游氣風信 若かったあの頃 ・・・やさしさの世代
No,116 1999,8,1
「貯金通帳、どげん捜しても見あたらんばってん、困ったなあ」
初夏のある暑い日、〇さんの在宅リハビリに訪問すると奥さんが困惑顔。大切な貯金通帳が行方不明になっているとのこと。
「通帳がないって、それは大変。印鑑はあるの?」
「印鑑はここにあるばってん、通帳ばどげん捜しても出てこんのよ」
「よーく思い出して。一番最後に出したのはいつ?」
「昼前に農協の人が来よらしたばってん、どこにも持ち出しちゃおらんけん、うちの中にあるのは確かなんじゃ」
「いつもしまうのはどこ?」
「この鞄のポケット」
「ああ、いつも持っている鞄ね。入ってないの?」
「なか。どげん捜してもなかか。」
「仏壇とかタンスの引き出しとかは調べたの?」
「通帳ば、そげなとこにはしまわんけえ、こん鞄の中にあるはずばってんが、どうにもわからん。困ったなぁ」
「諦めないでいろいろな所を捜してごらん。全然関係ないところも。こういう時はとんでもないところから出てくるもんだよ」
「どうしてん出てこんかったらどないしたらよかかねぇ」
「家にあるなら心配ないでしょ。盗まれてない限りは。それにどうせたいして入っちゃいないしね。でも、引き落としや入金に困るね」
「そうじゃ。金はなかかけん心配なかばってん、引き落としに困る」
「どうしても見つからないか。うーん。あちこち捜して見つからんばってんじゃけえ、困ったばってん」
「そげな『ばってん』の使い方はおかしかぁ。ここらの人には熊本弁は無理たい。それにわたしは熊本からこちらに来て長かばってん、40年にはなるばってん、最近はちっとも『ばってん』とは言わんばってんが、みんなはわたしがやたらと『ばってん、ばってん』言うと言わっせるばってんが、おかしかなぁ。
わたし『ばってん』ち言う?」
「・・・・・」
『ばってん』談義はともかく、通帳を捜そうとご主人の訓練が終わった後、許可を得て部屋の中を細かく捜しました。
サイドボード、小机、タンスの引き出し、状差し、洋服ダンスの背広のポケット、書類ケース、仏壇。タンスの衣類を引っ繰り返し、茶ダンスの食器を引っ張り出し、封筒の中を逐一確認し、本箱の本を引きずり出し・・・。けれども
結局見つかりませんでした。
もともと〇さん夫妻は廃品回収業。
お宝のような瓦落多が家の内外に山積みにされていました。二人であちこちの廃棄物を集めて、業者に出したり、中古自転車を修理して新品同様にしたりして生計を立てていました。〇さん修理の自転車は乗りやすいと指名買いがあるほどだったそうです。
数年前、ご主人が脳血管障害で倒れられてからは闘病と介護に明け暮れるご夫妻。
初めて訪問した時は、庭は廃棄物の山。自動車、自転車、単車、机、本箱、農機具、葦簾、絨毯、訳の分からない缶や箱など足の踏み場もないほどでした。
しかしその後は奥さんが大活躍。
家まで入浴サービス車を入れるために庭を片付け、車椅子の移動に便利なように部屋の中のものを処分しと、ご自身もあまり丈夫でないのに八面六臂の働きぶり。久しぶりに訪れたケースワーカーはその行き届いた整頓ぶりに感動していました。
右手の機能と言語を失ってイライラしがちなご主人をなだめながら還暦を遠く過ぎた奥さんは全力投球の毎日。それが通帳を無くして困っていたのです。
わたしと奥さんとで手分けして貯金通帳を捜しまくりましたがついに見つかりません。けれどもそのとき、代わりにとてもいいものを見つけてしまいました。瓦落多の中からお宝を発見したのです。
一つは南米の蝶々の飾り。
モルフォ蝶とかトリバネアゲハというきらきらと輝く翼を持った美しい蝶の飾りが壁に掛かっていました。何十匹の蝶を使った壁飾りは残酷で嫌いなのですが、確かにその光沢ある羽根は美しく、しばらく見とれて、疲れを忘れることができました。
もう一つは懐かしい劇画。
わが悩める青春時代に大評判だった時代を代表する作品、上村一夫の「同棲時代」です。
この名作劇画は映画にもなりました。後に水戸黄門の入浴シーンでおじいさんたちのアイドルになった由美かおるが主演して美しい裸身を見せて話題に上りましたが、映画の出来は散々。結局、裸だけが売りでした。こういうことはよくあることです。
