游氣風信 No.158 2003. 2. 1 肝のはなし
身体調整をしているときよく交わされる会話があります。
たとえば右の肋骨の下辺りを圧しながら
「このあたりが疲れていますね。ちょっと硬いです。肝に注意してくださいね」
などと言います。すると多くの方は
「肝臓ですか?会社の健康診断では肝臓に問題ありませんでしたよ」
と、答えられます。これはもっともな疑問です。それに対してわたしは次のように説明します。
「ああ、そうでしょうね。実は肝と肝臓は別物なんですよ」
「・・・・・?」
みなさん、よく分からないという顔をされます。
「肝」と「肝臓」が別物。これはどういうことでしょうか。
ちょっとややこしいことなのですが、漢方でいう「肝」の概念とお医者さんの言われる西洋医学の「肝臓」は似たような名称ですがかなり違うものなのです。
もともと、肝とか肺とか胃と腸などの内臓名は漢方のことばです。肺の臓とか胃の腑といいます。俗に言う五臓六腑。
五臓とは<肝・心・脾・肺・腎>であり、それに<三焦>というものが加わることもあります。
六腑とは<胆・小腸・胃・大腸・膀胱・心包>です。
臓とは中身のずっしり詰まった実質器官、腑は袋状あるいは筒状の中空器官です。それらの内臓の実体に機能も混在してまとめられたのが漢方の臓器なのです。むしろ機能から推測された内臓と考えてもいいかもしれません。
古典には解剖図も残っていますが、まるで子供のいたずら書きかしらと思える程のいい加減なものです。いくらなんでももう少しまともな図が描けるだろうと推測するのですが、外科をもたない漢方ではそんな実体としての内臓には関心がなかったのでしょう。働きこそが大切だと考えたのです。
それに対して西洋医学の内臓は、経験科学の発達に即して、極めて具体的に解剖して解明したものです。これは外科医療の進歩には不可欠のことです。
この辺りのことを哲学者の伊勢田哲治氏は著書『疑似科学と科学の哲学』(名古屋大学出版会)で次のようにまとめておられます。
「五臓六腑も、もともとは人体の解剖に基づいていたのだろうが、現代の解剖学の知見と正確には重ならない。こちらは具体的な臓器についての主張なので、身体を切り開いて調べることができる。杉田玄白が死体の解剖に立ち会って西洋の解剖学書が五臓六腑説よりはるかに正確なのに感銘をうけ蘭医になったエピソードは有名である。現代の中医学で五臓六腑説がとられる場合は、五臓六腑は現実の臓器ではなく、気と同じく目に見えないものとして解釈されるようである。」
前掲書は疑似科学と科学の違いの線引き問題をテーマとした本ですが、その中で伊勢田氏は五臓六腑は気と同じく目に見えないものと看破しておられます。
少し補足しましょう。
江戸時代になって西洋から精巧な解剖図が入ってきました。オランダの解剖図譜『ターヘル・アナトミア』(1734年刊)です。歴史で習いますね。それまでまともな解剖図を持たなかった漢方医にとって、これはまさに晴天の霹靂。解剖図の正否を確認するために禁を犯して腑分けを試みました。その結果あまりの精緻さに圧倒された漢方医たち(杉田玄白・前野良沢など)は、苦労して日本語に翻訳。有名な『解体新書』(1774年刊)として世に出たのでした。
その際、旧来の漢方で使用されていた肝や胃などの名称をそのまま西洋解剖図に当てはめたのです。ですから肝と肝臓は似ているところもあるけれども、違うところもあるという実に複雑でやっかいなことになってしまったのです。そのため、未だに冒頭のような珍妙な会話が日々繰り返されるという混乱が続いています。
先月号の後記に
このところずっと怠け者の人生を送ってきましたから、今年はちょっとまじめに勉強をしようと考えています。幸か不幸か、不景気で暇な時間もいっぱいできましたから。
と、書いてしまいました。そこで今年の游氣風信はみなさんと一緒に勉強していくことにしました。おそらく興味のない読者を置いてきぼりにした内容になると思いますが、ご容赦を願います。自分のための勉強ですから(^_^;)
今月は肝についての勉強です。
なぜ肝からかと申しますと、中国の古くからの思想に陰陽五行説というのがあって、全てのものは五行から成り立っているという素朴な考えが根本にあります。五行とは木・火・土・金・水の五つです。内臓もそれらに分類され、肝は木に当たります。それで最初は肝にしました。
今回、五行説の是非を問うことはしません。前掲書の伊勢田哲治氏も疑似科学の代表としてケーススタディーに使用されていますし。今回は、ただ単にその順番に則って進めていきます。
それと平行して西洋医学の内臓についても記載します。これだけ医学が発達した今日、漢方の概念だけでは日常会話に不自由ですので、両方の知識を知っておくほうがいいでしょうから。
