« 游氣風信 No.167 2003. 11. 1 | トップページ | 游氣風信   No.169 2004. 1. 1 »

2011年8月20日 (土)

游氣風信 No.168 2003. 12. 1

寒い俳句

 今月は俳句特集です。

 先月まで難しいお勉強ばかりしてきましたから、今月は気分転換。年末にふさわしく冬の寒さを表現した俳句をあちこちの歳時記を渉猟して探してきました。

ビルの影踏絵の如し冬の朝 落合冬至

 冬の寒々とした朝の光景です。ビルの影が道路に凍てついています。そこを作者は踏んではいけないもののように歩くのです。ビルの影を踏絵と見立てたところに作者の心情が詠み込まれています。都市生活者なら誰でも共通の体験はしているのではないでしょうか。

ロボットがロボット作る冬真夜中 安井信朗

 これも現代の無機質性を即物的に詠んであります。現代社会とはコンピュータが操作する機械が社会の枠組みを構成し、その隙間に人間が暮らしているのです。

大きくて冷たき靴を揃へけり 栗島 弘

 日常の何気ない動作の中に実感する冬。作者は靴の重さや大きさより冷たさに驚いたのでしょう。栗島さんはわたしの所属している俳句結社『藍生(あおい)』を代表する作家です。

極寒のちりもとどめず巌ふすま 飯田蛇笏

 蛇笏は教科書に必ず取り上げられる大家です。山梨の山深い里で生涯を送りました。信州の山波を優美と讃えるなら、甲州のそれは実に武骨な魅力を湛えています。この句は寒さの極まった頃の屹立した巌を詠んでいます。「ちりもとどめず」という措辞に厳しい寒さが言い留められている名吟中の名吟。

大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太

 龍太は蛇笏の息子。しかし親の七光りなど関係なく戦後をリードした俳人です。この句には先の蛇笏の句が見え隠れしています。これは真似ではなく、挨拶とみるべきでしょう。大寒の凍てきった故郷を「一戸のかくれなき」と表現しました。蛇笏、龍太ともに写実以上に真実をことばとして写し取りました。

白日は我が魂なりし落葉かな 渡辺水巴

 冬空に掛かる太陽。白々と燃えています。それを水巴はまるで自分の魂のようだと見立てたのです。辺りは散り敷いた落ち葉ばかりのさびしい景色。果たして作者の心境はいかなるものだったのでしょうか。

凩を連れて帰るよひとりの部屋 菖蒲あや

 凩は厳しい北風です。職場からの帰りなのでしょう。作者は木枯らしの中に弧絶して歩いています。部屋に帰っても独り暮らし。道中も家も孤独。ならばせめて凩を連れて帰ろう。俳人らしい気持ちの転換です。

木がらしや目刺にのこる海の色 芥川龍之介

 あの芥川龍之介です。彼は俳句も大変上手で、文人の余技に留まらない超一流の詠み手として知られています。句は「目刺にのこる海の色」と感覚的でありながら凩という季語の俳味を十分に生かした佳句となっています。

海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

 凩の句で最も有名なものの一つ。渺々たる凩が海上に出て、最早二度と帰ってはこないという無常の句です。作者の自解によると神風特攻隊に思いを寄せて詠んだとされていますが、そうした時代的背景を知らなくても名句として膾炙しています。この句には先行する句がありました。江戸時代の作品です。

木枯の果はありけり海の音 池西言水

 これがその先行句です。作者はこの句によって「木枯の言水」と称されました。言水は海の音を凩の果ての音と聞いたのでしょう。凩の行く末に人生の果てを感じないわけにはいきません。

一合の酒遠ざかるもがり笛 黒田杏子

 もがり笛は虎落笛と書きます。虎落とは戦場の先端に作った囲いのことで、竹を槍のように削いで組み合わせたものです。虎の落とし罠の中に仕込んだり
もしたのが命名の由来でしょう。そこから派生して竹の枝を利用して作った物干しのことも指すようになりました。そうした柵や竹垣を北風が吹きぬけるときに立てる物悲しいヒューという音をもがり笛と呼びます。作者は静かに酒を酌んでいます。そのとき家の周囲を吹き抜けるもがり笛の音が次第に遠ざかって行ったのでしょう。酒と風だけに焦点を絞った力強い句。黒田杏子はわたしの俳句の師匠です。

隙間風来る卓上に林檎一つ 山口青邨

 隙間風はどこからともなく入ってきます。俳人は寒さを嫌うことなく事象として味わうのです。隙間風は心の中にも吹くことでしょう。作者の心中をさびしい隙間風と一点の真っ赤な林檎が語らずして語っています。青邨は黒田杏子の師匠です。

雪絶えしこの音が雪降る音か 有働 亨

 人間の耳には絶えず何らかの音が入っています。全くの無音には耐えられないそうです。雪の降る静謐。作者にはしんしんとした音なき音が聞こえているのでしょう。

雪降れり時間の束の降るごとく 石田波郷

 これも静謐な句ですが、どこか人生の重さを感じさせます。波郷は輝くばかりの青春性俳句を横溢させた前半生に対し、一転して後半生は結核に苦しみながら療養俳句というジャンルを生み出しました。

みづからを問ひつめゐしが牡丹雪 上田五千石

 五千石も青春のある一時期、精神を病んで苦しみました。それを俳句で乗り越えてから、生涯を俳句に賭けた人です。数年前、惜しくも六十数歳にして亡くなりました。牡丹雪が重く降り注ぐ中、自らを厳しく問い詰める青年だったのです。

雪の水車ごっとんことりもうやむか 大野林火

 童話的な俳句。林火は叙情的俳句で知られます。

絶頂の東西南北吹雪くかな 折笠美秋

 東京新聞の記者をしていた時、ALSという難病に罹ります。四肢および呼吸機能まで失いながらも最期まで俳句を詠み続けました。その感動的な闘病はテレビドラマにもなりました。

