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2011年7月16日 (土)

游氣風信 No,130 2000,10,1 季節の雲

三島治療室便り
 秋は空の高い爽やかな季節。見上げると青空に浮かぶ鱗状の雲が目を引きます。そこで今月は雲について調べました。

 

 例によって少し寄り道になりますが、まずは宮沢賢治の童話から紹介します。
 宮沢賢治の童話には蛙を主人公にした作品がいくつかあります。
 すぐに思い浮かぶのは「カイロ団長」「畑のへり」「蛙のゴム靴」。
 

 「カイロ団長」は労働と搾取の愉快な寓話。
 働くことそれ自体を楽しんでいた時代から、労働が経済行為に移行する、すなわち資本家の誕生と搾取、その解決を労使闘争ではなく宗教的調和のもとに行おうという賢治らしいテーマを蛙を主役に寓話化したものです。

 

 毎日楽しく働いていた30匹の「あまがえる」は、今風に言えば暴力バーのオーナーである「とのさまがえる(自称カイロ団長)」にだまされて苛酷かつ無意味な労働に従事させられます。

 

 「とのさまがえる」は無知な「あまがえる」たちに酒を飲ませ、法外な料金を吹っかけ、払えないと知るや、警察に突き出すと脅して無理やり働かせました。そこには苛酷で不毛な労働があるばかりで、働く喜びがありせんでした。

そんなある日、王様のお達しがあります。

 

 「王様の新しいご命令。王様の新しいご命令。すべてのあらゆるいきものはみんな気のいい、かあいさうなものである。けっして憎んではならん。以上」

このようにして絶対者の一声の下、実に他愛なくことが解決されるやり方は賢治の作品によく見られる傾向です。

 

 特にこの王様のお達しは宗教的情操の発露として純粋なものですが、反面、賢治の限界を示すものとして批評家によく引用される部分です。

 

 似たような作品に気のいい白象とやり手資本家の物語「オツベルと象」があります。しかし結末は正反対。こちらの物語は苦しい現実から逃れるために祈りに救いを求めるだけの白象を、怒りと憎しみに猛り狂った仲間の象たちが実力行使で救い出します。賢治にしては極めて過激で闘争的な作品と言っていいでしょう。

 

 賢治が「カイロ団長」や「オツベルと象」などの作品を書いたのはなぜでしょう。

 資本家と労働者という対立する存在を通じて、働くことの意味を問うたり、それらをどう浸透的に幸福に結びたらいいのかと考えるのは、素封家(お金持ち)の家に生まれながら貧しい農村と向き合わねばならなかった賢治にとって極めて重大な命題でした。

 

 宗教的諦観による救済も、争議による解決も、いずれも農村の悲惨な現実を何とかしたいと思い続けていた多面体宮沢賢治の確かな一面です。大正から昭和初期、丁度日本が戦争に向かっていた時代のことでした。

 

 済みません。「カイロ団長」に深入りし過ぎました。あとの二つの作品に急ぎます。

 「畑のへり」は蛙がトウモロコシを兵隊だと勘違いして怖がる楽しいメルヘン。今月のテーマ「雲」が出てくるのは「蛙のゴム靴」です。

 

 当時まだ珍しかったゴム靴という財産によってメス蛙の気を引いて結婚することになった蛙とそれを妬む仲間の蛙の物語。ちょっと「金色夜叉」に似ています。

 この話の中に蛙が「雲見」を楽しむ場面があります。なかなか愉快なので長いですが引用します(新校本宮澤賢治全集より)。

 

 ある夏の暮れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、カン蛙の家の前のつめくさの広場に座って、雲見といふことをやって居りました。一体蛙どもは、みんな、夏の雲の峯を見ることが大すきです。じっさいあのまっしろなプクプクした、玉髄のやうな、玉あられのやうな、又蛋白石を刻んでこさえた葡萄の置物のやうな雲の峯は、誰の目にも立派に見えますが、蛙どもには殊にそれが見事なのです。眺めても眺めても厭きないのです。そのわけは、雲のみねといふものは、どこか蛙の頭の形に肖てゐますし、それから春の蛙の卵に似てゐます。それで日本人ならば、丁度花見とか月見とかいふ処を、蛙どもは雲見をやります。

「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」

「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思はせるね。」

「実に僕たちの理想だね。」

 雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。ペネタ形といふのは、蛙どもでは大へん高尚なものになってゐます。平たいことなのです。雲の峰はだんだん崩れてあたりはよほどうすくらくなりました。

 

 ここに書かれている雲は「夏の雲の峯」ですから積乱雲、一般には入道雲と呼ばれるものです。雲の峰は夏の代表的な季語になっています。文中ではそれが平ら(蛙語のペネタ形)になるというのですから、これは積乱雲の上が崩れて平らになる、いわゆる鉄床(かなとこ)雲のことでしょう。

 

 原子朗著、新宮澤賢治語彙辞典にはペネタ形は気象用語の「ペネトレーティヴ・コンベクション(penetrative convection)貫入性対流、雲が垂直方向に気層を貫いて発達してゆく」から賢治が思いついた造語ではないかという高野みはるの説が紹介してあります。賛同できる説です。

 

夏の雲

 入道雲の中は激しい上昇気流が渦巻き、摩擦で静電気を帯電。放電されるとそれが雷であることはよく知られています。特に雲の頭がつぶれて鉄床雲になると危険です。

 

 賢治童話の蛙が好む雲の峯は俳句でも好まれる夏の季語です。

 

航海やよるひるとなき雲の峰 高浜虚子

雲の峰静臥の口に飴ほそり  石田波郷

雲の峰湧きて地中に薯太る 成瀬桜桃子

雲の峰灯台表裏なく剥げて  古館曹人

 

