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2011年7月21日 (木)

游氣風信 No.156 2002,12.1    小川未明      

あるとき、あなたは犬派か猫派かと聞かれました。よくある質問です。

わたしは犬も大好きですが、どちらかと問われるなら猫派です。

 

家では20年来インコを飼っていますから猫を飼うことはできません。しかし、訪問先などで猫がいるとついつい撫でてしまいます。

犬は撫でると全身で喜びを表してそれはそれは可愛いものです。ただ、どうもその従順振りが単純でおもしろくありません。

 

それに較べると猫は甘えたいときは寄ってくるし、気が向かないと知らん顔をします。その無頼が却って魅力的なのではないでしょうか。

 

身体調整にノルウェイジャン・フォレスト・キャットというゴージャスな猫を連れてくる人がいます。ノルウェイの猫で全身は真っ黒で足先が白く、ペローの「長靴をはいた猫」のモデルに相違ないと思える美しい猫です。これが気ま
ぐれでちっともなつきません。しかしそれもまた可愛いものです。これが猫派の猫派足るゆえんでしょう。

 

子どもの頃、しばらく猫を飼ったことがありました。

小学4年の頃だったでしょうか。近所の悪童たちに追われた小さな野良猫が家に飛び込んできたのです。それがあまりに可愛かったのでその場で親に頼んで飼うことにしました。

しかし、しばらく飼っているうちに腹が大きくなり、子猫を数匹産んでしまったのです。

 

これには団地住まいのこととて両親が困り果てたのでしょう。車で田舎に帰省した帰路、野に捨ててしまいました。

「団地では子猫をいっぱい飼うことできない。捨てるのは仕方ない」

と、わたしも幼い弟も聞き分けよく納得した振りをしました。

 

けれども、それは親を安心させるための子どもなりの現実を納得する方便に過ぎません。内心は悲しくて仕方なかったのです。

今でもあの猫はどうしているのだろうと思い出すことがあります。もちろん40年近くも前のことですから生きているはずはありませんが・・・・。

 

そんな頃、寂しかった子供心に強く響く童話に出会いました。それは小川未明の「どこかに生きながら」。

当時手にしたのは少年少女文学全集の一冊として出された本で、淡い赤のハードカバーのものです。この原稿を書くに際して家の中を捜したのですが、残念ながらついに見つけることができませんでした。文庫版はあるのですが、この話は収録されていません。

 

おがわ・みめい 【小川未明】 

小説家・童話作家。本名、健作。新潟県生れ。早大卒。自然主義の影響をうけ、暗鬱な詩情をこめた小説を書き、のち童話に専念、「赤い蝋燭と人魚」などで創作童話に新生面を開く。小説「魯鈍な猫」など。(1882~1961
 明治15年~昭和36年)

 

「どこかに生きながら」は小川未明の作品としてはさほど有名ではないでしょう。未明と言えば「赤いろうそくと人魚」や「野ばら」「月夜と眼鏡」「殿さまの茶わん」などが知られています。それらと比べると「どこかに生きながら」は文庫にも掲載されていないようにややマイナーな作品になります。

マイナーというよりも未明らしくない作品といえるかもしれません。

 

小川未明は繊細で幻想的かつ主情的な話を発展させ、「ものがたりから童話へ橋渡し」をした巨人です。わが国のアンデルセンなどと称されたこともあります。

 

そんな未明も、昭和七年頃から次第に自然主義に移行し、戦後、その傾向が極めて強くなります。

たとえば時代と切り結んだ作品としては「考えこじき」「小さい針の音」「とうげの茶屋」「頭を下げなかった少年」などが上げられます。ただ、手元に資料がないので正確な創作年代が不明ですからいい加減に読んでください。

 

さて、「どこかに生きながら」はどんなストーリーでしょう。正直に言いますとはっきりとは覚えていません。ただ、母猫と子猫の絆の物語であることはしっかり記憶しています。

あるとき、二階の雨戸の戸袋辺りに野良猫が子を産みます。家の子達は可愛い子猫に餌を与えました。母猫は決して気を許しませんでしたが、次第に子猫は人間になついていきます。ある日、子どもに抱き上げられた子猫を見た母猫は、子猫の将来を人間に委ねた方がいいと判断したのかどこかに立ち去ってしまいました。

 

子猫はそれからしばらくは人間に可愛がられて幸福に暮らしていました。ところがある嵐の夜、急に子猫は狂ったように騒ぎ出し、外に出たがります。もしや母猫を心配しているかもしれないと窓を開けると泣き叫びながら駆け去っていった・・・こんな話だったような気がします。

 

わたしはこの話を読むたびに捨てた猫たちを案じて枕を涙で濡らしておりました。ミミ、飼っていた猫の名前です。ミミとその子たちは無事に暮らしているだろうか。ちゃんと餌は食べているだろうか。犬や人間にいじめられてはいないだろうか。雨風や寒さからは上手に逃げているだろうか。

そんなことを思うとむしょうに悲しかったのです。純情な小学生でした。

 

