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2011年8月20日 (土)

游氣風信 No.161 2003. 5. 1

小腸(三焦)のはなし

 漢方医療は自然科学の洗礼をほとんど受けていません。体験的な事象の集積やそこからの推測で成立しています。

 しかしこうした傾向は漢方に限られたことではなく、世界のさまざまな医療、たとえばインド医療(アーユルベーダ)やアラビア医療、西洋のハーブやホメオパシーなども同じです。

 歴史的に見ても実は十九世紀までは世界中の医療が自然科学とは別の文脈から成立していました。他の分野、例えば建築や工業などでは次々に自然科学的考察や成果を取り込み、近代化していったにもかかわらず、医療は歴史的考察に代表される人文科学の分野に留まり、自然科学の導入が遅れました。

それは何故でしょうか。少し長いですがその問題に精緻に触れた論文を紹介することで説明の代えさせていただきます。その論文は

アルフォンス・ラービッシュ(市野川容孝訳)(2003)「ドイツ医学史概観-
医学の<内>と<外>のはざまで-」、見田宗介(他)編『ライブラリ相関社会科
学第8巻-<身体>は何を語るのか 20世紀を考える(Ⅱ)-』、新世社

です。この論文に人文科学や自然科学が医療とどう関係したかが、ドイツの例を通して述べてあります。


「18世紀に入って、新たな流れが生まれます。すなわち、近代(諸)科学において、自然それ自体が歴史化されるようになったのです。自然の時間化と、自然認識の歴史化は、各種の進化論に最もはっきり確認できます。(中略)自然科学の諸対象が、ある目的に定位して歴史-科学的に考察されるようになります。さらには自然科学そのものに関する歴史記述、すなわち科学史の諸研究が生まれます。しかしながら[自然科学とは異なり]医学は、何よりも、行為(実践)に根ざした学問分野です。自然科学との関係をもちつつも、[医学は]病める人間に向き合わねばならないため、そこでは行為(実践)という視座が際立ってきます。この視座は、単に技術的なものではありません。それ以上に、主観的な領域に足を踏み入れつつ、それぞれの特殊な状況に置かれた一人一人の人間に向き合う知が、そこでは必要となるのです。それゆえ、医学は、科学理論としては、困難な状況に置かれます。というのも、個々の特殊な言明、個々の特殊なケースから、科学的な知を導き出すことは到底、不可能だからです。[自然科学における](第一の)歴史化に呼応する形で、医学の内部でも、18世紀末から19世紀初頭にかけて、ある特異な歴史的思考が形成されていきますが、それは、啓蒙という意図をもちつつ、理論と実践の両面で医学が直接、必要とするものに定位していました。」(P.8)


医療は特殊な状況にある患者さん一人一人に対応する必要から、科学理論として一般化することが非常に困難なわけです。

これは今日においても同様です。医学は一般化された普遍的理論として自然科学の一員として認知されていますが、こと実際の医療現場となるとひとりの患者さんの訴えに対してはドクターの裁量に委ねられる部分が多く、純粋科学を貫くことは困難です。

著名な歌人斉藤茂吉は精神科医としても一家を成した人ですが、彼は精神病の患者の診察のとき、聴診器を頭に当てて、「脳が風邪をひいている」などと言ったそうです。無論これはまやかしです。しかし、大正や昭和初期の患者には十分に有効なトリックとも言えるでしょう。今日、これと同じことをしたら患者に「ばかにするな」と叱られるに違いありませんが。

医療は一般科学を基礎としながらも個々のケースに合わせて柔軟に、一見非科学的と見えるようなことでも治癒という目的のためなら許容されるのです。


「自然科学的な医学への転換は、ドイツの場合、J.ミュラーによる医学理論の基礎研究そしてJ.L.ショーンラインによる臨床医学に見出すことができます。この時期、研究と教育の統合が、自然科学に依拠し、また臨床と結びついた医学教育によって、進んでいきます。これは、19世紀の諸外国の医学と比べて、かなり特異なことでした。自然科学的な医学の第二世代としては、確かに他にも大勢おりますが、R..ヴィルヒョウとF.フレーリクスの名をあげるべきでしょう。この二人は、ロマン主義的ないし自然史的な医学の影響から脱却し、また、その師に当る自然科学的医学の第一世代の考えをドグマ的なものと見なしました。さらにその下の第三世代は、自然科学的な理論家であると同時に臨床家でしたが、彼らは自然科学に基礎を置いた症例集を、自然科学流の演繹的理論と、日常の臨床で出くわす雑然とした経験、この二つを結びつける中間項として位置づけました。

