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2011年6月26日 (日)

游氣風信   No,114 「大陸移動説その2」

大陸移動説(その2)

 

 先月号に続いて「大陸移動説」を取り上げます。

 先月号ではウェゲナーというドイツの気象学者が地図を見て南アメリカとアフリカがジズソーパズルのようにつながるのではないかという閃きから「大陸移動説」を唱えたこと、その証明のために古生物学をもってきたことまでを書きました。

 「大陸移動説」とはもともと一つであった大陸が何らかの原因で移動して今日の形になったというものです。

 ウェゲナーは実に膨大な論文を、それも幅広いジャンルにわたって渉猟し、直感的に思いついた「大陸移動説」を科学として成立させようとしました。

 

 また先月号では、わたし自身が大学の一般教養でこの論に触れ、「学問の面白さ」と「学問する面白さ」を学んだとも書きました。その面白さを分かち合いたいと思います。

 

 今月は先月号に続けて「大陸移動説」の衰退と再生について説明します。
 少しむつかしい内容になりましたが、むつかしいところは本当はわたしもよく分からないところですから、あまり気にしないで読み進めてください。

 

 では、「大陸移動説」はその後どういう経緯を辿るのか、はてさて、その消息や如何。

 

(註:「」で囲んである文章は岩波新書「新しい地球観 上田誠也著」からの引用です)

 

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氷河の痕跡(地質学)

 

 地質学者の間では南アメリカのブラジルとオーストラリア南部、赤道に近いアフリカやインドに氷河の痕跡があることが知られていました。しかしなぜ赤道に近い暑いところに氷河があったのか謎でした。

 驚くべきことに、この問題に対してはウェゲナーの「大陸移動説」により、氷河の痕跡地帯はもとは南極を中心にしたひとつの大陸であったと推定すれば実にあっさりと解決してしまいます。

 

山脈の生成(地質学)

 

 山脈がどうしてできたか。

 かつては、地球という火の玉が冷えて収縮し、その襞が山脈になったという説が通説でした。つまり水気の抜けた夏蜜柑のようなものです。しかしそれはどうも物理的に不合理であると分かりました。なぜなら、それほどの収縮は何千度もの冷却を必要とするからです。

 

 そこで我がウェゲナーはおもしろい仮説を唱えます。

 「地層の褶曲(シュウキョク。布にできたシワのように曲がること・・三島)を起こすのには収縮はいらない。大陸が移動すれば、その前面は抵抗を受けて褶曲を起こすだろう。あたかも水上を走る船の舳先に波が立つように。大西洋を後ろに開きながら西進してきた南北アメリカ大陸の西海岸部に連綿と連なるロッキー、アンデスの山並みがまさにそれである。また、ゴンドワナ大陸(現在の形に移動する前の仮定された南半球の大陸の名前・・三島)の分裂に伴って北進したインド大陸が、アジア大陸にぶつかって褶曲を起こしたものが、ヒマラヤの峰々である」

 

 これがわたしが車を走らせながら八ヶ岳や南アルプスを見て思いを馳せた部分です。

 わたしはアイロンがけでよくシワ(山脈)をこしらえてしまいますが、これも「大陸移動説」と同様の褶曲です。

 

大陸を動かす力(地球物理学)

 

 「なにがどう働いて、大陸が何千キロメートルという距離を動いたかという問題、すなわち大陸を動かす原動力の問題」は困難なものでした。ウェゲナーもそれはよく承知して、この問題を解決しないことには「大陸移動説」は近代科学足りえないと考えていました。

 彼はそこに苦慮して地球の自転による遠心力などと仮説を唱えましたが、地球物理学者たちに一蹴されてしまうのです。

 これが彼の学説の致命的欠陥でした。

 

大陸移動説の死

 

 ウェゲナーの「大陸移動説」は

 

 1 大陸を動かす原動力に対する説明に欠けている

 2 当時の常識である地球が固いという根深い地球観

 3 地球の高温起源説(当時の正統)なら地球のやわらかい初期に移動するべきで、固くなった今日に移動するとは思えない

 

という否定的意見を覆すには至りませんでした。

 

 こうして「大陸移動説」は1910年頃にウェゲナーの手によって世に出て1930年代には忘れ去られてしまいます。1930年にはウェゲナーも50歳で没してしまいます。

 

大陸移動説の再生

 

 ところが1950年代、ウェゲナーの死後20数年を経て「大陸移動説」は復活します。それは地磁気の移動の問題が明らかにしたものですが、これの説明は繁雑で難しくなります。

 

地球は電磁石(地磁気学)

 

 簡単に言えば、地球はスイカのように殻(地殻)があり、「中はほぼ2900キロメートルの深さまではマントルと呼ばれる固体の層になっている。それより深い部分(核)は流体の状態にあり、さらにいちばん深い部分、1000キロメートルぐらい(内核)は、再び固体になっていると考えられている」

ということです。

 

