游氣風信 No.171 2004. 3. 1
ヨイトマケの唄
三月は別れの季節です。
幼稚園から大学まで卒業生を送り出す年度の区切り。そして四月は新しい出会いの始まり。子どもの頃はこうした区切りによって人生にメリハリが作られていますが、大人になると漠然と月日が流れてしまい、怠惰な倦怠感のみが日々を覆っているようでいけません。
大人なればこそ、日々精神を立て直して充実した日々を暮らしたいものです。
別れの象徴である卒業の式典では定番の歌が斉唱されます。在校生による『蛍の光』、そして卒業生による『仰げば尊し』。この『仰げば尊し』が好きになれない話は以前の游氣風信で書きました。生徒から自発的に「仰げば尊し、わが師の恩」という思いが溢れるならともかく、強制的に歌わせるのは教員の思い上がりだと。さらに「身を立て名を上げ」という立身出世主義には馴染まないとも。その辺りを引用してみましょう。
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わたしは小学校の時に強制された「仰げば尊し」に、強く反感を抱いていました。何故なら小学校の五・六年の時の担任教師のことをちっとも尊いと思えなかったからです。
その年配の男性教師はまともに授業をしませんでした。それだけでなく言うことに常に裏表があり、父兄に見せる顔と子どもたちに見せる顔の落差。いつも教卓に腰かけてぼうっとしており、その姿勢は怠惰で生きる情熱が見られず、個人的な愚痴と偏見のみを児童に語りかけている、子どもから見て実につまらない人物に思えたのです。
それなのに「仰げば尊し 我が師の恩」と歌えと言われても釈然としなかったのは当然です。
その教師に対する思いだけではありません。「身を立て 名を上げ やよ励めよ」という、立身出世の鼓舞に満ちた歌詞も嫌いでした。
(游氣風信146号)
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と、毎年この頃になるといつも私憤を繰り返しているのですが、先日、中学の卒業生を持つお母さんから面白い話を聞きました。
なんでもその娘さんたちの学年主任が卒業式の前日、卒業生を前にしてはなむけの歌を歌ったのだそうです。とてもすばらしい独唱で6番まで。
お子さんの記憶では
父ちゃんのためならエンヤコラ
母ちゃんのためならエンヤコラ
というフレーズのある歌で、生徒の中には感動して泣いていた子もいたと言います。そのお嬢さんも初めて聴いた曲ながら気に入ったらしく曲名を知ろうとインターネットに向かいました。
お母さんはわたしとほぼ同世代ですから
父ちゃんのためならエンヤコラ
にピンときて、
「それはきっと三輪明宏の『ヨイトマケの唄』だよ。お母さんが小さい頃に聞いた覚えがあるわ。三輪明宏って知ってるでしょ、豪華な服を着た女みたいな男の人・・・」
と娘さんに教えたそうです。
この話を聞いてとても興味深かったと同時に不思議な思いがしました。どうして『ヨイトマケの唄』が卒業していく生徒たちへのはなむけになるのでしょうか。また何故子どもたちが涙ぐむほど感動したのでしょうか。とても気にな
りました。
わたしもその歌に関しては先ほどのフレーズ以外はほとんど覚えていませんが、内容に関しては
「激しい肉体労働に耐えて働く母親とその子どもの歌」
という程度の理解はありました。ヨイトマケという言葉が道路工夫などの日雇い労働者を表す呼び名であることも知っていました。
それらもろもろの理由から、わたしは『ヨイトマケの唄』がなぜ生徒たちを送り出す歌になるのか猛然と知りたくなったのです。そこでそのお嬢さんに倣ってインターネットにあたって見ることにしました。
単純に『ヨイトマケの唄』で検索すると実にたくさんのホームページがありました。詞が掲載されているだけでなく、メロディーが流れるページもあり、さらには作者丸山明宏がどういう経緯でこの曲を作ったのかという詳しい解説も掲載されていました。
改めて歌詞を読んでみると、なるほどこれなら中学を巣立つ生徒たちに歌いたくなる先生の気持ちも分かります。おそらくその先生は自慢の喉を震わせながら毎年壇上から卒業する子たちに熱い思いを歌い聞かせたのでしょう。
なかなか味のある先生だなと感心しました。またこの歌を聴いて涙を流したり感動したりする子どもたちにも感心したのです。
今月はインターネットで見つけたいくつかのページを引用させていただくことにします(手抜き)。まずは歌詞全部を写しましょう。歌は三輪明宏、作詞作曲は丸山明宏ですが、もちろん同じ人です。1965年(昭和40年・・・わた
しは11歳位でした)に発表された曲です。
それからインターネットによって、この歌には意外な事実があったことを知りました。子どもの頃、大変ヒットした曲として印象に残っているのに、以後全く耳にしない理由もわかりました。そのことは後で少し書きます。
ヨイトマケの唄
歌 三輪明宏
作詞・作曲:丸山明宏
父ちゃんのためならエンヤコラ
母ちゃんのためならエンヤコラ
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の昼休み
たばこふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が
子供の頃に小学校で
ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめぬかれて はやされて
くやし涙に暮れながら
泣いて帰った道すがら
