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2011年7月13日 (水)

游氣風信 No,126 2000,6,1 論語読みの論語知らず「師・増永靜人の思い出」(上)

《游々雑感》

 ある名人落語家の枕(落語の本題に入る前の軽い話)に「無学者は論に負けず、無法は腕ずくに勝つ、などと申しますが・・・」というのがあります。

  これは主として学を見せびらかす人を揶揄する話(「薬缶」や「千早振る」など)の枕に使われるようです。これについては以前《游氣風信》で「知ったかぶり IN 落語」として取り上げました。

  「学問の無い人は、理論的に筋道だった話をすることなく自分の思いを強弁するので、学のある人が論を持って諭そうとしてもかなわない。同様に、法を守らない無法者は暴力的に意を通してしまう。どちらも困ったものだ」というような意味合いでしょう。

 元憲法学者で今は著名な国会議員になっている女性党首が一時「駄目なものは駄目!」「やるっきゃない!」と言い張ったのはこの類いの強弁でしょう。
学者を出自をする人でも政治家になると論理を吹っ飛ばす発言をするのだと驚いたことがありました。

 

 もっともこれは永田町という魑魅魍魎の巣窟、百鬼の夜行する不条理世界に伝わる「永田町の論理」に対抗するために取った特別措置であるとも考えられますが。

 

 先程の落語の枕に戻ります。

 前述したように「無学者は論に負けず、無法は腕ずくに勝つ」は、無学者や無法者を困った存在と見なしていますが、別の見方もできます。それは学があっても知に溺れ、行動力のない人をからかっているのではないかということです。

 諺(ことわざ)にも「論語読みの論語知らず」というのがあるではありませんか。

 「論語読みの論語知らず」の意味は、蛇足ながら辞書を引きますと 

「書物の上のことを理解するばかりで、これを実行し得ない者にいう」(広辞苑)

ということです。

 一般的には学識のみで常識のない人を揶揄することばですね。

 

 論語!?

 

 さる国の総理大臣が好みそうなテーマですが、今月はなんと論語の復習をすることにしました。なぜかと言うと、わが指圧の師の増永静人先生が晩年「論語」を愛読されていたからです。

  ある日、先生が病気をおしての講習の後の会食のときでした。先生はしみじみと言われました。

  「この頃、論語の『朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり』が身に染みてくるんだ」と。

 続けて

 「今の僕は孔子の言うように、もし朝に、誰かが僕の言うことを本当に分かってくれるなら、もう夕暮れには死んでもいいという心境だ。本当に伝えたいことはなかなか伝わらないし伝えられない。おこがましいが、孔子の気持ちが分かる気がする。孔子は生涯を通して君子という理想を追い求めた人であって、決して自らが君子ではなかったはずだ。だったら僕が自分の心境を孔子のそれに置き換えても決して偉ぶったことにはならないだろう。もし、孔子が君子でわれわれが凡人としてそれに遠く及ばないなら、孔子が凡人に道を説く意味がない」

  当時まだ二十代前半、しかも無学者のわたしはなるほどと頷きながらも生意気に口を挟みました。

 「先生、『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』は、学ぶ側の心境ではありませんか。つまり朝、ものごとの本質を知ることができたら、夕方には死んだっていい、それほど道とは得難いものである、ということではないでしょうか。確か学校でそう習ったように記憶しています」

 増永先生は穏やかに答えられました。

 

 「それは教室なら正解だ。しかし僕の心境からすると僕の解釈も成り立つと思う」

 わたしは今度は「成る程」と納得したのでした。

 なぜなら増永静人先生の生涯は、常に中国医療の古典をご自身の指圧臨床体験を通して再措定されるものだったからです。古典医療を現代の目でもう一度再検討し、臨床で確認し、現代人にも納得のいく指圧理論として編成されたのでした。

 それゆえに、今日海外では指圧と言えば増永静人先生創案の「経絡指圧」を指すようになったのです。ただし出版社の意向により海外では「禅指圧」という名称で広がっています。
 
 残念ながら指圧のお膝下、日本では指圧は既に忘れられかけた存在になりつつあり、医療としての本分を忘れ、慰安行為としてのみ細々と命脈を保とうとしています。これはわたしどもにも大なる責任があります。