 地球のこの構造から地球は電磁石なっていることが分かりました。つまり 

 1 地球の核が金属程度に電気を通す物質であること

 2 その物質が流動状態であること

 
 これらは地球自体が発電機として働くための必要条件です。 これによって地球に磁極ができます。

 

磁極の移動と大陸移動(地磁気学)
 

 イギリス人学者たちの詳細な岩石調査により古代の地磁気の移動状態が解明されました。その動きは「約三億年前には、磁極の位置は現在の北極からはるか離れて、日本列島あたりにあったし、さらに六億年ほど前にはもっと離れて、南太平洋にあった。この現象は磁極の移動、あるいは極移動と呼ばれた」という驚くべき事実です。

 

 今の極は誰でも知っているように北極を指しますが昔はどうも違っていたようなのです。ここは天才バカボンのパパみたいに「不思議だが本当だ」と言うしかありません。

 

 この詳細な調査はイギリス人学者によって、当時失われつつあった英国植民地に於いて大変綿密に行われたそうですが、同様に北米大陸でも行われました。

 北米での調査結果とヨーロッパでの調査結果を対比したところ、極を示す軌跡がとてもよく似ていることが判明しました。

 

 しかも「二つの曲線は傾向がほぼ一致しているにもかかわらず、厳密には一致していないことに注目するだろう。このずれはどうやら系統的なずれのように思われる。この結果をにらんだランコーンは、一つのひらめきを得た。そしてそれが大陸移動説復活の、大きな鍵となったのである」。

 

 こうして一旦は死んだ「大陸移動説」は再び学者たちに脚光を浴び始めることになったのです。

 

 ふたつの曲線のずれは約30度。

「その動いた分だけ適当な補正をしなければ、ほんとうの極の軌跡は求められない。このように考えて、北米大陸を東のほうへ30度ほど戻してやる。そして二つの極移動の軌跡を一致させてやると、まことに見事なことであるが、大西洋はほとんど存在しなくなり、北米大陸とヨーロッパ大陸は、ほぼくっついてしまう」と、極移動の調査はウェゲナーの復権を予見させるものでした。

 

 さらに「地質時代的に見ても、古地磁気学の結果はウェゲナーのいった大陸移動の歴史(それは主として古生物学的な証拠に基づいて行われたものであるが)と、きわめてよい一致を見せた」のです。

 

 ここに至ってパズルゲームの思いつきが現代科学の装いを帯びて復権したのでした。

 

マントル対流(地球物理学)
 

 1930年代、動きの原動力の説明ができなくて滅んだ「大陸移動説」ですが、実はそのころからひとつの原動力説がありました。それは「マントル対流論」です。これはアーサー・ホームズという学者が唱えたものです。

 当時、すでに固体であると立証されていたマントル(地球の地殻から核までの層。梅干しでいうと果肉の部分)も本当はゆっくりと対流する性質を有している、その対流が大陸移動の原動力であるというものです。

 

 対流とは温度差によって流動現象が起こるもので、卑近な例を上げれば味噌汁の中の溶けた味噌や具がぐるぐる回っているのがそれです。あるいはストーブを点けるとタバコの煙が渦巻いて動き出すことなどで知ることができるでしょう。無論今のファンヒーターではありません。この旧式のストーブのことを対流式と言いますがこれは年配の方ならご存じですね。

 要するに、「マントル対流論」とは地面の下でマントルというどろどろの溶岩が味噌汁の味噌のようにぐるぐる回っていると考えればいいのです。

 

 「もしマントル内の流れが巨大大陸の真中で上昇してきて、左右に分かれるとすれば、その巨大な大陸はそこで割れて、両側に離れ去り、離れ去ったあとには海が広がっていく。それがまさに大西洋であるとホームズは述べて」います。

 

中央海嶺(海洋地底学)

 

 レーダーなどの測定器の発達により、海底探索の技術が急速に進歩して、海底のようすがあたかも陸上を観るように知ることができるようになりました。

こうした技術進歩とそれによる調査結果も大陸移動説を大いに支えることになります。

 

 ハリー・ヘスという学者は「中央海嶺(大洋の中央にある海底山脈)はマントルからの物質の出口、つまりベルト・コンベア(地中からマントルが吹き出して噴水のように左右に分かれて、ベルト・コンベアのようにどんどん移動していく)が地表にあらわれてくるところである。

 そしてそこではあたらしい海底地殻が誕生する。誕生した海底は、海嶺の両側にひろがり、海溝(海底の谷)にいたるとそこでふたたびマントルに沈みこんでゆく。

 流れの速さ、すなわちベルト・コンベアのスピードは、種々の根拠から年間約数センチメートルであると考えられるので、中央海嶺で湧き出した海底が大洋を横断して、海溝地域で再び沈み込んで行くまでには、2-3億年しかかからない」と述べています(括弧内の説明は三島による)。

 

 毎年数センチずつハワイが日本に近づいていて、いずれは日本領になるという俗説はここに因ります。でも日本に近づけば常夏の島ではなくなるので残念です。

 