 歴史と自然科学の双方に根ざした医学のこの第一段階において、歴史的な考察と歴史的な議論の必要性は当初まだ自明のものでした。これは、「哲学的-思弁的」と揶揄されたロマン主義的医学から意図的に遠ざかろうとしたと見なされている人びとに、とりわけ言えることです。

(中略)

ヴィルヒョウは、歴史的な研究を手がけながら、そこで社会的に重要な諸疾患、そして社会的に重要な諸制度にとり組みました。

(中略)

 こうした歴史的なまなざしが、自然科学的な医学の考察と研究から最終的に一掃されるのは、例えばR.コッホとその実験的な細菌学によってです。コッホは、認識手段としての歴史を、原理的に、またあからさまに批判することはしませんでしたが、[彼らを通じて]最新の自然科学的な方法が、新しい知にとっての唯一の審問官となったのです。かくして、歴史的な考察は、(自然)科学的な論証過程から姿を消していきます。」(P.10-12)


 医療の世界にも自然科学が確実に取り込まれました。それは特に細菌学です。これらは先ほどの斉藤茂吉がやったようなまやかし的トリックを用いるまでもなく、確実に細菌を叩くことで治癒に導けます。

 科学から導かれた技術が確実に奏効したのです。ここに至って医療は自然科学の一員としての立場を明確にせざるを得なくなりました。日本に西洋医学が入ってきたのがちょうどこの時代、つまり明治時代です。それ以前の蘭学はまだ自然科学としての洗礼は受けてはいません。細菌によるさまざまな感染症の得体が知れたために衛生知識が広がり、これが予防に非常に役立ったのです。
こうして日本の医療は西洋医学一色になりました。


 「19世紀末に医学が自然科学たらんとしたとは言っても、同時に、これにはっきり抵抗(ないし逆行)するような動きがいくつかあらわれ、それは今日まで続いています。1830-40年代に[自然科学的な]医学に失望した臨床医と患者たちは、[当時の正統医学と比べて]害の少なかったホメオパティに惹かれていきます。新ウイーン学派が自認したおうな「治療的ニヒリズム」の時代にあっては、患者と同様、医師たちも、従来の治療法に満足できなければ、「非医学的」な治療法に出口を見出すしかなかったのです。また、その後、鳴物入りで紹介された、自然科学的な治療法の最初のものも、人びとを失望させるものでした。」(P.13)


 しかし、西洋医学も万能ではありません。期待が大きいだけに失望も計り知れないものがあったのでしょう。国家の制度としての医療が西洋医学に制定されたにもかかわらず、旧来の鍼灸や漢方、あるいは新興の指圧やさまざまな療法も継続したり、派生したり、生まれたりしました。

 この理由は西洋医学だけでは埋めきれない医療の側面があるからに相違ないでしょう。

 脚気の治療で有名な逸話があります。陸軍の軍医総監で作家の森鴎外は脚気の原因を当時のドイツ医学に従って細菌だと考えました。それに対して海軍は栄養の問題、とりわけ白米主食にあると判断し、麦飯にしました。

 その結果、日露戦争において海軍は脚気による死者0、それに対して陸軍は戦死者以上に脚気で貴重な兵力を失うことになりました。

 科学は枠組みを決めてから考察を行います。その枠組みの段階で間違うとお手上げになりかねません。しかし医療現場では科学より何より目先の患者さんを救うことが第一義となります。そこにかえって非科学的な要素が入り込む余地が生まれるのです。


 「自然科学的要素をもちながらも、医学は、本来的には、主観(主体)に定位した行為(実践)の科学であり、またそうであり続けます。自然科学的な命題は常に、万人に妥当することがらに定位しますが、主観的な性質を帯び、また空間的、時間的に限定された行為(実践)に目を向けるという点で、人文科学的な思考様式は、医学という知と医療という行為(実践)にとって欠かせない要素であり、またそうであり続けます。」(P.22)