冒頭、犬派か猫派かと聞いた人にこの話をして

「もしかしたら僕は本当は宮沢賢治よりも小川未明の方が好きかもしれない」

と話したところその方も

「わたしは絶対に未明がいいと思う」

と言われました。おお、未明ファンここにあり、同志発見です。

 

今日、小川未明を知る人は大変少なくなってきたことでしょう。

試みに書店で当たってみましたが、どこにも未明の本は置いてありませんでした。大きな書店でかろうじて新潮文庫版を見つけることができただけです。今の時代からすると文体が妙に古臭く、文章が慇懃なほど丁寧で上品ですから今日受けしないのでしょうか。その雰囲気が私は好きですが、確かに今風ではありません。

 

たとえば

町も、野も、いたるところ、みどりの葉につつまれているころでありました。

おだやかな、月のいい晩のことであります。しずかな町のはずれに、おばあさんはすんでいましたが、おばあさんはただひとり、まどの下にすわって、針しごとをしていました。(月夜とめがね)

 

人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。

北方の海の色は、青うございました。あるとき、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色をながめながら休んでいました。(赤いろうそくと人魚)

 

ある田舎の小学校に、一人の青年の教師がありました。その青年は、真実に小さな子供たちを教えたのであります。(小さい針の音)

 

出身地新潟の冬の海そのものの陰鬱なトーンが全体を支配しているようでは子どもに読ませるには躊躇するかもしれません。しかも、どれも修身の教科書のような丁寧な文体。こうした文体は当時、童話が標準語の啓蒙という役割を担わされていたからだとも考えられます。

 

しかし、ほんとうは子どもはこうした暗い、どこか命の底を感じさせる話が好きなのです。宮沢賢治でもそれは同じです。

 

賢治と未明の違いを一言で言うなら以下のようになるでしょう。

 

賢治の作品は根源的問題を提起して回答を読者に謎として残しています。

その謎が常に新鮮で作品の命を保ってきました。早世したこともその理由の一つです。

 

それに対して未明の作品は主観をこつこつ書き上げて謎を潰していくあり方です。後の童話作家はこのある種の押し付けがましさを批判し「さよなら未明」と称して脱未明化を図ることになります。

 

文壇の重鎮として君臨した未明と異なり、賢治は最初から文壇に属さない独立峰だったのでこうした批判の対象にはなりませんでした。

 

わたしは学校から帰ると母の用意したおやつをおいしくいただきながら未明のお話をいとおしむように読んだものでした。ビスケットの屑が本の上に落ちるのを気にしながら毎日毎日同じ本をあかずに読んだのでありました。・・・・

という具合に文体も未明調に染るのです。

 

唐突ですが、児童文学とはなんでしょう。

源流はイソップ童話(紀元前6世紀)のような『寓話』に始まるとされています。寓話とは「教訓または諷刺を含めたたとえ話」とあります。何らかの教訓を動物などを擬人化して説くものが寓話です。

 

それから次第にストーリーそのものを楽しむ『物語』が生まれてきました。民話を題材にしたペロー(1628~1703)の「長靴をはいた猫」「赤頭巾」「シンデレラ」などがその代表です。それでも人生は頭の使い方しだいだというような教訓がついて回ります。

 

それが払拭されるのは100年後のグリム兄弟(兄1785~1863、弟1786~1859)を待たねばなりませんでした。グリムもペローと同じく民話を題材にして「赤頭巾」や「シンデレラ」を書いていますが、教訓色は全く消されています。

 

しかしなんといってもアンデルセン(1805~1875)の存在が児童文学の萌芽でしょう。グリムもその題材は『民話』です。しかしアンデルセンは『創作』としての児童文学を書いた最初の人です。当時の日本は江戸時代です。

 

こうしてアンデルセンを得て人類は創作による児童文学を得ることができたのです。

 

何故こんな児童文学史を長々と書いたかといいますと、先の、小川未明が日本におけるアンデルセンの位置にあるからです。

 

日本にも『民話』がありました。そしてその民話に基づく物語として『お伽噺』というジャンルが育ったのです。代表作は巌谷小波1870~1933)の「こがね丸」でしょう。犬が母犬の敵を討つという勧善懲悪の物語。この話
も好きで繰り返し読んだものです。

 

小川未明は、その後第一童話集『赤い船』(明43)を出版し、この作品集は、お伽噺から童話への架橋をなしたものと、歴史的に高く評価されている。

イソップやグリムの時代から、アンデルセンの時代へと、この転換を比喩することができよう。(「児童文学を学ぶ人のために」から)

 

つまりかように小川未明とは日本の児童文学の流れの中に重要な位置を占めた作家なのです。

 

 それが今日あまり読まれなくなったのは時代の趨勢とは言え寂しいものがあります。

テレビのアニメやゲームはどうしても刺激的になります。刺激は次第に慣れて鈍磨するもですから、さらに刺激的にならざるを得ません。果てしなき欲望を体現することで経済効果を生むという資本主義世界のあり方としては仕方ない面もあります。

 

子ども達にとって、あくなき刺激は楽しいものでしょうが、一人静かにおだやかな話に心を潤ませる時間も与えたいものです。

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