、年送る、年惜しむ、数え日、歳の名残、年つまる、年迫る、年尽くる、年満つ、年の別れ、年の限りなどが掲載されています。
一年の終点である大晦日にもさまざまな呼び方があります。大年、おおつごもり、大三十日。ついでに十二月のことは師走、極月、臘月、春待月、梅初月、三冬月、弟月など。
普段使わない言葉が多いですし、まったく馴染みのないもの、初見のものもたくさんありますが、ひとつのものごとを表すために実に色々な言葉があるものと感心します。しかも、日常、それらを自然に使い分けているところも大したものです。
いずれにしても十二月も半ばを過ぎると一年の終点が見えてきて、妙な切迫感が生じ、日々があわただしくなります。
暦という時の流れを人為的に区切った一年の最終日、つまり大晦日が来るだけなのに毎年同じ感慨を持つのは不思議なものです。しかも困ったことに年々歳々時間の駆け足は速くなります。
しかし忙しさを嘆いてばかりいてもしかたありません。古人がこんなにたくさんの言葉を残しているということは朝夕あわただしく暮らしながらもどこかにそれを楽しむ“ゆとり”と時の流れにたゆたう“すべ”があったからでしょう。
対象を言葉化することで“いま”のありようを客観的に見て取ろうという意志の存在も見逃せません。
同時に年の瀬という忙しさの中に敢えてさまざまな行事を配置したところに、日々の暮らしに翻弄されることなく、むしろ積極的に時間の経過に身を委ねて楽しもう、味わおうという生き方や古人の知恵が見出せるような気がします。
今回は生活を彩る年末ならではのあれこれに注目してみましょう。
忠臣蔵
赤穂浪士の討ち入りの日。義士祭。今年の十四日は旧暦の十一月十三日ですから、実際には一ヵ月後がその日になります。毎年テレビで吉良上野介の憎々しい顔を見かけるのがこの頃です。この頃から歳晩を感じるのは私だけでしょうか。
日記買う
書店や文具店には来年の日記が山積になって年の瀬を感じさせます。日記と同様に来年に備えて買うものに手帳がありますが、こちらは過去を記す日記と反対に未来の予定を書き付けるものなのでもっと早い秋口に販売されます。
賀状書く
十二月になると訃報が届きます。それに急かされるように年賀状を書かなきゃという思いが脳裏をよぎります。近年は横着して電子メールで済ますことが多いので書く枚数は減りました。
年忘れ
忘年会のこと。連日の忘年会で体調を崩す人もいます。しみじみと、あるいはどんちゃんと今年の嫌な思いを忘れ去るのでしょう。職場やサークルの親睦として不可欠。
年用意
新年を迎える用意の総称。畳替や煤払い、障子や襖の張替え。大掃除もこれに含まれるでしょう。御節料理を作ったり餅を搗いたりするのも年末恒例の行事ですが、近年は外部に注文することが多くなりました。門松を立てたり、注連縄を飾ったりすることも大事な行事です。
冬至
今年は二十一日。一年で最も夜が長い日。世界中で特別な日として祭られています。クリスマスは冬至とキリストの生誕が混合したものという説もあります。この日を境に日の出が早くなりますから、イエスの降臨によって世界に光明が届けられたという思いでしょうか。
柚子湯
冬至の日に、柚子の実を浮かべた風呂をたてること。身体がよくあたたまり、風邪の予防になるし、何より香がいいので今日でも愛好されています。
この日はカボチャを食べる習慣もあります。保存食のカボチャは冬の貴重な栄養源です。
クリスマス・イヴ
クリスマスの前夜。二十四日。サンタクロースが子どもたちにプレゼントを持ってくれる日。キリスト教の信者にとっては敬虔な祈りの夜ですが、日本ではデパートを中心にした商業主義に踊らされたお祭り。
ニュージーランドから来た若い英語の先生が授業中、日本ではサンタさんが枕元にプレゼントを置いていくという事実を知って愕然としたそうです。「いくらサンタさんでも枕元まで来られたら怖いではないか」。
「だって本当はおとうさんがサンタさんだから平気」という生徒の意見に対しても、「いかに父親とはいえ、子どもの部屋にこっそり入るのはプライバシーの侵害」なのだそうです。
さらにニュージーランドのクリスマスは真夏。サンタは海からサーフィンに乗ってくるとか。クリスマスケーキもない。独特のクリスマスプディングというお菓子を食べる。トナカイはいない・・・日本のクリスマスとの違いに授業が盛り上がったそうです。
これはおもしろい話だったのでうちに来る外国人にお国のクリスマスについて色々聞いてみました。
