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2011年7月16日 (土)

三島治療室便り 游氣風信 No,129 2000,9,1 蜻蛉(とんぼ)あれこれ


 《游氣風信》では今までに何回か虫について書きました。

 しかし、それらはゴキブリであったり、ボウフラであったり、イモムシであったりと、比較的人気の薄い虫に焦点を当てたので、残念ながら決して評判のいいものではありませんでした。

 

 そこで今月は日本人に最も人気のある昆虫の代表である蜻蛉(とんぼ)について書きます。虫の話など虫が好かない、虫酸が走るなどと短気を起こさず、気軽に読んでいただければ幸いです。

 

 子どもたちの間で絶大なる人気を得ている虫は何と言ってもカブトムシやクワガタの仲間、いわゆる甲虫(こうちゅう)です。分類上は甲虫目(こうちゅうもく)。目は一つの分類項目で別名鞘翅目とも呼びます。これはカブトムシやコガネムシのように外側(前羽)の羽が堅い甲(かぶと)もしくは鞘(さや)のようになって、薄い後羽を保護していることからの命名です。

 

 飛ぶときは重い体を後ろの薄羽だけでウンウンと運ぶ感じで決してカッコ良くはありません。

 しかし彼らの力強さや頑丈さは男の憧れであり、戦国の世、戦場に向かう武将たちの兜(カブト)にはクワガタの大顎の形がデフォルメ(変形)されて飾られました。

 

 力強さの象徴がカブトムシやクワガタムシなら、その色彩的でひ弱な美しさから女性にも人気があるのが蝶々の仲間。まるでドレスを装った貴婦人です。

 奇麗な花に来て自前のストローで蜜を吸うという生態も可憐極まるものがあり、そこが人気の秘密の一端でしょう。

 

 幼虫のときは醜いイモムシでも卒然と脱皮して美の象徴として生まれ変わるというのも変身願望をくまなく満たしてくれるものです。

 ところが蝶と同じ仲間なのに不当に毛嫌いされるのが蛾。その野暮ったい衣装と厚化粧で身繕い、夜、灯火に導かれて、食卓などにバタバタと粉を散らすのが不人気の理由。

 

 しかし蝶も蛾も共に鱗翅目(りんしもく)の仲間。鱗粉と呼ばれる粉が付着した翼が特徴です。

 

 蝶はその美しさをして女性の理想像を具現しているのですが、鏡に写る自らの現実は蝶より蛾に似ているのではないかと深層心理的な不安を呼び起こすために、蛾は多くの女性に嫌われるのでしょうか。ここは多くを語らない方がわが身のためです。

 

 中国では美人を別名蛾眉(がび・蛾の触覚のように三日月型をした美しい眉、翻って美人のこと)と呼びましたから蛾に対して謂れ無き偏見はないと思われますし、英語では蝶はbutterfly(バタフライ)、蛾はmoth(モス)と明確に分けてはありますが、どうも普通の人は蝶と蛾の明確な区分けはしていないようです。

 

 西洋では魔女が蝶に化けてバターを盗みにくるという迷信があります。それで蝶をbutter-flyバターフライと言います。男の間を飛び回る浮気な女の意味もあります。

 

 ちなみにゴジラのライバル、怪獣モスラは英語のmothから来ています。ゴジラはクジラとゴリラの複合。

 

 さて、忘れてならないのが今月の主役、日本の古名にもなった蜻蛉(とんぼ)でしょう。

 とりわけ秋になって大量に発生する赤トンボは有名な唱歌とあいまって日本人に強く郷愁を呼び起こす虫です。

 

  夕焼け小焼けの あかとんぼ

  負われて見たのは いつの日か

  山の畑の 桑の実を

  小籠に摘んだは 幻か

  十五で姉やは 嫁に行き

  お里の便りも 絶え果てた

  夕焼け小焼けの あかとんぼ

  止まっているよ 竿の先

     (三木露風作詞 山田耕作作曲)

 

・・・以上の歌詞は記憶に基づいたものですから誤りがあるかもしれません。

引用しないでください。

 

 アカトンボにはもう一つ過去を思い出させるものがあります。

 戦争の世を生きてきた方には赤トンボといえば練習用の複葉機を思い出されるでしょう。これに関しては戦後生まれのわたしは話に聞いただけで見たことがありません。

 