今後、同様に内臓の勉強を進めていく予定です。難しいところもあるでしょうが一緒に勉強していきましょう。
西洋医学で言う肝臓はそのまま「肝臓」と記し、漢方医学の肝の臓は単に「肝」と記載します。両者は似ているものの同じものではないという認識を必要とするものということだけはしつこく明記しておきます。ややこしいでしょ
うが、おいおい理解できると思います。
ということで、西洋医学の肝臓と漢方の肝、そして指圧や鍼の治療で重要視される経絡(体表に記された線、つぼ人形でご覧になったことがあると思います。これには内臓名が冠されています)について辞書や専門書から引用して書いていきます。些少なりともお役に立てることができれば幸甚に思います。
まずは肝臓について一般的な辞書、大辞林を紐解きます。
かんぞう【肝臓】
腹腔の右上、横隔膜のすぐ下に接する赤褐色の内臓器官。人体最大の分泌器官で、左右二葉に分かれ、その間に胆嚢(たんのう)がある。胆汁をつくり余分の炭水化物をグリコーゲンに変えて貯蔵し、また有毒物を中和するなど重要なはたらきをする。きも。
とあります。
肝臓は右のわき腹にあります。英語ではliverレバー。ニラレバ炒めのレバーです。
しかしこの辞書の説明ではよくわかりませんね。そこで肝臓の役割を分かりやすく書いてある本をさがしているうちに、本箱の隅から子供向けの図鑑を見つけました。学研の図鑑『人とからだ』です。小学生向けですが案外役に立ちます。
では、さっそく肝臓の項目を見ましょう。
かん臓
小腸の、じゅう毛の毛細血管にとりこまれたアミノ酸は、門脈を通って、かん臓にはいります。
それからもういちど血管にはいって、からだのすみずみまではこばれ、からだをつくる材料になります。
ぶどう糖もアミノ酸と同じように、かん臓にはこばれます。そして、かん臓でグリコーゲンにつくりかえられて、たくわえられます。かん臓でたくわえきれないときには、筋肉に運ばれ、グリコーゲンの形でたくわえられます。
それでもあまってしまったぶどう糖は、しぼうにつくりかえられて、皮ふの下に皮下しぼうとしてたくわえられます。
しぼうは、リンパ管を通って胸管に集まり、心臓の近くで血液の中にはいります。
かん臓の3つのはたらき
①消化液のたんじゅうをつくる
②すぐに使われないぶどう糖を、グリコーゲンというものにかえて、たくわえておく。
そして、からだがひつようとするときに、血液中に送り出す。
③からだにとってどくになるものをこわして、どくのないものにかえる。
つまり、肝臓は小腸で吸収されたアミノ酸やブドウ糖つまりたんぱく質やでんぷん質をいったん取り込み、そこで量を調節すると同時に、解毒もするのです。実際にはこんなものではなく、身体の化学工場と言われるほど多彩な機能を担っています。
わたしたちが安心して食べ物を食べられるのは、小腸から摂り込んだ栄養物を肝臓が関門として身体に不要なあるいは有毒なものを化学処理してくれているからです。そのため、酷使すれば壊れます。
次は『医学大辞典』(南山堂)です。
肝臓
消化腺に属し、人体中最大の腺である。腹腔の上右側部で横隔膜の直下にある。その形は多様であるが、上面は横隔膜に相当する円蓋を示し(横隔面)、下面は浅いくぼみを呈し(臓側面)、その中央に肝門がある。肝門からは機能血管としての門脈、栄養血管としての固有肝動脈の他に肝管、リンパ管、神経が出入りする。肝臓は厚くて大きい右葉と、薄くて小さい左葉、さらに両葉にはさまれる方形葉および尾状葉の4部に区分される。肝臓の実質は、表面をおおう結合組織の被膜が肝門から進入したもの、すなわち、小葉間結合組織(グリッソン鞘)により多数の肝小葉に分けられている。肝小葉は不規則な多角柱状を呈し、直径は1mm.高さは2mm.位である。
一つの肝小葉は肝臓の構造的単位とみなしうるものである。肝臓は胆汁の分泌、吸収栄養分のろ過と解毒、糖分の貯と血糖の調節を行うほかに、フィブリノーゲン、ヘパリンおよび貧血阻止物質などの生成器官であり生命必須のものである。
ということです。さすがに専門書は難しいので、ざっと読み飛ばしてください。
さて、次は漢方の肝です。
『鍼灸医学辞典』(医道の日本社)によります。
肝
肝臓をいう。東洋医学古典に示されている肝の機能は、以下のとおりである。
①「肝は血を臓す」とされ、血液の倉庫である。
②「肝は将軍の官」とされ、決断力、謀りごとをつかさどる。
③「肝筋をつかさどる」とされ、筋肉の疲労、筋力、運動との関係がある。
④「肝は眼に開く」とされ、視力と関係がある。
⑤「肝は驚きをつかさどる」とされ、肝が病むと、ものごとに驚きやすくなる。