フランス人「プレゼントは暖炉の前に飾ったツリーの下においてある。両親、祖父母、おじさん、兄弟などが十二月に入るとプレゼントをくれるので日ごとに増えていく。中を見るのはクリスマスが来てから。ケーキは食べない。ブッシュ・ド・ノエルというクリスマス独特の木の枝の形のお菓子かチョコを食べる」
ドイツに詳しい日本人「シュトーレンというパンに似たものを毎日スライスしてイヴまでに食べる。もともとは保存食だったものでリキュールにつけた果実などを混ぜたパウンドケーキみたいだから日持ちする」
オーストラリア人「プレゼントは暖炉の近くに置かれたツリーの下に親戚のおばさんや両親などが置いてくれる。遠く離れた知人からも送られる。サンタもイヴにやってくるので靴下を暖炉に吊るす。自分の部屋に届けて欲しいからベッドに靴下を吊るす兄弟もいた。最近のサンタはサーフィンで来るが、基本的にはカンガルーに乗ってやってくる。毎年ABCニュース(日本のNHKニュースに相当する)で空を飛んでいるサンタが目撃されたと報道される。クリスマス・プディングというお菓子を食べる」
アメリカ人「クリスマスケーキはない。チキンも食べない。プレゼントは暖炉のある部屋のツリーの下に親戚などから贈られたものが積まれていく。自分の名前の書かれたものを見つけてクリスマスに開ける。でも我慢できずに穴を開けて覗いたことがある(笑)。サンタのプレゼントは暖炉に吊るした靴下の中」
イギリス人「サンタのプレゼントは暖炉の前に吊るした靴下の中に届けられる。両親が暖炉の煤をあちこち塗りたくって汚し、本当にサンタが来たように演出した。BBCで空を飛ぶサンタ目撃情報が報道される」
英語圏は大体同じ話でした。
つまり日本のクリスマスは独特なのです。サンタは煙突を通って暖炉に降り、そこから部屋に入るのですが、日本の家には煙突も暖炉もありません。それで枕元に置くようになったのでしょう。親子が一緒に寝ているのですから簡単です。日本の家ではサンタを信じている年齢の子どもにプライバシーなどありません。
クリスマスケーキはおそらくケーキ屋の陰謀でしょう。クリスマスにチキンを食べるのはケンタッキーフライドチキンのセールから始まったことは有名です。ケーキもきっとどこかのケーキ屋さんかデパートが始めたに違いありません。
もともとサンタクロースは聖ニコラスが貧しい人に施しをしたこと事実から生まれたものとされています。煙突からコインを投げ込んだといも言われています。鼠小僧次郎吉のようです。そのコインが撥ねてたまたま暖炉の前に干してあった靴下に入ったことから、クリスマスプレゼントは靴下に入れるという伝統が生まれたとあちこちに書かれています。
さらにこれはどこまで本当か分かりませんが、サンタさんの赤と白の衣装はコカコーラのイメージカラーが広まったものだということ。これも以前からまことしやかに言われていることです。真偽は分かりません。
最初に登場したニュージーランドの青年教師。日本人彼女のためにプレゼントを渡すべくわざわざツリーを買い込み、その下にプレゼントを置いたそうです。ところが彼女は床に置かれたプレゼントにちっともうれしい顔をしなかった。その理由がよく分かったと授業で納得していたそうです。
クリスマス
降誕祭、聖誕祭ともいう。イエス・キリストが生まれた日。クリスチャンにとって最も重要な日でしょう。
教会や家で祈りを捧げるそうですが、日本人の多くにとってはイヴのバカ騒ぎやデートやプレゼントが重要であって、敬虔な祈りには無関心。
札納め
神社や寺院から新しい御札が届くので、一年の間世話になった古い御札を返納し焼いてもらうことです。
年の湯
除夜の湯。大晦日に入る湯のこと。一年中の垢を落とすのです。さぞかし湯が汚れることでしょう。
晦日蕎麦
年越し蕎麦のこと。
年籠
年参とも。神社や寺院に参篭して新年を迎えること。鶏鳴とともに戻る。
年越詣
除夜詣。大晦日の夜、社寺に詣でること。
除夜の鐘
百八の煩悩を鐘の功徳によって消滅させる。
紅白歌合戦
世代を超越したヒット歌がなくなったので年々興味が薄らいでいます。近年は裏番組の格闘技に苦戦。不要論もちらほら。
あとがき
かくして新年がやってきて、清新な数日の後、また日常に戻って暮らすことになります。
皆様、よいお年をお迎えください。
(游)
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