游氣風信 No.174 2004. 6. 1
游氣塾の変遷
游氣塾とは何かと問われることがあります。率直に答えますと游氣塾にはこれ
といった実体がありません。概念はありますが、実際に游氣塾としての活動はほとんどしたことがないからです。
しかしこの説明ではあまりに不親切ですから今月は簡単に言及しようと思います。
先月が指圧教室の変遷でしたからそれに絡む内容にもなります。
以前『游氣風信』で游氣塾について説明したことがありました。ずいぶん前のことです。今月はそれとかなり重複することになりますが、かまわないでしょう。昔の文章ですから誰も記憶していないでしょうから・・・。
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y100.html
では最初に游氣塾の趣意をまとめた文を掲載します。
《游氣塾》
[生きる場の解放・生きる方向の発見・生きる活力の養成]を求めて
我々は生きていく限り<身体>の問題を通過する訳にはいかない。そしてそれは単に健康とか病気だけの問題でもない。
なぜなら、すべての情報は<身体>によって感受(認識・自覚・勘等)、処理(判断・整理・選択等)され、あらゆる創造(活動・表現・技術等)は<身体>から発せられるからだ。
即ち、我々の<身体>とは我々の<存在>そのものなのだ。
しかし、現実には我々の肉体は、社会という鋳型の中で精神の僕として隷属を強いられ、感性は鈍麻し頽廃し、心身は疲れ強ばり日常に漂流している。
日常に埋没した自分に気付いたなら、この未知で、大切で、ままならない、いつかは捨てねばならない<身体>をじっくり見直し、親しく対話してみようではないか。
否、むしろそんな<身体>に委ねきってしまうことで、もっともらしい権威やおかしな常識、偏った先入観等の束縛から解放されようではないか。それに応えるべく、<身体>は完全なる世界を体現しているのだ。
そこから、活性の湧き出る身体と、自律性に富んだ生活と、共感性に包まれた環境(人と人・人と自然)を得て、健やかな個性の融合した生命共同体が築かれるのではないだろうか。
――――――――――――――――――
何度読み返しても気恥ずかしい文章です。なにしろ27歳の頃に書いた若書ですから、勢いと気負いがないまぜになっています。それから四半世紀近く経ちました。その間この檄文はよきにつけあしきにつけ、わたしに影響を与えてきました。一つの自己規範となっていました。
もちろん当初書いたものに後から加筆訂正しています。こちらの考えも変化してくるからです。
では何故こんな文章をまとめたのでしょうか。
先月書いたようにわたしは増永静人という経絡指圧の創始者に親炙していました。ところが先生が夭折され、わたし自身この先何をどう学んでいったらいいのか困ってしまいました。人生の路頭に迷ってしまったのです。そこでさまざまな出会いを求めてさまざまなジャンルの勉強をしました。増永に替わる先生が必要だったからです。そんな中で出会った一人が坪井繁幸(現在は坪井香譲)先生だったのです。
時間を少し遡行します。
学生時代、ある印象的な論文に出会いました。当時の若者の思想的カリスマだった吉本隆明(吉本ばななの父上)編集の『試行』という雑誌に連載されていた『武道の理論』です。著者は南郷継正。たまたま大学の図書館で見つけたこの論文にわたしは欣喜しました。
それまでの武道論といえば、中国の古典の焼き直しか禅書の孫引き、あるいは道歌などで曖昧模糊と表現されていたのが大部分だったのです。そんな旧来の武道論に対して、南郷氏の『武道の理論』は当時隆盛だった弁証法という快刀を引っさげて武道を乱麻するという画期的なものでした。
率直に言って弁証法と言われてもよく分かりません。たとえばマルクス経済学のテキストの冒頭には「商品には価値と使用価値がある」などと書かれています。そしてこの例のようにあるものごとの中に二つの異なったものを見出しながら発展的に論を展開する思考方法が弁証法だというのです。
ここに高級万年筆があるとします。この万年筆には字を書くという価値があります。それと同時に5万円という交換価値があります。ものごとには全てこのような二面性があります。その二面性を明らかにして矛盾を止揚し、絶え間なく思考の発展性・運動性を維持していくことが弁証法なのだそうです。
簡単に言えば「三人寄れば文殊の知恵」を一人の頭の中でやっていると思えばいいでしょう。かなり強引な解釈ですが。
いずれにしても弁証法などというものは頭が痛くなるものでしかありませんでした。しかし『武道の理論』では、難しい弁証法が興味の湧かない経済学でなく大好きな武道で駆使されているのです。これなら面白いに決まっています。そしてその当時、この本をきっかけにさまざまな武道論が書店に並ぶようになりました。それは旧来の極意書の翻訳ではなく、著者たちの身体を通して書かれたものだったのです。
そんな中で坪井繁幸という人の『極意』という本に出会いました。これは弁証法を前面に出したものではありませんが、武道やスポーツ、踊りや職人技などさまざまなジャンルの奥底にはある種の共通点を見出すことが可能であるという内容でした。その思考法は常に体験を踏まえた上で、常識を超えた世界を見出そうとするもので、あきらかに弁証法を薬籠中のものとし手駆使されていました。