⑥「肝は爪に現れる」とされ、爪の厚薄、血流は肝の機能と関係がある。
⑦肝が弱くなると怒りやすくなる。
これが漢方で言う肝です。西洋医学の肝臓とは全く異なることが分かります。
昔、「肝っ玉母さん」というテレビ番組がありました。度胸が据わっているという感じですね。肝を一言でイメージするなら肝っ玉は適切な例だと思います。漢方の古典に内臓の役割を政府の役職にたとえたものがあります。それが②の「肝は将軍の官」という項目。謀りごとや決断力などという意志や行動力の源です。ですから強い決断を必要とする職業たとえば社長さんなどは肝を酷使することになるでしょう。逆に強い人が急に気弱で驚きやすくなったときなどは肝の力が弱っていると考えられます。
肝は血液に関係あるということ、これも強い生命力にとって不可欠です。
最後の⑦怒りやすくなるも肝の特徴です。いつもイライラしている人は肝に問題ありとみます。
このように、漢方の「肝」は生理と心理が混在しているものです。西洋医学はそのあいまいさを避けるため心身二元論を用いて精神と身体の分離を図り、それによって物質的な肝臓の研究が飛躍的に高まったのです。
次はわたしの指圧の師匠の増永静人先生の本から。
増永静人『スジとツボの健康法』
肝
栄養を貯蔵して、身体活動のエネルギーを確保して、活力を養成します。血液の補給、分解、解毒などを行ない、活力の維持にもつとめています。症状としては、気分が衰えたり、急にやる気を出したり、癇癪をおこしやすく、雑音が気になります。強い感動を受けた影響が残り、感情が高ぶりやすくなり、大声を出したくなります。目が輝きを失い、黄色く見えたり、立ちくらみがします。原因不明の発熱や、動作がぎこちなくなって精力減退し、前立腺や睾丸の障害をおこします。仙骨、尾骨の痛み、痔痛、胸脇苦痛、右季肋骨部の圧迫感、食欲不振、吐き気、頭痛などの症状もあります。
どちらかといえば、西洋医学と漢方の折衷的な考えです。
最後に経絡をみましょう。
経絡は全身に十二本あって、生命の源である気が流れるとされています。具体的な実質はありません。しかし、筋肉の緊張や皮膚の感覚から誰でも実感できます。つまりいのちの発揚なのです。死ねば無くなる、それが経絡です。原初的な情報伝達のルートだと仮定され、発生学から探求している方もおられます。
触れても、触れられても実感できます。
足の厥陰肝経
足の親指から、足をのぼり、胸まで
『鍼灸医学辞典』
下肢内側から腹部をめぐる経脈で、所属する経穴は13穴である。直接関与する臓器は、肝、胆であるが、間接的には、心臓、循環器などの臓器とも関連が深く、また生殖器とのかかわりも深い。経脈の性質は、血、気とも少ない。
その流注(流れ)は胆経の分かれが母指(外側)の爪の根もとにきてここから起こり、下腿の内側をのぼって陰部に入り、下腹部をとおり、肝に帰属して胆をまとい、側胸部に散布して気管、咽頭のうしろをとおって眼球に達し頭頂に出る。眼球から分かれたものは頬、唇をめぐる。もうひとつの分かれは、肝からのぼって肺に入る。さらにくだって胃のあたりまで達する。(ここは肺経の起点になっている)肝経は、決断などの精神作用と深いかかわりをもつ経脈として、神経症的な疾患に用いられるとともに、強い痛みをともなう疾患にも用いられる。また肝、胆等の急・慢性疾患、生殖器疾患、特に女子の生理不順、男性の陰萎症などに用いられる。
指圧も鍼も、漢方的概念で身体の状態を把握すると同時に、西洋医学的な診断も考慮し、治療は経絡の調整を行うことで実施します。
今度治療を受ける方は、いったいその経絡は何かと聞いてみてください。経絡を実感できるようになります。
気功法もこの経絡の応用なのです。あるいは合気道などの古流武術も経絡の応用です。
経絡は緊張すると身体に硬いテープを張ったような違和感を与えます。それが肩こりなど様々な違和感のある状態です。それを緩めると呼吸が深くなってほっとします。
逆に経絡をスムースに動かしますと日常動作でも、踊りやスポーツ、武術などの動きも滑らかになります。
なぜなら、解剖学の知識に覆われた現代人はどうしても個々の筋肉を動かそうと刷り込まれてしまっているからです。そこへ経絡という全身を連ねたラインを体感し、イメージすることで全身一致の、まるごと全体の滑らかな動作が可能になるのです。
身体調整とは、ただ受身になって筋肉を揉み解してもらうだけが本来の目的ではありません。受療中しずかに感覚を深めることで、身体感覚を磨き、身体意識を高め、それを日常生活や文化的創造に役立てることなのです。
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