  さて、早々と断っておかなければなりませんが、わたしは「論語読まずの、論語知らず」です。あるいは「論語読めずの、論語知らず」。

 わたしの論語に関する知識。それは高校の古典の時間に少しばかり論語に触れただけです。これはおそらく皆さんも同じだと思います。

 戦前の教育を受けた方は、儒教が社会の制度的安定のための根本思想であった意味合いから、修身の根幹を為すものとしてしっかり学ばれたことでしょうが、わたしのように戦後に生まれた者はほとんど習っていません。

  まして今の高校の教科書を見ますと、漢文という独立した教科書はなく、古文の教科書の終わりの方に申し訳程度に漢文のパートがあるだけで、その量はわたしたちの頃(約三十年前)よりずっと少なくなっている感じです。そうなると近い将来、「論語(内容でなくそのことば自体)」は一般教養としてでは

なく特殊な素養の部類に入るやも知れません。いや、既になっていると言っていいでしょう。


 今回は論語の有名な部分をいくつか紹介します。論語を知らない人も、昔習ったけど忘れてしまっている人も、論語なんか大嫌いな人も、とりあえずわたしと一緒に論語に入門(再入門)しましょう。

  参考は高校の教科書、大修館書店の「新制高等漢文」、明治書院の「漢文」と講談社学術文庫の諸橋轍次著「中国古典名言辞典」です。


 ところでそもそも「論語」とは何でしょう。また孔子とは。

 例によって「広辞苑」に当たってみます。

 

論語

 四書の一。孔子の言行、孔子と弟子・時人らとの問答、弟子たち同士の問答などを集録した書。(中略)孔子の理想的道徳「仁」の意義、政治、教育などの意見を述べている。わが国には応神天皇の時に百済より伝来したと伝えられる。

 

 孔子の語ったことを弟子たちが書き留めた語録集。これが論語です。

 辞書の説明の中に色々難しい言葉がたくさん出て来たので同じく広辞苑で細かく調べます。

 

四書

 大学、中庸、論語、孟子。儒教の枢要の書。

 

 まあ、中国の儒学の最も重要な本のことですね。

 そもそも孔子とはいつの時代のどんな人でしょうか。

 
孔子

 中国、春秋時代の学者・思想家。儒家の祖。名は丘。字は仲尼(ちゅうじ)。

今の山東省出生。古来の思想を大成、仁を理想の道徳とし、孝悌と忠恕とを以て理想を達成する根底とした。諸国を歴遊して治国の道を説くこと十余年、用いられず、時世の非なるを見て教育と著述に専念。その面目は言行録「論語」に窺われる。(前551~前479)

 
 孔子は紀元前500年前後の中国の思想家ですね。結局、役人として採用されることはなくフリーターとして諸国を旅した人のようです。その頃日本はまだ縄文時代。おそるべし中国4000年の歴史。

 
 ギリシャの「イソップ童話」もこの頃のものです。
 中国では「老子」もこの頃編纂されています。

 「論語」は孔子の死後ですからもう少し後の紀元前450年頃。

 同時代の著名な思想家(宗教家)として釈迦(前566~前486)やソクラテス(前470~前399)がいます。


 こうしてみると古代中国に孔子や老子、古代インドに釈迦、古代ヨーロッパにソクラテスなどのギリシャ哲学という具合に、人類の文明の黎明はほぼ同時に世界各地に散在して始まったようです。果たして文化の交流はあったのでしょうか。

 もう一度言いますがその頃、即ち孔子が旅に仁を語り、釈迦が菩提樹の下で慈悲を説き、ソクラテスが悪妻にいじめられた鬱憤(うっぷん)を弟子との対話で哲学していた頃、日本はまだ縄文時代末期。竪穴式住居に住んで平和な集落を作り、採集・漁労・狩猟という採取経済に基づく生活をしていました。時あたかも弥生時代との端境期です。

 考古学では縄文時代は「先史時代」と呼ばれ文献の無い時代に分類されます。弥生になれば文献が多少存在する「原史時代」となります。

  弥生時代の中頃(57年)、日本の倭奴国から後漢に遣使を送り光武帝から金印を授かり、弥生の終わり(239年)にはかの邪馬台国の女王卑弥呼が魏に遣使を送ります。これらは中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場します。

 魏は有名な「三国志」の三つの国つまり魏(曹操)・呉(孫権)・蜀(劉備)の一つです。後漢の滅んだ後のいわゆる三国時代。ついでに言うと呉服は呉の織物を起源とします。

 日本にとって中国は圧倒的に進歩した国だったのです。

 

 以下次号とします。

 

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