游氣風信 No,144 2001,12,1 身体論の時代 「身体の文法」と「江戸時代」
このところ身体に関する著作が目につきます。
仕事がら特に気になるのかもしれません。
今月に入って何冊かの本を購入したのですが、それらの多くが身体論に関するものでした。少しご紹介しましょう。
○創造する知・武道 坪井香譲著
この本は1973年、今から28年前に書かれた本の加筆リニューアルです。当時のタイトルは「極意--精神と肉体のドラマ・武道--」。
作者名は坪井繁幸。現在は香譲と称されてますが、当時は本名を名乗っておられました。
「極意」は20歳のわたしにとって、かなり高度な内容で難しい本でした。
ただ、極意という、一見伝説に満ち満ちたつかみどころの無いものにさまざまな方向から光を当て、ある種のイメ
ージを与えてくれた本として忘れることのできない本です。
しかも、この本を読んだ数年後、著者である坪井先生がわが家にたびたび宿泊され、その親炙に浴することになろうとは思いもしませんでした。
数年後、坪井先生は「身体気流法」という具体的な身体技法を模索され、身体と創造にかかわる研究会を興
され、それが今日、「メビウス気流法の会」として継続されているのです。
すでに鍼灸学校の学生であったわたしは気流法の初期を彩る「黄金の瞑想」という坪井先生の本と再び出会
い、講習でその声貌に触れる機会を得て、私淑から親炙する関係になったのでした。
当時の日本はオイルショックを乗り越え、経済の高度成長に一段落がつき、人々の関心が物質経済から精
神文化や身体文化に向かい始めた頃でした。ヨガは既にブームでしたし、太極拳にもその兆しが見うけられる
頃です。「身体を耕す」とか「身体との対話」などという言葉が書店の棚を飾るようになっていました。いわゆる
指圧やジョギングなどの健康法がその枠をはみ出して生き方にかかわりつつあったのです。カリフォルニアの
ヒッピー文化にインテリ達が影響された面もありました。
まだ生まれたばかりの気流法にも武道やスポーツの専門化や愛好家だけでなく、踊りや音楽、医療の関係
者なども参加して技術を下支えする身体および身体操法を学び始めました。つまり従来の健康法とかスポーツ
とか芸術とかの枠を超えるものとして期待されたのです。
一例を上げましょう。
今年、「千と千尋の神隠し」というアニメが空前のヒットをしました。ご覧になった方も多いことと思います。
あの見ようによってはグロテスクなアニメを影でしっかりと支えていたのが、木村弓さんの歌うテーマソング「い
つも何度でも」でしょう。作詞の覚和歌子さんと作曲・歌の木村弓さんはともに気流法のメンバーとして「身体と創
造」に深く関わりつつ活動されています。
以上のように極意とはなにも武道の専売特許ではありません。広く普遍的な分野に存在するはずの何かなの
です。ただ武道は命を取るかというぎりぎりの世界ですからその極意の頂点が高く深いのです。失敗は死。敗者
は何も残していない世界です。
気流法発足20年を記念したイベントにはわたしも論者として坪井先生から招いていただき、ステージで宮沢賢
治について対談しました。その模様は以前「游氣風信」に細かく書きました。その折、作詞の覚さんも登場されて
いたので、わたしは覚さんと同じ舞台に立ったとひとり悦にいっています。
さて、身体論は分かるのですが何ゆえに人を傷つける武道なのでしょう。疑問を持たれる方もおありでしょう。
著者は本書の中で次のように語っています。
「馬力、青銅、鉄、火薬、電気、ダイナマイト、石油、原子力など、革命的な生産技術やエネルギー源開発を、
戦争技術は直ちに取りいれて、それらとパラレルに発達した。むしろ、戦争に勝つためにそれらの発明や開発
が行われた場合も多い。勝たなければ負ける、負ければ破滅という現実は、人間に全勢力を傾けさせる。
しかし僕が、ここで問題にしたい武術や武道は、確かにそういう現実に触発され、ある時期まで戦争と歩調を
合わせてきたものの、また、一方、独立・独自の道を歩んだ。
(中略)
たとえば、日本の色々な主要な武道の中で一番先に実用から離れたのは弓である。
(中略)
鉄砲伝来以降は戦の主役の座を退き、ほんの補助手段になった。ところが、弓はすたれるどころか連綿として続いている。(中略)それが内面化され、儀式化され次第に武士の教養として重んじられるようになった。
