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2011年7月16日 (土)

游氣風信 No,133 2001.1.1 懐かしの英国児童文学(その1)

三島治療室便り
新書ブーム

 先日、訪問リハビリの途中に隙間時間ができたので、久しぶりに書店の中を渉猟してきました。

 書店でうろつくわたしのコースは大体決まっています。

 

 まず手初めに週刊誌を立ち読みした後、文学雑誌の所へ行って俳句や短歌の雑誌をパラパラめくり、医学コーナーで新しい健康情報をチェックし、スポーツの棚では武道・格闘技関係の雑誌を引っ繰り返し、ひるがえって無尽にあるパソコン雑誌に目を止めてITの変化に目を光らせ、今度は次々に出版される新刊書の山積みを俯瞰、さらには文庫の新刊を遠望したのち、新書のコーナーに立ち止まります。

 

 俳優の小沢昭一さんは自分の全く興味のない所に行って、本の背表紙を眺めるそうです。世の中にはこんなことに関心を抱く人がいるのかと感心するために(岩波新書「嫁と姑/永六輔」より)。これも見聞を広める方法として優れています。

 

 今、書店では新書が元気です。

 以前なら岩波新書、中高校生向けの岩波ジュニア新書、講談社現代新書、科学専門の講談社ブルーバックス、中公新書、左翼系の三一新書くらいでしたのに昨今は各社から新書が創刊されています。なんらかの出版事情があるのかもしれません。

 

 後発の新書は新しい読者をつかもうと意欲満々。魅力的な本を続々と出していますからタイトルをさっと眺めるだけでも楽しいものです。

 

 ちなみに現在わたしの机の上に積まれている新書は講談社+α新書(「気と経絡」癒しの指圧法/遠藤喨及)、集英社新書(疾走する女性歌人/篠弘・鍼灸の世界/呉澤森)、文春新書(ドリトル先生の英国/南條竹則)、岩波新書(嫁と姑/永六輔)、ブルーバックス(シビレを感じたら読む本/橘滋国)、講談社現代新書(哲学の謎/野矢茂樹・俳句をつくろう/仁平勝)。

 ちっとも読まないから積んであるのです。情けない話。

 

ドリトル先生の英国

 さて、その日の書店渉猟で、とても興味深い本を見つけました。その本のタイトルは先にも紹介した「ドリトル先生の英国(南條竹則著・文春新書」。帯には19世紀イギリスのエッセンスとあります。

 さらに表紙裏には

 

ドリトル先生の英国

 日本では井伏鱒二の名訳で親しまれてきた「ドリトル先生」シリーズの舞台は、十九世紀の古き佳きイギリスです。博物学者と植民地、キツネ狩りと上流階級、サーカスとオペラ、紳士のクラブなど、物語に登場する当時の文化や風俗を、英文学者の著者が多くの例を挙げて紹介し、作品の背景となった社会を考察。アブラミのお菓子、オランダボウフウなど、積年の疑問もこの本で氷解します。

 

という内容解説。

 

 本の奥付を見ますと平成十二年十月二十日第一刷発行となっています。すでに昨秋出版されていたのに今日まで気づきませんでした。ドリトル先生ファンを自認するわたしとしては今日までこの本を見逃していたことに忸怩たる思いが生じ、

 「これはしたり。今まで気づかなかったなんて実に情けないことではないか。そうは思わんかね、スタビンズ君」

と、ドリトル先生の口調で呟きました(ドリトル先生を読まれたことのない方にはよく分からないことで申し訳ありません。スタビンズ君はドリトル先生の助手で、物語の語り手です)。

 

 実は最近、わたしの治療室にイギリス人がよく身体調整にこられます。それでこの頃イギリスの話題で盛り上がっています。とりわけドリトル先生は英国人にとってとても好まれている物語ですから、「ドリトル先生の英国」という本が書かれたことに彼や彼女たちも大喜びしました。

 

 わたしはまだ海外未経験者です。もちろんイギリスにも行ったことはありません。そんなわたしでも本は読めます。したがってわたしの脳裏にあるイギリスとはドリトル先生のイギリスにほかならないのです。

 

 少年時代ドリトルシリーズに熱中し、夢の中でドリトル先生やスタビンズ少年と一緒に旅をしたり、イギリスの町中を歩き回ったものでした。ですから全十二巻を読破したわたしの方が、くだんのイギリス人たちより物語の詳細を知っているのは無理もありません。

 

 彼(彼女)らといろいろお話しをしていて、改めて日本人がいかに多くのイギリス文学、とりわけ児童向けの本に親しんできたかに気づきました。

 思いつくままに列挙しましょう。

 

「ドリトル先生航海記」他全十二巻

 まずは先程話題にしたヒュー・ロフティング(1886~1947)の「ドリトル先生シリーズ全十二巻」。

 

 この物語は当初出版される意図で書かれたものではありません。第一次世界大戦に工学技師として参戦したロフティングは、戦場で負傷して放置され、だた死んでいく馬たちに心を痛めました。そこで馬を治す医者の物語を作って、戦地から遠く離れたイギリスに暮らす子供達のために書き送っていたのです。

 

 物語は沼のほとりのパドルビー(架空の地名)に住む医師で博物学者のジョン・ドリトル博士が動物語をマスターして動物のための医者になり活躍する内容です。日本語訳はかの大作家井伏鱒二が担当しています。味わいある翻訳は、あるいは原作より魅力があるのではないかとさえ言われています。それを聞いたら原作者のロフティングは怒るでしょうけども。

 

