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2011年8月20日 (土)

游氣風信 No.163 2003. 7. 1

胃のはなし

わたしたちは「いのち」あるものです。そして東洋・西洋に関わらず医療とはこの「いのち」に働きかける行為にほかなりません。

今まで説明してきた漢方の経絡に関して実に分かり難く取っ掛かりのないものだと思われたことでしょう。しかし経絡を「いのち」という面から見ると意外とイメージしやすいものです。特に今月取り上げる『胃』はその説明に最も
適したものです。

 生命体の特徴は

1 個体保存
2 種属保存

であることは中学か高校の生物学で習いました。これは人間も犬も桜も苔も芋虫もゾウリムシもすべてに共通するものです。言い換えれば、この二つを満たしているならそれは生命体なのです。

個体保存と種族保存が生命体に共通の特徴であるならば「いのち」を考えるとき、無理にヒトにこだわる必要はありません。生物の種類に拘泥せず、素朴な生命体をモデルにした方が分かりやすいという推論が立ちます。

そこで今から生命体を単純化して考えるために単細胞生物を想定してみましょう。一個の細胞から成る生き物です。その方が人間のように複雑化した生命体よりもいのちを類型化して実感しやすいからです。

では早速、誰もが知っている単細胞動物アメーバを頭の中に想像してみてください。簡単ですね。一個の細胞だけの生き物です。彼らの一日はどうなっているでしょう。水中でゆらゆら蠢きながら食物を探す。これがおそらく彼らの人生!?の全てでしょう。

このように外の環境から餌を探し、捕捉すること、そして摂食して、身体に同化すること。不要なものは環境に排泄して生きていくこと。それが個体保存です。ですから生きる糧を見つけ出すことに彼らの人生のほとんどが費やされます。

アメーバは餌を見つけたら細胞の中のゼリー状の物質(原形質)をぐるぐる動かしながら(原形質流動)移動して餌を捕捉します。そして餌を包み込んで直接細胞内に取り込み、栄養とするのです。

これは単細胞だから可能な技です。たくさんの細胞から構成された生物ならこうはいきません。専門の器官を作って食べ物を取り込み、分解・吸収して、各細胞に運ばないといけないからです。しかし単細胞動物なら直接外部から膜を通じて体内に餌を取り入れることができます。そこでこの摂食に関わる働き一切を概念としての「胃」と考えるのです。

臓器としての胃はもちろんですが、臓器を持たない原始的な生物も食を摂り入れます。この食を外部から内部へ取り込む作用一切を概念としての「胃」とすることは難しくないでしょう。

もう一度整理しましょう。単細胞動物には臓器としての胃はありません。細胞一個の生物ですから。しかし細胞だけといっても食物を食べ、消化し、吸収していることは間違いありません。それが複雑な多細胞動物(人間はおよそ60兆の細胞の集合体です)になってからは専門の器官が必要となり、胃とか肝臓とか心臓が生まれたわけです。しかし器官が分化していない生命体でもそれらに類似の作用は必要ですから、アメーバの食に関する働きは「胃」の作用といってもあながち間違いではないと考えるのです。

むしろこうした「原初の胃」が後に専門器官である「胃」を発生させたのです。

さて、そこからもう少し考えを発展させます。飛躍かもしれません。

アメーバのように単純な生命は個体保存という本能的欲求を満たすためにのみ生きていればいいと推測可能です。

しかし、人間はそうはいきません。食べるだけでは何か虚しいものです。キリストならずとも「人はパンのみに生きるにあらず」です。

人は何らかのかたちで、この世に生まれた意味、あるいは生きてあることの証が欲しくなります。つまり人間は本能的欲求を超えた欲望や価値を満たさずにはおれない生命体なのです。

そこで食べるという個体保存の行為が生命体の進化とともに複雑化していったと考えられます。具体的に言いますと知識が欲しい、勉強したい、役に立ちたい、金が欲しい、旅行に行きたい、時間が欲しい、地位が欲しい、認められたい、名誉が欲しい、休みが欲しい、権力の座につきたい・・・こうしたさまざまな欲望や希望、あるいは野望などが生じます。

こうした欲望こそ食べ物が欲しいという欲求が延長し、拡大したものです。それらの作用の根本にあるのが「胃」の食べ物を探し、捕捉し、体内に取り込みたいという欲求なのです。