わたしは20数年ぶりに出会った「同棲時代」に懐かしさを覚え、ぜひ売って欲しいと懇願して、結局、貰い受けました。どうしてもお金は要らないと言われたのです。しかし、もともとこれは〇さんの商売の品ですからそうはいきません。お金を受け取らないので代わりに次回に訪問したとき電気液体蚊取り器を差し上げました。
なんせ家の裏が竹やぶ。ヤブ蚊がすごいのです。蚊取り器は自己防衛の意味もあります。蚊取り線香は煙でご主人が息苦しくなるので使えません。
結局、その日は通帳を見つけることができないまま、次に訪問するお宅の約束の時間が大きく過ぎてしまいました。
わたしは奥さんに
「もしかしたら洗濯物と一緒にタンスにしまい込んだ可能性があるからタンスの中の服をくまなく調べるように、もし今晩見つからなかったら、明日一番に農協にいって通帳のことを相談するように」
と指示してお宅を引き上げました。
帰宅すると大学二年の娘がパソコンの前に座ってメールチェックなどしていました。
目ざとくわたしが抱えた「同棲時代」を見つけると、
「同棲って憧れるね。嫌ならいつでも止められるからね」
と恐ろしいことをさらりと宣(のたま)いました。
「うん、若いということは、やり直せることかもしれないな」
「結婚したらそうはいかないもんね」
「やり直しができるからという気楽な思いから、逆に取り返しのつかないことをする。これも若さか・・・」
などとぶつぶつ呟きながら本を開き、25年ぶりに同棲時代を読みました
「同棲時代」
上村一夫
愛はいつも
いくつかの過ちに
満たされている
もし
愛がうつくしいものなら
それは男と女が犯す
この過ちの美しさに
ほかならぬであろう
そして
愛がいつも
涙で終るものなら
それは
愛がもともと
涙の棲家だからだ
愛のくらし
同棲時代
作者の上村一夫は昭和の絵師と呼ばれた劇画家。その線一本から匂い立つ妖しい魅力、高貴なエロティシズムは他の追随を許しません。
上村一夫
1940年(昭和15年)、横須賀生まれ。
武蔵野美術大学卒業後イラストレーターを経て1967年(昭和42年)「カワイコ小百合ちゃんの堕落」(月刊タウン)でデビュー1967年(昭和42年)「パラダ」原作・阿久悠(平凡パンチ)で本格的に劇画へ1986年(昭和61年)1月逝去。享年45歳
代表作
同棲時代・関東平野サチコの幸・すみれ白書60センチの女・星をまちがえた女・怨獄紅・離婚倶楽部密猟記・乱華抄完全なる答案用紙・一葉裏日記・おんな教師・ゆーとぴあ・修羅雪姫・狂人関係・蛍子・菊坂ホテル・夢化粧・ヘイ!マスター・しなの川街の灯・バーボン警察蛍 妖艶篇・マリア・妄想鬼
先月号の寺山修司が1935年(昭和10年)に生まれ、1983年(昭和58年)で没していますからほぼ同世代です。享年も47歳と45歳。才能は命を削るのでしょうか。
*
久しぶりに「同棲時代」を読んでみてその暗さに辟易しました。
これが劇画雑誌に連載されたのが1972年から73年にかけて。ちょうどわたしが19歳から20歳の頃で、今の娘の年齢です。
当時は70年安保闘争に端を発する学生運動が浅間山荘事件で終焉を迎えた後の、若者が気力を喪失していた時代でした。その無気力さから「しらけの時代」と呼ぶ人もいます。
国際問題として第四次中東戦争の影響からアラブ諸国による自主的な原油生産調整がなされ、世に言うオイルショックが起き、その影響で国内でもトイレットペーパーの買い占め騒動があったのが73年です。わたしも困窮してデパートのトイレのペーパーを余分に巻き取ってポケットに失敬したりしていましたが、そのころからペーパーホルダーに盗難防止のカギがかかるようになりました。
そうした時代背景から若者の無気力さをすくい取って作品に仕立てたのが「同棲時代」だったのです。であればこそ時代を代表する劇画となったのでしょう。
上村一夫の絵は日本的な線で、登場人物の顔も能面に通じるところがありますから、なおさら時代的な暗さや社会的な桎梏を漂わせています。
しかし、登場人物の暗さは社会情勢だけが原因ではありません。
