游氣風信 No,151 2002,7,1 俳句王国出演記
六月のとある日暮れ方、見知らぬ女性から電話がありました。
「NHK松山のSと申します。黒田先生からのご紹介でお電話させていただきました。突然ですがBSの「俳句王国」にご出演願えませんでしょうか」
「私が?・・・・黒田先生の紹介ですか・・・私で構わないのでしたらよろしいですよ」
「以前にもテレビには出演されたそうですね」
「ええ、数年前、黒田先生が「NHK俳壇」の主宰をされた最初の会に出演しました」
「今回はBSの「俳句王国」です。愛媛県の松山までお越し頂くことになります。放送は七月二十日の海の日。前日に集合して、打ち合わせなど行います。当日は午前11時から11時53分までの生放送。そに先立って兼題句一句と自由題で一句を七月八日までに送っていただきます。兼題は主宰が決められたら、またご連絡いたします」
「主宰は黒田先生ですか」
「いいえ、今回は「白露」主宰の広瀬直人先生です。追って詳細な予定表と航空券などをお送りします」
「わかりました、ではまた詳しいご連絡をお待ちしています」
ちょうど治療中でした。
「先生、テレビに出るのかね」
と治療ベッドに横たわっていたMさん。
「出演料どっさりもらわなかんよ」
「いやあ、NHKは本部が渋谷にあるせいか渋くてね、前に東京まで行ったけど、出演料は交通費で消えちゃいましたよ。でも、僕等がテレビに出る機会なんて一生に一回あるかないかですからねえ。お金の問題じゃないですよ。いい経験ができる」
「さすが天下のNHK。出してやって喜ばれるんだな」
なにが天下はわかりませんが、こうして私の二度目のテレビ出演があたふたと決まりました。
兼題とは題(多くの場合、季語)が与えられてそれを用いて俳句を作ることです。
今回は広瀬先生が「燕の子」という題を出されました。
自由題は何でもかまいません。しかし、季節を考えれば夏の季語を用いることが妥当でしょう。
自由題に関して、わたしはSさんからの電話で幾つかのヒントをいただきました。
先ず生放送が「海の日」であること。
次に、主宰が広瀬直人先生であること。
それらのヒントから電話中に句の腹案は定まり、受話器を置いた段階でほぼ出来上がりました。このようにすぐに作ることを即吟といいます。
まずは海の日への挨拶です。
海の日・・・・夏の海・・・・・炎天・・・炎天の海
よし、これで行こう。
次に広瀬直人。
広瀬先生の代表句は
秋冷の道いつぱいに蔵の影
ここから先生への挨拶をすべく、連想を展げました。
道いつぱい・・・・狭い道・・・・身の幅・・・・ほどの道・・・・身の幅ほどの径
これをつないで
炎天の海へ身の幅ほどの径
自由題はこうしてすぐ完成しました。「海の日」と「広瀬直人先生」への挨拶句です。
しばらくたって、詳細な案内が届き、そこに「燕の子」という兼題が書かれていました。
「燕の子」。これは難しかったです。
何故かと言うと、燕は空を飛び、川面を掠め、岩場を反転し、街に憩いという具合に、背景を選びません。
ところが子燕は家に貼りついています。巣の中でぎゃあぎゃあと餌を求めて朝から晩まで大きな口を開いて啼き叫んでいるばかり。
どうしても燕の子と限定されると、子燕自体を詠むか、その巣のある家もろともに詠むか。あるいは親の献身的な愛を詠むか。
そんな具合に大変限られてきます。それでも何とか三〇句位作りました。
せはしなきつばくらの子の甘え啼き
どの家の倉も土落ちつばめの子
畳屋に一人留守居やつばめの子
から松に風のひと日やつばめの子
子つばめや水に始まる朝仕度
などなど。
しかし、どれも何処かで誰かが、あるいは自分がいつか作ったような句ばかり。燕の子の常識を抜けていません。
試みに歳時記を幾つか見てみました。するとやはり似た傾向ばかりでした。けれども、さすがに素晴らしい句もあります。
燕子の啼けばさみしき留守居かな ゆや女
これが家と燕の子の関係では一番心ひかれる句でした。否、これに尽きるとまで感服した句です。多くの歳時記編集者もそう思ったのでしょう。幾つかの歳時記に掲載されています。
その他の歳時記を当っているうちにとんでもない句を見つけました。
真つ暗な幾夜を経たる燕の子 広瀬直人
なんと今度の俳句王国の主宰の句です。
