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2011年7月19日 (火)

游氣風信 No,146,2002,,2,1  心のうた


 そろそろ卒業のシーズン。

 様々な別れがあることでしょう。

 その後にはまた新たな出会い。

 

 この頃になるといつも思い出すことがあります。

 それは卒業式で歌う、否、歌わされた歌のこと。

 卒業生は「仰げば尊し(作詞者・作曲者不詳)」、在校生は「蛍の光(作詞者不詳・スコットランド民謡)」。

 

 この儀式は小学校も中学校も同じだったと記憶しています。

 わたしは小学校の時に強制された「仰げば尊し」に、強く反感を抱いていました。

何故なら小学校の五・六年の時の担任教師のことをちっとも尊いと思えなかったからです。

 

 その年配の男性教師はまともに授業をしませんでした。

 それだけでなく言うことに常に裏表があり、父兄に見せる顔と子ども達に見せる顔の落差。

 いつも教卓に腰かけてぼうっとしており、その姿勢は怠惰で生きる情熱が見られず、個人的な愚痴と偏見のみを児童に語りかけている、子どもから見て実につまらない人物に思えたのです。

 

 それなのに

  仰げば尊し 我が師の恩

と歌えと言われても釈然としなかったのは当然です。

 これなら昨今流行った

  仰げば尊し 和菓子の恩

の駄洒落の方がまだましというものです。

 

 その教師に対する思いだけではありません。

  身を立て 名を上げ やよ励めよ

という、立身出世の鼓舞に満ちた歌詞も嫌いでした。

 

 ですから、卒業の頃になるといつもこんなつまらない思い出が脳裏に蘇るのです。

 この鬱屈した思いは自分だけの考えか、能力が無くてどうにも出世出来そうも無いひがみ根性から発生しているのかと思っていたら、ある時まさに我が意を得たりという話を聴きました。 

 

 それは昨年のことで、もうずいぶん前のことになります。

 訪問リハビリの途中、車を運転中にNHKラジオを聴いていた折りのことでした。

 その放送は関西の放送局から発信されたものです。

 語り手は上方芸能の専門家で大学で講義をしておられる方。

 たまたまその日は国民に愛されてきた歌についての話題で、歌と戦前・戦後の日本を支えてこられた高齢者の方の人生を重ねた楽しい語りでした。

 

 今月はそのお話をご紹介しようと思います。

 お話をされた方は元「上方芸能」編集長の木津川計さん。

 何かのアンケートで日本人、特に高齢の方に人気のある歌について以下のように話されました。

 人気のある歌の中に(ベスト10だったかもしれません)

 

 仰げば尊し

 故郷(ふるさと)

 村の鍛冶屋

 赤とんぼ

 王将

 川の流れのように

 

などがあるとのこと。

 その上方芸能を研究しておられる木津川計先生は以上の歌と人生をからめて面白いストーリーを考えられました。

 

 以下は木津川計先生のお話を記憶に基づいて書いたものです。聴き違えがあるかもしれません。 その時はご容赦。

 

 昔、つまり今の高齢者が子どもだった頃。子ども達は小学校や中学校を「仰げば尊し」を歌って卒業しました。

 当時、まだまだ日本は貧しく戦後の復興のために一生懸命働かなければなりませんでした。ですからこの歌も「仰げば尊し」と師に対するお礼だけでなく、

  身を立て 名を上げ やよ励めよ

と子どもの頃から一生懸命働け働けと言われながら学校を追われます。働いて立身出世せよと送り出されるのです。

 

 そうして多くの子ども達は都会に出ました。

 仕事は辛く厳しく、毎日毎日朝早くから、夜遅くまで働きます。

 そうは言ってもそこは幼い子ども達。時には故郷の両親や友達、自然を懐かしむことでしょう。

 そんな時に思わず口をついて出てくる歌が「故郷(高野辰之 作詞 岡野貞一 作曲)」。

 

  うさぎ追いし かの山 

  小鮒釣りし かの川

  夢はいまも めぐりて 

  忘れがたき 故郷

 

 こうして懐かしく故郷を思いながら歌うのですが三番になるとこうなります。

 

  こころざしを果たして 

  いつの日にか帰らん

  山はあおき 故郷 

  水は清き故郷

 

 国を離れた子ども達にとって、ふるさとは志を果たして、いつの日にか帰る場所なのです。これではいつまで経ってもふるさとに帰ることはできません。ここにも立身出世の教えが聳え立っているのです。

 

 それどころか

  しばしも休まず つち打つひびき

  飛び散る火花よ 走る湯玉

  ふいごの風さえ 息をもつがず

  仕事に精出す 村のかじ屋

と、「村の鍛冶屋(作詞・作曲者不詳)」に歌われているように休まず働け働けと鞭

打たれます。こうした人達が高度成長期を支えたのです。

 

