游氣風信 No,147 2002,3,1 木津川計先生再び
先月号では日本の高度成長を支えた世代の人々に愛された歌についての面白く含蓄ある考察を紹介しました。
今の高齢者たちが子どもの時、
「身を立て 名を上げ やよ励めよ(仰げば尊し)」
と立身出世を目指すように世に送りだされ、
「しばしも休まず つち打つひびき(村の鍛冶屋)」
と、急き立てられるように働きました。
時に故郷を懐かしく思い出しても故郷は
「こころざしを果たして いつの日か帰らん(故郷)」
というように志を果たして帰る場所。子ども達は帰るところがありません。
こうして働くことのみが美徳であった世代が今老境を迎えている。先月号はこんな内容でした。
それはラジオで聞きかじった木津川計先生のお話を記憶だけに頼って紹介したもので、正確さに著しく欠けている心配がありました。
ところがほどなく木津川先生ご本人からお手紙が届き、「游氣風信」の内容はおおむね正しいとお墨付きをいただくことができました。
なぜ何の面識も無い木津川先生からお墨付きがいただけたか、その理由は以下の通りです。
わたしは「游氣風信」に紹介した本や新聞記事などは礼儀として極力本家本元に送付して、引用させて頂いた旨の報告をしています。住所が分かっている時は作者に直接、そうでない時は出版社などに気付で送ります。
先月号で参考にさせていただいた先生のお話は大阪の放送局から電波に乗って運転中のわたしの耳に届いたものですから、NHK大阪放送局気付で木津川先生宛に送ったのです。
するとご丁寧にも木津川先生ご本人からお返事が届きました。
今までにもそうしたことはありましたが、そんな時は大変うれしいものです。
木津川先生のお手紙は生でお見せしたいほどの見事な筆跡。いかにも作家という書体で、永六輔さんにも似た感じです。
その手紙の中で先生は
「前後少し違うところもあるが大方はこの通り」
と、書いてくださったのです。
これがわたしがお墨付きと威張っている所以です。
さらにご親切にもご自身の書かれた岩波書店からの共著「定年後」(1999年1月刊)のコピーを送ってくださいました。
先月号は私見と先生のご意見がないまぜになっていて、木津川計という学者にとっては実に迷惑なこと。場合によっては業績を汚すことにもなりかねません。
「游氣風信」はわずか200部ほどの治療室便りとは申せ、そんなことになってはいけないので改めて先生のご意見をご紹介したいと思います。
まずは木津川先生の略歴
木津川 計(きづがわ けい)
1935年生まれ、大阪市立大学文学部社会学科卒業。1968年、雑誌「上方芸能」創刊。
1999年3月まで編集長・編集発行人。
現在は立命館大学産業社会学部教授。「上方芸能」代表、発行人。
芸術選奨文部大臣賞選考委員。
主著に「上方の笑い」(講談社現代新書)「人間と文化」(岩波書店)「<趣味>
の社会学」(日本経済新聞社)その他多数。
受賞歴に京都市芸術功労賞 京都新聞文化賞 大阪市文化功労市民表彰 第46回菊地寛賞など。
現在NHKラジオの「木津川計のラジオエッセイ」と「ネットワーク関西」コメンテーターにレギュラー出演されています。
わたしが拝聴したのは「ネットワーク関西」ではないかと思います。月曜の午後3時頃でした。
先生は鍼や指圧を利用されることもあるそうです。これはわれわれにとって心強いことです。
さて、ここからはコピーを送っていただいた先生の文章を抜粋してご紹介していきます。
この文のタイトルは以下の通りです。
定年前と定年後
<趣味力>の発見
・・・・「無芸退職」にならないために・・・・
ここから後は木津川先生の論文の各章の見出しとその中の重要と思われる文章を引用します。
それに対してのわたしの一言を※印のあと(三島)として述べます。
’企業戦士‘たちの落日
高度成長のまっ只中、一九六五年を中心に振り返ってみよう。
振り返れば、高度経済成長期の一兵卒であった。
思えば、低賃金によく耐えた。長時間労働に歯を食いしばった。
耐えきれず、泣きたくなったときも、涙がこぼれないように「上を向いて歩こう」を口ずさんだ。
趣味にふけり、楽しむいとまなど、およそ考えられなかった。
戦後日本の資本主義は、だから無趣味な人間を大量に生み出し、無芸大食ならぬ”無芸退職”を強いて、不器用極まる退職後の生活を地上に広げたのである。
※
(三島)木津川先生は高度経済成長を支え、現在定年を迎えようとしている人達に語りかけています。このまま退職してはその後の人生が大変になるとの警鐘です。
’禁じられた遊び‘の国、日本
