游氣風信 No,132 2000.12.1 世紀末は笑って過ごそう
三島治療室便り
今年も残すところ後わずかとなりました。
しかも今月は二〇世紀最後の月でもあります。なにがしかの気ぜわしさを感じないではいられません。
地球が太陽の回りを一巡りすると一年。
それを百回繰り返すと一世紀。
こうした人為的な区切りに世相を無理やり反映させ、世紀末などと深刻ぶるのは全く好みに合いません。
しかし、現在46歳のわたしは地球が太陽の回りを46回廻った間を生きてきたことになります。たった46回か、もう46回かは感じ方の問題ですが、地球が宇宙空間を一直線に突っ走る間を生きてきたのではなく、太陽を周回しながら生きてきたということは人生に対してどこか示唆的です。
この頃はこうしたある種のけじめを繰り返しつつ齢を積み重ねていくのは決して無意味ではないと思うようになりました。
半世紀近くも生きてくると、人生の蓄積が次第に澱んできます。
その澱みを清めるという意味で、年が改まるのはとても新鮮で好ましいことではありませんか。
とりわけ巷間不景気風が吹き荒れている御時世です。
倒産だのリストラだの、犯罪多発だのと暗い記事が新聞紙上を埋めつくしています、こういうときだからこそ人為的な区切りに乗っかり、笑顔で旧年を送り、新年を迎えたいものです。
*
今から30年ほど前のことです。
クラブの友人T君が大声を張り上げて下手くそな歌を怒鳴っていました。
襟裳の~春ぅわぁ~
何も~ない 春ですぅ~
その歌は何かと尋ねたら森進一の「襟裳岬」だと教えてくれました。
レコード会社の予定では、当初B面(懐かしい言葉です)に収録されるはずだったこの歌を、歌手の森進一本人が大層気に入り、どうしてもA面にして欲しいと言い張ったという裏話をテレビで見たことがあります。
当時、森進一は歌手として、また生活者として壁にぶつかって悩んでいました。そんな彼にとって三番の歌詞が心に強く響き、何が何でも歌いたかったのだそうです。
日々の暮らしはいやでも やってくるけど
静かに 笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので 身構えながら話すなんて
ああ おくびょう なんだよね
襟裳岬
(作詞 岡本おさみ/作曲 吉田拓郎)
つらくても静かに笑う、やや厭世的ではありますが、庶民の処世術としては普遍的なすぐれものです。時あたかも浅間山荘事件などに代表される学生運動や三島由紀夫の自決など騒乱の時代が沈静化しようとしていた頃です。
これ以後、日本では社会全体を揺り動かすような大きな動きは起こらず、みんな薄ら笑いを浮かべながら日々を暮らしてきたような気もしますが、ともかくも上辺は平和と繁栄を享受してゆくことになります。
*
生理学的に見ても笑うことには意味があるという報告があります。
[游氣風信49号](1994年1月号)にも紹介しました。
それは笑顔を作れば気持ちも楽しくなるという記事でした。
眼輪筋という目の回りの筋肉の耳側を動かすと脳が活性化すると米国の心理学者が研究したのです。
意図的にでも笑顔を作る、すなわち目の回りの「眼輪(がんりん)筋」という筋肉を意図的に動かすと、脳内の楽しい感情に関連する部分が活性化されるらしいのです。
楽しい時は、眼輪筋と頬の大頬骨筋が動くという説を唱えたのは、フランスの神経学者デュシェン。なんとそれは1886年のこと。実に100年以上も前のことです。
それを確認するようにアメリカの心理学者が実験のために学生達にこの表情をさせたら脳内に楽しいときに発生する脳波が出現したそうです。
つまり、口の角がニコッと吊り上がり、目尻にしわができる位の笑顔を作ると脳内に幸福感が漂うのです。よく知られた「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである」の楽しいバージョンになります。
ともかく楽しくなくても笑顔を作ると幸福感が湧いてくる、これは安上がりの健康法です。人前でへらへらしていると疑われますから、一人の時など鏡の前で練習されてはいかがでしょうか。
*
しかし一口に「笑い」といっても実にいろいろな種類があります。
試みに「逆びき広辞苑」で「笑い」にかかわる文字を探してみましょう。一部を列挙します。
貰い笑い・愛嬌笑い・大笑い・高笑い・苦笑い・馬鹿笑い・泣き笑い・思い出し笑い・薄笑い・似非(えせ)笑い・愛想笑い・豪傑笑い・人笑い・物笑い・忍び笑い・含み笑い・しら笑い・せせら笑い・そら笑い・作り笑い・独り笑い
まだまだたくさんあります。意味は大体わかりますね。
では次に「笑み」で引いてみます。
片笑み・ほほ笑み
こちらも意味はわかります。
次は「笑(しょう)」を思いつくままに挙げます。
軽笑・大笑・微笑・冷笑・巧笑・轟笑・哄笑・苦笑・嘲笑・失笑