 今日、医学が目覚しく発展しているにもかかわらず、鍼灸や指圧、漢方を求める人が引きもきらないのは、「医学という知と医療という行為(実践)」の隙間を埋め込みたいという大衆および医療者の要求なのでしょう。

 さて、前置きが長くなりすぎました。

 では、今月のテーマ小腸と三焦(さんしょう)のお勉強です。三焦については後のほうで詳しく書きます。

 例によって一般的な辞書を紐解きます。

『大辞林』
小腸
「胃と大腸の間にあり、腹腔を蛇行する細長い消化管。十二指腸・空腸・回腸に区別。蠕動(ゼンドウ)・分節運動などにより、食物を消化しつつ送り、粘膜の絨毛(ジュウモウ)から栄養分と水分を吸収する。」

 これは大体お分かりですね。では細かく見ていきましょう。まずは十二指腸。

十二指腸
「(長さが指を十二本横に並べたほどであるところから命名)小腸のうち胃幽門に続く部分。長さ約三〇センチメートルでC字型に曲がる。粘液と消化液を分泌。ここに胆管や膵管が開口し、胆汁や膵液が送られる。」

 胃の続きの部位です。ここには胆嚢やすい臓が接続されます。ストレスの影響も受けやすく、よく中間管理職が潰瘍になります。

幽門
「胃の最末端部分で、十二指腸に接するくびれた部分。」

幽門反射
「胃・十二指腸の粘膜に一定の刺激が加わると反射的に幽門括約筋が開閉する現象。胃の内容物が十二指腸に送られるのを調節する。」

 幽門は胃袋の出口です。

空腸
「小腸の一部。十二指腸に続く小腸の前半約五分の二をいい、明確な境界なく回腸に移行する。腹腔の左上部を占める。」

回腸
「小腸の一部で、空腸に続き、後方は大腸に接続する部分。」

 小腸は空腸と回腸に分けられます。いずれも聞きなれない名前です。わたしは学生のとき弘法大師空海になぞらえて記憶しました。

 胃や腸は複雑な運動をすることで食物を砕き、撹拌し、先へ送ります。その運動には以下のものがあります。

蠕動(ぜんどう)
「(1)ミミズなどの虫がうごめき進むこと。また、一般にうごめくこと。
(2)筋肉の収縮によって生じたくびれが波のように徐々に伝播していく形の運動。高等動物では消化管壁や血管壁に見られ、内容物を下方に送るはたらきをする。ミミズのような蠕形動物では体壁に見られ、体を移動するはたらきをする。蠕動運動。
(3)略」

分節
「(1)一続きになっている全体をいくつかの部分に分けること。また、その分けられた部分。
(2)略」

 蠕動はミミズのようにのたうつ動きで、分節は輪切りの運動です。

 小腸の表面積はとても広いのですが、それを複雑な形で腹の中に収納しています。とくに絨毛という細かな毛が代表的。これは植物の種から根が出たときの形(毛根)とそっくりです。見方を変えると植物の毛根は大地からの栄養を吸収する道具ですが、腸の絨毛も腸管の中の栄養を体内に吸収する器官です。
あるいは生物の発生的に観るとは同じ構造ではないかと推察されます。

 ここから腸はあるいは体内における畑とも考えられます。土中に有用菌がいるように、腸内にも腸内細菌が生息して、わたしたちの生命維持に不可欠の働きをしてくれています。

 そう、まさに腸は体内に引き込んだ大地なのです。

絨毛
「(1)脊椎動物の小腸の内壁にある指状ないしは樹枝状に密生する突起。内部に毛細血管網とリンパ管を有し、養分の吸収面積はこれにより著しく増大される。腸絨毛。柔突起。
(2)略」