 余談ですが、国民的歌手の故藤山一郎さんは、この歌は決して歌わなかったそうです。

 「あかとんぼ」のアクセントは「か」にあるのですが、この歌では「あ」になります。これは日本語としておかしい、不自然であると、いかに山田耕作大先生の作品でも許せなかったようです。

 

 さらに藤山先生、「蛍の光」も同様の理由で歌わなかったと何かで読んだことがあります。「ホタル」のアクセントは「ホ」にあるにもかかわらず歌では「タ」にくるからです。

 紅白歌合戦のおしまいに出演歌手全員が行く年を惜しんで「蛍の光」を歌うとき、毎年、藤山一郎さんがタクトを振りましたが、ご自身はついに歌われなかったということです。一流の人の一刻な逸話です。

 

 トンボは日本という国にはとても深い意味があります。

 

  秋津州(あきつしま)の名は、神武天皇が大和の国の山上から国見をして、 「蜻蛉のとなめせるが如し」とか宣(のたま)われたことから起こったとい うが、一体どんな具合に眺められたのであろう。となめ(「と」は臀、「な
 め」は口偏に占)とはトンボの雌雄が交尾して互いに尾をふくみあい、輪と なって飛ぶことをいうのである。ともあれ大和の国がナメクジやゲジゲジのとなめせるように見えなかったのは慶賀の至りで、この国名は「日出ずる国」 なんぞよりよほどすっきりしている。

北杜夫著「どくとるマンボウ昆虫記」(蜻蛉、薄馬鹿下郎の項)より

 

 以上の文章はわたしの高校の頃の愛読書北杜夫の「どくとるマンボウ昆虫記」の一説です。

 日本の古名は秋津州。つまりトンボにちなんだ名前だったのです。

 

 秋津州とは何か。若い人には説明が要るかも知れません。古典の時間以外馴染みがないことばですから。

 例によって広辞苑のお世話になりましょう。

 

あきず-しま[秋津州・秋津島・蜻蛉州]

  大和国。また、本州。また広く、日本国の異称。(もと御所市付近の地名から。神武天皇が大和国の山上から国見をして「蜻蛉の(となめ)の如し」と言った伝説がある)

 

 以上のように、秋津州とは昔は大和の国を指し、後に日本全体にまで広げて用いられている呼称です。

 北杜夫さんならずとも一体どこをどう見たら蜻蛉のとなめに見えるのか分かりません。

 

 その前に「となめ」が分かりませんね。

と-なめ[トナメ]

 トンボの雌雄が交尾して互いに尾をふくみあい、輪になって飛ぶこと。

 

あきず[秋津・蜻蛉]

 トンボの古名。[季・秋]。

 

 大和の国が輪になって飛ぶトンボのようだという神武天皇の見解から日本が秋津島と呼ばれるようになったのです。

 したがってトンボは我が国の象徴とも言える昆虫となりました。

 

 トンボは漢字では蜻蛉と書き、音読みでは「せいれい」ですが、これは中国から入ってきた呼び名で、大和言葉では「あきつ」または「あきず(旧仮名遣いでは「あきづ」)で、漢字が入ってきてから秋津という漢字を当てたものでしょう。

とんぼは一説には「飛ぶ棒」の変化だとされています。これも広辞苑で引いてみます。

 

とんぼ[蜻蛉]

 トンボ目(蜻蛉類)に属する昆虫の総称。体は細長く、腹部は円筒状。細長い透明な二対の翔は非常に強くよく飛ぶ。眼は複眼で大きく、触覚は小さい。
幼虫は「やご」といい、水中に生活。成虫・幼虫共に他の昆虫を捕食。ギンヤンマ・アキアカネ・シオカラトンボ・カワトンボ・イトトンボ・オハグロトンボ・ムカシトンボなど。せいれい。かげろう。あきず。とんぼう《季・夏》

 

 蝶や蛾は幼虫時代、イモムシやケムシでした。その有り様は嫌いな人にはいかにも気持ち悪く、庭木などにいたら駆除される事請け合いです。

 

