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2011年7月21日 (木)

游氣風信 No.152 2002.8.1 蛾・・・あはれその身を焦がす虫 「りんごとちょう

 以前、イタリアの絵本作家イエラ・マリの絵本に感動した事があります。何冊かありましたがとりわけ「りんごとちょう」とか「あかい ふうせん」などを記憶しています。

 

 「りんごとちょう」はりんごの実から虫が出てくる不思議について描かれた絵本。

 どうしてりんごから虫が出てくるのか。この疑問にきちんと答えた絵本です。

 

 まだ実を結ぶ前の花の段階で産卵された卵がそのまま実の中に取り込まれ、孵り、その幼虫がりんごの実からから這い出て、ちょうちょになって飛び去るという納得のいく説明。それらの過程を生物学的に正確にしかも分かり易く、美しく描いたすぐれた絵本です。

 

 「あかい ふうせん」の方は風船がちょうになったり傘になったりという変化の意外性と面白さ。

 

 どちらの絵本も硬質な画風ながらやわらかい、優しい図柄です。ところが、「りんごとちょう」に関しては大いなる疑問も生じていました。なぜなら、りんごから生れてくるのは蛾であって、決して蝶ではないからです。絵本の虫も、どうみても蛾です。そこでわたしは本の隅っこに目をやりました。原題は何故か英語で書かれています。作者のイエラ・マリがイタリア人であるにもかかわらず・・・。

 

  THE APPLE AND THE MOTH

 そのものずばり、「りんごと蛾」です。明らかにMOTHという字が使われています。

MOTH  モス  蛾のことです。

 

 分かりやすい例を引くと、怪獣モスラ。しばしばゴジラと戦って人類を助けてくれたモスラは蛾の怪獣でした。英語のモスから命名されたに違いありません。

 

 なぜ「りんごとが」ではなく「りんごとちょう」なのでしょう。

 作者のイエラ・マリには何の責任もありません。責任はこの本の出版をした編集者もしくは出版社にあります。

 

 おそらくは「りんごとが」では売れないと思ったのでしょう。確かに蛾は不人気です。しかし事実を歪曲した、実に姑息な判断です。

 これでは子ども達に結果として嘘を教える事になります。
 一つは、蝶や蛾の生態に対する嘘。
 もう一つは蛾が不人気な虫だという喧伝。
 こうして無邪気な子ども達は蛾が嫌いになってしまいます。

 

いかにして蛾は嫌われるか

 どう考えても、どう擁護しても、蛾は人気がありません。
 食卓の灯りに誘われ、ばさばさ飛んできて薄汚い粉を振り撒き、食事を台無しにします。

 

 障子にまとわりついて、けたたましい音を立て、部屋を汚します。
 中にはドクガという種類がいて、皮膚炎をおこします。
 庭木にびっしり貼り付いて造園愛好家を奈落の底に落とします。
 イラガの幼虫は触るだけで飛び上がる程の痛みを与えます。
 しかし、彼らに何の罪がありましょう。

 

 ただ、蛾は蛾の人生を素直に本能のままに全うしているだけです。人間のように道を踏みはずし、よこしまな世界に迷いこんだりしません。
 しかるにこの嫌われよう。
 いったい全体、これはいかなることなのでしょうか。

 

 俳句の歳時記に「火取虫」(ひとりむし)という季語があります。

 平井照敏編の歳時記によれば、

 

火取虫(ひとりむし)

  灯取虫 火入虫 火(灯)虫 蛾 火(灯)蛾 火蛾 燭蛾

 夏の夜に、灯火にいろいろの虫が吸いよせられる。こがねむし、かぶとむし、ふうせん虫などもいることがあるが、もっとも多いのは蛾の種類で、火取虫というと、蛾に限定する歳時記も多い。しかし、本来は、灯火にあつまる虫の総称である。(以下略)

 こうした説明のあとに俳句が紹介してありますが、最も有名な句は

  酌婦来る灯取虫より汚きが 高浜虚子

でしょう。

 

 今日のフェミニズムからしたら到底許されない内容に思われますが、当時はこうした句を発表してもゆるされた様です。

 かように蛾は汚い虫の代表のごとしです。

 

 昼間飛ぶ蝶。モンシロチョウ、アゲハチョウ、ウスバキチョウ、カラスアゲハ、ヒョウモン、アカタテハ、シジミチョウ、オオムラサキ、アオスジアゲハ・・・。

 これらは美しいものの代表のように称されるのに、同じ鱗翅目(羽にうろこ状の粉をもつ種類)に分類される蛾はあまりに悲惨な扱いです。

 

 お隣の中国では美人の事を「蛾眉」と呼びますが、その呼称は日本ではあまり浸透していません。

 

 確かに、色彩も蝶に比べて地味で風采が上がらず、美的には好ましいとは思えません。しかしそれだけでで嫌うならば、あまりに偏見というものでしょう。

 

