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2011年8月29日 (月)

游氣風信 No.187 2005. 7.1

散策・今池界隈

 今池は名古屋の中心からやや東寄りの繁華街。市を東西に横切るメインストリート広小路と都市中心をぐるりと囲む環状線からなる今池交差点を挟んだ一帯です。

 名古屋の中心はJR、名鉄、近鉄、地下鉄の集まる名古屋駅前周辺と、デパートなどで賑わう栄に二極化されています。さらに繁華街として総合駅となった南の金山界隈、そしてJR中央線と地下鉄の交差する千種と今池からなる東部の繁華街が知られているでしょう。

 わたしの治療室はその今池の東はずれ、広小路沿いにあります。今池の昼は買い物客で賑わい、夜は夜で怪しさが路地にたむろする魅力的な町なのですが、このところやや地盤沈下傾向。これに関しては前号に書きました。

 今月はビルディングに囲まれた一見無機質な繁華街である今池のもうひとつの側面について書こうと思います。もうひとつの側面とはなんでしょう。実は今池周辺は意外に自然が豊かな町なのです。

そこでこれから今池や千種、池下界隈が自然や歴史散策の拠点としてなかなか魅力のあるところであることを紹介したいと思います。今池、そこはパチンコや風俗譲が跋扈するだけの町ではないのです。

水の町

 今池は水の町です。

交差点の周りはどこを見回してもビルばかりですから一体どこが水の町だと思われるかもしれませんが、その由来は地名に残っています。今池。これはもともと馬池だったのです。このことは交差点にある馬の親子のモニュメントに解説があるので間違いないでしょう。元はここらに馬池と呼ばれる池があり、馬の沐浴場だったと書かれています。馬池がいつしか変化して今池になったらしいのです。その池の跡には奇妙に土台の高い地蔵が祭られており、現在の今池中学になっているようです。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Town/chimei.htm

この辺りは地下で大きな水脈を作っていると聞いたことがあります。その源泉がもう少し西へ行った高牟神社。河合塾で有名な千種と今池の境目にあります。この神社の手水場の龍の口から吹き出ているのが水源。元古井(もとごい)といいます。ここらの地名、古井の由来になるもので、以前は古井という農村があったようです。

高牟神社から南へ延びる、ゆったりとした坂。古井の坂というなんとも美しい調べの地名が残っており、その先は吹上。おそらくその名の通り、昔は水が吹き出していたのでしょう。

吹上は近年発展がすさまじいのですが、昔からサッポロビールの工場があることからいかに水に恵まれていたかが伺われようというものです。

註:ネットをあれこれ検索していましたら、吹上とは海岸の砂が吹上げるという意味だと書かれていました。つまり以前はこの辺りまで海だったというのです。確かに今池のさほど遠くない南の瑞穂区には汐路などの地名があります。残念ながら吹上は水が噴き上げるではなかったようです。その代わり、今池の南にある大久手という地名の久手は湿地という意味があると書かれていました。これは水絡みです。

http://www.city.nagoya.jp/kurashi/ku/chikusa/shoukai/nagoya00001803.html

今池から反対の北東部に進んでいくと旧軍隊工廠の跡地である千種公園や、盲学校、聾学校、イチローの出身校や、女子高(最近共学になったらしい)などの学園地帯があります。そこの地名が若水。これも水を含む地名です。きっとここにも水にちなんだ由来があると思っていますが詳しいことは分かりません。

水道みち緑道

 今池の錦通交差点から北東に不思議な道が真っ直ぐに延びています。駅近くは自転車置き場になって歩きにくいのですが、少し行くと閑静な住宅地になり、見事な桜並木が続きます。道端にある案内地図から、その先は古風な東山配水塔に向かっていて、ここが地下に水道管を埋めた道であることが分かります。

http://www.city.nagoya.jp/kankou/sansaku/shiseki/chikusa/kouen/nagoya00000211.html

道の中央には桜並木、それ以外にも楓や椿などが植えられて、四季の彩が道行く人を楽しませてくれます。現在(十二月初頭)は桜紅葉が散り敷いて晩秋の美。途中に隣接する仲田公園の銀杏の黄落もみごとです。ただし落ち葉の処理は大変で、道沿い住人のボランティアによっていつも美しく保たれています。公園に住む浮浪者も毎朝箒で道を掃き清め、美化に務めています。


 この水道みち緑道は二つの商店街を横切ります。一つは仲田通り商店街、今ひとつは高見商店街。

仲田通り商店街を北へ少し、東名古屋市民病院の方へ行くと「珈琲専科 伯爵」というお気に入りの珈琲屋があります。店内は大正ロマン風で落ち着いた雰囲気。時々そこで豆を購入して自分でも淹れています。

ブレンドコーヒーの名は濃い目の「おぼろ月」とやや軽い「春風」。無口で気難しそうなマスターと一見おとなしい感じの奥さんで経営しておられるようで、その静謐な雰囲気は貴重です。禁煙でないのが残念。

 

