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2011年7月19日 (火)

「游氣風信」号外   恭賀新年  2002年1月

三島治療室便り

 

昨年中は大変お世話になりました。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

                            三島広志

昨年は世界を驚かせる大惨事がありました。

その余波はまだいっこうに衰えることなく各地に飛び火しそうな気配です。

予断は許されないでしょうが、改めて年が明けた清新な日を喜びたいと思います。

 

年末、ある名言集をぱらぱらと見ていましたら、面白い文章に出会いました。

山本常朝の「葉隠」の一節です。

わたしは高校性の時、三島由紀夫の「葉隠入門」を読んだことがあり、その中の

 

恋の至極は忍ぶ恋にありと見立て候

会ひてからは恋の丈が低し

一生忍んで思ひ死にすることこそ恋の本意なれ

 

にいたく感動したことがありました。

隣の席の女の子に見せましたら

「ばっかじゃない。こんな本読んでいたら死ぬまで彼女ができないわよ」

と、一蹴されましたが。

 

その後、ほどなくして三島由紀夫は自害しました。

当時もなかなか激動の世でした。

 

「葉隠」は武士道を論じた本で化け猫で有名な佐賀の鍋島藩の山本常朝が口述し、田代又左衛門陣基の筆録によるものです。

一般には

 

武士道とは死ぬことと見つけたり

 

で知られています。

三島由紀夫は当時の(昭和40年代)若者のあまりの軟弱ぶりに喝を入れんとこの本を取り上げたのでしょう。

 

さて、今回見つけたのは次の言葉です。

 

今の世を、百年も以前のよき風になしたく候ても成らざる事なり

されば、その時代々々にて、よき様にするが肝要なり

                              山本常朝「葉隠」

 

葉隠全11巻が完成したのが1716年。今からおよそ300年前です。

そこから遡行して100年前が良かったの言うのです。

今から400年前ならおよそ1600年。関ヶ原合戦の年です。

大阪夏の陣が1615年。豊臣が途絶えた年。

戦国の世が終わり、徳川の治世となって平和の基礎が築かれた頃です。

まだまだ激動期と呼んでかまわないでしょう。

そんな頃が良かったというのです。

不思議ですね。

 

一つには、当時ほど武士が武士の能力を発揮できた時代は無かったという感慨。

これはなっとくがいきます。

安定期の侍ほど無用のものはいません。

 

別の見方もできます。

100年というのは例えであって、ようは昔は良かったという思い。

これは今に通じます。

「昔は良かった」

これはいつの時代でも言われることでしょう。

 

「しかし」

と常朝は言います。

 

その時代々々にて、よき様にするが肝要なり

 

回顧趣味に陥ることなく、今年も着実に歩んでいきたいものです。

  以上、引用は「ことばの花束 岩波文庫の名句365 岩波文庫編集部編」

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