 次は専門の辞書です。難しいので読み飛ばして、次の子ども用の図鑑のほうを読んでください。

『医学大辞典』(南山堂)
小腸
「胃と大腸との間に介在し腹腔内を蛇行する中空の器官で、長さ6~7m、上から順に十二指腸、空腸および回腸を区別する。十二指腸は第1腰椎のやや右で幽門に続き馬蹄形に湾曲して第2腰椎のやや左で空腸に移行する。長さ約30cm.(約十二横指幅)。小腸の残りの部分約2/5が空腸であり、約3/5が回腸である。回腸は右腸骨窩で大腸に連なる。

[構造]粘膜は単層円柱上皮におおわれ、表面に無数の輪状ヒダと腸絨毛とがあり、その間に腸腺別名リーベルキューン腺が開口して腸液を分泌する。十二指腸にはとくに十二指腸腺別名プルンネル腺もある。粘膜内には無数の孤立リンパ小節があり、回腸ではこれらが集合して長径約15mm.の楕円形の集合リンパ小節別名バイエル板を形成する。粘膜下にはマイスネル神経叢がありまた筋層内にアウエルバッハ神経叢がある。この2つはいずれも自律神経系に属し知覚、運動および分泌をつかさどる。筋層は内輪外縦の平滑筋からなり、蠕動および分節運動を営む。外面は腹膜で被われているが、十二指腸は前面のみ腹膜に被われ後面は後腹壁に癒着している。」

 いつものことですが難しいですね。

 次の子供向けの図鑑。これが一番分かりやすいと好評です。

『人とからだ』(学研の図鑑)
小腸
「胃から十二指腸へ送られた食物は、ここで、“すい液”と“たんじゅう”とよばれる消化液によって、さらにこなされて、小腸へと送られます。小腸には、2つのはたらきがあります。その1つは、食物がからだにとりこまれるように、よく消化するはたらきです。もう1つは、消化したものをからだの中にとりこむ吸収というはたらきです。

 小腸の内わがのかべは、じゅう毛とよばれる細い毛で、ビロードのようにおおわれています。このじゅう毛の中には、たくさんの血管やリンパ管が走っています。ぶどう糖とアミノ酸は血管に、脂肪はリンパ管にとりこまれます。

 小腸の、じゅう毛の毛細血管にとりこまれたアミノ酸は、門脈を通って、かん臓にはいります。それからもういちど血管にはいって、からだのすみずみまではこばれ、からだをつくる材料になります。

 たんじゅうは、しぼうを小さなつぶにする。
 すい液はたんぱく質をアミノ酸にまでこわす。
 すい液はしぼうをしぼう酸とグリセリンにこわす。」

 これは分かりやすいですね。

 では、次に比較解剖学の本にも当たってみましょう。

『新版人体解剖学入門』(創元医学新書)
小腸
 「小腸は胃からきた乳糜状になった食物を取り入れて、これに肝臓からの胆汁、膵臓からの膵液、腸壁からの消化液などを混じて、さらに消化を行う非常に重要な場所である。長さは六~七メートルあるが、小腸を十二指腸、空腸、回腸の三部に区別する。」

十二指腸
 「長さは約二五センチで、指を十二本並べた長さとほぼ等しいので、この名が生まれた。十二指腸は食道のような真直な管でなく、「コ」の字を裏返したような曲がりくねった管である。そこで胃の幽門から空腸に移行するまでのあいだを、その走り方に応じて、上部、下行部、水平部、上行部の四部に区分する。上部は胃に直結する部分、上行部は空腸に直結する部分である。下行部は縦に走っている部分で、ここに肝臓からの総胆管(胆汁を運ぶ)と、膵臓からの膵管(膵液を運ぶ)が開口し、臨床上はなはだ重要な部分である(大十二指腸乳頭)。

 十二指腸は後腹壁にぴったり癒着しているから空腸や回腸のように動くことはできない。また十二指腸は胃とともに潰瘍の好発部位である。」

空腸および回腸
 「屍体を見ると中がからの状態になっているので空腸という名があり、また回転が高度のために回腸という名がある。空腸は上半であって腹腔の左上部を占め、回腸は下半で腹腔の右下部を占める。両者の境界は不明瞭である。空腸および回腸の内腔には多数の輪状の襞があり、そのヒダの上に、さらに細かい絨毛という突起が密集して、あたかもビロードのようになている。これは粘膜の表面をできるだけ広くして、消化吸収に便ならしめるためである。空腸には孤立リンパ小節、回腸には集合リンパ小節があって、小腸にはリンパ装置の豊富なことを物語っている。なお、小腸に十二指腸腺、腸線などの消化腺のあることは、胃に胃腺があるのと同様である。また消化管の神経支配は、交感神経と迷走神経より成る自律神経である。」