このように、書道や茶道が単に実用のために文字を書いたり薬用や飲料として茶を飲む段階から抜け出して、技術の体系や芸術性思想を持つようになるのと似た段階を武道はたどったのである。」
つまり、戦いの技術として発達した武術が平和やさらなる強力な武器の発明により実用から離れ、書道や茶道のように芸術・文化として深化したというのです。
このことは坪井先生がこの本を書き上げ、後書も書いた後、例のアメリカの多発テロによって後書に付記されたところにも繰り返されます。
「(ハイジャック犯の一人が格闘技のジムに通い、また、ハイジャックを阻止しようとした乗客にチャンピオンクラスの柔道家がいたことを踏まえ…三島)このように、ミクロには武術はどのようにも用いられる技術である。けれど、本書中でも触れたように、武道の達人達は、戦いの技に常人より遥かに集中して取り組んだからこそ、遂には反転して戦いよりも、「和」とか「愛」とか「聖」なる状態を説いた。
(中略)
私はそのような「武道」を実現してゆくことを念願している。そして少しでも多くの人々が、勝負を超えた、そうした「境」に触れるように願っている。」
ここで言う武道・武術は相対的強さを争うものではないのです。
具体的に、坪井先生の本でわたしが一番関心を抱いたのは「身体の文法」でした。
これは坪井先生がさまざまなジャンルの達人といわれる人達の身体の使用法を研究している間につきとめた共通原理、それを「身体の文法」と名づけられたのです。
本から引くと
「種々雑多、ジャンルは異なるが、創造的な行為には分野を超えてそして民族を超えて、共通分母のように身体のあり方が潜むのでは、法則性のようなものが働くのでは、と見えてきたのである。
そうして見えてきた幾つかの傾向を、僕は「身体の文法」と名付けてその「文法」を感得し、その「文法」のあり方
をとらえるためのエクササイズも少しずつ開発していったのである。それはとてつも長いのろい歩みだった。」
と、書かれています。そしてそれに加えて最近先生が驚きとともに読んだ指揮者小沢征爾氏の文章を引いてあり
ます。
「それから音楽文法ですね。西洋人でそこに育っている人は別に文法を習わなくったって自然に言葉をしゃべることが出来るけれども、我々は外国語を勉強する時まず文法を習うじゃないですか。
音楽でも同じ文法がある(中略)日本人はそこからはいらなければならないということで、僕はそれを徹底的にた
たき込まれて育ってきたんです」
これに続けて坪井先生は
「武道などでも上手な人は上手になっていく。けれどその上手な人は、その上手にしている時の身心の用い方の状態や意味を捕らえているとも限らない。自らの伝統の中にある音楽を特に意識せずにある程度は出来てしまうヨーロッパの音楽家のようなものである。」
この「身体の文法」は今でもわたしが指圧などを指導するときおおいに活用させていただいています。具体的
には以下のようなものです。
一 人として「体」であること、体を通して生きることの実感
二 リラックスと集中
三 重力に委ね重力を活かす
四 正中線、中心軸(人中路)
五 気の巡りと螺旋
六 呼吸を感じ、呼吸を活かす
具体的な説明は難しくなるのでしませんが、こうした文法を意識しながら身体に向きあうことで身体の意識や操
法が深まるのです。
あるいは少しこうしたことを勉強した方なら「なんだ、身体の文法などと大層ないい方をして、こんなことか。昔か
ら言われていることだし、以前から知っている」と思われるかもしれません。
昔から様々な比喩で表現されてきたことですから当然です(ハラとか腰とか軸、あるいは丹田などと)。
坪井先生はそれらを自分の中で追体験してそこに行き当たったのです。つまり、体験を経験化するという深い
哲学的な再措定がなされいるのです。
○からだには希望がある 高岡英夫著
この「身体の文法」は今日色々な人がいろいろな言い方で広く一般化しています。
たとえば高岡英夫という方は武道専門誌で、若い頃、坪井先生の著書に触れ、「身体の文法」に強く影響を受け、同様に「極意」が理論として究明できるのだと確信した旨を明言しています。氏は、東大大学院で教育学を学んだ後、運動科学研究所を興し、今日最も勢力的に身体論を説いて活動しておられる方です。
高岡氏は「身体の文法」に近い概念をディレクトシステムと称しておられます。