この本の版元・岩波書店が「広辞苑」第一版を上梓したのは一九五五年(昭和三〇)である。<趣味>をどう説明していたのか眺めてみよう。
<趣味>
1 感興をひき起こすべき状態。おもしろみ。あじわい。おもむき。
2 美的対象を鑑賞し批判する能力。
いま私たちが使うhobby(実技的趣味)としての意味はまったくない。あるのは、雅趣に富む状態と、それを見分けるtaste(趣味的感性)の意味だけである。
ところが、手許にある第二版補訂版(一九七六年・昭和五一)では次のような説明になっている。
<趣味>
1 感興をさそう状態。おもむき。
2 美的な感覚のもち方。このみ。
3 専門家としてでなく、楽しみとしてする事柄。
ということは一九五〇年代から六〇年代まで、ホビーとしての趣味は認められていず、楽しむことを許されていなかったことを意味してもいるのだ。
かくして、わたしたちの国に、豊かな趣味を持ち合わせた人は育たず、わずかに例外として「趣味人」を寄生させてある種変わり者めいた見方で眺めてきたのである。
※
(三島)この章では<趣味>がわが国のこの時代では正当に認知されたかったことを年代別の辞書を元に明らかにされています。
歯がために金はいる
「人生五十年」もむべなるかな。明治の三〇年代、この国の平均寿命は三十七、八歳といわれた。むろん、乳幼児の死亡率ゆえであったが、「広辞苑」の初版(昭和三〇)は「初老」を「四〇歳の異称」とだけ記して、つれない。
わが国の平均寿命はなお伸び、女性は八三・八二歳、男性七七・一九歳、世界一の長寿国を保っている、と厚生省は九八年八月に発表したのである。「人生五十年」は伝説になり、いまや「人生八十年」時代に突入したのである。
どれほどの楽天家であろうと、しのび寄る老いを五〇代に自覚して、ふと将来の不安に閉ざされるときがあろう。一般的に、老後の主な不安とはどういうものか、を挙げてみよう。
1 身体機能の衰弱。
2 精神機能の衰え。
3 収入の減少。
4 孤独への予感。
5 死の恐怖。以上の五つであろう。
年がいくにつれてお金を使うことはないだろうと思っていた。五年前、残せる歯を頼りに差し歯を施したら、きっちり一〇〇万円かかったのにうめいた。「歯がために金はいる」のである。
※
(三島)「歯がために金はいる」とは秀逸な見出しです。 介護も医療も人手が必要です。日本は最も人件費の高い国。本当にお金があるかないかで老後の過ごしやすさは大幅に違ってくるでしょう。
わたしは現在十名ほどの訪問リハビリをしています。過去二十年間100名以上の訪問リハビリをしてきました。その印象からすれば家庭の経済力が介護には相当に影響することは間違いありません。医療費は保険によってほとんど補填されますからいいのですが、ベッドや室内の改造、ヘルパーの手配などは雲泥の差がでます。
介護保険によって随分介護が楽になりつつありますが、やはり経済力格差には目を覆いたくなる部分もあります。特に跡取りのいない自営業の老後の暮らしの厳しさはサラリーマンを勤め上げて十分な年金を得ている方からは想像もできないでしょう。
国に任せるだけではなく、自覚して老後の経済設計をしなければなりませんが、その日の暮らしでやっとという方がほとんどなのです。それは何故か。次の章がその説明になります。
子どもへの対し方・・・ほどこし型から見守り型へ
だから貧しい老人は早く朽ち果てねばならないのか。そうではない訳を述べる。
いつだって人間は難儀と楽しみを混ぜ合わせて背負ってきたのだ。戦場体験のない戦後第一世代である現在の六〇代は、玉砕の恐怖から免れたのを幸いとするが、高度成長(戦争)の一兵卒として酷使されてきたのである。
謳歌するする青春ももちろんあった。ひもじい経験はなく、「消費は美徳」の風潮に酩酊もした。だが、経済企画庁がまとめた九六年度の国民生活選好度調査によると「自分の老後に明るい見通しを持っている」五〇歳代は二二・七%(男性)に過ぎず、四〇歳代にいたっては十五・四%(男性)でしかない。圧倒的多数の老後を悲観的見通しに追いやる経済大国とはいったい何だ、の疑問は誰にも膨らむ。
定年後の生き甲斐とは、どう言う諸条件に満たされたとき得られるものであろう。
並列するなら、次の六点に尽きる。
1 健康
2 経済的ゆとり
3 時間的ゆとり
4 人間的社会的つながり
5 家族の支え
6 張りのある日常
年金の給付は二〇〇一年度から十三年度にかけ段階的に六五歳まで引き上げられるのである。公的年金改革の大枠を決めた九七年の財政構造改革会議はさらに、支給開始年齢を六七歳に、しかも支給額制限で意見の一致を見ているのだ。四〇歳代の大方が暗い見通ししか持てないのも当たり前ではないか。
