游氣風信 No,134 2001.2.1 懐かしき英国児童文学(その2)
三島治療室便り
「ガリヴァー旅行記」
スウィフト(1667~1745)の「ガリヴァー旅行記」は本来大人向けの小説で、当時の堕落・腐敗した社会や人間、政治などを鋭く諷刺したものですが、今日では子供向けの冒険譚として有名です。
よく知られているのはガリヴァーが訪れた小人国リリパットのことです。船医ガリヴァーが航海の途中、激しい嵐にあってある所に漂着します。そこはリリパットという国。そこの住人は皆とても小さい人々でした。
ごく普通の人間ガリヴァーが小人の国に行くことで突然否応もなく巨人になってしまいます。それによって従来まるで気にも止めなかったさまざまなことが見えてきます。これは人間社会を諷刺するには打ってつけの方法でしょう。
視点を変えることで同じ世界なのに全く異なった世界に見えるのは日常でも経験します。卑近な例では女の子の厚底靴。この靴を履くと背が高く、足が長く見えるというファッション的理由だけでなく、急に目線が高くなって視野が開け、自分が偉くなったように感じるそうですから、少しくらい捻挫しても止められないのもそのためでしょう。
逆に地べたに座るジベタリアンも、視点を低くすることで別の世界に住んでこの世を見ているような気になるそうです。どこかの大学の先生が一度やってみて病み付きになったと新聞に書いていました。
スウィフトは小人国と同じ手法、つまり背景を変えることで人間を再検討する手法を使ってさまざまな社会諷刺を試みます。そのため、次にガリヴァーを「巨人国」に行かせ自分が小人である経験をし、さらに科学の発達した「飛ぶ島の国」や馬が人を支配する「馬の国」にも出掛けさせています。
このようにして環境を変えては社会を辛辣に諷刺したのが「ガリヴァー旅行記」の本来の姿でした。とりわけ「馬の国」では人間は家畜人ヤフーとして描かれ、その人・馬逆転からくる辛辣さは秀逸です。
インターネットのホームページアドレスを調べる会社の名前がヤフーですが、ここから来ているのかどうかは分かりません。どなたかご存じなら教えてください。
ガリヴァーは「飛ぶ島の国」の帰りに日本に立ち寄っています。前掲「ドリトル先生の英国」によれば、日本で皇帝に会って十字架を踏む儀式だけは許して欲しいと懇願する場面があるようです。わたしが読んだ本ではただ立ち寄ったとだけ省略して書いてありました。
「ガリヴァー旅行記」は1726年に出版されています。その頃の日本は第八代将軍徳川吉宗(1684~1751)の時代です。吉宗が将軍職にあったのは1716~1745で、ちょうどガリヴァーの頃に当たります。
この物語にならって巨大企業のことをガリヴァーと呼ぶようになったのはご存じのとおり。
「宝島」と「ジキル博士とハイド氏」
スティーブンソン(1850~1894)の「宝島」はジム・ホーキンズ少年が海賊フリントの隠した宝島の地図を手に入れたところから始まる大冒険物語。恐ろしいが魅力的な海賊シルバーや島に一人残されロビンソン・クルーソーのような生活をしていた少しドジなベン・ガンなどの活躍に胸を躍らせたり、戦いの場面で胸を痛めたりして読んだものです。
同じ作者に全く毛色の違う「ジキル博士とハイド氏」があります。これもよく知られた作品で1886年に出版されています。明治20年ころです。ストーリーはよく覚えていませんが、天才科学者ジキル博士が別人格になれる薬を発明して、ジキルとハイドという善と悪の二つの人格を行ったり来りしているうちに元に戻れなくなるという結末だったと記憶していますが定かではありません。
広辞苑では「心の奥にひそむ善悪の葛藤を、二重人格者の悲劇という形で描く」と解説しています。
もう一方の大辞林は・・ああ、もっと詳しく書かれています。「人格者のジキル博士が薬によって自由に悪の人格ハイド氏に変身し、ついに戻れなくなる話。題名は二重人格の代名詞として用いられる」。こちらの解説のほうが親切ですね。広辞苑だけでなく大辞林も可愛がらねば。
以上の二つの作品は全く傾向が異なりますがひとつ気が付いたことがあります。ジキルとハイドの二重人格と、「宝島」に登場する敵か味方か釈然としない不思議な人格の持ち主である海賊ジョン・シルバーに一種の共通項があるのではないかということです。シルバーの丁寧な人物描写には少年小説を越えた文学史的な定評があります。
スティーブンソンは子供のころから亡くなるまでずっと病弱でした。四十四歳で脳溢血で亡くなっています。こうした幼少からの身体条件が彼を詳細で丹念な内面描写に向かわせた一因かも知れません。
「クリスマス・キャロル」
とてもよく知られたディケンズ(1812~1870)の小説です。