雪野へと続く個室に父は臥す 櫂 未知子

 現代の若手を代表する俳人。重い病に臥せっている父の病窓から、遠く雪の野原が見えます。あるいは雪を被っていつもの町が雪野に見えたのかもしれません。肉体は封じ込められていても魂の自在性があります。そこに救いが感じられます。

雪女音なく香なく過ぎしなり 三谷 昭

 俳人が好むものに雪女があります。吹雪の中に現れる幻想的・古典的妖怪。
その実態はこうした存在感の無さでしょう。

火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ 能村登四郎

 作者が何かを焚いている枯野のはるか彼方を誰かが通り過ぎていく。淡彩画のような風景です。懐かしい孤独感。同じ作者に「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」という青春のアンニュイな孤独感を詠んだ名句があります。

みちのくの星入り氷柱吾に呉れよ 鷹羽狩行

 美しい句です。二十代の初め、この句に出会って俳句観が一変しました。それまでの枯淡とか侘び・寂びという俳句の印象を根底から覆されたのです。
「霧噴いて蛍籠より火の雫」「スケートの濡れ刃携え人妻よ」なども狩行の作品です(表記は正しくありません)。現代を代表する作家。

重ね着の師のうつくしき過去未来 勝又一透

 寒さを凌ぐために厚着をします。もこもこと膨らんだ姿はどこか滑稽です。
「着膨れ」ということばもあり、こちらの方がさらにユーモラスな感じ。恩師の重ね着姿はさすがに端然とうつくしいようです。その恩師の過去と未来が今眼前の重ね着に集約されているのでしょう。未来はなかなか見つからないことばです。

蝶堕ちて大音響の結氷期 富澤赤黄男

 俳句史に鉄槌を打ち下ろした作品。この作品により従来とは全く異なった俳句が生み出されるようになりました。しかし俳句と現代詩との境界も不鮮明になりました。なぜなら赤黄男は「象徴主義の詩の影響を受け、俳句に抽象表現、隠喩(メタファー)、アナロジーなどの西洋的な手法を積極的に導入して、近代人の憂愁を表現しようとした(四ツ谷龍)」からです。

山河けふはればれとある氷かな 鷲谷七菜子

 俳句らしい表現です。その分、日本語としては少し妙だともいえます。俳句が日本語を用いながらも日常の文法をいささか逸脱することで韻文として成立している所以です。「山河は今日はればれとしている」と「はればれとある氷」が微妙にずれつつひとつの世界を生み出しています。

午過ぎて枯木の色となりにけり 加藤楸邨

 人間探求派楸邨らしい句です。枯木はいつだって枯木ですが、昼過ぎになっていかにも枯木の本質が表面化してきたと言うのです。枯木が人生の深さを感じさせます。

外套を着せられてゐる別れかな 原田青児

 意図的に作られたようにも感じられる情景ですが、人と人との交わりの中の一点景をうまく捉えています。

冬蜂の死にどころなく歩きけり 村上鬼城

 極めて有名な句。冬の暖かい日、蜂がおろおろと歩いていることがあります。昆虫は体温が一定以上にならないと動けないのです。それを死に所なく歩いていると見立てたのは鬼城の人生観です。わたしはこの句を見るといつも志賀直哉の『城の崎にて』を思い浮かべます。蜂の亡骸を見た直哉のさまざまな思いがつづってあります。

金溜まることに縁なき柚子湯かな 鈴木真砂女

 冬至の日は南瓜を食べて柚子湯に入る。今でも継承されている行事です。湯に浮かべた柚子の香に包まれながら金に縁のない人生だったなと来し方に思いを馳せているのでしょう。真砂女は九十過ぎまで銀座で小料理屋を営んでいました。俳人や文人の溜まり場として知られた卯波という店です。夫と子を捨てて妻子ある軍人と駆け落ちしたセンセーショナルな人生は瀬戸内寂聴によって小説となりました。真砂女とも寂聴とも親しい黒田杏子は真砂女を「恋深き女性」と称して敬慕しています。

冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男

 非の打ち所の無い名句。楸邨・波郷と同じく人間探求派として俳句史に大きな足跡を遺した作家です。冬の水の玲瓏で冷たく引き締まった感じを「欺かず」が見事に表現しています。

寒灯に柱も細る思ひかな 高浜虚子

 寒い夜の灯火はどことなく一徹な孤独感を漂わせています。まさに柱も細る思いです。寒さは身体だけでなく心も寒々とさせます。

節分の高張立ちぬ大鳥居 原石鼎

 節分がやってくると次の日は立春。春はすぐそこです。季語は季節感。寒さの最も厳しい中にこそ春の先駆けを見出すのです。節分の日の鳥居に高張提灯が掲げられています。高張とは高張提灯のことです。鳥居と提灯。ただそれだけの景色ですが、厳しい冬もあと少しとなった心のゆとりが感じられませんか。原石鼎はわたしの大好きな作家で、十代の終わり、石鼎が興し未亡人コウ子夫人の継承されていた結社『鹿火屋』に入会したのでした。これが俳句に本格的に取り組んだ端緒となりました。

参考
写真俳句歳時記 冬 現代教養文庫
俳句歳時記 角川書店
現代歳時記 成星出版
季寄せ 明治書院

|

« 游氣風信 No.167 2003. 11. 1 | トップページ | 游氣風信   No.169 2004. 1. 1 »

游氣風信」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 游氣風信 No.168 2003. 12. 1:

« 游氣風信 No.167 2003. 11. 1 | トップページ | 游氣風信   No.169 2004. 1. 1 »