これは実に名句です。家と燕の子の関係でなく、燕の子の<いのち>そのものに肉薄しているではありませんか。そしてそこに作者自身のいのちも投影されています。
わたしはこの時点で俳句を<作る>ことを捨てました。その代わり偶然の出会いの可能性に賭けたのです。つまり俳句が向こうから転がりこんでくるのを待つことにしたのです。
たまたま、同窓会名簿がわが家に届きました。そこでそのまま
同窓会名簿届きぬつばめの子
とまとめたのです。
同窓会名簿とつばめの子の出会いに果たして俳句としての妙味があるかどうか。その判断は当日の出演者や広瀬先生に委ねることにしました。
ですから、俳句王国には
同窓会名簿届きぬつばめの子
炎天の海へ身の幅ほどの径
の二句を投句したのです。
日は流れ、航空券も届き、いよいよ本番の日が近づいてきました。
何しろ、気が小さく、人見知りの激しい、言いたいことも口に出来ない質のわたしです(嘘を言うなという声も聞こえますが・・・)。当日が近づくにつれ次第にプレッシャーを感じてきました。
土壇場になれば、えい、ままよと開き直れるのですが、それまでの期間。これが大変です。
毎年ソロ・リサイタルをされる演奏家に聞いても同様のことを言われます。ましてや素人のわたしが緊張しないはずがありません。
そして、いよいよ七月十九日。松山へ向かう日。生放送の前の日です。小牧空港からホッカー50という小さな小さなプロペラ飛行機で梅雨雲の上を一路松山へ向かいました。眼下を見下ろすと、山頂から次々に雲が湧いて、なかなか興味深い景色。
松山市は中心に城山があり、道路を市電が縦横に走るという風情のある街でした。
ちょっと岐阜市に似ています。
俳句を革新した正岡子規、その薫陶を受けた高浜虚子と河東碧梧桐の出身地で近代俳句誕生の地です。
「俳句王国」が松山局で制作される理由もここにあるのでしょう。
空港に降り立った時は正午過ぎ。指定されたホテルに向かう途中の料理屋で昼御飯を食べながら、緊張と暑さでからからの喉を麦酒で湿らせました。
ホテルはお堀を隔てて目の前がNHKというとても便利な場所。松山駅から道後温泉に行く途中にあります。
スケジュールは以下の通り。
十九日
16:30 出演者集合 顔合わせ・打ち合わせ
17:00 スタジオにてリハーサル
18:30 夕食・親睦会
二十日
8:45 出演者集合
9:45 カメラリハーサル
11:00 本番
11:53 終了
12:15 出演者昼食会
以上で全日程が終了です。
出演は司会がNHKの鈴木桂一郎アナウンサー。
アシスタントは俳句界のマドンナ、俳人の大高翔さん。
主宰が「白露」主宰の広瀬直人先生。「白露」は飯田蛇笏・龍太親子の「雲母」を引き継いだ名門結社。
ゲストが声優の白石冬美さん(「巨人の星」の星明子の声など多数)。
その他わたしを含めて五名の出演者。
青森の船水ゆきさん、神奈川の石田わたるさん、愛媛の山内功さん、兵庫の岡崎淳子さん、そして愛知の三島広志。
以上九名。鈴木アナ以外は俳句を投句します。
会議室での最初の顔合わせ。
今回の撮影の現場をしきるのが電話を下さったSさん。彼女からいろいろな説明がありました。
「番組の内容に関しては皆さん既にテレビで御覧になっておられると思いますから細かいことは申しません」
「あのー・・・・」
おずおずと手を上げるわたし。
「わが家ではBS映らないんで、未だ見たことがないんです。内容が全然分からないんですが」
「えっ!」
一瞬凍りつく室内。
「見たことがないって、そんな方は初めてですよ」
信じられないという顔のスタッフ一同。
予習をしてこなかったことに恥じ入る小心なわたし。
ともかく、自己紹介をして簡単な打ち合わせ。
スタジオでは撮影用のセットが作られているので、各人席に着き、本番の冒頭の部分の打ち合わせと練習。
「船水さんは青森からお越しですね。青森と言えばそろそろねぶたの季節ですが、地元ではすでに盛り上がっていますか」
「はい、地元ではねぶたの製作真っ最中です。もうみんな待ち遠しくてたまりません」
「と、こんな具合にすすめていきますね」と鈴木アナ。
こうして順に本番に備えての挨拶と質問を続けていきました。
その時はざっと済ませたのですが、夜の会食の際にもう一度鈴木アナから質問があり、いろいろ話し合い、結局、というか当然と申すべきか最終的にまとまったのは本番前のリハーサルでした。
船水さん以外の方はざっと次のよう。
