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2011年8月29日 (月)

游氣風信 No.199 2007. 5.6

宮沢賢治の詩

久しぶりに賢治を取り上げます。賢治が生前発行した本は詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』の二冊です。

今月は詩集『春と修羅』のタイトルにもなった詩「春と修羅」を紹介します。宗教や科学の専門用語が散りばめられた難解な詩ですが用語を説明しますので、頑張って読んでみてください。

まず詩の紹介。続けて細かく用語の説明や鑑賞のヒントなどを書いていきます。詩の表記が波打っているようになっていますが、これは賢治が意図的に視覚的効果を狙ったもので、文字ズレではありません。


春と修羅
(mental sketch modified)
            宮沢 賢治


心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の濕地
いちめんのいちめんの諂曲模様
  (正午の管樂よりもしげく
   琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
  (風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
 れいらうの天の海には
  聖玻璃の風が行き交い
   ZYPRESSEN 春のいちれつ

    くろぐろと光素(エーテル)を吸へば
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
       (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
   (玉髄の雲がながれて
    どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
   修羅は樹林に交響し
    陥りくらむ天の椀から
    黒い魯木の群落が延び
     その枝はかなしくしげり
    すべて二重の風景を
    喪神の森の梢から
  ひらめいてとびたつからす
   (気層いよいよすみわたり
    ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海の底に
  (かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しずかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
  (まことのことばはここになく
   修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
  (このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

(一九二二、四、八)

解説と鑑賞

この詩が書かれたのは1922年4月8日。意図されたものかどうか分かりませんが、釈迦の誕生祭である花祭りの日です。

この年は大正十一年で賢治は26歳。年末にソ連が成立し、翌年に関東大震災が勃発します。
賢治は前の年の終りから稗貫農学校の教諭として働いています。賢治が生涯でまともに働いたのはここでの四年間だけで、後は亡くなる37歳まで親の援助で暮らしたのですから、今で言う「おたく」やパラサイトの走りのようなものです。当時はこうした金持ちの息子たちが高等遊民として芸術を担っていた一面があります。有島武雄、太宰治などはその例です。

盛岡高等農林学校で農芸化学を学んだ賢治は、地元では珍しい高学歴の持ち主でした。それで農学校の初任給80円。当時としては非常な高給取りだったようです。担当教科は代数・農産製造・作物・化学・英語・土壌・肥料・気象等、さらに水田実習と多岐にわたります。

さて、この詩を読まれてどう思われますか。なんとも奇妙な詩です。何より分からない専門用語が多過ぎます。それは上記のように非常に幅の広い教養から来るものでしょうが、肝腎な読者のことは全く考えていません。

これは賢治が生涯をアマチュア作家として過ごしたからです。すなわちプロの作家のように売ってお金を得るために書いているわけではなく、自分の中に湧きあがってくる止むに止まれぬ思いを言葉に置き換えているだけであり、そこには読者への思いやりは殆どありません。そこがアマチュアの利点でもあり、欠点でもあると同時に賢治の魅力と限界を示唆する点でもあります。

読者の中には賢治の名前は知っていても、あるいは「雨ニモマケズ」くらいは読んだことがあっても、はたまた高校の国語で「無声慟哭」に接触した記憶はあっても、「春と修羅」のような賢治の代表的な詩を読まれた方は少ないでしょう。

そこでこれから文献を参考に解説しながら鑑賞していきます。興味のある方はお付き合い下さい。
参考資料は『広辞苑』と『宮澤賢治語彙辞典』(原子郎編著)の初版です。そもそもこんな辞典があることが賢治用語の難解さを示しているとも思えます。

青字は原詩、黒字はわたしの解説です。ここから文体を「である調」に変えます。

春と修羅
(mental sketch modified)

          宮沢 賢治

修羅とは仏教用語で阿修羅(アスラ)のこと。闘争を好む悪神。人と畜生の間の存在とされている。
賢治は自分を修羅であると自覚し、この詩においても春ののどかな自然に対峙する自己を怒れる修羅と形容している。つまり修羅とは煩悶と苦しんでいる若き賢治のこと。対して春は自然と同時にある平和な状況の比喩となっている。

mental sketch modifiedは心の中を変革的にスケッチすること。心象をそのまま写生するのではなく、そこになんらかの文学的変化を加えていると考えられる。

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の濕地
いちめんのいちめんの諂曲模様

心象つまりイメージの中の灰色がかった鋼から通草(蔓性の野生植物、実を食す)の蔓が雲に絡まって、野薔薇の藪や腐植(落ち葉などがバクテリアによって腐食され土となったもの)でできた湿地。一面の諂曲の模様のようだ。