 思い返せば中学の一年の時、こんなこんなことがありました。

 クラスで校内の掃除をしていたときのことです。

 木陰から頭が赤く、羽根の黒い虫がひらひら飛び出してきました。

 わたしは一目見てそれが「ホタルガ」であることが分かりました。きれいな蛾です。頭が赤く、胴体が黒いので蛍に似ています。しかもご丁寧に羽の端には蛍火のように白いすじまであります。

 「あ、きれいなちょうちょ」

 わたしと一緒に掃除をしていた女子生徒が叫びました。

 「ちゃうちゃう、これは蛾だよ」

 「ちがうわ、これはちょうちょよ。蛾がこんなにきれいなはずないわ!」

 「よく見てごらん。頭が赤くて丸く、黒いからだ。まるで蛍みたいでしょ。だからこれはホタルガと言うんだよ」

 「いいえ、これはきれいだから絶対にちょうちょ!」

 決然と言いきります。

 わたしは室長、彼女は副室長でした。彼女は副室長に選ばれるだけあって実に勝ち気です。その蛾を嫌うさまはまるで近親憎悪のよう。中学一年にして早くも女性は蛾の中に自らを投影して拒絶するのでしょうか。

 気の弱いわたしは、ついにそれが蛾であると説得できずに終わりました。

 余談ですが、彼女は実に困ったことに三年でも共に室長を勤め、高校までもが同じになるという腐れ縁。もしかしたらこれは蛾の祟りかもしれません。今はどこかの学校の先生をやっているはずです。どんな教育をしているか心配。

 

蛾と蝶の違い

 実は蝶と蛾の違いはあまり明確ではないのです。西洋では昼飛ぶのが蝶、夜飛ぶのが蛾という程度。

 広辞苑を見てみましょう。

 

ちょう「蝶」 てふ

チョウ目のガ以外の昆虫の総称。羽は鱗粉と鱗毛により美しい色彩を現し、1対の棍棒状または杓子状の触覚を具える。幼虫は毛虫・青虫の類で、草木を食べて成長し、さなぎを経て成虫となる。一般に繭は作らない。種類が多く、日本だけで約250種を数える。季 春。

 

が「蛾」

チョウ目の蝶以外の昆虫の総称。形態上は蝶と明確な差はない。多くは夜間活動し、静止の際、羽を水平に開くが屋根状に畳み、また触覚は先端ほど細くなり、櫛歯状になっているものもあるなどでチョウと区別するが、やや
便宜的。きわめて種類が多く、日本だけで約5000種。その幼虫に髄虫・毛虫・芋虫・蚕・尺取虫などがある。季 夏。

 

 蝶も蛾もチョウ目に分類されています。蛾は蝶の仲間なのです。しかも、便宜的な分類があるだけで明確な定義はなさそうです。

 しかし天下の広辞苑とはいえ、チョウ目のチョウ以外が蛾で、蛾以外が蝶だなんて実にいいかげんですね。結局何ら定義でできていません。

 ということで、なおさら蛾が嫌われる根拠がなくなりました。

 つまり、あわれ、蛾は単に感覚的憎悪の対象になっているに過ぎないのです。

 

オオミズアオとの出会い

 北杜夫の名著「どくとるマンボウ昆虫記」に蛾の項目があります。この本はぼろぼろになるまで読んだのですが、今、どうしても見つかりません。本箱のどこかにあるはずなのですが。

 

 その本の中にオオミズアオという大型の蛾に関する文章がありました。その名の通り大きくて水青色の蛾です。全長10センチ。蚕やヤママユガの仲間です。木陰をゆったり舞う姿は幽玄な美しさだと書かれていました(記憶が確かなら)。

 

 わたしはぜひ一度それを見たいものだと思っていたのですがなかなか機会に恵まれませんでした。一度だけ高校の行き帰りに通り抜けていた熱田神宮で死体を見つけたのですが、これでは幽玄な舞い姿を拝むことができません。

 

 しかし、念ずれば花ひらく。ついに出会いの日がきました。正確な場所は忘れましたが、どこかの高速道路のサービスエリア。ふと見上げるとなんとオオミズアオが月明かりの空から幽玄に舞い降りてくるではないですか。

 

 日本画の幽霊美人図のような透明感をたたえ、死生を抜け出たその姿は、おだやかな魂がゆっくりと下ってくるという風情。

 オオムラサキが好日の生命感溢れる青い蝶なら、オオミズアオはあらゆる勢力を否定した存在そのものの浮遊。まるで月からの使者。

「おお、どくとるマンボウ、ついに彼女に会えました」

 わたしは月下の駐車場に呆然と立ちつくしたのでした。

 

 蛾が嫌いな副室長。彼女はこのオオミズアオの姿を見たらやはり蝶だといいはるのでしょうか。

「こんなきれいな蛾はいない、美しいのは蝶だ」

きっと、そう言い張るに違いないのでしょうね。 

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