游氣風信 No.153 2002.9.1 柿(俳句を味わう)
「ぼくはね、渋柿が好きです」
米国人のBさんが治療台の上で唐突に言います。
「渋柿?あれ食べたら口の中が渋くて大変でしょう」
うつ伏せになったBさんの背中に鍼を置きながら聞き返しました。
「ううん、渋柿ね。だんだん甘くなります」
「だんだん甘くなる???」
「そう、外の白い粉も甘い」
「白い粉? ああ、干し柿ね」
「そうそう、干し柿。山の方に行くとね、窓にぶら下がっています。ぼく、あの景色大好き」
アマチュアカメラマンでもあるBさん。
日本の風景がお好きなようです。
確かに夕日を受けた窓に光る吊るし柿の風情は日本の秋を代表するものとして保存したいもののひとつです。
吊るし柿瀬戸内海の見ゆる窓 広志
この拙い俳句はわたしが20歳の頃作ったものです。
鹿火屋という結社に属していたのですが、そこの主宰の故原裕先生に一応俳句になっていると誉めていただいた句。
いかにも古臭い感じの俳句ですが、当時のわたしはこうしたものが俳句だという固定観念がありました。
しかし、それもあながち間違いではなく、歳時記に出ている句も似たり寄ったりです。
釣柿や障子にくるふ夕日影 丈草
干柿の緞帳山に対しけり 百合山羽公
吊柿日は一輪のままに落ち 桂信子
吊し柿すだれなしつつ窓を占む 和知清
このように吊るし柿は窓や夕日と共に詠まれることが多いのです。
夕日が窓や柿を染めてより印象的に彩るからでしょう。
米国青年Bさんが関心を抱いた日本の光景。これは日本人の原風景として根強いものです。
小学生の頃、祖父の家に出かけたときのことです。晩秋でした。
家からゆるやかな坂道を登って行くと、村のはずれ、墓地の方に向かいます。
大きく湾曲した道なりに進むと小さなお宮さん。
片側がこんもりした藪になっており、そこに野生の柿の木が一本たわわに熟しています。
幼いわたしは祖父の傍らを駆け抜けると、低い崖を越え、柿の木に取り付き、得意の木登りで実をもいできました。
「おじいちゃん、これ食べられるの」
「ああ、甘いけえ、食うてみんさい」
不覚にもいたずら好きの祖父の言葉を信じたわたしは一気にかぶりつきました。
一瞬の後、口の中に広がるしびれ。渋み。
「わあああ、渋柿だ!」
「渋柿誰も取らん。だから今でも木にいっぱい残っとるんじゃの、わはは」
「おじいちゃんの嘘つき」
二人で大笑いでした。
駆けたり、木に登ったりして火照った体を、晩秋の風が吹き抜け、汗を心地よくなだめてくれます。
わたしは祖父のいたずらに怒ることもなく、傍らに戻って、一緒に歩き出したのでした。
柿はこの頃余り人気のない果実です。
農家の庭先にはたいてい柿の木があり、つややかな実をいっぱいつけるのですが、家族だけでは食べきれないからとよくいただきます。
「若い者は全然食べないから、先生貰ってちょ」
しかし、せっかくいただいて持ち帰っても、家でもあまり売れません。
わたしもほとんど食べません(まだまだ若い者ですから)。
どこの家でも持て余しているというのが正直なのところではないでしょうか。
しかし、柿の木は初夏の柿若葉から花、青柿や熟柿、柿紅葉や柿落葉と一年を通じて楽しませてくれます。
柿はカキノキ科の落葉高木です。果実を安定的に供給してくれるのでどこの農家でも庭に何本か植えています。
したがって柿の木が見せてくれる一年の変化はとても身近なものとして親しまれています。
俳句を通じてみて見ましょう。
夏
柿若葉
柿の若葉は萌黄色で、つやつやと光っていて美しい。初夏の陽を受けて風に揺らぐ若葉は柔らかく、いかにも明るい。樹々の新緑の中でも柿の若葉の色合いとかがやきは殊に優れている。日常どこでも目に入ってくる初夏の爽やかな風景である。(日本大歳時記)
柿若葉丘の南は田もまぶし 水原秋桜子
柿若葉豆腐触れ合ふ水の中 長谷川櫂
柿の花
柿は中国から伝来した落葉性の高木。本州・四国・九州など各地で栽培される。甘柿は日本で淘汰されたもので、中国にはない。柿は若葉が光って美しいが、花は見過ごされやすい。淡黄色で梅雨の頃、新しく伸びた枝の葉腋につく。雌雄雑居性で、雄花は数個ずつ、雌花は単生する。小さく静かで淋しい花である。(日本大歳時記)
渋柿の花ちる里となりにけり 蕪村
柿の花こぼれて久し石の上 高浜虚子
同じ日の毎日来る柿の花 松藤夏山
青柿
柿の青いうちは、殆んど目立たないが、地面に落ちたものを見て、改めて樹上を仰ぐと、大きな葉の間に、数しれぬほどの青柿がすでに実りはじめているのに気づく。(日本大歳時記)
秋
柿
柿の実は野生のものや栽培するものなど、その種類は多いが、葉が落ちつくす霜の降るころには樹上に赤色に熟れて、美しい晩秋の農村の彩りを作り出す。
(日本大歳時記)
里古りて柿の木持たぬ家もなし 芭蕉
渋柿や嘴おしぬぐふ山がらす 白雄
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
柿食ふや遠くかなしき母の顔 石田波郷
熟柿
紅く熟した柿のことである。一般に渋柿は紅く熟してこないと甘くならないから、熟柿にして食べる場合が多い。
切株におきてまつたき熟柿かな 飯田蛇笏
いちまいの皮の包める熟柿かな 野見山朱鳥
干柿
渋柿の皮を剥き、竹串につらね刺し、または縄にはさんで吊し、渋味を取り去るため陰干しや日干しにする。こうして干しておくと、水気が全くなくなり、肉も緊って、柿の表面にやがて自然に白く粉を噴いて甘くなる。(日本大歳時記)
干柿や家廻りくる郵便夫 加藤憲曠
柿羊羹
柿餡を入れた練羊羹で、岐阜の大垣、広島のものが有名である。生柿から作るのと干し柿から作るのとある。(日本大歳時記)
柿羊羹煮る夜や伊吹颪吹く 塩谷鵜平
柿紅葉
若葉の耀りもきわめて美しい柿の葉は、中秋過ぎ、実の赤く熟すると共に色づいてくる。(日本大歳時記)
柿紅葉うすく夕日にうすくさす 川島彷徨子
冬
柿落葉
梢上に紅葉し、あるいは黄葉して美しいものと、枝にあるときは格別魅力をおぼえなかったものが、落葉して地上にあると、目を瞠るほど鮮やかなものとある。(大日本歳時記)
柿落葉地に任せて美しき 瀧井孝作
いちまいの柿の落葉にあまねき日 長谷川素逝
新年
串柿飾る
串柿とは竹の串で柿を貫いて乾かしたものをいい、蓬莱台に串柿を添えたり、注連縄や鏡餅などに昆布・歯朶と共に飾ることをいう。(大日本歳時記)
串柿をさして銭籠祝ひかな
こうして年中身近にあって生活を潤してくれているのが柿。
その割りに人気がないのが困りものです。
冒頭のBさんが好きな干し柿。
日本の菓子の甘さの基本は干し柿の甘さだと聞いたことがあります。
ほのかな甘さ。
どことなく安心感のある甘さ。
食べれば美味しいのですが、ついつい敬遠されがちな柿。
少しは見直して味わってみようかとも思うこの頃です。
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