高岡氏は江戸の頃の日本人の身体意識は皆が達人レベルにあると説かれます。浮世絵などからそれが分かると言われるのです。
しかしそれには「ちょっと待てよ」と思います。
浮世絵といえば後に西洋美術の様々な革新を促した一因となるほどの特徴をもった絵画です。何よりその特徴
は独特のデフォルメつまり誇張です。西洋人がウタマロと呼ぶ時、ある特定の意味があることはご存知でしょう。
身体の一部のデフォルメが妙な関心を呼んだのです。
また、有名な北斎の富士山を遠くに船を巻きこむ波の絵。あの大胆な波の誇張は見事です。
あるいは浮世絵の一つの特徴である景物を幾何学的に把握して、構造的に置換・表現するあり方。後のキュ
ービズムに影響を与えたとも言われます。
これらから鑑みれば浮世絵は現実離れした、写実から最も縁遠い描写で成立しているはずです。その絵から江戸時代の風俗などを思い知ることはできても、具体的な人の身体のあり方を理解するのは無理があります。
その点で高岡氏の文章に今一つ賛同できない部分がありました。
ただ、高岡氏が実例として「動く浮世絵」と称された日本舞踊の名手故武原はんさんを引きあいに出されると
「うーむ、そうかな」とも思います。
母が踊りを習っています。六十の手習いというやつです。発表会に行くとおばあさんたちが一生懸命踊っていました。率直に言って、それは手だけひらひら動かす舞と呼ぶのははばかられる、実につまらないものでした。
まるで風にゆれる大木の枝といった感じです。
ところが師範と呼ばれる方の踊りは全く一線を画すものでした。さすがです。胴体が実に微妙に動きます。それはズドンと立ったままの素人の踊りとは異なり、立派な表現たりえました。母に聞くと幼い頃から本当の日本舞踊を習った方だとか。この胴体の動きは、残念ながら子育てを終えて一息きついてから始めた世代の人には困難な、付け焼き刃ではできない動きのです。
ビデオで見た武原はんさんの舞いはそれのさらに異次元にある動きです。ゆらりと浮くように立ち、襟元が水のように自在に流れ、全身に一点の滞りもありません。素人目にもその違いは明瞭です。これが動く浮世絵なら、確かに江戸時代の人の動きは精密です。
しかし、高岡氏はそれが一部の名人ではなく庶民全体がそうだったと断言されるのです。さすがに、これには肯えませんでした。まさか、いくらなんでもと。
ところが面白い本に出会ってしまったのです。
○身体感覚を取り戻す 斎藤孝著
たまたま書店で手にした「身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生(斎藤孝著・NHKブックス)」をパラパラめくりましたら何枚かの写真が目に飛びこんできました。これがどうも実に驚くべき写真です。
二人の車夫が立っています。一人は人力車の取っ手を持ち、車には西洋人らしい人が乗っています。二人とも車夫という職業がらでしょうがっちしりした脚をしています。それが鋼のように強く、大地にピタッと根を張ったように立っているのです。何というか単に鍛えた脚というだけでなくいかにも大地と繋がっているのです。これは今日のスポーツ選手などとはどこか異なります。
別の写真は車夫と力士が肩を組んでいるもの。著者の解説を借りますと
「下腹を中心とした身体の充実した雰囲気は共通している。相撲取りが身につけている身体文化が特殊なものではなかったことがわかる」
となります。つまり一般人である車夫も、鍛錬された相撲取りも同じような身体をしているということです。これは写真を見ていただかないとどうにもなりません。
その他、天秤を担ぐおばさんや天秤を担いだまま杖(息杖)をついて休んでいるおじいさん。その立ち姿の美しさは見事。歩いているおばさんは膝を曲げて柔らかく大地に接触している感じ。休んでいるおじさんはこれまた根が生えたように大地にすっくと生えているよう。
どちらもごく普通の人が今日的視点からは達人としか思えないような立ち方をした写真です。
これらの写真から先に紹介した高岡氏の言うように、武原はんさんの身体能力が江戸から明治の始めには
極めて普遍的であったと推察されます。
また、これらの写真を撮影したのは西洋人です。彼らは日本人の身体文化が西洋のそれとは大きく異なることに驚いて撮影したに違いありません。フランス人に相撲を取らせた写真などはあまりに不格好で決まっていない、その身体文化の違いが際だった写真です。
