« 游氣風信 No.188 2005. 8.1 | トップページ | 游氣風信 No.190 2006. 5.1 はりの有用性 »

2011年8月29日 (月)

游氣風信 No.189 2006. 4.1 鯱城学園 追悼 小川双々子先生 親子二代 三寒四温

鯱城学園 追悼 小川双々子先生 親子二代 三寒四温

今年も名古屋市高年大学鯱城学園で講師を務めます。今回で三回目。クラスが二つあるので1月27日と2月3日の二回行ないます。

テーマは毎年同じで暮らしに生かす東洋医療。具体的には経絡とツボについてのお話です。

高年大学は60歳以上の方を対象とした二年制の学びの場で、大変な人気だそうです。うちにいらっしゃる方も何回申し込んでも選に洩れてしまうので諦めたといわれました。

今年から7回落選した方は優先的に入学できるようになるらしいのですが、7年も待たされるとなると大変です。60歳の方が67歳になってしまいます。新生児なら小学一年生。それほど人気があるということです。

さて、今年はいかなる出会いがあるのでしょうか。今から楽しみにしています。

(1月19日記)


追悼 小川双々子先生

迂闊にも気づかなかったのですが、1月の17日、一宮市在で現代俳句協会の重鎮小川双々子先生がお亡くなりになっておられました。

毎日インタラクティヴより

「訃報:小川双々子さん83歳=俳人

 小川双々子さん83歳(おがわ・そうそうし<本名・二郎=じろう>俳人)17日、心不全のため死去。葬儀は親族のみで行う。お別れの会の日取りは未定。自宅は非公表。喪主はおい、中島富士雄(なかしま・ふじお)さん。

 名古屋を中心とする東海俳壇の指導的存在。05年、現代俳句大賞を受賞した。」

先生の逝去は、今朝の読売新聞に3月16日にお別れ会があるという小さな記事を見つけて知ったのです。ネットで調べたら上記のような記事をいくつか見つけました。

東海俳壇の指導的存在とありますが、現今の俳句界になくてはならない楔のような方でした。俳句の世界においてすらそれほど著名ではありませんでした。しかし、先生の時代を見る目の厳しさはまさに詩人のそれでした。先生の俳句や文章はとっつき難く一般受けはしません。それでも主宰される結社『地表』は、常に批評精神を研磨し続けています。

20代の終りから30代の前半、わたしは俳句における詩精神を学ぶべく『地表』に属していました。しかし率直に言うとわたしはその余りの詰屈さに結局は距離を置いたというのが本音です。もう少し俳句としてのゆとりも欲しいと感じて伝統回帰、今の『藍生』に移ったのでした。

それでも『地表』のことは常に頭の中に響いており、今でも安易な俳句を作ろうとする気持ちを叱咤してくれます。

一昨年にはその前に属していた結社『槙』の平井照敏先生も亡くなられました。そこでは俳と詩の弁証性を学びました。ここでの体験も身中に息づいています。

今は『藍生』(黒田杏子主宰)という自由な海で好きに泳いでいます。それでもなかなか俳句は上達しません。

そもそも俳句とは何か。

わたしにとって俳句とは何か。

そんな問題も解答も当然のことながら見えてきません。

先達が次々なくなる中、模索の旅はまだまだ続きます。

ともかく小川先生、お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。

(2月8日)

親子二代

今、アメリカからFさんが指圧の勉強に来ています。彼女は日本で生まれ、9歳まで滞日した米国人。

今年20歳になります。高校を出た後、二年かけて米国のマッサージ公認ライセンスを取得したそうです。さらに技術を深めるべく指圧の勉強に一ヶ月ほど時間を作ってやってきました。

彼女のお母さんはわたしの最初の外国人生徒。

幼稚園が休みのときなど、Fさんもお母さんについてやってきました。そしてお母さんが練習中、部屋の隅やバルコニーで色々悪戯をしていたものです。彼女はアイスクリームのポスターに登場したこともある愛らしさから教室の人気者でした。

それから幾星霜。立派な大人になっての再来日。

考えてみると親子二代にわたって指導することになります。これは恐ろしいことです。

わたしを思い出して娘をはるばる日本まで送り込んだ両親の記憶と英断に感動すると共に、改めて鏡に写った自分の顔のシワ、シミ、白髪という老いの3Sに見入らずにはおれませんでした。