これらは賢治の心の中の修羅の世界。諂曲とは自分の意志を曲げて媚び諂う(こびへつらう)こと。

  (正午の管樂よりもしげく
   琥珀のかけらがそそぐとき)

琥珀とは松などの脂が化石化した透明な茶色の宝石。ここでは太陽の光と考えられる。

()で括られた表記が度々出てくるが、これは現実の風景や賢治の多層的な心象表記のことが多い。映画のコマ割りや多重多層にモンタージュされたものに近い。

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
  (風景はなみだにゆすれ)

怒りの苦さや青さを噛み締めながら四月の気層の光の底(つまり地面)を唾棄し、歯軋りしていかりを押さえきれない、つまりおれは一人の修羅なのだ。

砕ける雲の眼路をかぎり
 れいらうの天の海には
  聖玻璃の風が行き交い
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)を吸へば
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
       (かげろふの波と白い偏光)

春の美しい風景が詠われている。目線の果にある砕ける雲。玲瓏(透明に輝く様子)の天には聖なるガラスのように透き通った風が吹き、ZYPRESSEN(ヒノキ)が一列に並んでいる。くろぐろとエーテル(かつて真空を満たしていると考えられていた物質。ここでは化学物質のエーテルではない)を吸えば天山(中央アジアを貫く山脈)の雪の稜線も光る。それは陽炎の波と偏光(光が偏って一定方向に振動すること)のなせる技だ。

      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ

春の風景から一転して再び自己の修羅を見つめる。真の言葉は失われ、雲はちぎれて空を飛ぶ。春の喜びで輝いている四月の底(つまり地面)を歯軋り、いかりに燃えて行き来する俺は一人の修羅なのだ。

   (玉髄の雲がながれて
    どこで啼くその春の鳥)

玉髄も宝石。石英の一種で不透明。その色の雲が流れて春の鳥の声が不安げに聞こえる。

  日輪青くかげろへば
   修羅は樹林に交響し
    陥りくらむ天の椀から
    黒い魯木の群落が延び
     その枝はかなしくしげり
    すべて二重の風景を
    喪神の森の梢から
  ひらめいてとびたつからす

太陽が青くかげろえば修羅のいかりは樹林に響き合う。お椀を伏せたようにドーム状になった空から黒い魯木(ろぼく。鱗木ともいう。古代のシダで高さが数十メートルにもなった。表面が鱗状で松などの祖先といわれる)の群落が延びている。

本来、樹木は大地から空へ延びるが賢治は逆に陥ってくる感覚から天から地に向って木が延びているように見立てている。その木々の枝は悲しく繁り、喪神(喪心。心を失った放心状態)の森からは鴉が飛び立つ。

現実の春の景色と心の中に写る修羅の春。こうした二重の世界を賢治は生きている。

   (気層いよいよすみわたり
    ひのきもしんと天に立つころ)

大気がいよいよ澄み渡り、ヒノキがしんと天に立つ。ここでは穏やかな光景。

草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか

金色に揺れる草地を通り過ぎてくる人。ことなく人の形のもの(つまり人)。けら(粗末な野良着)を纏って俺を見ている農夫。本当に俺が見えているのか。

人から自分が本当に見えているのかどうか。この不安感は賢治本来のもので生涯にわたったものと考えられる。賢治の創作や行動は常に二重の世界に住む者として、そこから逃げることなく、科学(真)と宗教(善)と芸術(美)の方法を通じて探求した成果だろう。

まばゆい気圏の海の底に
  (かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しずかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
  (まことのことばはここになく
   修羅のなみだはつちにふる)

まばゆい気圏の海の底(つまり地面)でヒノキは静かに揺れ、鳥はまた青空を切り裂いて飛んで行く。

かなしみは青々と深く、真の言葉はここにはない。ただ修羅の涙が土に吸い込まれていくだけ。

修羅の高揚が去り、現実の光景が見えてきたようだ。

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
  (このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

           (一九二二、四、八)

改めて深呼吸をすれば、ほの白く肺が縮む感じがする。銀杏の梢が光り、ヒノキはいよいよ黒く、太陽に照らされた雲があたかも火花のごとく降ってくる。

この身体は微塵となって空一杯に散らばってしまえばいい。
微塵は仏教用語で物質の最も小さい単位。極微とが七つ集まったものともいわれ、極微と微塵は原子と分子の関係に似ている。

農学校の教師として初めて大人としての人間環境に身をおいたためだろうか。諂曲(媚びへつらう)のいかりを沈めるために修羅となった自己もろとも春の輝きの下に出る。

賢治の詩は常に光景と心象が交錯し、多重の内的世界を現象の一つとして写生しようとした。それが心象スケッチと自らが名づけた手法である。

賢治の生涯を貫いた「見極めようとする強い意志」。これが無ければおそらく若くして破綻したのではないだろうか。

                                        (游)

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