坪井氏はその共通項を後になって「身体の文法」と名づけましたが、それぞれの分野を貫通するある種の普遍性を見つけるという点では『極意』も『武道の理論』と同様に科学的思索の本でした。
こうして武道論や身体論に馴染んできたわたしが数年後、『極意』の著者である坪井先生と懇意になろうとはその時点では思いもしなかったことです。
坪井先生が『極意』の次に出された本は『黄金の瞑想』というタイトルでした。内容は身体操法の具体的なエッセンスで、今日の古武道ブームの萌芽となるものでしょう。
当時、まだ増永先生はご存命でしたのでこの本の紹介をした記憶があります。この本は増永先生の『スジとツボの健康法』と同じ潮文社から刊行されています。それまで指圧という世界にどっぷりだったわたしは指圧で学んだ本質的な部分は身体の文法として普遍化できるというヒントを得ました。そして増永先生にもぜひ広い世界で活躍していただきたかったのです。
増永先生は学者でしたから、指圧の理論を普遍化して医療の中に位置づけされようと死に物狂いの努力をされました。そして増永先生の成果は医療に留まるものではないということを坪井先生の著書から知ることができたのです。これは大きな喜びでした。視野がぱっと開けた思いがしました。
ところがその後、ほどなくして増永先生が亡くなられたので、舵を失ったわたしはしばらく迷走することになります。
そんなわたしの羅針盤になったのが『黄金の瞑想』でした。
率直に言って初めて『黄金の瞑想』を読んだ時は前著『極意』とのあまりに乖離した内容に戸惑いました。しかしこれこそが『極意』に繋がる具体的方法なのだろうと気を取り直して読んだのでした。そんな折、タイミングよく知人が名古屋に坪井先生を招いてセミナーをするから参加しないかと声を掛けてくれたのです。
これが坪井先生との出会いでした。
その後二年くらい、月に一度名古屋にお越しになるたびに我が家にお泊りになり、早朝近所の空き地で一緒に稽古をしたものです。通学の高校生がじろじろ見て通り過ぎるのが恥ずかしかったのですが、坪井先生はなんら意に介すること無く稽古をされます。探求者とはこういうものなんだなあと妙な感心をしたものでした。
その頃先生の求めておられたあらゆる分野に共通する身体原理「身体の文法」を具体化したエクササイズは「身体気流法」とか「気流身体法」と呼ばれていました。無頓着な先生はきちんとした名称も付けておられず、ある著名な編集者が便宜上名づけたのです。
坪井先生の考えの中にとりわけ強く共感する部分がありそれが前述の游氣塾の趣旨にある[生きる場の解放・生きる方向の発見・生きる活力の養成]を求めてになります。
これはほとんど坪井先生の文の焼き直しで、先生の許可も得てあります。それまで「指圧は治療である」という部分にこだわっていたのですが、治療とはもっと視野を広く持って、生きること全般から考えないといけないと気づいたのでした。そしてそのことは以前聞いた増永先生の第一回のセミナーの話でもあったのです。
それで坪井先生の許可を得たわたしは「気流身体塾」という塾を興しました。そこは治療だけでなく治療技術を通して人とどのように交流していくかを考える場にしようと思ったのです。物の修理をするような治療ではなく、「いま、ここに生きている人とどう交流するか」を考えることが大切だからです。そしてこれも増永先生の考えとなんら矛盾するものではなかったのです。
その後、気流身体法は「メビウス∞気流法」と正式な名称を名乗ります。そして近年、次第に注目を浴びるようになりました。特に『千と千尋の神隠し』の主題歌を作詞した覚和歌子さんや作曲・歌の木村弓さんが熱心に稽古されていること、身体論ブームの中核にある斎藤孝さんが大学院生の頃参加していたことなどが契機になったことは間違いありません。
☆
わたしの方は気流身体塾と名乗ったものの具体的な活動はほとんどしていません。むしろ自分のあり方のバックグラウンドとしての塾でした。
坪井先生との関係はずっと薄くなりましたが途切れることなく続いています。わたしは迷惑をかけては申し訳ないので名称を「游氣塾」と変えました。
銀行の組合や、医療器具販売会社主催の治療家セミナー、四日市市の福祉協議会および鍼灸師会、その他の小さなグループなどから招かれてセミナーをすることはありました。これは游氣塾としての具体的な活動になります。
今年の初めには名古屋市の高年大学鯱城学園からも依頼がありました。
何よりうれしかったのは坪井先生が気流法20周年という大切な行事の壇上にわたしを対談者として招いてくださったことです。何か恩返しができたようでほっとしました。
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y091.htm
指圧教室は指圧という技法、増永先生の偉業・遺業を具体的に伝える場であり、游氣塾はその背景として支えているもの、こう考えるとすっきりします。
今年、50歳になりました。残された時間もどんどん目減りしています。今後、もっと具体的に游氣塾としての活動もしていきたいと考えています。
メビウス∞気流法の会
http://homepage2.nifty.com/moebius/index.html
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