 このベルト・コンベアによる速度は海底の「堆積物の厚さが海が何十億年も存在したにしては、まったく薄すぎることなどに、合理的な説明をあたえるもので」した。

 

海底テープレコーダー(古地磁気学)

 

 ここらから難しくなります。でも食らいついてください。

 

 「高温であったマントル物質が中央海嶺において新しい海底となるときはキューリー点(磁石は熱するとある温度を越えた段階で磁石の性質を無くす。その温度のことを発見者ピエール・キューリーにちなんでこう呼ぶ・・三島)を通って温度が降下する。

 その時に地球磁場が北を向いたり南を向いたりしているとするならば、ある時期に生まれる海底は全部北向きに磁化するし、次の時期に生まれる海底はすべて南向きに磁化することになる。そのような過程で拡大が進めば、南北交互に逆向きに帯磁した縞目が広がっていくことは当然の論理的帰結である。

 今までベルト・コンベアーにたとえられてきた拡大する海底は、同時にテープレコーダーであるということになる。マントルからでてくる海底地殻は磁気テープであって、それには地磁気逆転の歴史が録音されている」ことになるのだそうです。

 

 さらには海底土という海底堆積物にも正逆交互の磁気変化が発見されここで地磁気の歴史の三位一体が解明されることになりました。

 三位一体とは

 1 世界の火山岩の残留磁気

 2 海上地磁気の縞模様(幅何十キロ・長さ何百キロメートル)

 3 海底土の磁気(長さ10メートル位)

の三つをいい、この発見は当時の学者たちに深い感銘を与えました。科学とは無味乾燥な冷たいものではなくこうした感銘の集積なのでしょう。それが方法(技術)として一人歩きすると時にとてつもなく恐ろしい存在になるのです。

 

 さてここからはもっと難しくなります。あっさりと済ませましょう。

 

プレート・テクトニクス

 

 この名称は大きな地震があったときなど、テレビや新聞の解説に出てきますからよくご存じでしょう。

 簡単に言えば地球の表面は何枚かの大きなプレートから成り立っており、それが移動しつつ互いに干渉し合っているということです。

 

 「新しい地球観」には「プレート・テクトニクスでは、二つのプレートを境するのは海嶺と海溝とトランスフォーム断層(ふたつのプレートがずれ動く境界・・三島)の三種の構造」からなり、その性質はこれらの構造を「幾何学的な一般論で展開」すればいいと書かれていますが、要するにそういうことです。

深い追求は止めましょう。

 簡単に言ってしまえば、大陸はプレートという薄い板に乗っかって動いていて、プレート同志が干渉しあうとき地震なども起きるのです。

 

 日本の海底型地震はマントルが日本海溝に流れ込むときのエネルギーの蓄積の排出とも言われています。活断層による阪神大震災はまた別です。

 

日本列島(火山帯)の成立

 

 日本列島は日本海溝で沈み込むプレートが作り出す摩擦熱で火山帯が形成されたという説があります。そうすると日本の山は皺ではなく、腫れ物と考えた方が良いでしょうね。

 

 以上が「大陸移動説」の概要です。後半は難しくなり過ぎました。

 

 一つの説が生まれ、否定され、再生するには一人の卓越した科学者の情熱だけでなく、多くのジャンルを越えた学者の努力と、科学技術の進歩がありました。それでも、まだ、細かな点で矛盾も多く、「大陸移動説」は決定的なものではなく、壮大なロマンを秘めた仮説なのです。

 なにしろ地球単位の時・空間は悠久かつ雄大。立証も実験も困難です。考古学や天文学同様、科学者のロマンによるところが多い学問と言えるでしょう。

《後記》


 指圧と空手を習っている若きカナダ美人Dさんに大学では何を専攻したのかと尋ねましたら

 「human geography」

と答えました。

 「ヒューマン・ジオグラフィ。人間の地理学? それは何? 例えば胸が山でおなかが平野で・・・」

 「NO~!!!」

きれいな眉をきりきり吊り上げて叱られてしまいました。

 

 human geographyは人間の地理学ではなくて人文地理学でした。人文地理学とは広辞苑によれば「地表上の人文現象すなわち人口・集落・産業・交通・文化などを地域特性の構成要素として考察する学問」だそうで、自然地理学(natural geography)の対立概念のようです。決して人体上に地理的要素を見いだす学問ではありません。

 

 けれども人体を地球と置換して考えれば地球に「大陸移動説」が存在するように身体でも移動が見られます。即ち年々歳々、皮下脂肪がマントルのように移動していると思われるのです。否、移動ではなく重力に従って下降しています。すると「体脂肪下降説」が医学の一部として成立するかも。

 

 しかしたとえ真理がそうであっても、ゆめゆめ「胸が山で、脂肪が移動して、おなかが小高い丘になって・・・」などと指さして口に出さないように。我が良識に鑑みて判断するに、それはとっても失礼なことだと思います。

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