こちらもまだまだあることでしょう。
漢和辞典で笑いを引きますと、
咳(幼児がのどを詰まらせてわらう)
咲(口をすぼめてほほとわらう)
笑(口をすぼめてほほとわらう)
听(歯ぐきを剥き出してあざわらう)
哂(しっと歯の間から息を出して含みわらいをする。ほほえむとき、失笑するときの両方にもちいる)
嗤(あざわらい)
などが出ました。「笑」と「嗤」以外は知りませんでした。
笑うに関する言葉はまだまだ一杯あります。調べてみてください。
*
笑いと聞くといつも一番最初に思い出すのは少女アリスの活躍する「不思議の国のアリス」に登場するチェシャ猫です。
「不思議の国のアリス」はご存じのようにディズニーのアニメにもなった有名な児童文学。内容はほとんどナンセンス。英語圏の人に愛唱される「マザーグース」に登場する不思議な人物?が次々現れるまさに「不思議の国」の物語。
ただし残念なことにこの作品には英語ならではの洒落が満載で、日本人には本当のおもしろさを知ることはできません。
作者は数学者ルーイス・キャロル。友人リッデル氏の子どもアリスがとても気に入り、アリスを主人公にした物語を作りました。数年後同じくアリス・リッデルを主人公にした「鏡の国のアリス」も上梓しています。
キャロルは当時作られたばかりの写真機を趣味としていました。それでわたしたちはアリス・リッデルの肖像を見ることができます。カメラの前でちょっとはにかんだ愛らしい少女です。
もっともルーイス・キャロルはいわゆるロリータ・コンプレックスで、大人の女性よりも少女に関心が向いていたようです。
さてこの笑いが気になるチェシャ猫ですが、こいつは高い木の枝からアリスに問答を吹っかけながら、「にやにや笑い」だけを残して体が消失するという怪しい猫です。
原作を引用します。
まず尾の端から消え出して、にやにや笑いで消えが終わったのですが、にやにや笑いはほかの部分が消えて後もしばらく残っていました。
「まあ、にやにや笑わない猫は何度も見たが」とアリスは思いました「猫のいないにやにや笑いときては!こんな奇妙なことは生まれてはじめてだわ」
不思議の国のアリス
ルーイス・キャロル 岩崎民平訳 角川文庫
体が消えても笑いだけが空中に残る。なんと不思議なことでしょう。アリスならずとも
「こんな奇妙なことは生まれてはじめてだわ」
と、驚かずにはおられません。
わたしはチェシャ猫のことが気になってしかたがありませんでした。それで友人たちに話をしましたが相手にしてもらえませんでした。誰もアリスなど読んでいなかったのです。
しかし嬉しいことにチェシャ猫が気になるのはわたしだけではなかったのです。
10年ほど前、アメリカのご婦人からお土産をいただきました。それはペラペラめくると絵が動く仕掛けになったミニ本です。ミニ本の中で動いているもの。
それがなんとなんとチェシャ猫でした。それも「不思議の国のアリス」の原作本のイラストを担当したテニエルの絵を用いたもの。
わたしは思わず
「オオ、チェシャキャット!」
と叫びましたら彼女は
「まあ、あなたもチェシャキャットが好きなの」
と大変喜びました。
笑門来福(笑う門には福きたる)。
正月の代表的な古典遊びに福笑いがあります。
無理にでも笑顔を作れば頭の中に幸福物質が分泌されるようですから、一度、笑顔を作ってみてはいかがでしょう。
ため息や愚痴は周囲まで不幸にします。
にっこり笑って新年、そして新世紀を迎えましょう。
〈後記〉
今日、所属している藍生俳句会の事務所から藍生創刊十周年記念行事の時の写真が届きました。
わたしと黒田杏子先生(主宰)と講演にお越しいただいた俳優の小沢昭一さんとが並んで写った写真も交ざっていました。お二人ともとても魅力的な笑顔です。
小沢さんは71歳になられたとか。以前永六輔さんや野坂昭如さんたちと中年御三家でマスコミを席巻しておられたころのイメージしかなかったのでお年を取られたなという感じですが、それがとても魅力的な加齢であることが拝見しただけでわかります(今もラジオでお声はよく耳にしています)。
講演で小沢さんは新しい境地を求めて、来年は歌をやりたいと抱負を述べておられました。今日目覚めて、やることがあるならそれだけでも幸福です。まして来年やることがあるならなんと素敵なことでしょう。こういう人達がいつまでも若々しい理由がよく分かりました。
もうまもなく新世紀を迎えます。
長生きし過ぎたと自らを嘲笑したり、どうせ何もいいことはないよと世をすねて冷笑したりではなく、自分にとってはまた新しい年が来たと初日に向かって高らかに哄笑して新しい時代を迎えたいものです。
皆様、良いお年を、
良い世紀を。
(游)
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