そこには時間が刻まれているのです。

(2月26日)

三寒四温

三日寒い日が続いた後、四日温かい日に恵まれる。その繰り返しを三寒四温といいます。もともとは朝鮮や中国東北部辺りの冬の気候全体を表すものだったらしいのですが、日本では一般に冬から春の端境期に用いられます。

この現象は高気圧と低気圧の交互の通過によるものです。

三寒四温という寒暖の繰り返しから、次第に温かくなる時候。まさに三寒四温は春の訪れを心待ちにする今頃の気持ちに溢れた言葉です。もちろん歳時記にも冬の季語として掲載されています。

  三寒の四温を待てる机かな 石川桂郎

  三寒のくらがりを負ふ臼一つ 八重津苳二

  塩あてし鯖しまりゆく四温の夜 伊藤いと子

             ☆

このところ気候がとても不安定です。

十三日の月曜日には雪が激しく降りました。しかし翌日はケロッと晴れて温かい。こうした不安定さこそ季節の変わり目なのでしょう。

近在の桜並木の花芽が日ごとに太っています。 その下にいつのまにか沈丁花が開いています。

  沈丁の香をのせて風素直なる  嶋田一歩

本当に春はすぐそこまで来ています。

(3月18日)

講習終了

先々号で親子二代の指導について書きました。

そのFさん、昨日、予定の講習を無事終了しました。週4回、6週間、熱心に通われました。

20歳の女性一人。言葉の通じない国で大変だったでしょう。ご苦労様。わたしのひどい英語でどこまで伝わったのか分かりません。

マッサージは米国でしっかり勉強してきました。しかし似て非なる指圧の「触れる」という基礎の基礎がなかなか難しく、姿勢作りと相まって苦労しました。しかし、最後の週に入ってどうにか形が出来上がり、圧の軸も定まってきて一安心。帰国に間に合ってやれやれでした。

4月3日には離日してオレゴンに戻ります。

桜も間に合い、穏やかな春の風合いを楽しんで帰国してくれればと思います。

(3月20日)

合格発表

例年ですとこの頃の新聞には様々な国家試験や大学入試の合格者名が羅列してありました。しかし、最近見ないなと思っていたら、それは個人情報保護ということで掲載しなくなったようです。

そんなわけで身近に受験者がいないと試験のことなど脳裏を掠めることもありません。わたしも同様で、試験というものの存在すら遠い過去の記憶として、しかも忌まわしい経験として脳の片隅にあって強固に封印されています。

ところが先日、ときどき経絡指圧の勉強に来ているHさんがビタミンのサプリメント購入がてらやってきて、無事国家試験に合格しましたとの報告を受けました。

Hさんは専門学校に三年間通って、この春めでたく「あん摩マッサージ指圧師」の国家資格を得たのです。おめでとうございます。一緒に勉強に来ている後の三名も合格だそうですから一安心。

合格はスタート。これから職業として成立させるという別の困難が待ち受けていますが、この関門を潜らなければその困難さに立ち向かうことすら出来ません。ご苦労様でした。来月四人揃って勉強にきますから、新たな展開を考えないといけないでしょうね。

「あん摩マッサージ指圧師」免許は三年間、毎日こつこつと通学しなければ受験資格が得られない国家資格ですから、国家試験の合格率自体はかなり高いものです。学校側も名誉と学校経営のために合格率上昇を目指して相当厳しく絞るようです。それでも毎年学校で何名かが不合格になるそうですから合格と分かれば万々歳。皆さん、さぞかし安堵の美酒に溺れたことでしょう。

Hさんは続けて同じ学校に通って「鍼師」「灸師」の取得に挑戦するそうです。これも三年間毎日。気が遠くなりますね。決して若くないHさんです。健康に留意なさって三年後の美酒を目指してください。

|

« 游氣風信 No.188 2005. 8.1 | トップページ | 游氣風信 No.190 2006. 5.1 はりの有用性 »

游氣風信」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 游氣風信 No.189 2006. 4.1 鯱城学園 追悼 小川双々子先生 親子二代 三寒四温:

« 游氣風信 No.188 2005. 8.1 | トップページ | 游氣風信 No.190 2006. 5.1 はりの有用性 »