  明日は東京に 出で行くからは

  なにがなんでも 勝たねばならぬ

 

 吹けば飛ぶような将棋の駒に賭けた「王将(西条八十 作詞 船村徹 作曲 村田英雄 歌)」の心意気もその当時の歌です。

 

 そんな時、本当に心を癒してくれる故郷の歌。

 これが「赤とんぼ(三木露風 作詞 山田耕作 作曲)」。

 

  夕やけこやけの 赤とんぼ

  負われて見たのは いつの日か

 

 子どもの頃、母か姉に背負われて夕空を舞う赤蜻蛉の群れを歌っています。

 

  山の畑の 桑の実を 

  小籠に摘んだは まぼろしか

 

 この歌は故郷を心底恋う歌です。ここには立身出世の匂いは全くありません。あるのは郷愁とさびしさ。

 

  十五で姐やは 嫁に行き

  お里のたよりも 絶えはてた

 

  夕やけ小やけの 赤とんぼ 

  とまっているよ 竿の先

 

 故郷を出た少年達は、父母が恋しくなったとき、赤とんぼの歌を歌うことでひとときの懐かしさにひたることができたのです。

 

 結局はほとんどの人は出世することも無く、ごく平凡でまっとうな人生を過ごしました。

 確かに出世はしなかったが社会の一員として戦後の復興や高度成長を支えたという自負があることでしょう。

 

  吹けば飛ぶような 将棋の駒に

  賭けた命を 笑わば笑え

 

 たとえ「歩」のような将棋の一駒でも意気地はあるのです(王将)。

 そうして頑張って人生を歩まれた方が、今は老境にあって自らの人生をゆっくりと振り返ります。

 楽しかったことも苦しかったこともあった。

 嬉しかったことも悲しかったこともあった。

 しかし、我が人生に悔いは無い。

 

 こんな思いを代弁してくれるのが美空ひばりが最後に遺した歌「川の流れのように(秋元 康 作詞 見岳 章 作曲)」です。

 

  知らず知らず 歩いて来た

  細く長いこの道

  振り返れば 遥か遠く

  故郷が見える

 

 こうして人生の山河を上り下りしてふと振りかえるのが故郷なのでしょう。

 

  でこぼこ道や 曲がりくねった道

  地図さえない それもまた 人生

 

人生は曲がりくねったでこぼこ道。しかし苦難を過ぎてみればまるで川の流れのようにとうとうたる人生。

 

  ああ 川の流れのように

  ゆるやかに

  いくつも時代は過ぎて

  ああ 川の流れのように

  とめどなく

  空が黄昏に染まるだけ

  生きることは 旅すること

  終わりのないこの道

  愛する人 そばに連れて

  夢探しながら

 

 こうして己の力を一杯に出し切って生きてきた自負。

 おだやかな時に身を委ねる豊かさ。

 

  ああ 川の流れのように

  おだやかに

  この身をまかせていたい

 

 美空さん、最後に、わたしたちに本当にいい曲を遺して逝かれました・・・と木津川先生はまとめてお話を終えられました。

 

 運転中に聞いた話ですから、途中、道路状況によっては外に集中して聞き漏らしたところも一杯あったでしょう。

 記憶に曖昧な点もあります。

 しかし、関西訛りの語り口とあいまってほのぼのとした気分にしてくれる素晴らしいお話でした。

 

 ただひたすら働くことを強要された世代の人々が今老境にあって生きる楽しみを見つけられない。

 趣味が持てない。

 それはなぜか?

というのが話の最初の趣旨だったような気もします。

 

 趣味とかゆとりとかが許されなかった世代。

 大正や明治もっと古く江戸時代の人々の方がはるかに趣味を持って人生を豊かにしていました。なのに今の高齢者はそうしたゆとりを時代から与えられなかったのでしょうか。

 

これから老境即ち人生の荷を下ろしてやれやれと暮らす毎日の楽しみが「水戸黄門」くらいではあまりに寂しいものです。

 

 現在老境にある方も、これから老境に向かう方も、まだまだ若い方も、人生を豊かにする工夫をしたいものです。

 

 人生を豊かに過ごす基本は人から頼りにされることでしょう。

 つまり人と関わって社会に生きている実感を味わう事です。

 そのきっかけが趣味でも仕事でもかまいません。

 社会から評価されたときその仕事や趣味あるいは生き方自体が「生きがい」として人生の味わいになります。

 

 例え病気で寝たきりでも人に感動を与える人は大勢います。

 人から与えられることを待っていても人生は決して豊かにはならないでしょう。

 わたしも常に自分から、今日から、何かを始めたいと心がけたいと思います。

 唐突な言い方になりますが、 それこそが自分の人生という舞台を芸術化できる方法だからです。

 もちろん、そこでの主役は自分自身です。

 

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