三島治療室便り 《游氣風信》増刊号
春風献上
明けましておめでとうございます。
本年は西暦2001年。
21世紀の幕開けの年となりました。
思い返せば、わたしが少年だった頃、
21世紀は夢の世界でした。
科学技術の発達によって病気や災害が駆逐された
果てしない希望に満ち満ちている世界。
それが夢の21世紀だったような気がします。
鉄腕アトムが闊歩する
美しい自然と科学技術に支えられた理想の社会。
それこそが21世紀であるはずだったような気がします。
しかし現実はどうでしょう。
科学技術はあくまでも技術すなわち道具でしかありませんでした。
それをどう使いこなすかは人間の心の問題
人類は次々に手に入れた道具をついに使いこなせなかったようです。
さりとて
科学と対比される芸術は枝葉にこだわり本質を見失い、
宗教も結局はさまざまな対立を生み出すばかりです。
宗教は疲れ近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
(「農民芸術概論綱要」宮沢賢治より)
1926年に書かれた詩人の思いはついに世紀を持ち越します。
考えてみると
人間としての成長は石器時代とさほど変化していないのではないでしょうか。
石がナイフになり、ピストルになり、ミサイルになっただけ。
道具は発達しても使用者である人間はさほどの変化はしていません。
石器を振り回す感覚で核エネルギーを扱っているのです。
人類は自ら勝ち得た創造力から生み出した道具を
肥大化させ
とうとう持て余し始めた・・・
これが20世紀だったのでしょう。
では、これらの問題をどのように解決して行ったらいいのでしょうか。
結局どうしたらよいか分からないまま
さまざまな矛盾を新たなる世紀に持ち越すことになりました。
とりわけ、資源と環境や人口爆発に関する課題はまだまだ端緒についたばかり。
混迷の状態にあります。
また、社会構成の重要な要素である経済はどうでしょう。
共産主義と資本主義の対立構造も
一方が壊れたとき他方も先行きが怪しくなってきました。
ことに日本は資本主義的繁栄(唯一成功した国家社会主義という見方もあるよ
うですが)を謳歌してきた反動をこれからどう受け止めていくのでしょうか。
目を外に向けると
東西の冷戦後明らかになった経済格差による貧困者の憤懣。
古代からの禍根を引きずる宗教紛争や民族闘争。
問題は日本以上に山積みです。
けれども悲観は禁物です。
新しい太陽はまた昇ってきました。
21世紀はわたしたちにとってどんな年になるのか。
いかなる人も歴史や社会に無関係に生きているわけではありません。
甘いと言われるでしょうけど
一人一人が、新しい年を祝い
しっかりと歩み出せば
きっと
社会や歴史もそのように動き出すに違いありません。
正月の清新な空気の中で
ゆったりとした時間の中で
今日、生きていること
今日、生かされていること
今日、生きてあること
また
今年一年がどんな年になるか
今年一年をどんな年にできるか
静かに思いを馳せたいと思います。
どうぞ本年もよろしくご指導賜りますよう
年頭に当たって心よりお願い申し上げます。
2001年1月1日
三島広志
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