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2011年6月26日 (日)

游氣風信 虫の移ろい   蝉から蟋蟀へ

No,117 1999,9,1

 

 八月もお盆を過ぎるころから、夕暮れになると草むらや家の隅で秋の虫が鳴きだします。

 鳴く虫の代表は、夏なら蝉、秋なら蟋蟀(コオロギ)の仲間でしょう。

 俳句で鳴く虫と言えば秋の夜長を鳴きとおすコオロギやカネタタキなどの類を指します。

 

 虫の声は季節の移ろいの指標です。

 初夏にはハルゼミが松林で「ゲーゲー」鳴いていますが、声は聞いていても今時蝉が鳴いていると気づく人はあまりいません。35ミリほどの無色透明の羽根をもった蝉。

 

春蝉や松はこぞりて花となりぬ  水原秋桜子

 

 梅雨が明けるころ、ニイニイゼミが鳴き始めて夏の到来を告げます。梅雨の終盤、空気の重たい日々の中にもほっとする青空がのぞきます。こんなとき鳴き出すのです。このセミの鳴き声は「ニーニー」と静かです。命名がこの声から来ているのは間違いないでしょう。全長(頭から羽根の先まで)35ミリと小型。薄い茶色のまだら模様の羽。

 

 松尾芭蕉の

 

 閑かさや岩にしみ入る蝉の声

 

がニイニイゼミであることは以前に《游氣風信》に書きました。

 

 梅雨が明けると途端に炎暑到来。

 アブラゼミやクマゼミが猛暑を演出してくれるので「夏が来た」と浮き浮きします。暑さと湿気で頭や体はクラクラしますが、やはり夏は暑くなければビールがまずい。涼しさの演出には風鈴、ビールの演出にはアブラゼミです。

 

 アブラゼミの声は「ギリギリギリ」とか「ジリジリジリ」と聞こえますから「じりじり暑い」真夏の日差しを連想させます。わたしは羽根が油紙みたいだから油蝉かと思っていましたが、正解は鳴き声が油炒めの音に似ているところ
から油蝉と名付けられたそうです。サイズは55から60ミリ。羽根は茶色で最も身近な蝉です。

 
油蝉ねぢゆるみきて鳴きやみぬ  鈴木青園

 
 アブラゼミのあとに出てくるのがクマゼミ。体長65ミリと日本では最も大きい蝉。

 小学生のころ祖父の住む広島の山村で初めてこの蝉を捕まえたとき、手の中で暴れる大きさと翼の力にとても感動した覚えがあります。当時、クマゼミはなかなか捕まえることのできない、貴重な蝉だったように記憶しますが、ここ何年か、名古屋地区ではクマゼミがとても増え、その分アブラゼミが減ったような気がします。気のせいでしょうか。

 羽根は無色透明で胴体が黒く大きく見えるので熊蝉。「シャーシャーシャーシャー」とうるさく鳴きます。これが「暑暑暑暑」とも聞こえるので暑さ嫌いの人の感情を逆なでします。東京より西に分布。

 

熊蝉や水惑星の昼下り  三島広志

 

 八月も下旬になって秋が近づくとツクツクボウシ。「オーシンツクツク、オーシンツクツク、ムクレンギョー、ムクレンギョー、ジー」とおもしろい鳴き方をします。なんと言っても夏の果てを実感させてくれるのがこの蝉。

 「さあ、ツクツクボウシが鳴き出したから夏休みも残り少ない。がんばって宿題やらなきゃ」

と子供にいささかの焦りと気合を入れてくれる蝉です。

 45ミリとやや小型。羽根は無色透明。

 

 その他、名古屋周辺では聞くことができませんがミンミンゼミやヒグラシもいます。

 夏の盛り、山間に行けば、ミンミンゼミがその鳴き声をもってして昼下がりの長閑さを際立たせてくれます。また、朝な夕なにはヒグラシ、別名カナカナが涼しげな哀歓のある声を山間に響かせています。陳腐なたとえながらそれはまさに一服の清涼剤。

 