アニメ『千と千尋の神隠し』に出てくるカオナシはまさに全身胃袋でした。

実際、内臓の胃は大きな袋で食物を貯め込みます。貪欲な臓器です。

あとで詳しく説明しますが、この「胃」の作用が全身化したものが胃の経絡と考えられます。食べ物発見のための目、食べるための歯牙や顎関節、消化器官、食べ物を捕捉するために身を運ぶ脚。これらを含んでいるのが胃の経絡なのです。

このように経絡は内臓の機能が全身化したものと考えると理解のヒントになることでしょう。(余計ややこしくなったと言われても困りますが・・・冷汗)

(補足:アメーバ自身も他の生命体の食物になってしまいますから敵からの逃走あるいは闘争も日常の重要な項目になります。つまり食探しと危険回避が個体保存に不可欠なのです。

さらに配偶者を探すこと。これが種属保存ですが、アメーバは自己分裂によって増殖します)

 ではさっそく例によって辞書に当たって見ましょう。


『広辞苑』

「内臓の一。消化管の主要部。上方は食道に、側方は腸に連なり、形は嚢状で、横隔膜の下、肝臓の下方に横たわる。壁は粘膜・平滑筋層・漿膜から成り、最内層の粘膜に胃腺があって、胃液を分泌し食物の消化に当る。鳥類や一部の哺乳類では2ないし4室に分かれる。いぶくろ。」

もしかしたら胃は最も身近に感じる、あるいは意識しやすい臓器かもしれません。空腹感や満腹感は誰もが日常意識していますし、嫌なことにぶつかったり、嫌いな人に会うときりきり痛みます。

心配ことがあるとずしんと重く感じて食欲がなくなり、気分がいいとすっきりと何でもおいしく味わえます。

胃薬のコマーシャルなどでも胃袋の絵はおなじみですしね。誰もが図式的にイメージしやすい内臓であることは間違いないでしょう。

最後の4室に分かれるというと、牛が有名です。牛のように硬い草を食べる動物は一度胃に入れた食物をまた口に戻して咀嚼し(反芻・はんすう)、次の胃に送るなどということをしていると何かで読んだことがあります。

次は解剖の本です。

『新版人体解剖学入門』(三井但夫著・創元医学新書)

 「胃は消化管のなかで最も拡張した部分で、上は食道に、下は十二指腸に続く。食道に続く部を噴門、十二指腸に続く部を幽門という。胃は全体として左にかたよって存在し、噴門は第十一胸椎の前左に、幽門は第一腰椎の前右に当たる。胃の中央の広い部分を胃体、そのうち噴門の左方に膨出して横隔膜の直下に入っている部を特に胃底という。また幽門に接する短い部分を幽門部と名付け、胃の右下部を占める。臨床では、この幽門部を胃前庭部と呼ぶことがある。胃の上縁をなす曲線部を小彎と呼び、胃の下縁をなす曲線部を大彎と呼ぶ。前記の幽門部と小彎との境界はくびれており、ここを特に胃角と呼んで、臨床上重要視される。

胃の形や大きさは、人によって異なるが、胃の容量は大体二リットルくらいである。」

以上が胃の解剖的な説明です。難しく書かれていますが、要するに胃は袋状の内臓です。

次にその働きをみてみましょう。

胃の生理作用(前掲書)
 「食道から下ってきた食塊は胃の噴門を通って胃の中に入る。もちろん口腔に入った食物は、唾液の中の澱粉分解酵素によって最初の消化を受けるわけである。しかし、唾液は蛋白質や脂肪を分解する消化力をもたない。

 の壁には胃腺という消化腺が豊富に存在する。その消化液を胃液というが、元来、無色透明の酸性液で、ペプシンという蛋白分解酵素を含んでいる。
胃の中に送られた食塊は、胃液の中の塩酸に会い、酸性に変化してくる。そうすると、初めてペプシンの消化が開始され、食塊中の蛋白質が消化されて、アミノ酸になる前の状態であるペプトンという物質に変化して行き、食塊は次第次第にどろどろとなり、粥状になる。これを糜粥(びじゅく)という。この糜粥は二~五時間以内に、少しずつ胃の末端である幽門から十二指腸に下って行く。

(中略)

また、タコが自分の足を食べるように、胃が胃のペプシン(蛋白分解酵素)で自分の組織を表面からだんだん深層に向かって消化してしまうのが、消化性潰瘍である。ふつう胃潰瘍というものの大部分はこれである。胃潰瘍は、胃の血行障害、飲食物による刺激、神経の影響(ストレス)などによって、引き起こされるという。」

