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2011年6月26日 (日)

游氣風信 No,123 2000,3,1春は風に乗って・・・

 今年は三月の五日が啓蟄(けいちつ)。

 寒い冬の間、地中に潜んでいた虫たちが、春の到来とともにのこのこ地表に出てくる日とされています。

 俳句では「地虫穴を出づ」とか「蛇穴を出づ」、あるいは「蟻穴を出づ」「蜥蜴(とかげ)穴を出づ」などとも言い、春の季語として用います。

 三月ともなると冬の堅く引き締まった空気が緩んでは締まり、緩んでは締まりして、だんだん春の陽光が鮮明になってきます。

 

 冬も終わりに近づいて、寒さの中にも僥倖のように暖かい光のさす日があります。そんな日に出会った人々は、どちらからともなく
「寒い中にもこうした暖かい日が続きます。三寒四温。もうすぐ春ですね」
と春を待つ心を「三寒四温」という言葉で分かち合うことでしょう。
 しかし、「三寒四温」の本来の意味は違います。

 

 古来から中国や朝鮮などでは、冬の間、三日寒い日が続いた後、四日暖かい日が続き、これが交互に繰り返されるという意味で用いられたものです。つまり「三寒四温」は春の訪れを予感させるものではなく冬の間を通じて使われる言葉なのです。

 

 大陸の厳しい冬と言えども寒い日が三日続けば暖かい日がくる、寒い日ばっかりではないよと励ましあったのでしょうか。

 日本では大正時代に編纂された歳時記にこの言葉が冬の季語として登録されたようです。(平井照敏編 新歳時記 河出文庫)

 

 もっともこの頃では、「三寒四温」を近づく春の兆し、あるいは春を待ち焦がれる気持ちに使用することは普通になってきました。こうした事例をもってこの頃の日本語は乱れてきたと目くじらを立てる必要はありません。もともと
日本語でもなかったのですし。

 

 そもそも人は春の兆しを何で感じるのでしょうか。
 どことなく緩んできた空気。
 霞がかかった空。
 水が温んで楽になった台所。
 道端に青々と芽生え始めた草花。
 日差しが奥まで届かなくなった部屋。
 いつの間にか遅くなった日暮。
 街行く女性の衣装が白っぽくなったとき・・あ、これはちょっと違います。
いずれにしても、人それぞれが、それぞれの感じ方で春を発見することでしょう。

 

 わたしが春を一番感じるとき。それは冷たさの中にも柔らかさをはらんだ春風です。

 治療室に閉じこもっているとなかなか風に対して敏感になれません。まして移動も車。季節から取り残されそうになります。

 けれども自転車などで来室された方から風が暖かくなったとか、南風に乗ってやってきたなどと聞くと、ああ、春だなと実感し、改めて風に吹かれてみようと表に出たりします。とりわけ農家のお年寄りは長年の農作業の習慣から風や雲に関心が深く、いろいろ示唆されることが多いのです。

 

 春の訪れ。それは

 七色の谷を越えて

 流れていく 風のリボン

    「花の街 江間章子作詞」

 

まさにこの歌のように風とともに春が到来するのです。

 風は見えないながらも、木の葉を揺さぶったり、塵を巻き上げたり、音を立てたりして不思議な存在感。映画や小説などの心象風景としてうってつけ。昔から人の関心を集めてきました。

 

 季節を感じさせるものとして俳句歳時記にも多く取り上げられています。

 冬の代表的な風は凩(こがらし)や隙間風、北風や颪(おろし・伊吹颪や比叡颪など)。

 

 四季の風が俳句ではどう詠まれたかざっと見てみましょう。

 

 北風や多摩の渡し場真暗がり 水原秋桜子

 樹には樹の哀しみのありもがり笛 木下夕爾

 

 二句目の「もがり笛」は「虎落笛」。「虎落」は竹の枝を利用した物干しのこと。紺屋の物干しを指すことが多いようです。また元は軍事的な意味で、竹槍状に斜めにカットした竹を編んでこしらえた柵のこと。虎を落とすとはここ
からきたのでしょう。

 虎落笛は、物干しの枝に当たった寒風がピューピューと寒そうな音をたてること。今日ではもっと広く用い、北風が枯れ木の枝や電線に当たって笛を吹くような音を出すことも含みます。音の出る原理はフルートや尺八、口笛の発音と同じです。

 

 凩の果はありけり海の音 池西言水

 海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

 

 凩ではこれらの句が有名です。

 言水は江戸時代の人。この句をもって「凩の言水」と称せられました。誓子の句はそれを土台に特攻隊で出立する若者達を木枯に重ねた切実な句。

 こうした厳しい冬の風からしだいに暖かさを含む風に移行して春の近さを物語ってくれます。

 

 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな 菅原道真

 

 これはついにわたしとは縁の無かった学問の神様菅原道真(すがわらのみちざね)の有名な歌。下の句は「春な忘れそ」とも記憶していますが定かではありません。梅の頃ですから極めて早春。「春は名のみの風の寒さや(早春賦)」というところでしょうか。

 

 われもまた人にすなほに東風の街 中村汀女

 

 現代の東風はこのように軽く詠まれます。どこかで冬の終わり、春の兆しを感じて心身が緩んできているのでしょう。

 

 春風に尾をひろげたる孔雀かな 正岡子規

 

 これは春風駘蕩。いかにもゆったりした暖かい春の風です。小学校か中学校の教科書に出ていました。

 

 空曲げて旗をひろげる涅槃西風 秋元不死男

 

 涅槃西風(ねはんにし)は陰暦二月十五日の釈迦入寂の頃吹く西風のこと。

今年は三月二十日、ちょうど彼岸の中日になります。まだ幾分冷たさが残っていることでしょう。

 