 入道雲(積乱雲)は雲の峰と称されるように山のように盛り上がりますから背も高く、なんと地上0.5から12キロの高さにわたります。

 

春の雲

 

 春の雲はぽっかりと綿のように浮いています。まるで大きな肉まんのようです。専門的には積雲といい比較的低い空に浮いています。積雲は最も低い空に浮く雲で0.5から3キロの高さにあります。

 

 雲

    山村暮鳥

おうい雲よ

ゆうゆうと

馬鹿にのんきさうぢやないか

どこまでゆくんだ

ずつと磐城平の方までゆくんか

 

 この人口に膾炙した暮鳥の詩の中にはどこにも春の雲とは書かれていません。しかし、詩の全体の雰囲気からは春の雲が想像されます。現実に束縛された自分に対し、ゆうゆうと自由で呑気そうな雲。行雲流水と言うように人は雲に自在な精神を感じ取ります。諸国を旅する修行僧を雲水と呼ぶのも行雲流水に因みます。

 

春の雲人に行方を聴くごとし 飯田龍太

春の浮雲馬は埠頭に首たれて 佐藤鬼房

 

秋の雲

 

 秋の雲は夏の雲に劣らず印象的です。

 大空一面を覆うような鱗雲。あるいは羊雲。これらは高積雲といい、比較的高い空(2から8キロ)にかかる雲です。その名の通り鱗のように空を覆っています。

 これらに似ていますがもっと細かく空に広がる雲が鰯雲。鯖雲とも呼びます。

こちらは絹積雲。鱗雲よりさらに高層、と言うより最も高いところ(5から13キロ)にできる雲です。

 

 サザエさんにこんな漫画がありました。
「鰯雲だ、すっかり秋ねえ」
「明日の配給も鰯だね」
 鰯雲がかかると鰯が豊漁だといわれています。

 

鰯雲昼のままなる月夜かな 鈴木花蓑

鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨

杉山に鱗重ねし鱗雲  原 裕

鯖雲やまとめ買ひせり竹箒 藤本新松子

 

冬の雲

 

 冬の雲は鉛色に空一面を覆い、雪などを運んできます。
 冬の雲の場合、形より質感から凍雲(いてぐも)などと呼ばれ、その有り様は心象を反映したものとして文学作品にも頻繁に取り上げられます。

 

 雪白く積めり

       高村光太郎

雪白く積めり。

雪林間の路をうづめて平らかなり。

ふめば膝を没して更にふかく

その雪うすら日をあびて燐光を発す。

燐光あをくひかりて不知火に似たり。

路を横切りて兎の足あと点々とつづき

松林の奥ほのかにけぶる。

十歩にして息をやすめ

二十歩にして雪中に坐す。

風なき雪蕭々と鳴つて梢を渡り

万境人をして詩を吐かしむ。

早池峰はすでに雲際に結晶すれども

わが詩の稜角いまだ成らざるを奈何にせん。

わづかに杉の枯葉をひろひて

今夕の炉辺に一椀の雑炊を煖めんとす。

敗れたるもの卻て心平らかにして

燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。

美しくしてつひにとらへ難きなり。

 

 空襲で東京のアトリエを失った詩人で彫刻家の高村光太郎は、宮沢賢治(昭和8年没)の縁で岩手県花巻の宮沢家に疎開。しかし宮沢家も空襲で焼失したため、花巻郊外の山村に庵を編んで孤独な老後(63歳から70歳まで、以後東京に戻り昭和31年74歳で没す)を過ごしました。

 

 戦争中、光太郎は戦争賛歌の詩を書いたため、戦後、自己を改めて見直し、自らの来し方を暗く愚かなものとする「愚暗小伝」を書きます。

 紹介の「雪白く積めり」はそれ以前に書かれたものですが、体力や気力の衰えを露に表現しています。しかしそれ以上に自分自身の人生を否定的に追求する作業をしているようすが伺えて読むのも辛い作品になっています。

 

 弱ったからだで雪の中を少し歩いては息を整え、遠く雲の下に結晶する早池峰山(岩手県の明峰)を見つつ、自らの芸術の未完なることを己自身に問いかけているのです。

 

 この作中に出てくる早池峰の雲は控えめではありますが、しっかりと光太郎の思いを担っています。

 

凍雲として六甲を離さざる   田原憲治

寒雲の影をちぢめてうごきけり 石原八束

集まつて来て冬雲となる伊吹  山田松寿

 

 最後にもう一度賢治の雲を。

 

  [わが雲に関心し]

わが雲に関心し

風に関心あるは

たゞに観念の故のみにはあらず

そは新たなる人への力

はてしなき力の源なればなり

 

 賢治の自然観が理解される詩編です。

 

(雲に関しては「雲の表情 伊藤洋三著」保育社
光太郎の詩は教養文庫、暮鳥の詩は「詩のたのしさ 嶋岡晨著」講談社
を参考にしました)

 

後記

 

 先月号で山田耕作作曲の「あかとんぼ」を日本語のアクセントの問題から藤山一郎さんが歌わなかったと書きました。「あかとんぼ」のアクセントは通常「か」にありますが、歌では「あ」にあるので、正しい日本語ではないという理由からです。

 

 これに対して名古屋の芸術大学の先生から次の二点の指摘がありました。

 一つ目はは山田耕作先生は日本語に関してとても厳格な人であったこと
 二つ目はその当時「あかとんぼ」の「あ」にアクセントがあっても間違いで

はなかったこと

ご指摘ありがとうございます。

以上ご報告します。

(游)

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