游氣風信 No,145 2002,1,1 冬・一月のうた
三島治療室便り
2002年、平成14年最初の游氣風信です。
通算145号、十三年目に入ります。毎号、これが最後かなと思いながら書いています。
今年も一号一号積み上げていきたいと思っています。
先月号の「身体論」はいかがでしたか。
同業者や武道をやっているような専門家を除くと「難しかった」、「よく分からなかった」という意見が大勢を占めていました。興味の無い人には全くつまらないものであったかと深く反省しています。
反面、「游氣風信」は読者のことを考慮せず、自分の好きなことだけを書きつづけてきたが故に145号まで続いたというのも事実です。
とはいえ、正月早々つまらない文章で頭を痛くすることは実につまらないことなので、今月は冬や新年や一月に因んだ詩歌を幾つか紹介して、前回のお口直しをしていただこうと思います。
まずは本箱から引っ張り出した白秋詩集。
白樺
北原白秋
清しきは雪に立つもの、
白樺の林よ、げに
しろき木肌、
そは真処女。
幽けさよ、雪の渓に
直立ち、ほそき幹の
雪よりも光帯びて。
(三連略)
白夜ともほのあかる
空ひととき、
白樺の林よ、げに
光る神々。
清明古調と題された中の作品です。
初めて読みましたが、その名の通り、清明なすがすがしさを感じさせます。
特に新年を詠んだ作品でもなく、一月という言葉もありませんが、清新な気分に浸ることができるでしょう。
木肌(こはだ)、真処女(まおとめ)、幽(かす)けさ、直立(すぐた)ち、白夜
(はくや)とルビがふってあります。
漢文調ながら、調べは大和言葉にこだわっています。それがなおさら清明な感じを醸しているようです。
雪の中に立つ白樺の美しさはどなたも一度はご覧になったことがあるでしょう。
輝く雪の中、ことさら光を放つ白樺。
暗い世相ばかりが喧伝されています。しかし今年は雪に輝く白樺のような一年でありたいものです。
次に一月の俳句を歳時記から。
歳時記は角川書店および河出書房新社のものです。
一月の川一月の谷の中 飯田龍太
これが俳句かと思われる方もあおりでしょう。これでも俳句なのです。それどころか名句として知られています。
酷寒の谷の中を流れる一本の河。全てをそぎ落とした言葉の華です。龍太は風格ある俳句で知られる飯田蛇笏の実子。親子二代で山梨の山中に住み、風土を見据えつつ人間の本質に迫っています。
蛇笏亡き甲斐の山脈寒に入る 澤井我来
前の句の作者、飯田龍太の父蛇笏はこのように大きな存在感で今日でも人々に記憶されています。龍太も質は異なりますがそれに負けない存在感を放っています。
風土とは地理と歴史の互いに浸透し合ったものです。つまり自然と人間の綾なす世界が風土なのです。
一月の陽あたる畑や風の音 大谷句仏
作者大谷句仏は戦前、東本願寺の管長だった名僧です。俳人としても知られています。
句は一月の農村の情景を素直に詠んであります。一読意味明瞭。
昼深く元日の下駄おろすなり 千葉皓史
現代を代表する中堅俳人。「昼深く」とは昼もだいぶ遅くなってという意味です。
元日、一年の初めの日をのんびり過ごし、さてこれからどこかへ行こうかと下駄を取りだして玄関に下ろしたのでしょう。正月用に新しい下駄を下ろしたのかもしれません。元日の気分が横溢しています。
元日や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介
これは元日の句として人口に膾炙した句。作者は言わずと知れた作家の芥川龍之介。
説明不能ですが元日のけだるい夕方の実感があります。
沖かけて波一つなき二日かな 久保田万太郎
二日は季語では一月二日のこと。まだまだ清新な正月の穏やかな二日です。めだたい俳句。
思はざる雪の三日の墓詣 伊達大門
今年の正月はまさにこの通りでした。愛知県では40年ぶりの正月の大雪だとか。美しい雪景色に喜べるのは雪の少ない地方、なおかつお正月という休暇だったからでしょう。故郷からの帰宅の脚は掬われました。
虚しさに似て倖はせや三ケ日 柴田白葉女
正月も三日目ともなるとどこか退屈になってきます。幸福感に満たされているもののそれはどこか虚しさをともなうのです。人が冒険を求めるのはこんな時ではないでしょうか。
作者は女流俳人の指導者的な方でした。
毛衣の四日のをんな鬼子母神 黒田杏子
四日は仕事初め。この日から仕事を始める人が多いことでしょう。作者は鬼子母神へ初詣に出かけたのでしょうか。そこで毛皮を着た女性を見かけたのです。