「神奈川の石田さんはどんな俳句を目指しておられますか」
「現在は市役所に勤めています。しかし農村に住んでいるのでゆくゆくは生活に根ざした俳句を作りたいです」
と公務員らしく実直に答えられました。話の上手な方です。
「どう言うきっかけで俳句を始められましたか」
と尋ねられたのは地元愛媛の山内さん。いかにも田舎の先生という味わい。
「退職記念の旅行で啄木の渋民村を訪れたとき、初めて俳句を作り、それ以来親しんでいます」
「俳句を詠むこともさることながら、人の句を鑑賞するのが好き」
と言われる岡崎さんは兵庫から。上品なご婦人。
「最近、今日の主宰の広瀬先生の「早苗四五本挿すように置くように(表記不明)」の句に大変ひかれました。本当に農民の気持ちになって作られておられます」
「三島さんは俳句に対してどんな理念をお持ちでしょうか」
「ある歳時記に稲刈りのことを風情のある作業というような書き方がしてありました。しかし、それはおかしい。その著者は大変な労働である農作業を傍観者として句の材料としてしか見ていないのではないか。傍観者ではない俳句を作りたいですね」
「全く賛成ですね」
と主宰。
「こんな感じでいきましょう」
と鈴木アナ。
次に二句選んだ俳句を読み上げる練習。
最初に自分の名を名乗ってから、選んだ俳句を二回繰り返して読み上げると言う指示がありました。俳句は過去の放送で使われたものを利用しました。本番の句はまだ見せてもらえません。
過去の放送で用いた句を使って、選び、講評するという練習もしました。本番さながらの取り組み。
簡単に講評などをしたところでリハーサルはおしまい。あとはぶっつけ本番です。
なにしろ、当日わたし達が選ぶべき俳句は本番前十分に渡されるのです。選と講評は全てアドリブ。これは結構きついものがあります。
初日のリハーサルの後は、親睦会。互いに初対面ですから緊張を緩めるために気楽な会食が設けられ
ていました。素人をテレビに出すのですからスタッフの人達の苦労も並々ならないものがあることでしょう。
われわれは流れに乗ればいいのだから楽と言えば楽です。
以前、NHK俳壇という教育テレビの番組に出たことがあります。主宰は黒田杏子先生でした。
その時感じたのは、司会者というのは確かにプロの仕事人だということです。その折も俳句を読む練習をしただけで、後は全てアドリブだけでした。それでも司会者がきっちり三〇分にまとめて終了し、一切の編集は不用でした。
前回は自分の句を投ぜず、全国から送られてきた俳句を選んで講評することと、生放送ではなく録画であることが今回とは大きな違いでした。
今回は生放送で自分の出した句の良し悪しが晒されるのです。
親睦会には声優の白石冬美さんも間に合って参加されました。その席で「巨人の星」の明子姉さんの声や、「明日のジョー」のサチという女の子の声を惜しみなく実演。アニメファンなら垂涎もの。
親睦会の後は二次会へ。
実は親睦会の後、松山在の夏井いつきという俳人と会って、夜の松山で飲む約束をしていました。以前から互いのことはよく知っていながら、未だ一度も会ったことがなかったので、この機会に会うことにしたのです。しかもどうせなら飲める夜ということで。
しかし、NHKの方がいつきさんのことをよく知っているので「いつきと会うなら、彼女も合流しよう」
ということになり、わたしといつきさんのデートはまたの機会におあずけになってしまいました。
二次会に参加したのは鈴木アナと「俳句王国」のドン村重部長、わたしといつきさんと一緒に出演した神奈川の石田さん、さらにこれは重大秘密なのですが、奥さんやお弟子さんからお酒を禁じられている広瀬主宰。
広瀬主宰の略歴
ひろせ なおと 昭和四(一九二九)年~。山梨県一宮町生れ。本名直瀬。東京高等師範学校文化二部卒。戦後、飯田蛇笏に師事、「雲母」に投句。同三六年「雲母」同人。蛇笏没後は飯田龍太に師事し、平成四年「雲母」終刊まで編集に従事。同五年、「雲母」後継誌の「白露」を創刊主宰。自然と生活に根ざした風土の世界を的確に詠むところに特色がある。句集「帰路」「日の鳥」「朝の川」、評論集「飯田龍太の俳句」など。
さて、当日の句は以下の通りです。
兼題と自由題の二回にわたって句会を行いました。テレビに映っていることを忘れて、けっこう忌憚無く意見を言い合ったものです。
兼題「燕の子」