 わたしは小学三年生のとき親に買ってもらって読み、大ファンになったのでした。告白しますと、実は、わたしはドリトル先生という人は結構大きくなるまで実在の人物だと信じて疑っていませんでした。無論助手のスタビンズ少年も。これは荒唐無稽なストーリーながらも、それを読ませる見事な筆致のなせる技に相違ありません。

 

 ドリトル先生シリーズは邦題で紹介すると「ドリトル先生アフリカゆき」に始まって以下「航海記」「郵便局」「サーカス」「動物園」「キャラバン」「月からの使い」「月へゆく」「月から帰る」「秘密の湖」「緑のカナリア」「楽しい家」以上全十二巻となります。

 

 中でも「航海記」が最高傑作とされ、わたしが最初に読んだのもこの本でした。

 

 ドリトルという名前は原作ではドゥーリトル(Do little)で「為すこと少なし」という意味です。日本語に意訳するなら腕の悪い医師「薮先生」となるでしょうか。しかしドゥーリトルという音は日本の子供向けでないと訳を担当した井伏鱒二がドリトルという素敵な名前にしました。

 

 南條竹則著「ドリトル先生の英国」によると、ドゥーリトルという名前は実際に存在し、日本に最初に爆弾を投下した爆撃隊隊長の名前がドゥーリトルだそうです(スペルは違います)。

 

 余談ですがある大学の入試にこの爆撃隊の隊長の名前を書けという愚問が出されたことがあったと最近の新聞に出ていました。感嘆すべき愚問です。

 

 ドリトル先生は昨年ハリウッドで映画化されました。30年くらい前にもレックス・ハリスンとかいう俳優によるミュージカル映画になっていますがわたしは見ていません。イギリス人女性によるとなかなかいい映画で、彼は太ったドリトル先生のイメージそのままの俳優だそうです。

 

 ところが昨年、アメリカでドリトル先生の映画が作られたと聞いて大変驚きました。

 なぜなら「ちびくろサンボ」という童話が黒人の表現に問題有りとして絶版になった騒動があったでしょう。同様の問題がドリトル先生にもあったからです。物語の中にアフリカのジョリキンキ王国の王子カアブウブウ・バンポという愛すべき黒人青年が登場します。このバンポの表現が差別的だと問題になったのです。前掲書を引用しましょう。

 

 この物語が書かれたのは主に一九二〇年代のことだ。だから、有色人種や異教徒に対して、今日の尺度からすれば、偏見や心ない表現と思われる部分が皆無ではない。そのために一九七〇年代になると、この作品の、とくにバンポの描き方について、人種差別的だという批判の声が上がった。批判の一部は正当なもので、ロフティングの認識に限界があったことを認めねばならない。

 

 この当時、清涼飲料水のカルピスもこうした騒動を恐れてシンボルマークを変えたことはご記憶だと思います。ですから昨年ハリウッドで映画化されたと聞いて大変驚いたのです。世間が黙っているのだろうかと。

 

 しかしさすがハリウッド。

 ドリトル先生を演じたのはなんと黒人ナンバーワンスター、かのエディー・マーフィーでした。これなら問題は生じません。逆にこのことから今でもアメリカでドリトル先生が広く愛されていることを知ってかえって安心したのでした。

 

 さて、子供心に疑問に思ったことがありました。

 それはドリトル先生は多くの動物はおろか植物や昆虫とも会話し、当然のように外国語にも精通して中国語まで操るのに、なぜか日本語は話せないということだったからです。

 

 前掲書の著者も同じ疑問を抱いていますが、ドリトル先生の時代つまり十九世紀前半は日本は鎖国と独立を貫き、またキリスト教に厳しい弾圧を加えていたなど、その特異性が際立っていたからかもしれないと見解を述べておられます。

 

「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」

 ルーイス・キャロル(1832~1898)の「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」も広く愛されている物語です。知られているようにアリスの物語はルーイス・キャロルこと数学者ドジソンが、友人リッデル氏の娘アリスのために
作ったナンセンス・ストーリー。キャロルがロリータ・コンプレックスであったことは有名で、当時発明されたばかりのカメラで少女の写真をたくさん撮影しています。今日、アリス・リッデルの愛らしい写真を見ることができるもの
そのためです。

 

 イギリス文学を語るとき切り離せないものにマザー・グースがあります。マザー・グースとはイギリスの伝承童謡の総称です。今日でも英語圏では広く愛唱されています。

 

 たとえば北原白秋が大正十年に紹介した本の中から、でんでんむしに関係するものを三つ書き出してみましょう。

 

     ででむし

  ででむし、ででむし、角だせや。

  パンとお麦を、それ、あげよ。

 

    でんでんむしむし

  でんでんむしむし、

  角ひけよ。

  ひかなきゃ山椒の粒ふりかける。

 

    ででむし角だせ

  ででむし、ででむし、角だせや、

  お父さんもお母さんもしんでしもうた。

  おまえの御兄弟姉妹は裏ん口の庭で

  パンをおくれェと乞うている。

 

 どこか日本の童歌とも共通するものがあるようです。でんでんむしをつつきながら歌っている子どもの情景が目に浮かびます。

 

 アリスの世界には先に引用したものとは違いますが、マザー・グースが多くちりばめられています。

 

 マザー・グースは先述のドリトル先生にも幾度か登場します。

 たとえばカブトムシの後をついて行きながらバンポが歌った「テントウ虫テントウ虫おまえのおうちへ飛んで行け おまえのおうちは焼けちゃって おまえの子どもは・・」という歌。これがマザー・グースの中にある歌だとは後年
知りました。

 いずれにしましてもアリスの物語は永遠のナンセンス・ストーリーとして不滅です。

(以下次号)

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