また、一般庶民の座敷での風景と旅館で浴衣を着た西洋人たちの和室にそぐわない様子。それらは滑稽ですらあると同時に日本人の何気ない物腰の美しさが目を見張ります。
もちろんこれは東西を比較して日本が優れているとするような国粋的なものではありません。日本独自の身体文化が確実にあったことを証明した写真だと言うことです。
日本人が洋服を着て西洋人にまるでかなわない事実も同じことです。文化の違いという視点を忘れると奇妙な話になってしまいます。
斎藤氏の本にはわたしが今まで読んで影響を受けた人が大勢紹介されていて嬉しくなります。
野口整体の野口晴哉、野口体操の野口三千三、ヨガの沖正弘、演劇レッスンの竹内敏晴、武道理論家の南郷継正、私の指圧の師匠である経絡指圧の増永静人、名著「胎児の世界」の三木成夫、ベストセラー本川達雄の「ゾウの時間ネズミの時間」などなど。どれもスリリングな経験を与えてくれた著者や先生でした。
(斎藤氏は冒頭で紹介したメビウス気流法にも参加されたことがあるそうです)
ただ、本を読んでいて大いに気になったことがあります。
以前に読んだ「身体調整の人間学」や「ハラをなくした日本人」(共に高岡英夫著)と酷似した内容が見うけられたからです。
斎藤氏の経歴を見ると東大法科卒、同大学院教育学専攻、現在明治大学助教授とあります。これは高岡氏と同じ大学院です。そして思い当たることがありました。
今手元に無いのですが、確か「身体調整の人間学」は高岡編で佐々岡・斎藤著ではなかったかと。インターネットで調べてみると、どうやらその斎藤氏こそこの本の著者斎藤孝氏だったのです(違っていたら大変ですが)。理由は分かりませんが、今日別の道を歩まれているようです。
斎藤孝氏の「身体感覚を取り戻す」は新潮学芸賞を受賞されました。おめでとうございます。
身体論に二十一世紀を切り開く可能性が期待されているのでしょう。選者の一人養老孟司氏は今日、身体論に実践的に取り組もうという姿勢だけでも受賞に値するというようなことを書いておられました。
また、この著者による「声に出して読みたい日本語(草思社)」は現在売れています。わたしも近いうちに購入しようと思っています。宣伝文に曰く「生涯の宝物になる日本語。鍛えられ、慈愛に満ちた言葉を暗誦・朗読すると
身体が丈夫になる」 この通信で取り上げるかもしれません。
身体への希求は学術畑からも市井においても今後ますます高まると信じています。
戦争に突っ走った過ちから、敗戦後、日本の旧来の文化を選別無しに捨ててしまった報いが今表れてきているよ
うです。この著者も書いていますが、70歳以上の方には江戸時代の身体分化が刻まれているが、それ以後どん
どん喪失し、60歳以下の世代にはほとんど受け継がれておらず、現在の若者には断絶していると考えられます。
文化の継承は上の世代の義務でしょう。立ち居振舞いの汚い人から生まれてくる文化とはあまり期待できません。
それからこれもこの著者が書いていますが、
「腰肚文化の再評化は、冷静に行わなければ、たんなる復古主義に見られてしまう性質の問題である。それだけに、戦後ある程度の冷却期間が必要とされたことは致し方のないことであった」
という問題点があります。復古主義、アナクロとか軍国主義と結びつけられる恐れもありますし、オカルトあるいはオウム真理教に代表されるカルトなどに結びつく危険もあります。
冷静にしかし確実に学びたい分野です。
後記
わたしの仕事は指圧をしたり鍼をしたりする事で直接武道とか舞踊とは関係ありません。
しかし、指圧も鍼も身体表現の一つです。その意味で武道や舞踊と違いがないのです。それどころか人の営みは全て身体を基盤としています。普段気にしませんが、病気でさえ身体の一つの表現形式なのです。
スポーツや音楽をたしなむ人がそこから身体的・精神的な影響を受け、相互が浸透し合って成果を生むように、
病気も身体的・精神的なさまざまな影響を人に与えます。
身体を看過して生きることは不可能であり、むしろ積極的に身体に関わることで<生きる即ち表現>を再確認してわが薬篭中の物としたい。それが私が坪井先生などの身体論に関心を抱く所以です。
病気や治療法だけの研究では<人間としての病や老い>と対峙できないのです。
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