燕の子店の奥にもゐるといふ 石田
人工島生まれの子燕五つの嘴(はし) 岡崎
燕の子姿隠して親を待つ 船水
同窓会名簿届きぬつばめの子 三島
子燕や園児しずまる給食時 山内
燕の子わかれも告げず発ちにけり 白石
子燕のそれぞれのくち菱形に 大高
燕の子飛び立つそこに天守閣 広瀬
自由題
扉あけ白きもの出す冷蔵庫 船水
炎天の海へ身の幅ほどの径 三島
球児には一重瞼の似合う夏 白石
薔薇散るを待ってアトリエ毀されて(こわされて) 岡崎
躊躇して夏草に入るブルドーザー 大高
敏感に日の差しわたる単帯 広瀬
甚平にまずは朝刊読むとせり 石田
天をさすアガパンサスの妣の彩(ははのいろ) 山内
放映の内容はあえて細々とは書きません。しかし、テレビを御覧になった方からたくさんメールをいただきました。その幾つかを紹介して稿を終えたいと思います。
いつもの先生なのに、テレビを通して見るのはすごく不思議な気分でした。 あれは台詞とか全然用意してない番組ですよね?
・・・・そうです。ほとんどアドリブ。
先生の俳句、けっこうポイントとってましたね。さすが。俳句の番組を見た事がなかったので、あんなふうに進行するんだ、と感心してました。 (批評する間)俳人の名前を出さないところがスリルですね。うちの父は先生を見て、「指圧師というより大学の先生に見える」と言ってました。
・・・・大学の先生よりモデルか俳優と言って欲しかった(笑)。
(拙句「炎天の海へ」の句に関して) 広瀬先生と三島さんのやり取り、「や」 と「の」 あつかい、いつもながらの静かさの中に、はっきりと答えを出され感心いたしました。
・・・・この方も以前、俳句王国に出演されました。
今日、Eさんが俳句王国のビデオを持ってきてくれましたので一緒に見ました。さすが三島さん、最初の講評の後で思わず二人で拍手をしてしまいました(これって変?)。
なんとなくいいではなく、きちんと理論的でかつ具体的で人の気持ちを汲んだ講評。それに(いつもそうですが)、とても素敵にうつっていました。
・・・・ここまでお誉めいただくと、恥ずかしいです。
とても落ち着いていたように見えましたがきっとあれでもあがっていたんでしょうね。高点句もあってとても良かったです。いつもは主宰と芸能人ゲストが軽口をいいあうことはあってもメンバーが和気藹々とした感じはあまりないと思うのですが今回はいい雰囲気でしたね。他のみんなも落ち着いていたようで見ているほうも安心して見ていました。たまに”ああ気の毒”という人もいてどきどきするのです。
燕の子 の 保育園の句に点が集まっていましたが保育園で給食という時間は重要な指導の時間で保育者にとってはとても静かな時間とは言えません。最も忙しく騒々しい時間なので共感できませんでした。
でもそれこそ外部の人にしてみれば園庭に子どもの声がしないので静かに感じるのでしょうね。
とてもいい句なのに三島さんが採らないからきっと 炎天の の句は三島さんの作だろうと思っていました。まぶしい海と真っ青な空が目の前にぱっと広がる一瞬が感じられて私もいい句だと思いました。
・・・・とても丁寧に見てくださいました。見かけだけでなく内容も踏みこんで。
バッチリ見ました!本当にテレビ映り良かったですが、普段見た事無いような服着て床屋に行かれたんじゃー当たり前ですよね。俳句って案外簡単かも!?(って詠めませんけどね)
自由句の「炎天の…」の句は、子供の頃に住んでた清水で毎日の様に行っていた海岸の事を思いださせ良い句でした。正にあんな感じ。また行って見たくなりました
・・・・俳句を全く知らない若い女性の感想です。
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後記
広瀬先生、鈴木アナウンサー、大高さん、船水さん、石田さん、山内さん、岡崎さん、そしてNHKの皆さん、出演を薦めて下さった黒田杏子先生。
本当に貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました。
この稿を書き終えた日、くしくも立秋でした。身辺を過ぎる風も暑いながらどことなく秋の気配。
残りの夏、惜しみながらお過ごし下さい。
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