当時の社会通念として同棲は罪悪として主人公の若い女性を苦しめます。今日でも同棲は勧められるものではありませんが、結婚前のワンステップとして以前ほど冷ややかに見られることはないでしょう。でもこの当時はまだまだ歴史を引きずった倫理観が厳しかったのです。
劇画の中のでは恋人でも夫婦でもないという中途半端な関係に若い二人が自己嫌悪に陥るほど悩み、苦しみ、落ち込み、周囲からは冷ややかに見られ、彼女はついに精神を病んでしまうのです。とても娘が憧れるような甘い同棲生活は描かれてはいません。
当時、もう一つ、同棲を思わせる時代的なヒット曲があります。それは
「神田川」
喜多条忠作詞・南こうせつ作曲
貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭い マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって
言ったのに
いつも私が 待たされた
洗い髪が 芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は 私の身体を抱いて
冷たいねって 言ったのよ
若かったあの頃
何も怖くなかった
ただ 貴方のやさしさが
怖かった
貴方は もう捨てたのかしら
二十四色の クレパス買って
貴方がかいた 私の似顔絵
巧(うま)くかいてねって
言ったのに
いつもちっとも 似てないの
窓の下には 神田川
三畳一間の 小さな下宿
貴方は 私の指先見つめ
悲しいかいって きいたのよ
若かったあの頃
何も怖くなかった
ただ 貴方のやさしさが
怖かった
南こうせつの繊細な歌声がバイオリンの伴奏とともに連日テレビやラジオから流れ、こうして同棲が隠微な存在から白日の下に出てきたのではないでしょうか。
友人と二人、東京で行われる地上最強の空手、極真会館主催第五回日本空手道選手権を東京まで見に出かけたのはこの頃でした。
友人の友人が住む下宿は杉並にあり、地下鉄を下りて探していたら、汚いどぶ川がありました。欄干には「神田川」と書かれており、このゴミと生活排水で汚染した小川がかの名曲に出てくる神田川かと驚きと感慨で欄干に彫られた文字を撫でたものです。
友人の友人の下宿はいわゆる下宿屋。真ん中に廊下があり両側に部屋がずらりと並ぶもの。トイレと洗面所は共有。
夕方訪れたものの友人はおらず、仕方がないので隣人にドライバーを借りてカギを外しておりましたら、そこへ楚々とした同世代の美女がやってきて、すれ違いざま目礼をして奥の部屋に入って行きました。玄関を振り返ると朱塗りの下駄が揃えてあります。男二人は呆然と彼女の消えさった薄暗い空間を見つめていました。
主のいないまま部屋に上がり込んだわたしたちは冷蔵庫から食い物を出しては喰い散らかし、飲み物を出しては飲み散らかし、いつしか万年床で眠ったのでした。
翌朝、空手大会を見るために下宿を出るとき、玄関にきれいな朱塗りの下駄が昨夜のまま揃えてあります。
「あ、昨夜の美人の下駄だ」
「ということは野郎の部屋に泊まったんだな」
「これが世に言う通い同棲かな」
「うむ、若い男女が不謹慎だ。天誅を加えよう」
もてない男二人連れは公憤・義憤にかられ、おのおの朱塗りの下駄を手にすると表の神田川に放り投げたのでした。
朱塗りの下駄は放物線を描いて川面に落ちるとしばらくその場に漂いながらしずかに流れ去っていきました。
こうしてわたしと友人は善を成した後の快感を胸に意気揚々と空手会場に向かったのでした。
この話を娘にしたところ初めはまったく信用しませんでしたが、本当だと知ると今度は変態おやじと軽蔑の目を向けられてしまいました。
神田川に放物線を描いた朱塗りの下駄。
わが青春の痂皮(かひ・かさぶた)として今でもときどき疼くのです。
若かったあの頃
何も怖くなかった
ただ 貴方のやさしさが
怖かった
この歌のヒット以後、若者は「しらけの世代」から「やさしさの世代」と呼ばれるようになりました。
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