胃液には蛋白分解の作用があるので、胃粘膜に剥落があると、自分で自分を消化してしまうのです。考えると恐ろしいことです。ストレスなどがそれを引き起こすなどと聞くと余計ストレスになってしまいますね。

胃からの吸収(前掲書)
「胃からの吸収はほとんどない。ただし、ブドウ糖、アルコール(約その二割)、炭酸ガスなど若干吸収されるらしいが、多量ではない。」


中学校では胃で吸収されるのはアルコールだけだと習った気がします。約二割だったと案外少ないと驚いています。

胃ではさほどの化学的消化は行われません。あれだけの強酸の世界ですから化学反応は期待できないらしいのです。むしろ物理的に砕くことが主体です。
さらに胃酸によって殺菌もしています。ですからヨーグルトなどを食べてもビフィズス菌はほとんど胃で殺されてしまいます。

次に、漢方的な胃の概念を調べましょう。

『鍼灸医学大辞典』(医道の日本社)

「六腑のなかのひとつで、漢方では、主に水穀を受納し、腐熟させる(飲食物を消化する)とし、水穀の海ともいう。一般には、胃と脾(膵臓)は表裏をなし、胃で消化したものは、脾を通じて栄養分を運化するとされる。胃と脾のはたらきは胃気と称され、生命の維持に重要な関係があるといわれてきた。」

いのちの維持に関わるエネルギーの中心にあるもので、食べ物(水穀)のエネルギーを後天の気と呼び、先天の気である腎の気と混ぜ合わせて生命の素である精となるのです。これは腎のところで触れました。

最後に指圧の師匠、増永先生の本に当ります。

『スジとツボの健康法』(増永静人著)

「口腔から食道、胃袋、十二指腸、空腸までの消化管の総称であり、またこの働きを助ける体肢の運動と体温の発生、および生殖腺の働きにも関係しています。食欲、乳汁分泌、卵巣機能を支配しています。

症状としては、胃をいつも意識したり、細かいことを気にしてくよくよするとか、食物や気分で食欲にムラがあり、頚や肩がよくコリます。あくびが多くでて、足腰が重く、膝から下が冷え、疲れやすい傾向があります。胃酸過多と
かゲップがよく出たり、鼻づまりや鼻炎も食べすぎが原因でおこります。口の中が荒れたり、いわゆる烏のお灸という口角炎は胃粘膜の炎症のあらわれで、胃のスジの上にでます。みぞおちが固くなり心臓の苦しいのは、胃が張って心臓を圧迫するためです。風邪がぬけないとか胃がもたれる、吐き気があるなども胃の症状です。」

先ほども書いたように胃は意識しやすい臓器です。きりきり痛んだり、鉛のごとく重くなったり、どんよりと下垂したり、吐き気やゲップなど比較的明確な身体化をするのです。健康なときでも空腹感や満腹感を感じます。

さらに比喩として貪欲の象徴とされます。漢方の胃はこの比喩が案外当っているような気がします。

次に経絡の走行を示しますが、この経絡の上に症状が出やすいのも胃経の特徴です。

手の陽明胃経
目の下から顎、こめかみの線と合流して胸、腹を降り、足の前面を通って足の中指まで。

『鍼灸医学大辞典』(医道の日本社)
手の陽明胃経
「身体の前面をめぐる長い経脈で、所属する経穴は45穴に及ぶ。直接に関与する臓器は、胃、脾であるが、胸腹部をとおるので、間接的には多くの臓器に関与する。経脈の性質は、血、気ともに多い。その流注(ながれ)は、大腸経の分れを受けて、鼻根の迎香穴から起こって、上歯の中に入り、唇をめぐり、下顎のうしろに達し、ひとつの分れは前額部へ進み、ひとつは頚動脈に沿って喉頭部をめぐって鎖骨上窩に入り、横隔膜をくだって胃に帰属し、脾をまとう。さらにもうひとつは乳線の内側を臍をはさんでくだり、足の外面前側をとおって足の第2指外側に終わる。胃経は単に胃だけでなく消化器すべての疾患に用いられる。さらに胸部では、呼吸器・心・循環器疾患に用いられ、頭部は主に鼻・口腔・歯疾患、神経症などに用いられる。」


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