強欲で冷酷な守銭奴スクルージが、死んだ友人の霊と「過去」「現在」「未来」の精霊の力で氷のような心を溶解し、慈悲と愛、優しさと喜びに目覚めるクリスマスならではのお話。キリスト教色が強く出ています。
ある年のクリスマス・イヴ、人々や社会に対して堅く心を閉ざして寒々と暮らしていた会計事務所経営のスクルージのところへ、共同経営者だったジェイコブ・マーレイの霊がやってきて、切々と死後の苦しみを訴えます。
自分の生き方について考え込むスクルージのもとへ今度は「過去のクリスマスの霊」が現れ、スクルージの少年時代に連れて行くのです。彼はそこで寂しかった少年時代の自分の姿を見せられます。スクルージは心の殻が壊れるように泣き出しました。
次にやって来たのは「現在のクリスマスの霊」。彼が薄給でこき使っている使用人の家に行きますと、スクルージを恨む言葉どころか感謝の言葉が聞かれました。その使用人の苛酷な貧困生活を見てスクルージはひどく考え、また哀れを感じます。ついで甥とその美しい妻のところでもクリスマスをスクルージと共に過ごしたかったという優しい言葉に出会い感動します。
最後は「未来のクリスマスの霊」。誰かの遺体のそばに連れていかれます。
皆故人の悪口を言いながら嘲り笑っているのですが、スクルージは遺体の顔の布をはずして誰の亡骸かを知る勇気がでません。その後、墓地に行き、自分の墓石を確認します。そして自らの人生を生き直すことを霊に誓うのです。
霊が去った後、驚いて我に返ったスクルージは今日がクリスマスの朝であることに気づき、霊に誓った通り悔い改めるのです。彼は早速、貧しい人のために莫大な寄付をし、従業員の給料を大幅に上げ、見知らぬ人達と「メリークリスマス」の挨拶をし、唯一の身内の甥夫婦の元に出掛けます。
この物語は霊が出て来て始めは随分不気味なのですが、読後はとてもさわやかになる名作です。
小学生のとき学校の薄暗い図書室でこの本を読みました。「未来のクリスマスの霊」とスクルージが墓地に立つ場面の挿絵は今でも不気味さとともに記憶に残っています。とても怖かった思い出の本です。読みながら子供心に死への恐怖も相当に感じておりました。死への漠然たる恐れは、この本から最初に学んだと言ってもいいでしょう。小学四年生の頃だったと思います。
その恐怖のためか、長い間再読する勇気がありませんでしたが、子どもが高学年になったとき買い求めてやり、そのとき再読しました。内容を詳細に覚えているのはそのためです。
ディケンズには他に「オリバー・ツイスト」「二都物語」などがあります。
英国の文豪と呼んでもいいでしょう。
「シャーロック・ホームズシリーズ」
ご存じコナン・ドイル(1859~1930)の名作。ロンドンのベーカー街を舞台に私立探偵シャーロック・ホームズと親友のワトソン博士が活躍します。
世界中にシャーロキアンという熱烈なファンがいて、今日でもベーカー街のホームズ事務所宛に手紙が引っ切りなしに届けられるそうです。
ドイルは本職は医師でした。ホームズの他には南米で恐竜に出会う科学小説「失われた世界」も有名です。
現在、子どもたちの間には作者コナンにちなんだ漫画「名探偵コナンくん」が大人気。
「ロビンソン・クルーソー」
デフォー(1660頃~1731)の「ロビンソン・クルーソー」はご存じの孤島に漂着した一人の男の物語。人は孤独にどこまで耐えるか、文化とは何か、人は一人で生きていけるのかと問いかけた内容です。
彼はさまざまな工夫により孤絶した暮らしを生き抜きます。しかし、それによって人は一人で生きていけると考えるのは早急で、彼は結局は難破船からいろいろな道具を持ち出してそれを利用し、利用方法も以前に学んだことの延長にあり、なにより思考自体言語という過去に学んだもので為されていた訳で、結局人は社会的な教育が為されない限り、文化としての暮らしはできないというテーマだったような気がします。
「幸福な王子」
オスカー・ワイルド(1854~1900)の童話集「幸福な王子」には「幸福な王子」「かってきままな大男」「わかい王さま」などが書かれていました。
どの作品もキリスト教が前面に出ています。特に後の二つは明らかにイエス・キリストと思われる少年が登場します。
「幸福な王子」は若くして亡くなった王子が銅像として公園に飾られます。
そこで彼は初めて世の中に貧しい人々が存在するのを知ります。そこで彼は自らの像を飾っている宝飾品を仲良しのツバメによって貧しい人々に届けてもらうのです。
ついには王子の像はボロボロになって廃棄されます。
すると最も美しいものを選んで来いと言われた天使が王子の像の心臓とかたわらに落ちていたツバメの骸を神のもとに運びました。
「かってきままな大男」。世間を拒否した大男の庭には春がやってこなかったのですが、あるとき塀の隙間から子どもたちが入って遊び出すと一気に春がやってきました。そこに一人のかわいい少年を見つけ、彼は不憫さを感じまが、以後二度とその少年を見かけることはありませんでした。