 高見商店街の角には「ぽるけぴっく」という変わった名前の散髪屋があります。この店ではウインドウに季節のジオラマが施され季節感を演出しています。今はクリスマス。雪に包まれた木々や家がかわいらしく演出してあります。しかしそのディスプレーから多くの人はここが理髪店であることに気づきません。わたしも何度も前を通りながら西洋骨董の店だとばかり思っていました。

店には靴を脱いで上がりますが、この手の店としては珍しいのではないでしょうか。リラックスしてもらいたという店主の思いです。

わたしは理髪に関しては行き当たりばったりでどこの店とは決めていないのですが、たまたまネットでみつけたこの店は結構お気に入り。続けて利用しています。最近蓄えた髭もこの店のアドバイス。

変わった店名「ぽるけぴっく」はフランス語でヤマアラシ。哲学で言う「ヤマアラシのジレンマ」から採用したということです。お客さんと程よい距離を保ちたいという思いから命名したそうですがオーナーはわたしと同年代のどことなく関西の芸人さんを思わせる雰囲気の方ですからちょっと意外でした。

http://www.porcepic-jp.com/index_Winter.html

「ヤマアラシのジレンマ」:ヤマアラシは互いに暖め合うために近づきたいのに、近づけば互いの針で傷つけ合ってしまうという矛盾に悩みながらちょうどよい距離をみつけるということ。ショーペンハウエルの寓話に基づく。

覚王山

 水道みち緑道の終点は覚王山です。突き当りを左に曲がると千種税務署の前に出ます。ここは危険区域ですから、警戒心を解かず遠巻きに迂回し、覚王山の裏に回りましょう。坂の中ほどにこの辺りの町名「振甫・しんぽ」の由来となった中国人医師張振甫の墓所があります。ただし、柵の向こうにあって近くまで行くことはできません。

振甫は尾張徳川家お抱え医師となり、食中毒治療に明るかったと書かれています。町名になったり、住居「医王堂」跡が鉈薬師として祭られたりしているのでよほど立派な方だったのでしょう。

鉈薬師とはこの医王堂に鉈(なた)の一刀彫りで知られる円空が逗留し、大きな日光・月光菩薩などを遺しているので通称鉈薬師と呼ばれています。

張振甫:寛文9年(1669)、明国の帰化人で藩祖徳川義直の御用医師を勤めた。

水道みち緑道の終点を右に曲がるとかなりきつい四観音道と呼ばれる坂道に続きます。4つの観音様を結ぶ道だからだそうです。その坂の中ほどの林の中に鉈薬師がひっそり佇んでいます。これが振甫の旧居跡で、風変わりな石造の中国風人間像が狛犬のように門の両側に立っています。

 そこを過ぎますと覚王山日泰寺の西面に出ます。左に行くと東山配水塔。古風な塔です。年に二日だけ公開されます。その地中には非常時に備えて膨大な量の水が蓄えられているようです。ですから立ち入り禁止で、公開が年に二日だけなのでしょう。

日泰寺の西壁面にそって右に進むと日泰寺の正門に向かいます。途中塀の隙間から屹立する端正な五重塔が拝めて感動。朝日が塔に重なるように昇る様は日本美の極みです。

 覚王山日泰寺は明治37年に日本とタイの友好から建立された比較的新しい超宗派の寺院です。

明治33年、当時のタイ公使稲垣氏が、発掘された釈迦のお骨をタイ皇帝に懇願し、寺院建立の約束とともに貰い受け、この地に祭られたものです。当時、名古屋の官民一体でこの地への建立を願って招致できたようです。命名した覚王とは悟りを開いた人、つまり釈迦のことです。

 この寺院は超宗派ですから、三年ごとに19宗派の管長が交替で住職を務めています。これはとても珍しいのではないでしょうか。

http://www.a-namo.com/ku_info/chikisaku/pages_n/nittaiji.htm

 山の向こう側に下りると広場があります。これは姫ケ池の埋立跡。この池は時代と共に呼び名が変わり、今日はこの名で親しまれています。が、20年ほど前に埋め立てられてしまいました。日泰寺の放生池として鯉等がたくさんいたようです。

 ここから今池に戻りましょう。

 帰りは池下の駅前を通ります。池下とは池の下。つまり昔は池の底だったそうです。その池は蝮ケ池。今は小さな祠と湧水が祭られています。そして少し離れたところに蝮ケ池八幡宮というお宮があり、ここが池であった名残を留めています。いつ行っても掃除が行き届いた神社感心します。秋にはクヌギの実(大きな団栗、麦藁帽子のようなヘタを被っています)がびっしり落ちていて、私も何個か拾い、玄関に飾っています。

あとがき

 今池といい池下といい、地名に池がついています。池は埋められて馬池は今池中学に、蝮ケ池は池下駅になっていますが、地下には今も豊かな水脈が息づいていることでしょう。

 この辺りを散策して驚くことは、やや高台の高級住宅街が実は数十年前までは里山であったということです。急な坂道や突然現れる崖、神社に残る林がその名残です。その里山を支えていたのが地下水脈だったのです。

ふらふらと辺りを散策しながら、改めて人は自然というインフラ(土台)の上にしか生きられないのだと感じました。

(游)

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