 これを読むと、なるほど、空腸と回腸の名の由来がよく分かります。

 小腸は栄養を取り込む要の器官であることがわかりました。

 では次に漢方的な意味での小腸を調べます。

『鍼灸医学辞典』(医道の日本社)
小腸
 「六腑のひとつ。上は胃に連なり、下は大腸に連なる消化器官。そのおもな働きは、胃が消化した食物を受け、栄養分の吸収をした後、その残りを大腸に送る、食物の水分を分ける。『素問』に、『小腸は受盛の官、化物出ず』とある。心と小腸は表裏の関係にある。腎気を受けて衛気を巡らす。」

 大体西洋医学と同じような考えですが、『小腸は受盛の官、化物出ず』が分からないですね。食物を消化して盛んなエネルギーと化すというような意味でしょうか。

三焦
 「六腑のひとつ。胸部にある上焦、上腹部にある中焦、下腹部にある下焦の3つに分ける。実体のない臓器として、心包とともに古くから論争されてきた。水穀を消化し、気血を生じ、栄養を各部に送り、老廃物の排泄をはかる総合的な働きをするなど、体内の臓器の機能の統合をはかると考えられた。焦は、熱を持って食物を気血に化する意味がある。」

 三焦に関してはさらに難しくなります。以下は私の指圧の恩師増永先生の著書に当りましょう。分かりやすく解いてあります。

『スジとツボの健康法』(増永静人著)
小腸
「食物を栄養に転換して、体内の状態に応じて全身の血と肉を作ることによって統制作用を行います。不安や興奮、ショック、腹立ち、断腸の思いなどは、血液を下腹部に停滞させて循環不良をおこし、また女性の古血などになるオ血(漢方特有の証)となって全身に影響します。

 症状としては、腹でこらえてがまんしたり、怒りをこらえていたり、ショックを受けることで肩がつまって頚が固くなり、疲れやすく、腰痛や足のつれがおこりやすく、便通がすっきりせず、手足が冷たく、卵巣の働きが悪いために、月経痛、月経不順、片頭痛などの症状があり、産後ムリしたことなどが影響します。」

 このように小腸は食物を栄養というエネルギーに転換して、全身状態を統制する働きがあると仮定されました。さらに心理的なさまざまな場面を解説されています。これは元来東洋医療は心身未分化であったことに加えて、先生が心理学の専門家だったからでしょう。

 さて、次が問題の三焦です。

『スジとツボの健康法』(増永静人著)
三焦
 「小腸を補佐して末梢循環と体液移動を司り、皮膚、粘膜、漿膜、リンパの働きにより保護作用を営みます。上焦は脳膜から胸膜、中焦はヘソから上の主に大網、下焦は下腹部の腹膜、腸間膜、子宮内膜などに分けられますが、皮膚、筋肉など全般の防衛機能も受け持っています。

 症状としては、周囲に対する気遣いが下手で、過剰防衛になって警戒心が強く、全身が固くこわばっています。いつも手を握りしめたように前腕が固く緊張していたり、頭に何かかぶさったような感じで重苦しい、外界の変化に過敏で、寒暑の急変や湿気がこたえるかアレルギー体質です。鼻、ノドの粘膜が弱く、リンパが腫れやすく、風邪をよくひいて、眼がチカチカします。胸がしめつけられるのを感じたり、腹壁や皮膚全体が過敏でクスグッたがり、痛みを強く感じやすく、よくかゆみを訴えます。皮下に水気がたまり、手や後頭部がしびれ、湿疹やジンマシンのできやすい体質や症状になります。」