 イモムシの気持ち悪さは洋の東西は問わないようで、英語でイモムシの這う様子をcreep(クリープ)と言い、肌がむずむずする、ぞっとするの意味を持ちます。オートマチック車がアクセルを踏まなくても静かに進むこともクリー
プと言うことはご存じでしょう。

 

 女性などはそのクリープという音だけで身もだえするほど嫌がります。

 

 He is creepy.(彼は虫酸が走るほどぞぞっとする奴だ)

 

というのは最大限に気持ち悪がられていると思っていいはずです。

 

 さて、ここでお気づきのように、我が国で最も人気のあるコーヒー用のミルクパウダーに同じ発音の商品があります。スペルは違います。

「〇〇を入れない珈琲なんて」

というコピーも一世を風靡しました。外国人が飲みたがらない飲み物ナンバーワンであることは間違いありません。

 

 例のごとく話が逸れました。トンボに帰ります。

 トンボの幼虫はヤゴです。水中にいてお尻から水を鋭くロケットのように発射して自在に泳ぎ回り、他の小さな虫などを食べます。

 トンボは川や池の周辺に多く見られるのはそのためです。水面にお尻をチョンチョンと着けながら飛んでいるトンボをご覧になったことはありませんか。

あれは産卵です。

 

 しかし本能に支配された生物の悲しさ。彼らは、否、彼女らは水なら何にでも産卵します。明日は干上がるだろう水たまりにも産卵してしまうのです。それどころか、水面のように光っているものにも産卵します。わたしは車のボンネットに産卵しているトンボを幾度となく見たことがあります。無論その卵は孵ることはありません。

 

 トンボは飛行がとてもうまい虫です。

 カブトムシは今にも墜落しそうにやっとという感じで飛びます。チョウチョウはバタバタと風に煽られながら飛んで行きます。泳法のひとつバタフライはチョウチョウのことです。バタバタ飛ぶからバタフライではありません。

 

 トンボはそれらに比べると実に見事な飛行を見せてくれます。空中での静止、上下動、左右へ直角に方向を転換するなど自由自在です。

 

 ハエも飛行のうまい虫ですが、こちらは弾丸ロケットのようにスピード飛行が得意です。それに対してトンボは高速ヘリコプターと言っていいでしょう。

 英語ではトンボのことをdragonfly(ドラゴンフライ)と呼びます。空を飛ぶ竜。プロ野球の中日ドラゴンズのドラゴンです。

 

 インドや中国では竜は神格化された想像上の動物ですが、どうも西洋ではドラゴンは非常に恐れられた存在のようです。伝説では竜は翼と爪を持ち口から火を吐いて人に害をなすことで恐れられているのです。一般には悪と暴力の象徴とされています。反面、泉や宝物、女性を守護するという伝説もあるそうです。(以上広辞苑参照)

 

 英語の辞書を調べますと

「怖い中年女性をドラゴンとも言う」

とあります。なるほど、これは心底恐ろしいと断言してかまわないと確信します。

 

 さて、最後に例によって文学に現れるトンボを紹介して筆を置きましょう。

 

ルナール「博物誌」より

とんぼ

 眼炎の治療をしている。川の両岸のあいだを飛びまわっては、冷たい水の中に、はれあがった目を浸してばかり。じいじい音をたてている。まるで、電気装置で飛んででもいるみたいだ。

 

 電気装置は秀逸な表現です。

 

とんぼの俳句

蜻蛉やとりつきかねし草の上  芭蕉

とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 汀女

母すでにかまど火育て夕蜻蛉 ちから

赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり 子規

から松は淋しき木なり赤蜻蛉 碧梧桐

肩に来て人なつかしや赤蜻蛉 漱石

 

後記

 9月11日、一日中降り続いた大雨は名古屋周辺に大変な災害をもたらしました。

 大府市にある知人の家は玄関のドアの上まで水没し、一階の家具や電化製品は散乱し、破壊され、土壁は流れ去り、車も二台の損失です。

 職場へ向かう電車からは昨日まで道具としての命脈を保っていた家具類が、今日は塵芥として線路際や道路などに山のように廃棄されています。

 

 災害に直面した人の家財などの復興と心の立ち直りをお祈りします。

(游)

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