 山の蝉は涼しい印象を与えてくれるのはなぜでしょう。

 暑いところにいる蝉はやはり人間と同じく「暑い暑い」と叫びまくり、涼しい山にいる蝉は「ああいいな。せいせいするな」と涼を満喫しているからなのでしょうか。

 

 俳句歳時記では蜩(ヒグラシ)は秋の蝉に分類されています。しかし実際にはこの蝉はニイニイゼミに次いで七月には姿を現し、八月末まで「カナカナカナカナ」と哀愁を帯びたかん高い声で鳴いています。蝉とは思えない情緒があり、鳥の声と誤解している人も多いようです。

 普通早朝と夕暮れに鳴くのでヒグラシと言うのでしょうが、時間に関係なく日が陰ったときにも鳴くことはあまり知られていません。日光に強く反応する蝉なのです。羽根は無色透明。全長48ミリ。

 

かなかなや素足少女が灯をともす  森澄雄

 

 ミンミンゼミは誰でも分かります。「ミーンミンミンミーン」と最後のミーンを長く延ばして鳴く声は鼻詰まりの人間の声そっくり。寒冷地に多く分布し無色透明の羽根で62ミリと熊蝉に継ぐ大型。遠くの山から聞こえてくる声はい
いものです。七月から九月と長い期間声を聞くことができます。

 

厳かにみんみんの鳴き始めたる  浦部熾

 

 夏場、山に行くとエゾゼミというクマゼミと同じくらいの大きさの蝉がいて、「ギー、ギー」と鳴いているそうですがわたしは見たことも聞いたこともありません。体調65ミリ前後、羽根は無色透明。

 

 今年の夏、わたしは八月の二十二日に初めてツクツクボウシを聞きました。

今年の夏はお盆のころから雨が多く涼しい日が多かったですから、秋の到来も早かったのでしょう。仕事前に部屋の空気を入れ替えようと窓を開けたら「オーシンツクツク」と静かな声がとどいてきました。

「ああ、ツクツクボウシが鳴いてますね」

「ほんと、これで夏も終わりで暮らしやすくなるねえ」

という会話から治療が始まりました。

 ところが九月に入ってからは一転、とても暑くなりましたから、今日(九月五日)これを書いている窓の外では復活した油蝉が鳴いています。

 

 ツクツクボウシが最後の蝉かと思いきや、まだまだ。チッチゼミという20ミリに満たない無色透明の翼の蝉が十月まで鳴いているそうです。これも見たことはありません。鳴き声はご想像どおり「チッチッチッ」です。

 

遠き樹に眩しさのこる秋の蝉  林 翔

法師蝉しみじみ耳のうしろかな   川端茅舎

 

 

 さて、鳴く虫の本命は秋の虫。

 蝉は分類学では半翅目に属します。カメムシやヨコバイも同じです。

 それに対して秋に鳴く虫は直翅目に分類されます。コオロギ、キリギリス、マツムシ、クツワムシ、スズムシ、カネタタキ、カンタン、クサヒバリなどがこれに属します。

 また、鳴かないトノサマバッタやオンブバッタやイナゴ、嫌われもののカマキリやゴキブリ、擬態の名人ナナフシも直翅目の仲間になります。ただしゴキブリ類やカマキリ類を直翅目から独立させ網翅目とする分類もあるそうです。

わたしとしてはこれは鳴かないからと仲間外れにするようで好きではありません。

 

 俳句歳時記に出ている鳴く虫を紹介します。

 

蟋蟀(こおろぎ)

 俳句では「ちちろ」といいます。昔はキリギリスと混同。

 エンマコオロギ、ミツカドコオロギ、ツヅレサセコオロギ、オカメコオロギなど色々な種類がいます。

 エンマコオロギは最も大きいコオロギで、暑いころから草むらで「コロコロリー」と鳴いています。一番身近に耳にする虫の音。

 ツヅレサセコオロギは晩秋「針刺せ、糸刺せ、綴れ刺せ」と鳴きます。綴れとは継ぎ布のこと。寒くなるから綴れを刺して冬に備えよと鳴くというのです。

平安時代からそう呼ばれていたと広辞苑にあります。

 さる知り合いの年配の男性にお聞きしたところ、ツヅレサセのことは母親から聞かされて知っていると言われました。平安からの伝統は着実に継承されていたのですが、ここへきて途絶えつつあるようで残念です。