 増永先生はあるとき面白ことに気づかれました。寒いある日、動物園で猿を見たそうです。その猿たちは寒さに震え、自分で自分を抱くように身体に腕を回し、腕の外側をこすっていました。人間も寒いとき同じことをしますね。そのさするところに三焦のスジが通ります。三焦はその名のとおり「焦がす」つまり熱を生み出すところなのです。

 このように三焦は外界と内界の境にあって身体を外の変化から防衛していま
す。その最たる働きが免疫です。リンパにも深くかかわり、内臓で言うと脾臓
に近くなります。同様に全身を守る皮膚や粘膜とも関わるということなので
す。

 上記の引用文に先立って先生は以下のように説明されています。

 「従来の経絡の解釈で、最も混乱しているのはこの心包と三焦です。心包は一応、心を包む心嚢としていますが、三焦は「形なくして名あり」という古典の説明から、これを実体のない機能だけを指したものといい、心包(前号参照)との対比には全然言及していません。私(注:増永静人)はこれを中枢脈管系と末梢脈管系として捉えることで、心・小腸と同じ五行関係の意味とその君火(君主-主となるもの)と相火(宰相-補佐するもの)の対比を解釈し、また古典の正しい理解を示しました。心包はたんに心嚢でなく、大きな脈管を指して、心を助けることや経絡走行とも一致することを明らかにし、三焦がこれに対応して末梢の脈管とその分布する皮膚粘膜リンパに当ることで、形なしとは限界が無いという特徴を示す言葉だと解釈しました。こうして心包、三焦の古典のいう働きは「循環保護作用」を分担することを意味しているはずだと気がつくはずです。」

 大体お分かりになると思います。すっきりとした説明で、現代人にも理解しやすいでしょう。

では最後に経絡の走行です。

手の太陽小腸経
 小指の外側から肘を通って肩、肩甲骨から頚を昇って耳に入る

『鍼灸医学辞典』(医道の日本社)
小腸
 「上肢の外側から肩背、頚、顔をめぐる経脈で、所属する経穴は19穴である。直接関与する臓腑は、小腸、心であるが、間接的には胃にも関与する。経脈の性質は、血多く気は少ない。また火経であるため、特に外邪性疾患との関連が深い。その流注は心経の分れを受けて、小指の末端(外側)から起こり、手背の外側をとおって肩に出て、1つはそこから前に下って、鎖骨上窩から胸に入り心臓をまとい、咽頭のほうにもまわり、また横隔膜を下って胃に向かい、小腸に帰属する。もう1つは鎖骨上窩から頬にのぼり、目じりから耳の中へ進み、また頬から別に下眼瞼の目がしらのほうへも行っている。小腸経は、熱病、炎症性疾患、特に中耳炎、風邪、リウマチ、結膜炎などによく用いられ、また肩甲部をめぐる関係から、上肢の痛み、運動障害、小腸の疾患(特に急性下痢症)などにも用いられる。」

手の少陽三焦経
 手の薬指から腕の外側を通って肩に入り、頚から耳の裏を回って目まで
『鍼灸医学辞典』(医道の日本社)
三焦
 「上肢外側から頚部、側頭部をめぐる経脈で、所属穴は23穴である。直接関与する臓器は、三焦、心包であるが、心包とともに経気の調節に関与する。
経脈の性質は気が多く血は少ない。その流注は心包経の別れが環指の末端にきて、ここから起こって、手の背側中央をのぼって、肩に出て、前にまわって鎖骨上窩に入り、乳の間に散布して、心包をまとい、下って三焦に帰属する。その分れは、乳のあいだから鎖骨上窩に出て頂部に上り、耳のうしろに達し、1つは耳の中へ入り、耳の前に出て、頬を経由して目じりのあたりに終わる。三焦経は、主に熱性、充血性の疾患(特に頭部器官)に用いられる。目、耳、鼻、喉の急性疾患、偏頭痛や神経症、全身の調節をする目的で各種の疾患に補助的に用いられることも多い。」

後記

今月はかなりややこしいものでした。三焦という漢方独特の用語が出てきましたから。簡単に言えば、環境との折り合いをつける作用を受け持っていると考えてください。

小腸は逆に外の物である食物を体内に引き込みます。しかしそれに伴う危険性、それを三焦が防衛しているのでしょう。

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