定年後の生活を経済的に安心して送られるかどうかは、何より政治の責任であること明白としたうえで、個人の自覚と対応もまた必要であることを説かねばならないのがつらい。
「おおざっばな試算によれば、親世代が遺産や結婚資金などの援助に出す総額はざっと年間二五兆円。厚生年金などの年金保険料搬出の総額に匹敵する。親世代はこれだけ貢ぎ続け、老後は子供世代から年金を受けることで収支バランスをとってきた(東大宮島洋教授)」
ところが今後は逆補助金に見合う年金は得られない見通しなのだ。しかも、中年世代は親の終末を看取る最後の世代だるとともに、子どもに看取られない最初の世代であることも心得ておいたほうがよい。
※
(三島)引用していて暗澹たる気分なるところです。木津川先生は話芸の名手です。明るくゆかいに端的に語るお話は見事なものです。しかし、ご本業の研究テーマとなると厳しいものです。
さて、ではどうしたらいいとおっしゃるのでしょうか。
<趣味力>と<老人力>・・・中年よ体をきたえておけ
無目的で、何をしていいかわからない老後を迎えないために、生き甲斐の条件6 張りのある日常を送ることが大切だ。では、張りとは何か。具体的に指摘するなら、
1 趣味、
2 学習、
3 ボランティア、
4 スポーツ、
のいずれか、あるいはいくつかである。
退職後の生活を「余生」、余った人生とは言うなという方がおられて、私も従う。
趣味にふけり、楽しむことを奪われてきただけに、人間性回復の新たな生活を取り戻すのである。
定年後には敵の一つである多忙はない。すると、悠々たる後半生を送れるのか。そうではない。公的年金も医療も介護も行く先は暗い。どうやら、団塊の世代が管理社会の桎梏から解放される定年後、もうひとつの働きの戦いが控えていると私には思えて仕方がない。 高齢社会の、やがて主力世代が貧困の老人政策でしか対処されないとき、若き日の血が蘇る。そのとき期待され、発揮されるべきが文字通り<老人力>なのである。
物忘れがひどくなったのを「忘却力が強くなった」と言い換えても、所詮は気休めでしかあるまい。人間に張りを与え、生き甲斐を提供してくれる<趣味力>と相俟って二つの力を共同させ、もっぱらは直面する貧乏を、後続世代たちのためには多忙を地上から一掃するのである。
<趣味力>と<老人力>を発揮できるために、「中年よ、体をきたえておけ」
※
(三島)つまるところ、木津川先生は来たる老後のためには基礎体力を鍛えておけと結論付けられました。
これからの老人は社会から期待される存在であるべきなのでしょう。もはや老人とは社会から庇護されるだけの存在としては許されなくなるでしょう。
わたしは老人にとってもうひとつ提案したいと思います。それは木津川先生のご専門の落語など人生を豊にするユーモアです。健康的なユーモア、皮肉なユーモア、知的なユーモア。こうしたユーモアを解する心の若さを保ちたいものです。老人は身も心も硬直しがちです。それをほぐしてくれるのがユーモア。
木津川先生のお話はいつもユーモアに満ちています。今回ご紹介した中にも「誰がために鐘はなる」のもじり「歯がために金はいる」などは極めて上質なユーモアです。
戦後、日本がどん底にあった時代でも漫才や落語が庶民を励まし支えてきたことでしょう。今、社会の底辺をきっちり支えてくれるような笑いがありません。不況を吹き飛ばしてくれるような笑いがないのです。
実は戦後十年ごとに笑いのブームがあり、今はそのブームが起きてもおかしくないにもかかわらずブームが発生しないとは、これも木津川先生のご意見です。
後記
今月号は、木津川先生の論文をとことん紹介させて頂きました。先生のご意見を正当にお伝えできるよう引用しながらまとめたつもりです。
なぜここまでご紹介させていただいたか。その理由はこうです。
本来、学者にとって論文は命がけ、もし間違えた論を提出すれば再起不能とも言うべき厳しい世界です。先月号のわたしの安直な引用が先生の論を歪めていたとすれば大変なことです。
そこで今月は敢えて原文をそのまま忠実に抜粋して使用させていただきました。
木津川先生には二ヶ月にわたってお世話になりました。まことに勝手なことでした。心よりお礼申し上げます。
今年は花が早く咲きました。そして落ち着いて見る暇も無く散っていきました。
毎年ゆっくり花を見ていないような気がします。
ゆとり・・・大切ですよね。ご自愛下さい。
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