 

こほろぎのこの一徹の貌を見よ 山口青邨

蟋蟀が深き地中を覗き込む  山口誓子

 

鈴虫

 コオロギ類。江戸時代より庶民に飼われて親しまれてきました。いかに早く鳴かすかという競争もあったようです。今では郵便局でも鈴虫を売っているようで、「リーン リーン」という優しい声音が聞こえてきます。

 

鈴虫を聴く庭下駄の揃へあり  高浜虚子

泣きしむかし鈴虫飼ひて泣かぬいま  鈴木真砂女

 

松虫

 コオロギ類。「ちんちろ」とも言います。「あれ松虫が鳴き出した ちんちろ ちんちろ ちんちろりん」で知られていますが、天然の声を聞くことは難しくなりました。実際には澄んだ音色で「ちん ちろりん」と鳴きます。

 

人は寝て籠の松虫啼きいでぬ  正岡子規

松虫におもてもわかぬ人と居り  水原秋桜子

 

邯鄲(かんたん)

 コオロギ類。邯鄲は中国の古代都市の名でもありますし、「邯鄲の夢」の故事でも知られています。何でも願いのかなう不思議な枕をして寝た青年が人生の栄枯盛衰を見てふと目覚めたらまだほんのしばらくしか経っていなかったという故事。人生のはかなさを示すものですが、この虫の鳴き声も「ル、ル、ル」とはかないことから邯鄲と名付けられたと言います。

 

こときれてなほ邯鄲のうすみどり  富安風生

月の出の邯鄲の闇うすれつつ  大野林火

 

草雲雀(くさひばり)

 コオロギ類。「フィリリリリ」と澄んだ哀れな声で鳴きます。見た目は鈴虫に似ていますが、ヒバリというイメージは声からも姿からもありません。早朝聞かれるので、関西では「朝鈴」と呼ぶそうです。その方がこの虫の感じからすると適切であるとは飯田龍太の意見。

 

一と息の長さ短さ草雲雀  早船白洗

大いなる月こそ落つれ草ひばり 竹下しづの女

 

鉦叩(かねたたき)

 コオロギ類。名前のとおり「チン、チン」と鉦を叩くような音色で鳴きます。

姿はコオロギに似て、肩掛けくらいの短い羽根が特徴的。

 

鉦叩風に消されてあと打たず  阿部みどり女

暁は宵より寂し鉦叩  星野立子

わが云へば妻が言ひ消す鉦叩  加藤楸邨

 

きりぎりす

 昼間、暑い盛りに「チョンギース」となきます。姿は殿様バッタのよう。肉食ですごい顎をしているので持つときは慎重にしないと噛まれます。

 

むざんやな甲の下のきりぎりす  芭蕉

きりぎりす山中の昼虚しうす  原コウ子

一塔婆一死に増えてきりぎりす  平畑静塔

 

馬追

 キリギリス類。「すいっちょ」とも「すいと」とも。鳴き声が「スーイッチョ」と馬を追う声に似ているとか。

 

宿題のある子無き子にすいと来ぬ  及川貞

馬追の緑逆立つ萩の上  高野素十

 

轡虫(くつわむし)

 キリギリス類。これはうるさい虫。「ガチャ ガチャ ガチャ ガチャ クツワムシ」と童謡にあります。轡の音が名の由来。「がちゃがちゃ」とも。

 

湯冷めしてしらけし肌やくつわむし  日野草城

森を出て会ふ灯はまぶし轡虫  石田波郷

 

螻蛄鳴く(けらなく)

 螻蛄はおけら。モグラのような土中に住む虫で前足が土を掘るのに適しています。「螻蛄鳴く」で季語とされています。庭に出ると「ジーンジーン」と結

構大きな声で鳴いていますが、昔は蚯蚓(ミミズ)が鳴く声だと思われていました。もちろんミミズは鳴きません。

 前出のツヅレサセのことをご存じの年配男性はミミズが鳴くということも親から聞かされて、「そんなことはあるまい」と疑問に思っていたそうです。こうしたことをご存じの方は古典の世界に残っているだけだと思っていたのです
がまだまだ現存しているのですね。