母ちゃんの働くとこを見た
母ちゃんの働くとこを見た
姉さんかぶりで 泥にまみれて
日にやけながら 汗を流して
男に混じって ツナを引き
天に向かって 声をあげて
力の限り 唄ってた
母ちゃんの働くとこを見た
母ちゃんの働くとこを見た
なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
息をはずませ 帰ってはきたが
母ちゃんの姿 見たときに
泣いた涙も忘れ果て
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと言いながら
勉強するよと言いながら
あれから何年経ったことだろう
高校も出たし大学も出た
今じゃ機械の世の中で
おまけに僕はエンジニア
苦労苦労で死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿
何度も僕もぐれかけたけど
やくざな道は踏まずに済んだ
どんなきれいな唄よりも
どんなきれいな声よりも
僕を励ましなぐさめた
母ちゃんの唄こそ 世界一
母ちゃんの唄こそ 世界一
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
父ちゃんのためならエンヤコラ
子どものためならエンヤコラ
あのきらびやかに着飾った女装の三輪明宏からは想像できない泥臭い歌です。しかもレコードジャケットは完全な男装で、従来の三輪明宏のイメージが払拭されています。
あるHPにこの歌を彼が作った経緯が書かれていました。
時は神武景気。美輪さんの美貌は神武以来の美少年とうたわれ、性別を超えた華やかなスタイルで映画や舞台に引っ張りだこでした。ところが、異常なまでに盛り上がった美輪さんの人気はわずか数年しか続きませんでした。60年に入ると、土地・株が暴落。多額の借金だけが残りました。落ちぶれたスターと呼ばれ、地方巡業の仕事ばかりとなった美輪さん。そんな時、ある炭鉱の町で舞台に立ちます。
「穴ぼこだらけの舞台に何度か細いハイヒールのかかとをめり込ませながら、あきらめ顔、ヤケッパチで歌っていたら、すぐ足元まで鈴なりになっている老若男女の顔、顔、顔の絵巻を見た時に、私は言いようのない戦りつを受けた。私は何をしているのだろう。この人たちの命を削って得た金で鼻歌を歌っているのだ。私はにわかに自分の贅沢に着飾ったクジャクのようなザマが異様な道化師のように思えた。最後まで必死に努めるのがやっとだった。」
美輪さんの胸に、小学生の頃に見た光景がよみがえりました。家族のために汗まみれになって働く母親たちの姿です。美輪さんはその想い出を曲にし、きらびやかな衣装やメイクを取り去って歌い始めました。その時に出来た作品がこの「ヨイトマケの唄」でした。」
この解説を読むと彼が『ヨイトマケの唄』を男装で歌っていた理由が分かります。わたしは今まで、三輪明宏という俳優はふてぶてしいまでにその華美な奇矯を演じきる有様から、とても近付き難いと感じていたのですが、以上の文章はそうした三輪明宏観を覆すものでした。やはり彼の信念のある姿勢は見せかけではない、単純なスター街道を生きてきたのではなかったんだと深く感心したのです。
虚飾を捨てたところから生まれた歌、どん底から這い上がろうというあえぎの中から声を上げた歌だったのです。それは貧困に負けないでいのちを輝かせていた人々へのオマージュ(賛辞)でもあります。
この歌も今の感覚からすると素材に感動を喚起させようという含みがあり過ぎると言えなくはありません。しかしその純粋なテーマゆえに中学生が感動したのでしょう。
学年主任の先生は生徒たちに卒業のはなむけとして、教師への感謝ではなく、親への思いを想起するように伝えたのです、『ヨイトマケの唄』を通じて・・・。まことに心憎い演出であったと思います。
先ほど少し述べました、この唄に潜む意外な事実について一言加えます。それは別のホームページに書かれていた次のことです。
「歌詞に差別用語を含むということでテレビやラジオで流れる機会がないのがとても残念!」
驚いたことに、この歌は放送自粛の対象だったのです。それで今日まで聞く機会がなかったのでしょう。おそらく三輪明宏さんはステージでは熱唱されていると思いますが、放送では歌われないのです。
ヨイトマケという呼称はもともと日常用いられていたことばですが、当時すでに放送を自粛しなければならない用語になりつつあったのかもしれません。そう言えば、わたしが一昨年BS俳句王国に出演した時も、ADから差別用語には注意して欲しいと幾つか具体例を出して説明されました。なかなか難しいものです。
差別用語に関してはこれ以上触れませんが、ともかくこれで今日までこの唄を聞く機会がなかった理由が氷解したのでした。
よいと・まけ
重い物を滑車で上げ下ろししたり、綱で引いたりする動作を、大勢で一斉にするときの掛け声。転じて、そのような労働、主に地固めなどの仕事を日雇いでする人。(広辞苑)
後記
今月参考にさせていただいたサイトです。
http://www2.mahoroba.ne.jp/~eastwood/essay/case1/note4.htm
http://zarigani.web.infoseek.co.jp/jkp/jkp27.htm
http://www.miike-coalmine.net/yoitomake.html
(游)
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