ただそれだけの句ですが、鬼子母神と言えばわが子を溺愛しつつ他人の子をさらって食べたという夜叉の娘です。今日的解釈をすれば動物の命を奪って作られた毛皮の衣装を着た女性がその鬼子母神に見えたのかも知れません。
作者はわたしの俳句の先生です。
水仙にかかる埃も五日かな 松本たかし
五日ともなると新年の埃も目立ってきます。作者は清楚な水仙の埃に気がついたのです。しかし、その埃も正月ならどことなく許せるような気分もあります。作者は能楽の家に生まれながら、病弱だったため、俳句の世界に生きました。
海近き汐にほひくる六日かな 長谷川湖代
六日。すでに正月も過去になりつつあります。その雰囲気と汐の匂いの配合を楽しむ句です。
煮大根のくづれ加減も七日かな 清水基吉
七草粥の日。お節料理も残骸のようになっていることでしょう。大根の煮物もすっかりだらしなく煮崩れてしまいました。しかし、それもまたおもしろがるのが俳人です。
作者は横光利一門下の芥川賞作家でもあります。わたしが最初に買った俳句の入門書は作者のものでした。
耳さとくゐて人日の雑木山 菅原鬨也
人日は七日のことです。中国の占い書に一日から順に鶏・狗・羊・猪・牛・馬・人と言う具合に一日ずつ動物に当てはめてあるのです。八日は穀物。そこから歳時記に採用されました。
しかし、それとは関係なく、七日ともなるとなんとなく人恋しいという思いも感じられます。
静かな雑木山に入ると自分の足音がポキポキ小枝を折る音が響きます。離れたところにいる人の足音も同様です。作者は遠くの人の気配に耳を澄ませているのでしょう。
次は短歌です。
何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝晴れて風無し。 石川啄木
腹の底より欠伸(あくび)もよほし
ながながと欠伸してみぬ、
今年の元日。 石川啄木
どちらも啄木の作品です。
一読了解できる素直な作品。
どうか今年はよい正月であるようにとの願いは誰しも同じです。元日の青空や爽風は一年が良い年であるような吉兆と感じられます。
それと同時に正月は妙に退屈で必要以上にながながとアクビをしてみる。これも元日の雰囲気そのもの。
明治時代も現代もあまり変わらない人の思いなのでしょう。
正月から離れて冬の作品を。
切なき思ひぞ知る
室生犀星
我は張り詰めたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す
我はその虹のごとく輝けるを見たり
斯る花にあらざる花を愛す
我は氷の奥にあるものに同感す
その剣のごときものの中にある熱情を感ず
我はつねに狭小なる人生に住めり
その人生の荒涼の中に呻吟せり
さればこそ張り詰めたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す
冬の厳しい寒さや冷たさ。それは困難の象徴でもあります。
きつぱりと冬が来た
と、冬に立ち向かう決意を歌い上げた高村光太郎もいます。
犀星も冬の緊張感の中に研ぎ澄まされた自分の感覚を、氷のように張りつめた思いを愛すと言っています。まさに詩人の感性でしょう。
寒さの中で鋭利に磨かれた身心から別の自分が出てくる喜び。期待。そうしたものに興味をいだくなら冬もまた楽しいものです。
暖房設備のない時代から、各地に冬の楽しい過ごし方やすばらしい工夫が残っています。冬に立ち向かわざるを得ないとき、人はそこから逃げることなく工夫したのですね。それらが後世に芸術や芸能として伝えられることはまさに人の叡智としか呼べません。
日輪と太市
宮澤賢治
日は今日は小さな天の銀盤で
雲がその面を
どんどん侵しかけてゐる
吹雪(フキ)も光りだしたので
太市は毛布(けっと)の赤いズボンをはいた
(1922,1,9)
最後に宮澤賢治の初期の詩を。
雲の向こうに透けて見える冬の白日。それを銀盤と表しています。
地表では風が雪を激しく舞い上げる。それは美しくも過酷な東北の冬の到来。
少年太市はあわてて重ね着をしたのでしょう。
太市は少年の名前で賢治の作品には度々登場します。
たいした内容も無い小品ですが、日常のスケッチとして心引かれるものがあります。自然とその中に生きる少年。少年がズボンをはくと言う何でも無い行為に、自然と溶け込んだ存在感が読み取れます。
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