 

高嶺にて高嶺仰ぐや螻蛄がなく 加藤知世子

螻蛄鳴くや濡れ手で粟の仕事はなし  成瀬桜桃子

 

 以上が歳時記に載っている鳴く虫です。

 

 明治になって、中国大陸から移住してきた虫にアオマツムシがいます。マツムシとよく似ているのですが、マツムシが茶色系なのに対してこれは名前の通り緑色。通常、秋の虫たちは草むらで鳴きますがアオマツムシは木の枝で鳴きます。

 アオマツムシは近年、異常に繁殖して夕闇を席巻していますが、その理由として樹上にいるので除草剤の影響から逃れているのではないかという説があります。

 声はリリリリリと機械的でかん高く、とても強い声で、いわゆる風情は吹き飛ばしてしまうので困り者です。

 

 日本人は虫の音に風情を感じますが西洋人は単なる雑音にしか聞こえないといいます。知り合いのアメリカ人に聞きましたらやはりクリケット(こおろぎ)の声はうるさいだけだと答えました。本当でしょうか。

 

 ここに興味深い研究があります。

 

 角田忠信博士(東京医科歯科大教授)は、日本人と西欧人の脳の臨床学的比較研究をしました。その結果、日本人は虫の鳴声や鳥の鳴声を左脳(言語脳)で受取るが、西洋人は右脳(芸術脳)で受取ることを発見しました。

 これはどういうことでしょう。

 日本人は西洋人と異なり虫や鳥の鳴声を言語として聞きなすことができるということです。つまり意味のない音声を受け取ってもそれを言語のように意味付けしてしまうということなのです。

 

 20年以上前、このことを本で読んだわたしはショックを受けました。ところがこの研究も近年、専門家の間で疑問視されてきています。興味深い結論だけがジャンルを越えて一人歩きしていると。

 科学は再現性が重要視される学問です。ところがこの研究の追試をしてもそのような結果がでないというのです。

 外国人にも虫の音や鳥の鳴声を詩情をもって感受する人もいるし、日本人でも虫や蛙の声がうるさくて眠れないから駆除してほしいと市役所に要望してくる人がいます。

 

 虫の声を風雅と感じることは、日本人だけの特性と決めつけることは戒めなければならないでしょう。

 

 以前外国人たちと飲みにいった時の会話です。

M「日本人はどうして自分たちだけ特別だと思いたがるのだろう」

S「そうそう、日本人は菜食だったから腸が欧米人より長いという話題を好むわ」

R「飲み付けなかった牛乳を飲むと下痢するともね」

M「アルコールの分解能力も西洋人より弱いと言うよ。でもね、ぼくの空手の先生は底無しに飲む。付き合っていたら死んじゃうよ」

S「日本人とひとくくりしないで、一人一人を見ればいいじゃない」

R「そうだよ。だから日本人は個性が無くてのっぺりした顔をしているんだ」

 

 虫の音を愛でるのは日本人だけというのはある種の優越感を招くことは間違いないでしょう。でもそれは日本人だけの感性だと結論づけるのは早急なことです。

 今うちに出入りしているSというカナダの巨漢は大学院で日本の保険制度を研究していますが、彼の趣味は三味線。彼の友人のアメリカ人は琵琶を習っているそうです。また、今は帰国しているフランス人禅尼僧のMは尺八を習っています。

 こうした邦楽のよさを理解するということは虫の音を味わう感性もあるということだと想像します。同時に、日本人の心性からこれらがどんどん失われていることも危惧されます。

 音楽大学の先生が、ある時、尺八の講師に来てもらったそうですが、その講師はアメリカ人で、その講義風景は不思議であったと述べておられました。

 

 秋の夜長を鳴き通す虫の音。

 こうした情緒は金銭にもまして後世に残していくべきものでしょう。そのためには虫の住める環境も残していかなければなりません。

 

 それにしても、もし、前述のうるさい外来のアオマツムシが日本中を制覇したら虫の音に風情を感じるなんてことは日本人の心情から完全になくなってしまうかもしれません。

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