 春一番柩ぐらりとかつぎ出す 宮下翠舟

 春疾風木々は根を緊めおのれ鳴らす 楠本憲吉

 

 天気予報などでおなじみの春一番。立春後初めて吹く強い南風ですが、災害をもたらすほどの突風になることもあります。春疾風(はるはやて)は春特有の疾風。作者の楠本憲吉はテレビタレントとして知られていましたが、俳句研究でも立派な業績を残しています。生涯を遊んで暮らせた高級料亭の息子で灘中・慶大と作家の遠藤周作の友人でした。

 

 この疾風に乗って中国大陸の砂漠の砂が運ばれてくることがあります。黄砂とか霾(ばい・つちふり)とかいう現象です。

 

 黄塵のくらき空より鳩の列 鈴木元

 

 春もたけなわを過ぎると爽やかな初夏の風が吹き渡って心地よい五月そして暑い夏へと駆け巡っていきます。

 

 鶏百羽一羽ころげし青嵐 加藤楸邨

 南国に死して御恩のみなみかぜ 摂津幸彦

 

 以後季節は風に乗って秋・冬と巡り四季を繰り返して行くのです。

 

 大いなるものが過ぎ行く野分かな 高浜虚子

 秋風や模様のちがふ皿二つ 原石鼎

 

 わが宿のい小竹群竹ふく風の音のかそけきこの夕かも 家持

 秋きぬとめにはさやかにみえねども風の音にぞおどろかれぬる 敏行

 

 季節と風の関係を詩歌でたどってみました。しかし、風は何も季節だけを感じさせるものではありません。

 

 見えないけれども確かな存在感は古くから人を魅了し、また畏れの対象にもなりました。

 それらを思いつくままに羅列してみましょう。

 

 漢方医学では風は体内に入って病を生ずるとも考えていました。今日でも「風邪」とか「中風」「風疹」「破傷風」「痛風」などという病名が残っています。これらは見えない何かが風のように体の中に入って病の原因になるとい
う認識。風の恐ろしい一面です。

 

 誰が風を見たでしょう

 僕もあなたも見やしない

 けれども風は木の葉を吹いて

 (以下忘失)

 

 これは小学一年生の時に読んだ世界名作物語集の中に出ていた詩です。詩はうろ覚えで正確ではありません。しかしわたしが初めて接したまともな詩であると言っていいでしょう。それまでは「死んだはずだよ、お富さん」とか「もしもしベンチで囁くお二人さん」などといった流行歌しか知らなかったからです。

 この詩はそれなりに有名な詩であることは確かですし、作者はアメリカのロングフェローであったような気もしますがこれも正確ではありません。

 

 アメリカと言えば、フォークソングの草分けボブ・ディランに「風に吹かれて」という名曲があります。さまざまな疑問を投げかけては次のように答えま

す。

 

 The answer, my friend is blowin' in the wind.

 The answer is blowin' in the wind.

(その答えは、友よ、風の中で吹かれ続けている)

 

 風前の灯火と言うように風は不安の象徴でもあるのです。

 

 青春の寂しさを美しいことばに置き換えて、六十年代の若者の絶大な支持を得たフォークグループ「フォーククルセダーズ」の作詞を担当していた北山修は現在活動的な精神科医として知られています。そのデビュー曲が「帰ってきた酔っ払い」であることはもはや伝説です。

 

 何かを求めて振り返っても

 そこにはただ風が吹いているだけ

          「風(北山修作)」

 

 この歌は現在高校の教科書に出ています。ここでも風が重要なテーマ。空しさや懐かしさの象徴です。

 

 ストーリー展開の要所要所に効果的に風をおいていたのは宮沢賢治。そのものずばり「風の又三郎」という童話も書いています。賢治にとっての風は基本的に大循環から生まれるというスケールの大きさがあります。大循環とは正確には大気大循環。つまり赤道周辺は年中地表が暖かく、北極や南極に近づくほど寒くなるという温度差から生じる風に、地球の自転が加わって生じる季節風や偏西風のことです。その一切れが妖精となったのが風の又三郎。この辺りを踏まえて、次の詩を読んでみてください。

 

 これは「疾中」と分類される詩群の中にあり、賢治が病気療養中の思いを詠んだものです。推定で昭和四年頃、賢治三十四歳位の作品です。

 

[風がおもてで呼んでゐる]

 

風がおもてで呼んでゐる

「さあ起きて

赤いシャッツと

いつものぼろぼろの外套を着て

早くおもてへ出て来るんだ」と

風が交々叫んでゐる

「おれたちはみな

おまへの出るのを迎へるために

おまへのすきなみぞれの粒を

横ぞっぱうに飛ばしてゐる

おまへも早く飛びだして来て

あすこの稜ある巌の上

葉のない黒い林のなかで

うつくしいソプラノをもった

おれたちのなかのひとりと

約束通り結婚しろ」と

繰り返し繰り返し

風がおもてで叫んでゐる

          宮沢賢治「疾中」より

 

 自然からの呼びかけにただ仰臥するのみの日常を嘆いていたのでしょう。それをこうした美しい詩に昇華するところが詩人の詩人たる所以です。

 詩人でないわたしたちも、風に代表される自然との関わりを時に楽しみ、時に畏れつつ暮らしています。

 

 季節とは仮に床に伏せっていようとも、こちらから探しに出なくても、向こうから自ずとやって来てくれるありがたい自然の営みにほかなりません。その先駆けが風なのです。

 とりわけ俳句のある生活は季節の変化と出会うことで毎日を新鮮に感受することができます。高齢者や療養中の人に多く作られる理由がここにあるのです。

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