やがて年老いた大男のもとにかつて見たかわいい少年がやってきて天国に導くのですが、この少年は両手両足にクギを刺された跡があり、あきらかにキリストと分かる書かれ方をしています。
「わかい王様」。戴冠式にのぞむ衣装が貧しい人達からの搾取によって作られていることを知った王子は、あえて粗野な衣装に身を包みます。すると家来たちは王様らしくないと怒り、衣装を作る人々は「贅沢をする人がいるから貧乏人に仕事がくるのだら着て欲しい」と言い、僧侶は「一人の人間に世の中のすべての苦悩を背負うことは不可能だ。王様は王様らしくしていればよい」と助言します。
しかし彼がキリスト像に深く祈りを捧げるとステンドグラス越しに光がさしてきて、粗衣を着ていた王子はこの上もなく貴く見えたのでした。
今回読み返したのですが、あまりにもキリスト色が出過ぎと感じました。
ワイルドは同性愛であるため当時の社会から排斥され、パリで悲惨な最期をとげます。彼の書は長く発売禁止だったそうですがもちろん今日は再評価され、イギリスでも最も重要な作家の一人となっています。
「宇宙戦争」
H.G.ウエルズ(1866~1946)は「宇宙戦争」や「タイム・マシン」「透明人間」そして「月世界最初の人間」や「モロー博士の島」などの科学小説で知られています。
しかも1993年に書いた「来るべき世界のすがた」という本で第二次世界大戦や原爆を予言しています。それは
「ヨーロッパではドイツとポーランドが衝突し、アジアでは日本が中国を攻め、それをアメリカが阻止しようとして、フィリピン沖で両国の艦隊が布告なしに戦争を始める、日本の二か所に原爆が投下される」
という恐ろしいほど正確なものです。
彼の作品は科学的、思想的な根拠に基づいて書かれていますからそれが可能だったのでしょうか。
宇宙人を想像するとき多くの人はタコの姿を思い浮かべます。それは彼の「宇宙戦争」によるものなのです。火星人が地球を高度な兵器を携えて侵略にくるのですが、結局は地球のバクテリアによって全滅するという戦慄のストーリーでした。
火星は地球より重力が軽く、知的生物の進化も早いだろう、ならば機械化が進んで、肉体が退化し、頭脳だけが気味悪く発達していると考えてウエルズはタコの姿を創造したのです。
「タイム・マシン」は時間を超越、「透明人間」は空間の超越です。どちらも彼の思想家としての一面が強く出ていました。
「月世界最初の人間」は現実のものとなりましたし、「モロー博士の島」は今日の遺伝子操作の話です。モロー博士は遺伝子操作で動物たちを次々に人間に近づけて理想の世界を作ろうとするのですが、意識に目覚めた動物たちが反発します。これも今日的な問題をはらんでいます。
ウエルズを語るとき、必ず比較されるのがフランスのジュール・ヴェルヌ(1828~1905)です。ヴェルヌの方が40年早く生まれています。
彼にも「海底二万里」「地底旅行」「月世界一周」「八十日間世界一周」「十五少年漂流記(原題/二年間の休暇)」などの魅力的な作品が多くあり、二人とも今のSFの元祖となっています。
こうして振り返ってみると、子どものころは結構本を読んでいたんだと改めて感心しました。もっともその分勉強は全くお留守で、今日のこの体たらくにつながっているのですが。
紹介したこれらの作品の幾つかはほとんどの人が学生時代に一度は読んでいると思われます。まさにイギリスの影響は看過できないものがありますね。
反対に、果たして日本の文学はどの程度イギリス人に読まれているのでしょうか。薄ら寒いものを感じないではいられません。
以上、二カ月にわたっての懐かしき英国児童文学でした。
後記
尾張平野に春を告げる国府宮の裸祭りが2月の5日(毎年旧暦1月13日)に行われました。
今年は穏やかな暖かい日和だったので、見物人も裸男も例年より多く参加したようです。
先月号と今月号を書くに当たっては、実に多くの本を参考にさせていただきました。
本文中にその名を上げた本は比較的最近出された本が、辞書です。あとは本箱を引っ繰り返して埃塗れの懐かしくも黴臭い本をざっと読み返しました。
きちんとした資料として小学館の万有百科大事典第一巻「文学」のお世話になりました。ところが肝心のドリトル先生もロフティングも出ていませんでした。これには大いに落胆してしまいました。
「万有とは宇宙間すべてにあるもの。万物。万象。一切有為」「百科とはもろもろの科目。あらゆる学科」と広辞苑に書かれています。
「お前、少し名前負けしたな」と大袈裟な名前を冠した辞書を慰めてやりましょう。
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